Hatena::Groupmanabiai

イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2016-08-16

お伝えした(つもりの)こと➃ 教師の仕事は? 10:58

この疑問が出されていた。

授業の様子を見ていると、何もしていないように見えるとのこと。

きちんとした先生にとっては「仕事の放棄」のように見えて罪悪感を抱くのかもしれない。


教師の仕事はある。

あるが、「自立した学習者」を育てるためには、あくまでも「必要としなくなる」ことをめざしていかなければならないと思う。

そして、これは、子育てと同じと思っている。

「必要としなくなる」というのは、「関係を絶つ」という意味ではない。

また、「学ばなくてもよくなる」という意味でもない。

学習者が自らの課題の解決に向かって必要な情報(物・人…)を探し、選択し、活用しながら自立して学び続けられるようにしていくことが教師の大切な仕事だと思う。



教師の仕事は、「教える」ことというよりも「できるようにすること(課題を達成させること)」だろう。

「教える」のはあくまでも「手段」の1つであって、「できるようにすること」が「目的」(まあ、もっと上に「人格の完成をめざす」という目的があるが)。


「教えない」という手段をとった方が、自分で調べたり、学び合ったり、…と、様々なことが「できるようになる」のなら、私なら迷わずそちらをとりたい。


だから、教師は、「教える」というより、「学ばせる(それを援助・促進する。邪魔しない。)」という意識で接している。

FlipperKFlipperK2016/08/18 18:20 まぁ、結局は教師側がどうとらえるかなのかな、と思います。繋げることも教えることも。
繋げることについては、大半が可視化ですむ場合だと思いはするのですけどね。子どもの動きの(イコール情報の広がりの)流動性の高い集団であればあるほど「よい情報」は広がっていくでしょうし…。よい情報が広がっても、必要感がなければ入っていかないのは、発信元が教師でも子どもでも同じでしょう。情報の受けては、教師だからとりわけ聞いてくれるわけではないでしょうしね。
 だから、結局授業者がどうとらえるかなんでしょうね。
 私は、「教えたい、教えるべき」と思ったら、教えればいいじゃん、と思う方です。授業者がそれで納得できるのなら。です。

daitouirukadaitouiruka2016/08/19 02:56FlipperKさん、ありがとうございます。
私もそうです。
『学び合い』を知る以前との違いは何かと考えてみると、それを選択するかどうかを決めるのが教師であると思っていたのが、子どもに移ったということだろうと思います。
教える(というか伝えるという感覚かな?)ときも、
「先生が伝えるのは、あくまでも選択肢の1つとしてとらえてね」という姿勢。
「教えたい、教えるべき」と思うことがあれば、私も「ちょっと言わせて」と言うこともあります。
特に他の人に『学び合い』について伝えるときも、「がまんし過ぎて精神衛生上悪いと思ったら教えてください」と言っています。
いらいらして別のところに弊害が出るといけませんからね(笑)。

まあ、「教えたい、教えるべき」と思うものがあれば、たいていはあらかじめ課題の中や資料のプリントに入れるようにしています。
どのタイミングでそれが必要か個々でちがいますから。
ただ、「教えたい、教えるべき」と思ったとき、以前より、「本当に?」とか、「教師じゃなくちゃできない?」と立ち止まるようになりました。
そして、教えた後も、「教えたから正確に伝わっているとは限らない」と以前以上に思うようになりました。