Hatena::Groupmanabiai

イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2016-03-27

水落芳明先生が高知へ!! 6月10・11日(金・土) 18:12

上越教育大学の水落先生が、本校に来てくださることが決定しました。

まだまだ細かなことはこれからつめていかなければなりませんが、おいでになれる方はぜひ。


6月10日(金)は本校に来ていただきます。

そして、引き続き翌日11日(土)の午前中、高知市内で『学び合い』の会を開催します。


以下、およそ次のような日程になる予定ですが、この後のお話で変更のある可能性もありますので、その点、ご了承ください。


午前:本校の様子を見ていただく(全校『学び合い』も)。

午後:出前授業とご講話。授業は大学院生さんにしていただき、その後のご講話を水落先生にしていただきます。

授業は、国語の複式授業。

翌日午前:高知市内で学校とは直接は関係なく、「高知『学び合い』を学ぶ会」の主催で『学び合い』の講演会と質疑。

会場等詳細はこれからです。


高知県は複式学級がとても多く、たくさんの方々が複式授業の実践に苦労しながらも懸命に取り組んでいます。

学び合い』はその複式授業の一つのヒント(私にとってはぴたりと当てはまると思えるものですが)になると思うのです。

本校の先生方にとって、算数の複式については、本校では全校『学び合い』で算数をしているので、ある程度イメージはできるのですが、国語の複式についてはまだイメージしにくいようです。

また、教師の役割、課題の出し方など、もっとしっかりと学びたいという声も聞かれました。

だから上記のような内容でお願いしようと思ったのです。


うれしいのは、今回の講師招聘は私からではなく、管理職のお二人からの、「来年度は是非」というご提案だったこと(水落先生にお願いしたいというのは私の提案ですが)。


高知の複式学級の授業にとって、また、高知の『学び合い』にとって、有意義な2日間になると思います。


是非おいでください。


詳細は正式に決まり次第またお知らせしますが、現時点でのお問い合わせは、上記のメアドにお送りください。

卒業式・修了式・離任式 17:39

来年度も同校勤務が決定しているので、学級の子ども達とのお別れはわりと淡々と。

「来年度も、ひょっとして担任になるかもしれないし、ならないかもしれないけれど、いずれにせよ、今年度同様、よろしくね。」

と、にこやかに。


いっぱいある思いは最後の学級通信に書いたので、それを読む形で。

なぜかというと、こういう時にうまく話しのするのは苦手だから。

それと、保護者の方へ伝えたい事でもあるので文字として残しておきたいということも。


表題の式は1日で行われる。

卒業だけでなく、先生とのお別れ、転出していく友達とのお別れも相まって、たくさんの子ども達が涙を流した。

まさに「号泣」・「嗚咽」という感じの子ども達もたくさんいて、各教室に帰った子ども達のその鳴き声が職員室にまでずっと響いてきていた。

今年度新たにおいでになった校長先生も、

「これほど泣くのは初めて。驚いた。」

とのこと。


「涙を流すからいい」と単純に言うつもりはない。

目に見えて流したかどうかということではなく、別れに当たって何ら感慨がないよりは、少なくとも、それだけの思い入れがある人間関係が築けたということはいいことだと思う。


本校は休み時間や全校の行事の時だけでなく、全校『学び合い』でも有意義な触れ合いの場が持てている。

きっとこのことも、よい関係づくりに大きな役割を果たしていると思える。

aogachiruaogachiru2016/03/27 22:23他に予定が入らない限り
参加します。宮城、岡山でも会いましょうね。
「正義は勝つ。お天道様は見ている。」
と思っています。

FlipperKFlipperK2016/03/28 05:166月かぁ。行きたいなー。

daitouirukadaitouiruka2016/03/28 23:40aogachiruさん、ありがとうございます。
宮城ですが、学校関係の行事がそのあたりにいくつか重なっていて、その予定通りなら行くのが難しいような感じです。何とかならないかなー。
岡山は現時点では何も重なるものがなかったので、すでに申し込みをしました!
是非ご一緒しましょう。
FlipperKさん、是非、おいでください。
水落先生のご講話はもちろんですが、院生の方も現職の方で、とてもユニークな経歴もお持ちで、授業の方も水落先生お勧めの先生です。
来ないと後悔しますよー(笑)。

2016-03-16

Live it. 02:04

前回に関連して。

あることを、相手に納得してもらい、本当に伝えようとするならば、よいコミュニケーションが必要だ。

しかし、それでもまだ足りないものがある。


アドラーは、伝えたいならば、自身がそれを生きてみせることだと言った(と、記憶しています。すみません。出典は?です。)


だから、『学び合い』も、その「考え方」を子ども達や同僚に伝えたいならば、まずは自分自身が、そのように生きてみせなければ(できないまでも、そのように生きてみせようと努力していなければ)本当には納得してもらえないだろうと思っている。


自分は、多様な子ども達や同僚達と、折り合いをつけながら自らの課題達成に向かえているのだろうか。

そして、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学べているのだろうか。

2016-03-14

愛情とコミュニケーション 04:29

愛情があるから、よいコミュニケーションが生まれるのではなく、

よいコミュニケーションがあるから、愛情が生まれるのです。


これは、私がアドラー心理学の先生から教えていただいたことのうちの一つ。


この発想で解決する問題は多い。


相手の立場や考え、気持ちを無視した一方的な「好き」や「所有欲」は「愛情」とは言えない。

少なくとも相手には受け入れてもらいにくい。


このことで悩んでいる保護者は少なくない。


詳細は書けないが、ある保護者が「子育てがうまくできない」、「子ども達とのコミュニケーションがうまくとれない」、「子ども達がつまずき、悩んでいることに手助けができない」ということで、かなり深刻に悩んでおられたので、いくつかコミュニケーションの取り方を提案させていただいた。


保護者と私の1対1のやり取りで何度か提案はさせていただいてきたが、やはり、こういうことは「お稽古事」と同じで、文字や話のやり取りだけでは伝わらない部分が多い。

私自身、書籍だけではなく、実際のワークに何度も参加していく中で身についてきたことが多い。

あ、そうか。今までも「知っていたはず」のあのことって、実はこういう意味があったのか、という「腑に落ちる」体験。

だから、子どもさん達と私の実際のやり取りを見ていただいた方がよいと思い、その場を設けた。


やり取りをしながら、ポイントを実際にホワイトボードに書いて解説を加えていった。

これは、そのポイントの主旨を子ども達自身にも分かってもらい、親子で共有してもらいたいと思ったから。

手の内は全てさらす方が、子ども達との相互信頼・相互尊敬の関係を築きやすい。

ホワイトボードに書いたのは、対話の手助けになることに加え、記憶にも留めやすいだろうというねらいもあった。

実際に、そこに書かれたキーワードをその後のやり取りの中で使ってくださっている。


さて、伝えたかったコミュニケーションの取り方は、大まかに言えば次の二つ。


自身が「警察官」や「裁判官」にならずに、基本的に話の「交通整理」のみをしていく方法(方法と言ってもその裏にある「考え方」もセットで)。

「具体的」エピソードをもとに、「事実」と「個人内の解釈」を丁寧に分けながら聞いていく。

その「交通整理」は、自立に向けて子ども達自身でもできるようになること(実際の対人関係や、個人内の思考の段階でも)を目指していく。


それから、不適切な行動の根本にある本当の「よい目的」をともに探していき、その目的に本当に至るためのより適切な「代替案」をともに探していく方法。


すると、すぐに変化の兆候が見られたと報告があり、それから数週間経ったが、躓きつつも(躓きは当然のことと前もって伝えていた)確実に好転していっており、子どもさん達自身もそのようなコミュニケーションの取り方の快適さを実感し、逆に「交通整理」をしてくれるまでになってきたということだ。

特に、先日久しぶりに会ったという親戚の方々は、その変化にすぐに気づいてくれたということだった。


うれしいことに(といってもこれもねらってはいたが)、私の提案に当初否定的だったご家族の一人も、目の前で実際に起こっていく関係の変化に納得し、その方ご自身も考え方が変化してきているらしい。


話せば話すほどとげとげしくなっていたコミュニケーションの悪循環から、幸せな気持ちを引き出し合うコミュニケーションの良循環に変化してきたようだ。

2016-03-07

学び合い』の学び直し 06:03

学び合い』について質問されることがあったり、説明が必要であったりすることが増えてきた。

…いや、数としてはどうなんだろう?

数えていないので実際はそれほど変わらないのかも知れない。

しかし、明らかに変わってきたのは、

「変わったことやっているけれど、誤解しないでね。」

という意味の説明より、

「自分もやってみたいのだけれどどうすればいいですか?」

とか、

「やってみたけれどうまくいかないことがあるのですがどうすればいいですか?」

という、その方の実践に向けての前向きな質問に対する説明の方が多くなってきたということ。


しかし、その説明の時、自分の中に例の「自動化」が起きてしまっていることに気づく。


そこで、また以前読んだ資料や臨床教科教育学会の論文などを読ませてもらっている。


今、『学び合う教室』を読み直している。

その中には、研究が進んですでに行われていない手だてなどもあるが、それも含めてよい発見になる。

なぜそれが必要なくなったのか、考える材料にもなるからだ。

あわせて、

「教師もこういった介入が必要なのではないか?」

という質問に対する1つの実証的な理由付けもできるからだ。


何より、『学び合い』が提唱された初期のころの強い思いが伝わってきて、よい刺激になる。

もちろん、最近出版されてきている書籍にも強い思いがこめられているのだが、新しいものを初めて世に問おうとしている鮮烈さというか、何か違ったものが一緒に伝わって来るように思う(個人の感想です)。


学び直していくなかで、当時読んだときには見落としていた重要なことも再発見できる。

見落としたというより、当時の私にはまだ必要なかった情報(有効に使いこなせない情報とも言える)が、今の私には重要になってきたということかもしれない。


目指すものが同じでも、どの道を選ぶか、選んだ道を後戻りも含めてどのペースでいくか、人それぞれなのは大人も子どもも一緒だとつくづく思う。

2016-03-04

参観された方への返信 06:26

先日の全校『学び合い』には、小学校の先生、高校の先生、一般の会社の方の3名がおいでになった。

そしてまた、お昼休みいっぱい話してくださって、子ども達はまた給食にラップをかけてくれてて…(笑)ということになった。

教室も見学されて帰っていかれました。

子ども達はそのまま学び合っていました。


参観された方に後日ネットでお礼の言葉をいただいたので、次のように返信した。


こちらこそ、充実した時間をありがとうございました。

学び合い』は教科内容だけでなく、その他たくさんの「人として学ぶべきこと」が学べると思っています。

しかし、たくさんあるから大変というわけではない。

様々なものをそぎ落として、たくさんのことに関わるような根っこの部分を明確に意識して指導する。

だからたくさんのことを学べるのに「時間が足りない!」なんてことにもならず、むしろ短時間で学べる。

実際には授業時間以外もそのように生きようとするようになるのでむしろたくさんの時間を使って学んでいるとも言えます。


納得いかない部分は無理をなさらないようにしてください。

ただ、納得いかなかったけど、実際やってみると

「何だ、意外とあっさりできるんだ!」

とか、

「え?予想を越えてすごいことできるやないの‼」

ということもしばしばです。

逆に、

「こんなにできなかったのか!」

という、自分が認識できていなかった実態が見えてきて、次の課題のありがたいヒントになることもあります。


また、試されてうまくいったことやいかなかったことなどシェアしてくださると私も学べますので、これからもよろしくお願いいたします。