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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
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2016-01-31

かわいそう 14:58

私の授業を外部から見に来てくださったある方(『学び合い』の授業が目的で見に来られたわけではない方)に、

「みんなが自由に動いていたとき、ポツンと一人でいた子を見て、かわいそうになってきた。教師がなんらかの手だてをしてあげるべきだったのでは?」

とのアドバイスをいただいた。


反論を始めるとついつい熱が入ってしまい、私としては純粋に考えを交流してせっかくの協議の時間を充実させたいという本気の思いとは裏腹に、「攻撃」をしているととられてしまいがちなので、ここは少し控えようと思った。

…のだが、やはり話し始めていた。


せっかくおっしゃってくださった方に対して不誠実だから。

そして、その場にいた他のたくさんの方達にも「そのとおりだ」と思われたまま帰られると、『学び合い』…とは言っていないが、あのような活動をさせることはやはり「かわいそう」なことなのだと確信を深められると、『学び合い』ができる環境が遠退いてしまうと思ったから。


思っていることを言わない訓練よりも、思っていることを曲解されずに伝える訓練をした方が建設的だろう。

子ども達にもそう求めているわけだし。


その方には(だけでなく参加されていた全員に対して)、およそ次のように伝えさせてもらった。


・一人ポツンとした子に対してどう動くか、一人ポツンとしてしまった子自身がそのような状況でどう動けばよいのかを考えていくことの重要さを常に語り、励ましながら、自分(達)で行動に移すことを求めていること。

・個々の格差やつまずきは目立たないように配慮すると、かえって教師の思いとは逆に、理解が遅いことを「隠すべき悪いことだ」と印象付けてしまうので、むしろ、テスト結果等もオープンにして「全員の向上のために自分が何ができるか」を考えることを求めていること。

・この時間のみの知識や課題のためだけではなく、この子達の10年後、20年後、その先のことを考えて、あえて教師が直接手を出すことをがまんしていること。

・本当に「かわいそう」なのは、その力をつけずにそのまま社会に出してしまうことだと思うようになったということ。


およそこのような趣旨のことを伝えさせていただいた。

自分的には、批判がましくなってはいなかったと思うのだが…。


その方は一応「分かった」と言ってくださったし(本心まではわからないが)、最後にもうひとつアドバイスをくださったので、気分は害されていなかったのかな、と判断させてもらうことにした。

二つ目のアドバイスは納得できたので、感謝の意を伝えた。


ずっと誰とも関わらないわけではなく、ある場面で一人ポツンの状態になることそのものは全く悪いことではない。

むしろ、一人で考えたり、他者と考えたりする時間があることの方が自然である。


ただ、今回は、その発言をされた方の見立てた通り、その子は他者と関わった方がよい場面で、自分もそうしたいと思いながら一歩踏み出せず躊躇していたのは確かだった。

それは、その子自身が現在持っている課題でもあることは私のみならず、クラスの子ども達みんな承知していることだ。

そして、それに対する対策も子ども達はあれこれ考えて実行してきている。

そのことも協議の中で伝えさせてもらった。


まあ、実際、授業では、さすが子ども達、一人ポツンの状態は数分で、後で混じって学び合っていたのだ。

そして、気になるその子の授業評価票は、全ての項目が最高点だった(その子は普段からアンケートには悪い評価もつけるので、私に気を使っているわけではないだろう)。

その結果も協議で紹介できたのでよかった。

空白の時間 13:41

以前は、授業中、子ども達が手持ちぶさたになってしまう空白の時間ができないようにするためにあれこれ活動のさせ方を考えたり、プリントを用意したりした。

でも、個々人で、できるかできないか、できても時間がどれだけかかるかもばらばら。

そして、それぞればらばらにやっていることに、対応するのが教師一人だとかかる時間は無限に増えていき、結局空白の時間を無くすためにしたことで、さらにその指導を待つ時間ができるという笑えない矛盾が起こる。

そしてばらばらにさせていた課題に目を通す時間が休み時間にまでおよぶ。

それを毎時間の授業でする。

…なんてことは物理的にも無理になってきて追い詰められる。

そういう問題をクリアできる名人もいらっしゃるようだが、自分はなれそうにない。

いつしか、

「授業中、授業内容のことばかりじゃなくて、ちょっと息抜きのできる時間もある方がむしろ人道的じゃないのか」

などと無理矢理自分を納得させようとしたり…。


学び合い』に出会い、その授業の学習内容を自分個人が達成することのみではなく、みんながみんなの力で本当に達成することを求めるようになってから、その無限に増えていく教師の個別対応から逃れることができた。

解決すべき課題を少なくする方向ではなく、むしろ学習内容のみに限定せず、学び方、人としての生き方にまで広げたことによって。

そして、その解決を教師が考えた新たな活動を与えられることによってではなく、自分で、自分達で考えた最良と思える方法を試行錯誤しながら進めていくことによって。

学習の課題としては一つでも、その課題を達成するために個々人の内部ではさらにいくつかの課題が生まれてくる。

こうして、個別の課題に取り組みながらも空白の時間が生まれず、しかも能動的な時間になるという、半ばあきらめかけていたことが実現できるようになってきた。

しかも空白を埋める活動に「他者への貢献」や「他者への感謝」も学べる活動も加えることができるとは。


確かに、実践していくなかで、壁にあたることはいくらでもある。

しかし、だからといって、その壁を自分がしてきた旧来のやり方を続けることによって破ることができるかというと、自分の中ではますます現実感がなくなってしまう。


子ども達と『学び合い』をする中でともに壁を越えていく方がよい。

何より、その方が楽しいと言ってくれているから。