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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
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2015-09-01

信頼して任せる・任される感覚 ワークショップから自分の『学び合い』を振り返る 20:46

ある会でワークをした。

二人組になる。

私が目隠しをする。

広い部屋の対角あたりに決めた1つの目的物に触ることができたらゴール。

目隠しをした後、間にあったイスやホワイトボードなどの障害物は異動させるので、全くわからなくなる。


二人組のもう一人が、私に触れることなく、言葉だけでゴールに導いてくれる。

うまく導いてくださったので、一度も障害物に当たらず、見事にゴールに達した。

的確な言葉の表現(上手な説明)による導きのおかげだった。


しかし、ワークはそこでは終わらない。


今度は、相手に触れることはもちろん、言葉かけも制限される。

かけていい言葉は、

「大丈夫。あなたならきっとできる。」

だけ。

それ以外の言葉はかけてはいけない。


聞いた途端、会場のあちこちから、

「そんなの、無理やろ。」

の声。


それでも、当然そのまま実行。


やってみると、思いのほか…さっきの細かく指示をもらった時とそれほど変わらないほどの時間で…全員ゴール。


少し、不思議な感覚だった。


指示が、

「大丈夫、あなたならきっとできる。」

という言葉に限定された時点では、

「無理!」

と思っていたのが、いざ始まって歩き始めたら、肚がすわっていた。

「障害物に当たっても当然。そこからどう修正していくかだな。」

というように。

そして、確かに数度ぶつかった(というより、コツンと当たる程度)。

が、そこから何とか軌道修正しながら進み、見事にゴール。


気付いたこと。

そういえば、細かい指示を受けていた時は、

「障害物に当たってはいけない。相手の言葉から相手の意図を汲み取って、一度も当たらずに上手に導かれていくことが最上の結果をもたらしてくれる。」

という思いがどこかにあったのかも知れない。


しかし、自分に任せてくれる言葉のみの時は、上記のような「失敗して当然」というようなどっしりとした心の構えになれる。


そして、ゴールした時の達成感、自己肯定感は、細かな指示をしてくれたときよりも格段に上だった。


確かに、親切な指示をしてくれた時も、ありがたかったり、この人は仲間だな、という思いはあったが…。


今回のことで、自身の『学び合い』のときの振る舞いが頭に浮かび、もう一度振り返ってみた。

まだまだ、信頼して任せ切れてないのかなぁ、削れていないのかなぁ、と。


親切に、上手な説明の導きをしてあげると、確かに「味方」だと思ってもらえて、「感謝」もされる。

以前の私は、そんな教師でありたくて、それを目指していた。


しかし、それはやはり「自立」を遅らせてしまう行為にもなりうるのだなぁと、改めて実感させられた。


全てを削ればよいわけではない。

しかし、

「これは、削れないだろう。」

と私が思い込んでいるもののうち、まだまだかなりのものが実は削れるはず。


その作業を、『学び合い』の研究はずっとしてきたんだな。

sumi-chansumi-chan2015/10/18 14:48このワーク、すごく興味深いです。
どのような会で、どのような目的で行われたワークなのか気になります。(あえて伏せていらっしゃるのであれば、そのままで、、^^)