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2014-12-30
■ 『学び合い』の会のご案内
以前本ブログでご報告した通り、前回の四万十市での会もとても充実した会になりました。
今回は以下の日程で開催いたします。
1.日時:1月17日(土)13:00~15:30
※途中参加、途中離脱もOKです。
また、会場は17:00までおさえてあります。
残ってじっくりとお話することもできます。
前回も熱が入って延長されました。
2.場所:高知県四万十市 若草園
※四万十市立下田中学校の隣です。
前回と同じです。
四万十市なので、かなり遠くなってしまう方、申し訳ありません。
3.内容:
この会は、講師をお呼びして…という会ではありません。
『学び合い』のお話がメインになるとは思いますが、教科指導、生活指導その他諸々の教育に関することについて、情報交換したり、悩みを出し合いみんなで解決に向かってあれこれ学び合ったりしましょう。
現時点で予定している話題は…
①道徳の授業の進め方
前回、話題にあげてくださった先生の道徳の授業について詳しく、具体的に報告していただきます。
とにかく「子ども達が生き生きと学習しだした」ということなので楽しみです。
②10月の高知の会で学んだことを実行したところ、テストの点が全員あがってきたという方のお話。
③1月始業式の翌日から校長先生とまた上越で研修をしてきますので、そのご報告もできると思います(雪でストップしないことを願っています)。
その他、行政関係のことでもお話が。
おいでになりませんか?
参加できるという方は、上記のメアドまでご連絡いただければありがたいです。
ご連絡なしでふらっと立ち寄っていただいてもかまいません。
よい資料があればぜひ提供してください。
もし電子データの資料があって交換できるものがあればUSBメモリなどで持ち寄りませんか?
ウィルスチェック済みのものでお願いいたします。
PCは私が持参します。
飲み物食べ物が必要な方は、各自ご用意ください。
2014-12-27
■ テストの点がよい人がえらい人?
人権を考える全校集会で、一つのことに対してもいろいろな考え方があるということに気付いてもらい、それぞれの考えを尊重する態度を育てることをめざして、「いろいろな考え方」と題した活動をした。
ある設問に対して、どう思うかを考え「そう思う」「ややそう思う」「あまり思わない」「思わない」の4つのグループに分かれるもので、「4つのコーナー」などというタイトルでよく行われる活動だ。
その中の設問の1つ
「テストの点がよい人がえらい人だ」
というものに対して、全員がほぼ迷わずに「そう思わない」に集まっていった。
子ども達全員が「そう思わない」に行ってしまったので、気が付くと、飛び入り参加で教頭先生が「そう思う」に、養護の先生が「ややそう思う」に入っていた。
子ども達になぜ「そう思わない」に行ったのか聞いていくと、
「テストの点がよくても、それで自慢したりするとぜんぜんえらくないから」
「自分ができただけではなくて、みんなができるようにしないとだめだから」
などという内容の意見が出されていった。
それに対して、教頭先生が
「テストの点がいいということは、それに向けてそれなりの努力をしていると思うので、やっぱりえらいと思います。」
という意見を述べた。
意見を述べ合った後、移動したくなった人はもう一度移動してもらった。
数名が「ややそう思う」「そう思う」に移動したので、移動した理由を聞いていくと、教頭先生の考えも納得できたからということだった。
しかし、それでもやはり、
「できたからといって自慢したりぜず、みんなのことも考えられなければだめだ」
という条件はついていた。
テストの点がよいことに価値がないのではなく「テストの点と人間的なえらさが必ずしも一致しない」ということで一致しているようだった。
全校『学び合い』を通して、そういった考え方が子ども達の中に当たり前なこととして浸透していっているということが感じられた。
「学ぶ」ということについて、「他者(社会)とのよいつながりが不可分である」という意識が育っていってくれることを願っている。
また、いつもはあまり発言しない子ども達も全員の前でしっかりと理由をつけながら発言していたことや、その後にとった感想にもたくさんのよい感想がいつもより長文で書かれていたことにも全教職員が驚いていた。
いつもの「算数」による全校『学び合い』ではない場合でも、学年や男女関係なく話しやすい雰囲気が全校に醸成されてきていることを感じる。
数日前に実施した校長先生による全校対象の人権の授業でもそれを感じた。
今学期の学校や学級を振り返る会議で、子ども達のよい変化を報告し合うときも、各先生方が全校『学び合い』の効果と関連づけて話してくださることが多い。
3学期も楽しみだ。
scorpion11042月に全校集会の予定です。
参考にしたいので、他の設問を教えていただけませんか。
daitouiruka了解です!
メモのようなものですが、およそ以下のようにしました。
・・・・・・・・・・
一.【めあて】 みんなが、いろいろな人の考えをきちんと受け止め、自分の考えたことを伝えることができる。(より具体的には、語りで)
二.展開
1.初めの語り
「みんなの前で自分の考えを発表するの好き?」「苦手な人は、どうしてなんだろう?」「苦手な人が心配していることを絶対にしないことをみんなで約束しよう」「もし、してしまったら、きちんと謝ろう」「相手の言うことをしっかりと受け止められるようになること(反対意見を言わないのではなく、相手を傷つけないように気をつけながら)、自分の考えをしっかり言えるようになることをめざそう」
2.活動
① 設問を知る
② 4つのコーナーに分かれる
そうおもう・ややそうおもう・あまりおもわない・そうおもわない
「正解、不正解はない。1人になっても恥ずかしいことではない。それを笑う方がおかしい。堂々としていよう。」
③ 分かれたグループの中で、なぜここを選んだのか自由に聞き合う。
「同じ所に来ても、違う考えを持っているかも知れない。しっかりと聞き合おう。話すというよりも、聞くということを大事にしよう。自分の考えを言ったらおしまいじゃない。言っていない人がいたら、その人の考えをしっかりと聞き出そう。発表するとき、みんなが意見を言えるように助け合ってください。」
④ 自分の考えを発表する。
⑤ 別のグループの人に質問したいことがある人は質問する
「責めるような言い方にならないように気をつけよう。」
⑥ いろいろな人の意見を聞いて移動したい人は移動しよう
「本当に考えが変わったときだけでよい。人の意見を聞いて素直に変われるのも素晴らしい。人の意見を聞いても、やっぱり自分はここだと思えば変わらないことも素晴らしい。」
※ ①~⑥を、問題ごとに繰り返す。
今回の設問
「ゴキブリがいたら、たいじできる」
「テストの点がよい人がえらい人だ」
「大人は子どもより得だ」
「スカートは女の人しかはいてはいけない」※この問題については、できれば児童の実態を見て、文化の違いによっておかしくない国もあることや、性同一性障害によって苦しんでいる人がいるということも伝える。
・・・・・・・・・・
まずは身近で簡単な設問で温めておいて、次第に人権に関わるものへと並べていきました。
最後の「スカート」の設問については、子ども達の間で「おかま」とか「おねえ」とか言いながらばかにする発言が見られたので、一度きちんとみんなで考え合っておかなければならないと思って設定しました。
深まらなければ、こちらから情報を提供することや、学級に帰ってからそれぞれの学級の実態に応じて担任の先生にフォローをお願いしようと思っていたのですが、この設問については4か所にほぼ均等に分かれ、予想を越えて、子ども達の中から、「個人の好みの問題」「国による文化の違い(スコットランドのバグパイプ奏者を例に出して)」「性同一性障害(用語としては使われなかったけれど、内容としてこのことを指していた)」について出されたことには驚きました。
御校のめざす児童像や児童の実態(地域やそれぞれの家庭環境も含めて)にあわせてどうぞ。
scorpion1104詳細ありがとうございます。
人権集会にふさわしい内容ですね。
素晴らしいです。
2014-12-17
■ 1人でも学べる力をつける道筋
最近、授業開始後、シンとした、いわゆる1人学びの時間が増えてきた。
現在は、コの字型のくっついた席を子ども達が選んでいることがほとんどだが、初めからすぐに話が始まるということはあまりなくなっている(予習をしてきている子の中には最初から話し始める子もいるが)。
それが、全校『学び合い』でも開始から数分は静かに1人学びに取り組む姿がほとんどになってきた。
各学級でガッツリ『学び合い』をしているわけではないけれど、全校『学び合い』に慣れてきたのだろう。
初期の頃見られた、やる気が出ない友達に「ちゃんとしようよ!」というような声掛けが次第に必要なくなってきているということと、各自学び方が分かってきたからではないかと思っている。
そして、数分後に次第に対話が増えていくという感じだ。
「1人で学べる力をつけなければならないから」という思いからまず一律に1人学びの時間を設定することが一般的だ。
しかし、1人で学べる力や自信がまだない子にとっては苦痛な時間でしかないだろう。
そのために、そういった子の1人学びの力を教師が個別指導でつけていくという対策が取られることが多いのではないか。
しかし、実際それをサポートが必要な全ての子に対して行うのは大変である。
そして、そうした場合、教師の個別指導では教師への感謝はあっても(感謝されればまだいいのだが、うっとうしがられたりもする:苦笑)子ども達の中での自尊感情や他者貢献にはつながりにくい。
1人学びの力をつけるために毎時間その時間を形式として設定するのではなく、1人で「も」学べる力の向上を理想として子ども達と共有つつ(しかし、学び合う力の向上「も」どこまでいっても必要)、いつ「1人学び」「とも学び」をするのかは自主性に任せるというのが今のところしっくりきている。
時間の無駄も少ない。
将来にわたって汎用性の高い自主的に学んでいく力にもつながっていくと思う。
そして、今担任している子ども達自身も試行錯誤した上でそちらを選択している。
今日人の力を借りてできるようになったことは、次からは借りずにできることをめざそう。
そうやって力をつけた者同士が更に学び合うことによってより高いものをめざすことができるから。
そして、より多くの人とそれができるようになることで、どれだけのことができるようになっていくか、はかり知れない。
…まあ、とは言え、人間、どうしても苦手なことはあるから、そういう分野のことは、上手に他の人にお願いできる力も磨こうね。
平たく言えばこんな感じで子ども達には語っている。
2014-12-13
■ リセットできるチャンスを認め合う
「子どもどうしの会話で、言葉遣いの悪さを感じるときがある」ということが職員の間で話題になった。
例えば「バカ」や「アホ」等々の言葉(それよりややキツめの言葉も)。どうやら、本人はそんなに激しく怒っているわけではない場面で、それほど深い意味を持たせずに軽く使っているようだ。
こういった場合は、個人的な指導や各学級のみの指導に任せるのではなく、一度全体で改善を呼びかけ、しばらくは継続して教師や子ども達どうしで確認しあっていくようにしたほうがよいだろうと思った(特に異学年同士で遊ぶことが多い本校では)。
そこで、翌日の全校の朝会で、私がそのことについて子ども達に話させてもらった。
現状を述べ、本人にそれほどの意識がなくてもそれが周りの人にどんな影響を与えるか等の話をした。
そして、こういった日常染みついてしまったようなことの改善を呼びかけるときに私が意識して話していることも付け加えた。
1つは「私が完璧だから、できないあなた達にやれと言っているのではなく、大人の私自身もいまだに失敗することはあるからお互いに気を付け合おう」ということ。
もう1つは、ついやってしまったとき「あ、ごめん、つい。今の、言い直させて。」等のリセットの仕方も合わせて伝えること。
「いつもの癖でつい…」という失敗をした時でも、きちんと謝ってやり直させてもらうようなリセットのスキルがあることは大切だと思う。
それは、つい言ってしまったことに対して、必要以上に自分を責めたり、あるいは逆ギレして相手を責めたり、ごまかそうとしたり、開き直ったり…などというマイナスの感情が起こることと、相手とのいさかいが起こることを防いでくれるから。
そして、こういった話を全体にしておくのは、「あー。言われんのに言ったー。」などという責める雰囲気になることを防いでくれるから。
染みついてしまっていることは、一度ではなおりにくいことが多い。
失敗に対して寛容な雰囲気も大切だ。
そうでないと、互いに監視するようで、ギスギスと緊張した雰囲気になる。
寛容というのは「なあなあにして見逃す」のではなく「互いに成長を信じて見守り合いながら待つ」という心で。
motoryou失敗に対して寛容な雰囲気も大切だ。
>そうでないと、互いに監視するようで、ギスギスと緊張した雰囲気になる。
寛容というのは「なあなあにして見逃す」のではなく「互いに成長を信じて見守り合いながら待つ」という心で。
うちの学校はそうではありませんが(自慢!)いろんな学校の先生と話すと,これがなかなか難しい職員室もあるみたいです。そうなると悪循環になり,教室もぎすぎすした感じになってしまいますよね。
daitouiruka子ども達に求める限りは、自分達もそうでないといけませんよね。
そこに至るまでの困難さや、その困難さを越えるたびに味わえる喜びとか…様々なことを教師自身が体験している(現在も)ということが、表面上の言葉だけでない、実感を持った説得力につながると思います。
努力しているんだけど、なかなかうまくいかないこともある。
そんな時に、
「そうそう、わかる、わかる。でも、なんとかその方向でいっしょにがんばってみん?」
とか、まあ、それでも難しくて追い込んでしまいそうなときは、
「どうしようもない事ってあるよねー。気分を変えてこんな風に考えてみたら?」
とか、実感を持って言える。
そうでないと、「自分達はできていないくせに」と、子ども達は見抜いてしまいますよね。
いい雰囲気を作っていくカギは『学び合い』で子ども達に求めることと同じで、課題はみんなのものだという意識を持っていることではないかと思います。
別のクラスの○○ちゃんの課題、○○先生の課題も自分達の課題だと思い合える関係。
※アドラー心理学でいう「課題の分離」は意識して、課題の肩代わりという意味ではなく。
あ、うちの学校もいい感じです(自慢返し!)。
2014-12-11
■ うれしい 友人からの報告
先に開催した「『学び合い』を学ぶ会in高知」にも参加してくれた友人からうれしい報告。
桔梗先生の講演の中で、『学び合い』の課題についてきちんと合格ラインを示すことについてふれられていたので、それを意識するようになったらクラスの最低点がぐっと上がり、平均点も上がったとのこと。
それまでも『学び合い』を取り入れ、クラスの仲間関係はぐんとよくなったのに、今一つテストの点の伸びが見られなかったのが悩みだったそうだ。
外部の講師に来ていただいたときに見ていただいたら、「この学年だけのことではなく、下級生からの積み重ねが不十分なようだ」ということを言われていたらしい。
困難な状況であり、かなりの時間がかかることだと思っていたのだが、課題の「合格ライン」を子ども達にしっかり示したところ改善が見られた。
「いやいや、たまたまかもしれない。」
と、すぐには信じないようにしたのだが、それが2回、3回と回ごとに上昇が続き、活用問題のテストでもぐんと上がっていたので、
「どうやら本当らしい。」
と思えるようになったそうだ。
高知の会に一緒に参加してくださっていた同僚の方のクラスでも同様のことが起こっているそうだ。
そして、校内の授業研究でも賛否両論があるだろうことも承知で『学び合い』をするとおっしゃっているらしい。
頼もしい方だ。
同僚に『学び合い』の考え方を理解し、実践してくれる人がいるのは本当に心強い。
周囲に受け入れられるよう配慮しつつ、強かに続けていってほしい。
scorpion1104学校枠を超えてつながることは、孤立感が薄くなりますよね。私自身、daitouirukaさんにつながっていることを有難く思っています。
daitouiruka私も同様に有難く思っています。
同僚にいてくれるとそれはとても心強いですが、それがかなわなくても、範囲を広げればいるんだと思えればなんとか頑張れますよね。
2014-12-10
■ 『学び合い』 参観者にも育てられて
前回の全校『学び合い』は、私以外の担任の先生は出張が重なっていて、不在だったのだが、全く問題なくできた。
教員が少ない学校でも出張しやすい。
それが、『学び合い』の長所の一つ。
「問題なく」といっても、実は子ども同士のいさかいはあったのだが、上級生が入ってうまくおさめてくれた。
それも含めて「問題ない」状態だった。
どうすればそんなトラブルがおきないようになるかは、次回の子ども達の課題。
参観者にもそういった意図も含めてリアルタイムで解説した。
今回の全校『学び合い』は、県下の3か所の市町の研究所の研究員の方(1か所は所長も同行)が訪問してくださった。
そのうちのお1人は、午前中の2時間分(と、給食の時間)私の学級も参観された。
学級では、子ども達は自分達で話し合ったり、説明しあったり、資料を調べたり、インターネットで検索したり、ノートをとったり…その間に、『学び合い』についてたくさんお話ができた。
それは、活動の意味や成長ぶりなど、半分子ども達にも聞いてほしいことでもある。
あまり大きな声ではないうえに自分たちの活動をしながらなので、ところどころしか聞こえないだろうけど、外部の方に自分たちのよい姿が伝えられているということは感じているはずで、それが励みにもなるはずだ。
全校『学び合い』は、以前にも書いたとおり、毎回の反省をふまえながら改善されてきている。
「一か所に固まってしまう」「終わった人が手持無沙汰になる」「参観者にあいさつができてない」…などなど、改善点が出されるたびに、自分達で工夫して(全員は意識できていなくても、数人の意識できている子がそれを広げながら)改善してきている。
いさかいは…またあった。
でも今回は前回よりも上級生の仲裁がさらにスムース(笑)。
今回は、各学年の課題を提示しているホワイトボードの裏に、気の付いた良い点を教員や参観者に書き込んでいってもらうようにした。
あとでそれを見ながら最後の語りもできるし、写真にとればメモをする時間がなくても記録になる。
参観者からもたくさんの賛辞を子ども達にいただいた。
あいさつのよさも「町内一だ」と言ってもらって子ども達もにこにこ顔だった。
コメントをくださる方もちゃんと成長・変化のことを心得てくださっていてありがたい。
また、
「上級生から下級生まで、しかも全員が1時間集中して勉強しているのを見たのは初めてで、とても驚いています。」
とのコメントにもとても満足そうだった。
授業後の、参観者と校長と私の話し合いでも、たくさんのよいコメントをいただいた。
「子ども達の前では言いにくかったような批判も是非おっしゃってください。」
とお願いしたのだが、
「子ども達に言った通りです。良いところをたくさん見せていただきました。」
とのこと。
質問もあったが、評価はどうするのか、どのようにして導入していったかという質問など、前向きなものばかりだった(疑問になりそうなことはすでに授業中にもかなり解説はしていたし…)。
子ども達の成長にも教師の成長にも、外部の方の存在は大きい。
2014-12-02
■ 笑いと涙と納得の講演
福永先生の教育講演と一人芝居講演が終わる。
主催者側のテーマに沿いながら、楽しく笑い、納得でうなずくお話をしていただいた。
一人芝居「学校」はあちこちで涙をふく姿が見えたり、鼻をすする音が聞こえてきたり。
終わった後、
「よかった。」
の声があちこちで。
「絶対いいから来て。」
と、声をかけていた方々も、目を真っ赤にして、
「来てよかった!」
と言ってくださった。
その後、グループ協議に移ったのだが、協議内容もふまえた福永先生の講演が呼び水になったのだろう、どのグループも和やかに、にこやかに、活発に話し合いが進行していた。
話し合いの様子を見ておられた福永先生も、
「本当にいい話し合いになっていましたね。あそこで出された話が次回につながっていきそうですね。」
とおっしゃってくださった。
私にとっては、今回、講演ももちろんだが、前夜にお話させていただいたことと、講演終了後、車で1時間半ほどの距離のある次の講演場所へご一緒する間ずっとお話させていただいたことが、とても贅沢で貴重な時間になった。
『学び合い』のことを中心に、切れ間なくずっとお話させていただいた。
思わぬ共通点(というか、「やっぱりね」というか)も見つかった。
また、自分の無力さに、くやしく、もどかしい思いをしていることまで話させていただいた(あ、職場の不満ではありません)。
福永先生も教職を離れ、別の道から『学び合い』(の考え方)を広げることに尽力されている。
やはり、一人も見捨てられたと感じない世の中に早くしなければという思いを強くした。
『学び合い』という言葉でなくてもいいから、いろんな人の力で。
本当~に遠いですが。
今、旅先なのでまたご連絡致します。