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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
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2014-11-24

自閉症 通じているということがわかったときの喜び 15:38

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心』

作者: 東田直樹

このブログ群でも触れられている上記の本が世界で話題になっているという番組を見た。

NHK「君が僕の息子について教えてくれたこと」

私が支援学級を担任していた時(私が担任していた子どもさんは自閉症ではなかったが、隣の支援学級の子どもさんが自閉症で、できる活動は極力一緒にするようにしていたのでよく触れ合っていた)のことを思い出し、重ねながら、そうか、そうだったのか、と一つ一つに納得しながら見させてもらった。


自閉症の人と接するとき(特にそれが我が子なら)、「こちらの必死の思いが伝わっていない」としか思えない反応に、否定したくてもときに頭をもたげてくる絶望感(ときには怒りまで!)に揺れ動き、さらにそう考えてしまう自分を責めるという苦しみのループにはまってしまうことがよくある。

それが「実はちゃんと伝わっているんだ」と気づかせてくれた東田さん(そしてそれを世に出すために関わった家族をはじめとする多くの人達)の功績は大きい。

世界中の多くの人に希望の光を見せてくれたということが番組から伝わってきた。

ogymさんのブログにもあったように、その表面に現れた言動からは、とてもそのようなことを考えているとは思えないギャップに驚かされる。

そして、それだけに今までの認識を深く振り返らせてもらえる。


話しは少し寄り道するが、ちょうど今年度のこと。

高知アドラー心理学を学んでいる大学時代からの知人が学級で実践したことを国際アドラー心理学会で発表した。

自閉症児へのアドラー心理学による支援教育について」という論文だが、その実践は、基本的には他の子ども達に対する教育の根本的な目標と全く変わらない方針で接するものだ。

つまり、アドラー心理学で言うところの、共同体感覚を育成するために4つのR(1.責任Responsibility、2.尊敬Respect、3.臨機応変性Resourcefulness、4.社会性Responsiveness)を学んでもらうことを基礎にした支援をしていく(日本では「尊敬」「信頼」「責任」「社会性」)。

結果、他者とのコミュニケーションの取り方が飛躍的に向上した。

卒業後も家族から自立して寮に入り集団生活をしながら楽しく暮らしているそうだ。

接する際に技法としては様々なものを取り入れることはある。

しかし、その根底に流れている思想・人間というもののとらえかたによって随分とその意味合いや成果は異なってくる。

東田さんの事例をもとに、全ての「意思疎通の難しい相手」に対して同様のことが言えるのかどうかは断定できないかもしれない。

しかし、相手を尊敬し、信頼しながら接していくことを根気よく続けていくならば、少なくともそのようなことをはじめからあきらめて接するよりもはるかに「通じ合える」可能性が高くなるはずだ。


まだ本は読んでいないので、以下番組で取り上げられていた東田さんの言葉をいくつか紹介する。

自閉症について既に知っていた知識もあるのだが、改めてなるほどと思えたものも記しておく。

自閉症の人は、他者との関係を喜ばず、拒んでいるわけではないということがはっきりと分かる。

ただ、誰も同じように、自分にとって不快なコミュニケーション(多くの人にとってはそうでなくても)は拒みたいだけである。

不快なものは何か、そして何が快なのかが分かればぐんと付き合いが楽になる。

これも自閉症の人に限らず誰でも同じこと。

そして、分かればそれをみんなで共有すればいい。


東田さん(22歳)は、パソコンやアルファベットを書いた文字盤を使えば、相手への思いやりや自然に接する喜びなどを感受性豊かに見事に表現できるのだが、「会話」が思うようにならない。

何とか我が子と対話しようと、その表現方法を思いつき、使えるまで根気強く付き合ってきた家族の存在は大変大きい。


****************

・僕は、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。


・「いつも同じことを尋ねるのはなぜか?」という問いに・・・他の人の記憶は線のように続いているようですが、自分の場合はそれが昔のものもついさっきのことも関係なくばらばらにある点を拾い集めているようなものだからです(要約)。


・(自分の書いた本について感謝されたとき)誰かにとっての喜びになるのは、自分にとってもうれしいことです。


・(怖いものは)人の視線です。人はいつも刺すような視線で見ます。


・(一番幸せなときは)昔は自然と一体化した時間が幸せでした。今は家族で笑っているときや、僕の本を読んだ人達から感想をいただけるときが幸せです。


自閉症子どもさんを持つ父親(東田さんの本を翻訳した外国の作家)の「父親として、どうやって自分の息子を手伝うことができるか?」との問いに・・・ぼくはそのままで十分だと思います。お子さんもお父さんのことが大好きで、そのままで十分だと思っているはずだからです。子どもの望んでいるのは、親の笑顔だからです。僕のために誰も犠牲になっていないと子ども時代の僕に思わせてくれたのが僕の家族のすごいところです。


・親御さんへ。「子どもの前で泣かないでください」子どもが一番望んでいることは、自分を受け止めてくれる場所とその親の笑顔です。


・そばにいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないでください。自分がつらいのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられないのです。思いはみんなと同じなのに、それを伝える方法が見つからないのです。


・医師が東田さんの脳を検査させてもらってもよいかと質問したのに対し、「それは何のためか」「それが治療になるのか」などの質問をした後、医師の「検査そのものは治療につながらない。しかし、それをもとに10年後、20年後の他の人の自閉症の治療に役立つかもしれないから。」との

応えを聞き・・・それではみんなのために受けたいと思います。

※検査の結果、どうやら、言語を理解するウェルニッケ野と言葉を話すブローカ野をつなぐ弓状束という神経繊維の伝達がうまく機能していないからではないかということがわかってきた。

また、逆に他人の意図を読み取る役割を果たす右脳の一部が他の人よりも体積が大きかったことは、東田さんの豊かな表現力につながっているのではないかということもわかってきた。

これは、脳の働きとしてはよく見られることで、うまく機能しない部分を補うために別の部分が発達したためではないかと医師は判断していた。

そして、マイナスの面ばかりに目を向けていた今までの療育に対して、その代償的に伸びている部分に目を向けていくことがこれからの療育では中心になっていくと思う述べていた。

その子の脳が喜ぶことをやっていく。それが自閉症の子を伸ばしていく道になるとも。


・僕はきれいな桜を長く見続けることができません。それは、桜の美しさが分からないからではありません。桜を見ているとなんだか胸がいっぱいになってしまうのです。繰り返す波のように心がざわざわとかき乱されてしまいます。その理由は、感動しているのか、居心地の悪さから来ているものなのか、自分でもよくわかりません。わかっているのは、僕が桜を大好きだということです。


・絵の具で色を塗っている時、僕は色そのものになります。目で見ている色になり切ってしまうのです。筆で色を塗っているのに、画用紙の上を自分が縦横無尽に駆けめぐっている感覚に浸ります。ものは全て美しさを持っています。僕たちはその美しさを自分のことのように喜ぶことができるのです。

ogymogym2014/11/25 01:21子どもはすべて見ているってことを改めて思います。

アドラーの学会の論文の著者さん、知人でしたか! 
自分も興味持って読みました^^。

daitouirukadaitouiruka2014/11/25 05:10はい。著者の4名とも長くお付き合いさせていただいていますが、そのうち、実践された担任のSさんも論文からogymさんが想像できる人とはひょっとするとかなりギャップのある人かもしれません(本人におこられるかも:笑)。でも、一緒にいると笑顔になれるとても魅力のある方ですよ。

daitouirukadaitouiruka2014/11/25 06:03追記です。
「子どもはすべて見ているってことを改めて思います。」
について。
私はタイトルに
「通じているということがわかったときの喜び」
と書きましたが、
「通じているということがわかったときの恐怖」
という場面もありますよね。
別のよく聞く例で、外国人がいる傍で、「どうせ言葉が分からないから」と思って自国語でニコニコ笑いながら悪口を言っていると、実は全て通じていたなんて話!
この番組を見ながら、そんな場面とつなげても考えていました。
どうせこちらの考えていることは伝わらないから・・・などと安易に考え、相手への尊敬を欠いたまま・・・自閉症だから、外国人だから、子どもだから、赤ちゃんだから、耳が聞こえてないから、目が見えてないから、認知症だから、動物だから、・・・

我が身を振り返りました。

ogymogym2014/11/26 00:05>>ひょっとするとかなりギャップのある人かもしれません
ドキドキ^^; 

>>「通じているということがわかったときの喜び」
>>「通じているということがわかったときの恐怖」
表裏一体ですね。同感です。

scorpion1104scorpion11042014/11/26 04:38東田さんの本は、まだ読んでいません。読みたいなとは思っていましたが。

「いつも同じことを尋ねるのはなぜか?」という問いに・・・

ここは、本当に難しいと感じます。同じ質問、同じ話題を繰り返して聞いてくる。自分に余裕がない場合は相手をすることができなかったですね。
ごめんね、いまは無理だからと言ってましたけど。

でも、あの子たちはそれもちゃんとわかっていましたね。言語があってもなくてもお互いの気持ち良いコミュニケーションの仕方はあるということを学びました。
そして、自分が何事かで心に傷を負って子供たちに接すると心の痛みが減るという不思議さがあります。特に言語を持たなかった子供のパワーはすごいです。余談ですが。

daitouirukadaitouiruka2014/11/27 01:49「自分が何事かで心に傷を負って子供たちに接すると心の痛みが減るという不思議さ」
私も、特別支援学級を担任したときにそれを強く感じました。
その時に担任したR君はダウン症で、知的発達にも遅れがありました。
私が言っていることはある程度理解しているけれども発音は困難でした。
しかし、この日記に何度か登場しているI先生同様、私の人生の中で大切なことを教えてくれた1人です。
とにかく、底抜けに明るい。
私がちょっと沈んだ顔をしていると、
「おい。どうした?(というような発音)」
と、いいながら、私の肩に手を回し、ポンポンとたたいてくれたりするのです。
無条件に笑顔で自分を迎えてくれる存在(たとえ私が抱えている悩みについて直接の解決策を語ってくれなくても)のありがたさを教えてくれました。
そして、私もそうありたいと思うようになりました。
また、人の価値とはなんだろうということについて自分自身に問い直す機会を与えてくれた人です。