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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2014-11-28

わくわく 22:13

一人芝居の福永宅司先生が、あさっての講演のために明日勤務校区へおいでになる。

九州のフォーラムで本校校長とともに拝見して、涙がダダ漏れになってしまったので、それをまた同僚の方たちをはじめ多くの方達と共有できるなんてわくわくしている。

本校校長が本町で開催する会に招聘する講師として福永先生を推ししてくださったのが通ったのだ。


加えて、明日は福永先生と懇親会でお話できる。

学び合い』に大いに賛同してくださっていて、講演のたびに『学び合い』の話も入れてくださっている福永先生。

その先生と『学び合い』のお話もたっぷりしたい。

楽しみだ。

2014-11-27

全校『学び合い』参観者に進歩を見てもらう 子どもも教師も協力体制 06:49

全校『学び合い』。

うちは、オープンなので昨日も2人の参観者がお見えになっていた。

1人は補導の方。

もう1人は、わたしが研究員をしていた時に同じ職場にいた、この地域担当のSSW(スクールソーシャルワーカー)の方。

SSWの方は、2度目の参観。

私は、子ども達の姿を見てもらいながら、『学び合い』のメリットをガンガン話し、集団の成長、個々の子どもの成長を解説していった。

まあ、研究員時代から

「こんなええ授業があるで!」

と、かなり話してきていたのですんなり納得してくれる。

この日は設定時間をセットしたアラームが鳴る10秒ほど前に最後の1人が課題達成した。

そして、「やったあー!」と自然と拍手が巻き起こった。

前回と比べて、学び合い方に明らかな成長が見られたことに感動してくださっていた。

補導の方も、子ども達が生き生きと協力し合う姿に驚きながらも感心してくださっていた。

SSWの方は、地域で聞いたという話を伝えてくださった。

「なかなか勉強に取り組まなかった子が、最近進んで勉強しだした。」

ということを保護者の人がうれしそうに話していたそうだ。

こういう情報交換も、授業中、その子を見ながらできるのがうれしい。


各担任が、会議の時も、それ以外のときでも、全校『学び合い』の話になるのがまたいい。

「○年生がまだ~な状態なんで、そのこと伝えるとええかもね。」

「ああ、ありがと。また学級でも話しちょく。」

「今日の子どもら自身の振り返りにもあったけど、前回反省点として挙がっちょった終盤に終わってない子に不必要にたくさんの人が集まって来ることが、今回改善されちょったね。」

「あ、それ。うちの学級ではあんなにならんようにするにはどうしたらええかみんなで話し合うたがよ。そしたら、自分らで問題を作って解き合うてみろうかとかいう案が出ちょってね。それで動けたみたい。」

など。

全校『学び合い』の場面だけでなく、各学級でも『学び合い』を向上させるために話し合っていることがわかる。


下記のような学び合うときの5つの目標をいつも掲げているのだが、前回から、子ども達の実態(前回の振り返り)等に照らしてみて「今回は特にこれを頑張ってみよう!」と初めの語りで重点目標を言うようにしてみた(進行は私固定でなく他の先生方にも回している)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.こころも あたまも そだて あおう

2.ほんとうにわかろう

3.みんなでわかろう

4.くふうして じゆうに うごこう

5.ときは かねなり

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、前回は前々回にちらっと見られた「安易に答えを写している姿」「本当に分かっているかあまり確信もないままOKを出している姿」があったので、2番目の目標をクローズアップして、それを少し詳しくした次のような掲示物を示し、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2.ほんとうにわかろう

・わかったふり わかっただろう を みのがさない

・やりかたを せつめい できる(ことば・ず・もの・しき…)

・にた もんだいが ひとりで とける

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「本当に分かってないのに答えを写して全部できたのと、全部はできていないけれどできたところまでは本当に分かっているのとではどっちが価値があるのか?」

「本当は分かっていないことを知っているのに合格のサインを出すのと、合格のサインを出さないのとではどっちが友達のことを本気で思う優しい行動なのか?」

というようなことを問いかけてから始めた。

すると、子ども達同士でそのようなことを意識して注意し合う姿が見られるようになった。

やはり、教師が対策を考え、教師が監視するよりずっと強力だし、教師の目がなくなってもそのように振る舞える、自ら改善しながら学んでいける自立した学習者を育てやすいのだと思う。

そして今回は、上記の一か所に不必要に集まるという前回の反省点をふまえて、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4.くふうして じゆうに うごこう

・めあて たっせいの ために いちばん よいとおもうことを やってみる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という目標を掲げてはじめの語りをしてから始めた。

結果、今回全員達成。

scorpion1104scorpion11042014/11/29 05:50全校『学び合い』の先行く姿を書いてくださって感謝です。この全文をプリントアウトして、本校の職員に配布したいのですが・・・。よろしいでしょうか?

daitouirukadaitouiruka2014/11/29 06:10ありがとうございます。
本校の実践も、ここのブログ群や他校視察等を参考にして本校に合っているんじゃないかと思えるものを子ども達や職員で試行錯誤しながら取り入れています。
どうぞお使いください。

scorpion1104scorpion11042014/11/29 06:36ありがとうございます。
御校は、本校の希望にきっとなります!

scorpion1104scorpion11042014/11/29 06:59それから、私の本来の特別支援の分野をdaitouirukaさんのような学校でやってみたいと思いました。一体、『学び合い』の特別支援で必要なのは何かということや『学び合い』だから伸びる力など・・・です。夢ですが、夢を実現できたらと妄想してます。(笑)

2014-11-24

自閉症 通じているということがわかったときの喜び 15:38

『自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心』

作者: 東田直樹

このブログ群でも触れられている上記の本が世界で話題になっているという番組を見た。

NHK「君が僕の息子について教えてくれたこと」

私が支援学級を担任していた時(私が担任していた子どもさんは自閉症ではなかったが、隣の支援学級の子どもさんが自閉症で、できる活動は極力一緒にするようにしていたのでよく触れ合っていた)のことを思い出し、重ねながら、そうか、そうだったのか、と一つ一つに納得しながら見させてもらった。


自閉症の人と接するとき(特にそれが我が子なら)、「こちらの必死の思いが伝わっていない」としか思えない反応に、否定したくてもときに頭をもたげてくる絶望感(ときには怒りまで!)に揺れ動き、さらにそう考えてしまう自分を責めるという苦しみのループにはまってしまうことがよくある。

それが「実はちゃんと伝わっているんだ」と気づかせてくれた東田さん(そしてそれを世に出すために関わった家族をはじめとする多くの人達)の功績は大きい。

世界中の多くの人に希望の光を見せてくれたということが番組から伝わってきた。

ogymさんのブログにもあったように、その表面に現れた言動からは、とてもそのようなことを考えているとは思えないギャップに驚かされる。

そして、それだけに今までの認識を深く振り返らせてもらえる。


話しは少し寄り道するが、ちょうど今年度のこと。

高知でアドラー心理学を学んでいる大学時代からの知人が学級で実践したことを国際アドラー心理学会で発表した。

「自閉症児へのアドラー心理学による支援教育について」という論文だが、その実践は、基本的には他の子ども達に対する教育の根本的な目標と全く変わらない方針で接するものだ。

つまり、アドラー心理学で言うところの、共同体感覚を育成するために4つのR(1.責任Responsibility、2.尊敬Respect、3.臨機応変性Resourcefulness、4.社会性Responsiveness)を学んでもらうことを基礎にした支援をしていく(日本では「尊敬」「信頼」「責任」「社会性」)。

結果、他者とのコミュニケーションの取り方が飛躍的に向上した。

卒業後も家族から自立して寮に入り集団生活をしながら楽しく暮らしているそうだ。

接する際に技法としては様々なものを取り入れることはある。

しかし、その根底に流れている思想・人間というもののとらえかたによって随分とその意味合いや成果は異なってくる。

東田さんの事例をもとに、全ての「意思疎通の難しい相手」に対して同様のことが言えるのかどうかは断定できないかもしれない。

しかし、相手を尊敬し、信頼しながら接していくことを根気よく続けていくならば、少なくともそのようなことをはじめからあきらめて接するよりもはるかに「通じ合える」可能性が高くなるはずだ。


まだ本は読んでいないので、以下番組で取り上げられていた東田さんの言葉をいくつか紹介する。

自閉症について既に知っていた知識もあるのだが、改めてなるほどと思えたものも記しておく。

自閉症の人は、他者との関係を喜ばず、拒んでいるわけではないということがはっきりと分かる。

ただ、誰も同じように、自分にとって不快なコミュニケーション(多くの人にとってはそうでなくても)は拒みたいだけである。

不快なものは何か、そして何が快なのかが分かればぐんと付き合いが楽になる。

これも自閉症の人に限らず誰でも同じこと。

そして、分かればそれをみんなで共有すればいい。


東田さん(22歳)は、パソコンやアルファベットを書いた文字盤を使えば、相手への思いやりや自然に接する喜びなどを感受性豊かに見事に表現できるのだが、「会話」が思うようにならない。

何とか我が子と対話しようと、その表現方法を思いつき、使えるまで根気強く付き合ってきた家族の存在は大変大きい。


****************

・僕は、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。


・「いつも同じことを尋ねるのはなぜか?」という問いに・・・他の人の記憶は線のように続いているようですが、自分の場合はそれが昔のものもついさっきのことも関係なくばらばらにある点を拾い集めているようなものだからです(要約)。


・(自分の書いた本について感謝されたとき)誰かにとっての喜びになるのは、自分にとってもうれしいことです。


・(怖いものは)人の視線です。人はいつも刺すような視線で見ます。


・(一番幸せなときは)昔は自然と一体化した時間が幸せでした。今は家族で笑っているときや、僕の本を読んだ人達から感想をいただけるときが幸せです。


・自閉症の子どもさんを持つ父親(東田さんの本を翻訳した外国の作家)の「父親として、どうやって自分の息子を手伝うことができるか?」との問いに・・・ぼくはそのままで十分だと思います。お子さんもお父さんのことが大好きで、そのままで十分だと思っているはずだからです。子どもの望んでいるのは、親の笑顔だからです。僕のために誰も犠牲になっていないと子ども時代の僕に思わせてくれたのが僕の家族のすごいところです。


・親御さんへ。「子どもの前で泣かないでください」子どもが一番望んでいることは、自分を受け止めてくれる場所とその親の笑顔です。


・そばにいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないでください。自分がつらいのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられないのです。思いはみんなと同じなのに、それを伝える方法が見つからないのです。


・医師が東田さんの脳を検査させてもらってもよいかと質問したのに対し、「それは何のためか」「それが治療になるのか」などの質問をした後、医師の「検査そのものは治療につながらない。しかし、それをもとに10年後、20年後の他の人の自閉症の治療に役立つかもしれないから。」との

応えを聞き・・・それではみんなのために受けたいと思います。

※検査の結果、どうやら、言語を理解するウェルニッケ野と言葉を話すブローカ野をつなぐ弓状束という神経繊維の伝達がうまく機能していないからではないかということがわかってきた。

また、逆に他人の意図を読み取る役割を果たす右脳の一部が他の人よりも体積が大きかったことは、東田さんの豊かな表現力につながっているのではないかということもわかってきた。

これは、脳の働きとしてはよく見られることで、うまく機能しない部分を補うために別の部分が発達したためではないかと医師は判断していた。

そして、マイナスの面ばかりに目を向けていた今までの療育に対して、その代償的に伸びている部分に目を向けていくことがこれからの療育では中心になっていくと思う述べていた。

その子の脳が喜ぶことをやっていく。それが自閉症の子を伸ばしていく道になるとも。


・僕はきれいな桜を長く見続けることができません。それは、桜の美しさが分からないからではありません。桜を見ているとなんだか胸がいっぱいになってしまうのです。繰り返す波のように心がざわざわとかき乱されてしまいます。その理由は、感動しているのか、居心地の悪さから来ているものなのか、自分でもよくわかりません。わかっているのは、僕が桜を大好きだということです。


・絵の具で色を塗っている時、僕は色そのものになります。目で見ている色になり切ってしまうのです。筆で色を塗っているのに、画用紙の上を自分が縦横無尽に駆けめぐっている感覚に浸ります。ものは全て美しさを持っています。僕たちはその美しさを自分のことのように喜ぶことができるのです。

ogymogym2014/11/25 01:21子どもはすべて見ているってことを改めて思います。

アドラーの学会の論文の著者さん、知人でしたか! 
自分も興味持って読みました^^。

daitouirukadaitouiruka2014/11/25 05:10はい。著者の4名とも長くお付き合いさせていただいていますが、そのうち、実践された担任のSさんも論文からogymさんが想像できる人とはひょっとするとかなりギャップのある人かもしれません(本人におこられるかも:笑)。でも、一緒にいると笑顔になれるとても魅力のある方ですよ。

daitouirukadaitouiruka2014/11/25 06:03追記です。
「子どもはすべて見ているってことを改めて思います。」
について。
私はタイトルに
「通じているということがわかったときの喜び」
と書きましたが、
「通じているということがわかったときの恐怖」
という場面もありますよね。
別のよく聞く例で、外国人がいる傍で、「どうせ言葉が分からないから」と思って自国語でニコニコ笑いながら悪口を言っていると、実は全て通じていたなんて話!
この番組を見ながら、そんな場面とつなげても考えていました。
どうせこちらの考えていることは伝わらないから・・・などと安易に考え、相手への尊敬を欠いたまま・・・自閉症だから、外国人だから、子どもだから、赤ちゃんだから、耳が聞こえてないから、目が見えてないから、認知症だから、動物だから、・・・

我が身を振り返りました。

ogymogym2014/11/26 00:05>>ひょっとするとかなりギャップのある人かもしれません
ドキドキ^^; 

>>「通じているということがわかったときの喜び」
>>「通じているということがわかったときの恐怖」
表裏一体ですね。同感です。

scorpion1104scorpion11042014/11/26 04:38東田さんの本は、まだ読んでいません。読みたいなとは思っていましたが。

「いつも同じことを尋ねるのはなぜか?」という問いに・・・

ここは、本当に難しいと感じます。同じ質問、同じ話題を繰り返して聞いてくる。自分に余裕がない場合は相手をすることができなかったですね。
ごめんね、いまは無理だからと言ってましたけど。

でも、あの子たちはそれもちゃんとわかっていましたね。言語があってもなくてもお互いの気持ち良いコミュニケーションの仕方はあるということを学びました。
そして、自分が何事かで心に傷を負って子供たちに接すると心の痛みが減るという不思議さがあります。特に言語を持たなかった子供のパワーはすごいです。余談ですが。

daitouirukadaitouiruka2014/11/27 01:49「自分が何事かで心に傷を負って子供たちに接すると心の痛みが減るという不思議さ」
私も、特別支援学級を担任したときにそれを強く感じました。
その時に担任したR君はダウン症で、知的発達にも遅れがありました。
私が言っていることはある程度理解しているけれども発音は困難でした。
しかし、この日記に何度か登場しているI先生同様、私の人生の中で大切なことを教えてくれた1人です。
とにかく、底抜けに明るい。
私がちょっと沈んだ顔をしていると、
「おい。どうした?(というような発音)」
と、いいながら、私の肩に手を回し、ポンポンとたたいてくれたりするのです。
無条件に笑顔で自分を迎えてくれる存在(たとえ私が抱えている悩みについて直接の解決策を語ってくれなくても)のありがたさを教えてくれました。
そして、私もそうありたいと思うようになりました。
また、人の価値とはなんだろうということについて自分自身に問い直す機会を与えてくれた人です。

2014-11-23

学び合い』を学ぶ会in四万十市 充実していました 17:57

学級担任、特別支援教育、教育委員、校長、他県の教諭とバラエティーに富んだ参加者。

参加者から出されたお題に対してホワイトボードを使って話し合い。

それぞれの立場から話されるので、内情を知らない者だけが憶測に基づいて話を組み立てていくことがないのがいい。


お題は、『学び合い』の授業についてはもちろん、学級の子どもの持っている悩みのことから教育行政のことまで様々なことが重なりあいながら話されていった。

相談ごとについては、とりあえず何から取り組んでみるか、ということを確認していった。

次にお会いした時の報告が楽しみだ。

会終了後も数名で夕食をしながら話す。

夕食後はまた残れる人で飲み会。

その飲み会でいただく約束をしてもらった音声データを受け取るために、今朝またお会いした方と、気が付けばまた4時間ほどお話した。

そこでもまたいい情報をいただいたし、次にお会いするときにいただく資料の約束もしていただいた。

しばらくの間、長~い通勤時間、その音声データを聞くのがとても楽しみだ。


とても贅沢な会になった。

FlipperKFlipperK2014/11/24 09:07学習発表会でなければ、是非お邪魔したかったです。

tomkicktomkick2014/11/24 11:29いいな〜。こういう会が日常的に続くようになるといいですね。僕もがんばろっと。

daitouirukadaitouiruka2014/11/24 11:46来ていただきたかったです。
県外参加の方も「楽しく充実した時間」だったとおっしゃってくださいました。
是非、今度共有しましょう!

daitouirukadaitouiruka2014/11/24 11:58tomkickさん。
高知に来ていただいたときにつくってくださった心地よい空間のおかげです。
ありがとうございました。

2014-11-22

学び合い』を学ぶ会in四万十市(本日13時~) 07:45

先月の桔梗先生をお招きした会に続いての開催。

今回は後援などをつけて広く呼びかけるものではなく、特別な講師もおよびしていません。

前回の会に来ていただいていた方にメールをお送りして呼びかけたものですが、それ以外の方にもオープンなのに、しまった!このブログで呼びかけていませんでした。


学び合い』のことが中心になると思いますが、教育のこと全般、なんでも話題にして参加者同士学び合っていこうと思っています。

本日の参加者も少人数ながら、立場が様々な方ばかりで、いろんなお話が聞けそうでとてもわくわくしています。


3連休です。

ご予定がつまっていない方は、今からでもぜひ。

会場は四万十川河口付近の「若草園」というところです。

詳細について知りたい方は上記のメアドにご連絡を。


…いやぁ、ちょっと遅いですよねー。

まあ、活動していることをお知らせするということで。

これがお目に留まれば、今回は無理でも次回(未定ですが)、ぜひご参加を。

2014-11-21

恵まれた環境で野外学習 05:00

かなり長い通勤距離。

特にドライブが好きというわけでもない私が、思ったよりも苦にならない。

出勤するとき、太平洋の水平線から昇ってきた太陽を眺めることができる。

毎日違う絵を見ているような感覚。

そこから後のくねくねとした山道は対向車の心配などはあるものの、暗くなった夜道では、ときに鹿、猪、兎などに出会うこともあって面白い。

そこからさらに先は、こちらもまた四季折々で表情を変える四万十川沿いをほとんど信号もなく、すいすいと進んで行ける。

沈下橋の見える風景もまた絵になる。


さて、その四万十川へ、昨日は子ども達と河川の様子の観察に。

歩いてすぐなので散歩気分だ。

沈下橋の上に腰掛け、川の様子をスケッチ。


時々通る車に、

「すみませーん。」

とみんなで声をかける(危険ではないスペースはあるものの、沈下橋だから欄干がなく、私達を大きくよけすぎると落ちてしまうからちょっと気を遣わせてしまうので)。


すぐに観察の視点となる必要事項も書きこんでみんなで課題達成。

まあ、いつも見慣れている川のことなので、子ども達にとってはほとんど知っている学習内容。

ただ、見慣れているというのと、意識して見るのとではやはり違いがある。

改めて確認して「なるほど」という面白さはある。


途中、プリントが飛んでしまって河原へ落としてしまった子が。

あわてて拾いに降りて行ったその子に、

「もー。ちゃんと管理してないから。」

と言っている子のプリントがまた飛んでしまって、みんなで大笑い。

拾えたものの今度は水に入ってしまったのでその子が困っていると、他の子が

「これ、もういらんなったプリントやけんあげるわ。この白いとこ使いや。」

とすぐに声をかけていた。


少し時間ができたので、河原へ降りていき「水切り」をみんなでやった。

他の地域でもそう呼ぶのだろうか?

平たい石を水面すれすれに投げて何度もバウンドさせる遊び。


「ああ、1回しかいかんかった。」

「10回いったで。」

などと楽しそうにしている。


とりあえずここで大人の力を見せようと私もやって見せる。

石の選び方や投げる角度は小さいころから身に付けてきた。

何度も水を切って向こう岸まで届いて、カチンという音が聞こえる。

「おお、さすが!」

と、言われちょっとうれしくなる。


それを見てすぐ1人の子が挑戦し、数度目に「カチン」と音を響かせ、また、

「おお!」

とみんなで喜ぶ。


そうこうしているうちに、予定の時間が近づく。

帰りに、

「沈下橋の上から笹舟を落として競争しよう!」

という私の提案が採用されてみんなですることに決定。


「笹舟の作り方知らん。」

という子がわりといた。

自然の中に暮らしていても、伝えないと伝わらなくなるものはある。

「これも日本の文化やから、ちゃんと覚えて伝えていってよ。」

と言った。

「フィリピンに行ったとき、地元の小学生にも教えちゃったがぞ。」

とプチ自慢も付け加える。

滞在しているところの近所に集まって遊んでいる子ども達のところに入っていって遊んでいるときに教えてあげたことがあるのだ。

現地に笹はあるけれど、セブ島に笹舟はないようだった(いや、この子達の場合と同様にあったけれど伝わってない可能性もあるが)。

今度ALTが来たときに、この子達に笹舟の作り方を伝えさせよう。


作り方を知っている子が他の子に教えながら(私も、子ども達の知らない別バージョンのものも教えた)みんなで完成。


「あの鉄道の橋げたまで競争ね。」

「せーの!」

で落とした。

「あー。逆さになった。まあ、ええわ(笑)。」

「おお、おれのが一番。」

「いや、あれ、おれので。」

などとワイワイ言いながら楽しんだ。


帰り道も、葉っぱを空気圧でやぷって音を鳴らしながら遊んだり、子ども達の知らなかった草笛の鳴らし方やススキの葉の鉄砲も教えながら(すぐにはできないものもあるが)帰った。


学校の前で立派なカメラの機材を積んだ車が止まっていて、そばに老夫婦がいた。

おそらく退職後の旅行なのだろう。

「こんにちはー。」

とみんなで声をかけると、

「ああ、さっき沈下橋にいた…。」

と、いう返事が返ってきた。

スケッチしているときに通りかかったのだろう。

車のナンバープレートを見て、

「福山からですか?」

と私が問うと、

「はい。広島から。」

とにこにこして答えてくださった。

いろいろ不便もあるけれど、こうやってわざわざよそから訪れる人達がいるほどのいいものがここにはたくさんある。


いい時間が持てた。

昔は当たり前のようにあったこういった時間がなかなか取れない状況が多くなってきているのではないだろうか?

私自身もこれだけ自然に囲まれながら、少し前まではテストに向けた学習のみに縛られて、忙しく追い立てている中で久しく忘れてしまっていた時間だったように思う。


今は『学び合い』のおかげで、その学習の時間も大切にしながら、こんなにゆったりとした時間も確保できる。


自然環境にも、同僚達にも、地域の方達にも恵まれて子ども達と過ごせる。

本当にありがたい。

ちなみに、この地域は昔から、

「教師が泣いて来て、泣いて帰る場所」

と言われているらしい。

つまり、

「通勤するのに大変なので(時々泊まる宿を借りている人もいる)転勤して来るときはつらくて泣きたくなるが、次の場所に転勤するときにはもっとここにいたくて泣いてしまう」

ということだ。


私だけではない。

校長先生も先日、本校の授業研究の協議会で外部から来ていただいた方々に、

「私は、毎日学校に来るのが楽しくてしょうがない。これ、本当なんです。」

とおっしゃっていた。

私も

「いやいや、だれも疑ってませんよ。」

とツッコミを入れさせてもらった。

scorpion1104scorpion11042014/11/22 05:37九月に四国に行った折りに、研究仲間と人生初の川下りをしました。急流もない川で、ただ水面を静かに移動する船で、浅瀬すべるように乗って楽しみました。私には、こんな大きな川との生活は文化としてないのでとても印象深かったです。daitouirukaさんのブログから、ふと思い出しました。
その土地の文化に触れるのは、子どもたちにとってとても大切な学習だと思います。長崎は、やはり平和教育が全面に出てます。

daitouirukadaitouiruka2014/11/22 07:23川下り、されたんですか?
おそらく屋形船ですよね?
次はカヌーでぜひ。
さらに水面近くからの視点で両側の緑を見上げる景色は最高ですよ。
土地の文化。
大切にしたいですね。
土地の文化は人と人との付き合い方といった「人情」の部分も含まれてくると思います。
だから、昔からのものを受け継ぐだけでなく、これから良いものを作り上げていくこともできる。
それがいずれその土地の「古くからの文化」になっていく。
こんなことを考えながら『学び合い』をしていると楽しくなってきますよね。
scorion1104さんが長崎で始められたこともその学校の、そして、地域の文化になっていってほしいですよね。

bunbun-hbunbun-h2014/11/22 08:51う~、来年の四万十川ウルトラマラソン、やっぱり出ようかなあ~、って思いました♪w

daitouirukadaitouiruka2014/11/22 10:40是非。
川沿いを走るのは気持ちいいですよー。
※私自身はもともと長距離苦手で膝も悪くしてしまっているんであくまでも傍から見ていての勝手な想像(笑)。
沿道の方々の応援も温かいですよ。
これは、私もサポートに行った経験があるので確かです。

2014-11-20

しっくりとくる感じ 01:22

先日の全校『学び合い』。

何か、本当に「自然に」という感じがした。


何か特別なことをしている雰囲気ではなく、当たり前のように。

そんな空気が流れていて、とても気持ち良かった。


自然だけど、はっとする進歩があちらこちらで見られる。


とても気持ちの良い空間。

2014-11-19

I先生の思い出⑤ 02:03

研究授業の指導案を考えるのに、どうしても案がまとまらず四苦八苦していると、I先生が相談に乗ってくださったときのこと。


I先生は、ほとんどその教材については話さず、これからの日本の教育とか、教師という職業の誇りや可能性のことについて熱く語ってくださり、私はそのお話にぐいぐいひかれていった。


お話が終わった後、

(あれ、そう言えば教材の話、してないな)

と気づいたのだが、おもしろいことに、指導案の道筋が見え、自分で仕上げることが出来た。


思えば、I先生と話すまでは、子ども達が乗ってきそうな、おもしろそうな活動をつぎはぎして授業をつくろうとしていたようだ。

I先生が、「何のために教育するのか」という、より高いところから目的を語ってくださったことで、何を大切にすべきかという価値規準、優先順位ができたから迷いがなくなったのだろう。

suikanomeisantisuikanomeisanti2014/11/20 16:51教師生活も20年を超えながら、何がしたくてこの職で生きているのかに立ち返ることの大切さを感じます。

daitouirukadaitouiruka2014/11/20 20:56何がしたいかが分かっていても、そこに至る道筋が見えない場合はとても苦しいですよね。
幸いにも私達は『学び合い』に出会えましたよね。
苦しみが無くなったとは言いません。
が、無力感や諦めからは解放されました。

ogymogym2014/11/21 00:51なんだか不思議な話です。でもなんとなく分かるから不思議です。

daitouirukadaitouiruka2014/11/21 01:41不思議な先生でした。
でも、今思うと利にかなっている。
西川先生が細かなことを指示せず、「日本を変えること」を要求しているのを聞いたときそれほど違和感なくすんなりと聞けたのも、私の場合、I先生と出会っていたからだと思っています。

2014-11-16

朝の集会 運営する側の目 18:21

本校は週に1度、全校児童でゲームをする朝の集会がある。


先日も体育委員が全校児童の前でその日のゲームの説明をしていた。

言葉だけでなく、他のメンバーがモデルを示し、具体物を使いながらの説明。

分かりやすいように自分達で工夫して立派に進行している。


1人体調が悪くなって途中から見学していた下級生がいた。

すると、進行役が考えて、急きょゲームで声をかける役をしてもらうようにした。

「みんな」が参加できるように、状況を見て自主的に判断し、工夫して行動している。


途中その下級生に何やら耳打ちをしている。

声の掛け方が一方のチームに偏り過ぎると不公平になるゲーム(「ネコとネズミ」とか「タコとタイ」などと呼ばれているゲーム)なので、どうやら、ゲームが面白くなるようにバランスを考えて声を掛けられるようにサポートしているようだ。

自分の紅白の勝敗は関係なく、全体が楽しめるような配慮をしている。


こういう姿を見ていると、運営側の目を持つことができ始めているなぁ、とうれしくなってくる。


集会の終わりに私は全校児童に次のように語った。


上級生達は、他の集会や委員会の仕事で、うまく会が進むように、みんなが楽しめるように、みんなの見えない所でいろんな仕事をしています。

今日もこの後、みんなが帰ってから片付けがあります。

裏でそういうことをしている人がいることを下級生の皆さんも知っておいてください。

そして、いつかは皆さんもそんな仕事をするようになるんですよ。

そんな仕事ができることは、素晴らしいことです。

楽しみですね。


そして、学級に帰ってから改めて、もうすぐ最上級生になる準備ができ始めていることの喜びを伝えた。

2014-11-15

子どもも教師も学び合いながら 10:18

詳しくは書けないが、今日、とても気になっていたある子ども(私の受け持ちではないが)に、とてもうれしい変化がはっきりとした形で現れたという報告を聞いた。

本年度当初から比べればとても大きな変化だ。


個人の変容の大きさにもおどろいたが、周囲の子ども達もそれぞれに良い変化が起こって、集団の一員としての成長みんなに見られだしたのだ。


全校『学び合い』の効果も大きいね、という話を職員間でしたことだった。

他学年の子ども達も「一人も見捨てないこと」を目指して根気よく関わっていった功績が大きいこと。

そして、それらが他の場面にも波及していったこと。

それから、教師同士の学び合いもでき、互いによい影響を与え合えたこと。

そんなことを実感し合った。


校長先生は、その教師同士の学び合いの効果も見据えて全校『学び合い』の実施をしようと思ったとおっしゃっている。


もちろん、このような子ども達の変化は単発の指導で急激に生まれたのではない。

全校『学び合い』の時間だけでなく、研究協議や問題についての対処などもみんなで話し合い、みんなで取り組むということを継続してきたからだ。

教員だけでなく、事務さん、校務員さん、支援員さんの目、そして、何より強力な子ども達同士の目で見て、みんなの知恵と力を集めて全校児童を育てている(教師も含めて育ち合っている)実感を共有できることがうれしい。

scorpion1104scorpion11042014/11/15 10:59「教員だけでなく、事務さん、校務員さん、支援員さんの目、そして、何より強力な子ども達同士の目で見て、みんなの知恵と力を集めて全校児童を育てている(教師も含めて育ち合っている)実感を共有できることがうれしい。」

全校『学び合い』のもっとも自然な流れのように思います。私のようにごり押しではいけないんですが・・・。daitouirukaさんのように学校職員全体が包み込むような『学び合い』が理想です。

daitouirukadaitouiruka2014/11/15 15:50ありがとうございます。
自分以外に、『学び合い』について理解してくださり、自ら動いてくださる方が一人でもいてくだされば本当に、ぐんとやりやすくなりますね。
ましてや本校の場合は校長先生ですから。

他の方も全面的にというわけではないけれど
「ちょっとやけど、クラスでも同じようにやったら、子どもらええ感じでかかわり始めたで。」
という声も聞かれだしました。
あまり仲の良くない子どうしだったけど、学び合うことで、建設的なコミュニケーションが生まれ、その中からプラスの感情がお互いの中に芽生えてきたようです。
同じ目標に向かって力を合わせること、「教材」という媒介物が入ることで接することへのハードルが下がることなどがいいのでしょうね。

その先生はまた、校外の先生方が見に来られる授業でも、全校『学び合い』の時に掲示する課題のテンプレートを使い、「みんな」で達成することを目指して子ども達が関わり合える時間を確保する授業案を考えていました。
その際、私にも相談にきてくださいました。

このように、みなさん、『学び合い』について好意は持ってくださっていて、少なくとも強硬に反対なさる方がいないのが助かります。
私も、別のメンバー、別の職場になれば同じようにいくとはかぎりません。
が、相手に合わせてアプローチの仕方は多少変化させても、みんなで目標を一致させ、やり方は押し付けないというスタンスは同じようにすると思います。
「自然な流れ」に思っていただけるのは、今、本当に周りの人達に恵まれているからです。

周りに誰も理解者がいない場合…これはやはりきついですよね。
「ごり」はつかなくても、多少でも押さないと動き始めることもないままかもしれません。
でも、scorpion1104さんのご報告を拝見していると、「ごり押し」には見えませんよ。
叫びだしたいのを(笑)抑えながら、焦らず、へこまないよう気持ちをコントロールし、丁寧に理解者を増やしていっているように思います。

高知から応援しています。

2014-11-12

I先生の思い出④ 03:19

管理職について考えさせられたこと。

I先生はこんなことを私に語ってくださった。


勘違いしちゃいかんぞ。一番えらいのは子ども、その次が担任、その次が管理職、その次が教育委員会。

子どもが良くなって、保護者も喜んでくれよったら、恐いもんはない。

ただ、ええか、管理職は喧嘩する相手やない。

なんだかんだ言うても権限を持っちょる。

協力してもらう相手や。

喧嘩して勝ってもしょうがないやろ。

子どものためになる思うたら、助けてもらわないかんところは頭下げてでも助けてもろうて、そのことについてきちんと感謝するんや。

これは、うそやおべんちゃらとは違う、と。


管理職のことについて話したことで、もう一つ覚えているのは、まだ若かった私がはねかえって管理職の指示に対しての不満をI先生に述べたところ、

「君は、自分がもし管理職になった時も同じことが言えるのか?」

と指摘されたことだ。

私は、自分は安全なところにいて、その人の立場も考えずに批判することの卑怯さを恥じた。


ところで、I先生が管理職に従順な人というのは全くあてはまらない。

喧嘩をするときはする。

が、その喧嘩はその場で言い争う口喧嘩などではなく、私から見るとずっとおそろしい。

管理職が言ったことが本当かどうかなど、きちんと自分の持っているルートから裏をとり、本当でなかったらしっかりと詰めていき(私たちの見えないところで)、他にも根回ししつつ、いつの間にか協力してもらえるようにしておいて、子ども達のためになる方向に持って行く。

そして、その後管理職に

「いやー。先生に腹をくくって動いてもろうて助かりました。おかげさんで、子どもらのためになりました。わははは。」

とか言って笑っている。

実績があがり、管理職も感謝されて悪い気はしない。

職員会などで管理職と対決してやりこめ恥をかかせて勝つなんて、ドラマなんかでは溜飲が下がってウケる場面ではあるが(半沢直樹!)、そんなことをして自分のやりたいようにできても、必ずどこかで歪が生じるだろう。

してもらえるはずの協力までしてもらえなくなる。


I先生がおそろしいのは、うそがつけないおそろしさだ。

おそろしいけれど、子ども達はもちろん、教師集団も誰一人見捨てないあたたかさがあった。

2014-11-11

振替休日あけに 21:16

昨日、私は出張の振替休日だった。


今朝始業前、受け持ちのA男がいたので

「昨日、しっかりできた?」

と聞くと、

「どんどん進んですぐみんな終わったで。」

「おー。すごいねー。」

「そー。先生のはじめの話がなくてすぐ取り掛かれたけん。」


・・・悪かったねー(あれでも控えちょるつもりやのに、・・・反省)。

まぁ、すっかり頼もしくなってきてうれしい。

2014-11-09

I先生の思い出③ 03:16

I先生の思い出を書いていると、次々に思い出されてくる。

名前を伏せていてもどこかから流れていったらいけないので、ここには書けないエピソードもいくつかあるが(いや、悪いことではなくてプライバシーにも関わることなので)、物語などにでてくるようなことを生でやってる人がいるんだ!と思って毎日がエキサイティングだった。


九州の会で実践発表した時、自分が『学び合い』をすぐに受け入れられた下地となった考えをつくってくれた一人がI先生だったことをお話した。

学び合い』をしている人達が、『学び合い』受け入れる下地になったものを持ち寄れば何か見えてくるかもしれない。


I先生のことをどこかに遺しておくことは意味があると思う。

もう随分以前のことでもあり、脳内の記憶のみで細かなところはあやふやではあるけれども、本筋や伝えたかったことは間違っていないはずなので記しておきたい。



I先生に出会って、教育についての見方を大きく変えられた初めのエピソード。


春の運動会の練習の時だったと思う。

体育主任の私は、雨が降りそうな雲行きだったので、外での練習にするか、体育館での練習に切り替えるか迷っていた。

煮え切らない私を見かねたのかどうかわからないが、I先生が、「よし、外でやろ。」と言って準備を始めた。

数名の先生方が、私に気を使って「あなたが体育主任なんやから、言うとおりにせんで自分で決めてええで。」とおっしゃってくれたが、とにかく外ですることにした。

雲行きはますますあやしくなっている。


そして、練習を始めて少し経ったところで、不安は的中し、雨が降ってきた。


何となく、職員の中に

「あ~ぁ。ほらね。言わんこっちゃない。」

みたいな雰囲気が流れてきた。


判断を誤った私は、子ども達や先生方にもとても申し訳なく思いつつ、体育館への移動を指示しようとした。

その時I先生が、

「高学年、集合!」

と、声をかけた。

ぱっと高学年が集まった。


そこでI先生は、

「ええか、今からすぐテントを張る。下級生を濡らすな!」

と短い指示を出すと(今思えば、ちゃんと目的と行動が入っている)、子ども達は「はい!」と言っててきぱきとテントを張りだした。


その後雨はどうなったか。

結局、雨は本降りになってきてとうとう外での練習はできないまま終わった。


「あ~あ、せっかくテント立てたのに、結局はだめやったか。やっぱり外でせん方がよかったな。判断が間違うちょったなー。」

と落ち込んでいるところへ、自分の学級から帰ってきたI先生が、

「あの後、オレが子どもらに何言うたと思う?」

と話しかけてきてくださった。

「結果は雨が止まんで練習できんかったけど、そんなことはどうでもええ。君らが下級生のために懸命に動けたことは素晴らしい。きっと下級生の心には残ったぞ、言うて喜びおうたわ。」


私はその時、「そうか、そうなんや。」と涙が出そうになった。

それまでの私は、いつも自分の判断に自信がなくて、判断を誤った時には申し訳なくて落ち込んでいた。

そして、行事というものは、教師が様々な配慮をし、的確な判断をして滞りなく終えることがいいと思っていた。

「行事を通して子ども達がどう成長したか」というよりも、「行事が無事済んでよかったね」程度の認識しかなかったのだ。

配慮はもちろん必要だが、その結果がどうなるかをいつまでもぐだぐだ考えたり、思い通りに行かなかったからといって落ち込んだりする必要はないんだということに気づかされた。

「そのことをどう意味づけするか」というものの見方を与える絶好のチャンスなのだ。


I先生は、「ええか、教育に無駄はない。どんなに失敗だと思えることでも、これをこの子達の教育のためにどう結び付けちゃろかと、いつも貪欲に考えるんや。」とおっしゃっていた。

scorpion1104scorpion11042014/11/10 04:22私も、今I先生に学ぶことができました。涙が出ます。行事が、つつがなく滞りなく終えることを目指せば子どもの記憶にもほとんど残らないですね。子どもの成長を促す材料がないのですから、まるで期待できない。大人の都合の教育に気づかせてくださって感謝です。

daitouirukadaitouiruka2014/11/10 07:25ありがとうございます。
私の中だけに留めておかず、こうして書いた甲斐がありました。
お客様に喜んでいただくためのイベントと、学校で子ども達を成長させるための教育の違いを教えられたエピソードでした。

suikanomeisantisuikanomeisanti2014/11/10 10:41そのI先生が自分のクラスの子どもたちに語る様子、それをじっと聞いている子どもたちを想像するだけでジーンときます。琴線に触れるというやつでしょうか。教育につなげる、貪欲に考えるからこそ、いざというとき行動できるんですよね。ありがとうございました。

daitouirukadaitouiruka2014/11/10 15:46そうなんですよ。
子ども達に(大人にも)やる気と勇気を起こさせる語りをしてくれました。
私に語っているわけではないのに、子ども達に語るのを横で聞いてて涙があふれてきたことも1度や2度ではありませんでした。

2014-11-08

I先生の思い出② 09:33

学校の池の掃除を子ども達が懸命にしている。

担任のI先生は、と見てみると、塀の上に寝転がって、いつも持ち歩いているポットから、ものすごく甘くしたコーヒーをついで飲みながら見ている。


地域の人が通りかかると、

「おー。見てやー。子どもらがんばっちょるやろー。」

と、寝転がったまま笑っている。

地域の人も、

「そうやねー。」

と笑っている。


子ども達と一緒に、子ども達と一緒の作業をして汗をかく教師がいい教師だと信じて疑わなかった私には衝撃だった。


子ども達には不満はない様子だ。

それどころか、懸命に、積極的に、その意義を感じながら嬉しそうに動いている。

それは、I先生がいつも、自分達のために、自分達が動きやすいように、自分達にはできない大切な「I先生の仕事」をきちんとしてくれていることを十分知っているから。


I先生には二つの評価があった。

「ものすごい力量のある先生」というのと、「いい加減で、冗談ばかり言う先生」

表面だけを見て眉をひそめる人もいるのだ。


私が歯がゆくなって、

「あのことは、意味があってやってることなのに。ちゃんと他の人にも説明してください。誤解されてますよ。」

と言うと、

「んー。めんどくさい(笑)。分かる人がわかりゃええじゃろ。」

と笑う。

(そこは、ちゃんと言おうよー。)

と私はいつも思っていた。


でも、よく考えると、言ってしまうと子ども達に対する効果が薄れたり、ある子のプライバシーに関わることだったり。

そのためには、平気で自分は悪者になることができる先生だった。


I先生は、自分のことをよく言わない先生のことも考えていて、その先生が転勤して行った先でもその先生の処遇が少しでもよくなるように動いていた。

その先生はそのI先生の動きを知らない。


そう言えば、西川純先生も。

ゼミを訪問させていただいたとき、ゼミ生の方達が熱心に議論されている横で、西川先生は確かリクライニングシートのようなものに寝転がってニコニコしながら聞いておられたような。

toyohashi-starttoyohashi-start2014/11/09 22:53いいお話ですね。
表面的なところではないところを見ようとしないとわからないのでしょうね。
自分にはなかなかできない境地な気がします。
「わかる人がわかればいい」などなど。

daitouirukadaitouiruka2014/11/10 00:03私も、何年経ってもその境地には達せていません。
凡庸な私は、私の力量でできることを追い求めていくしかありません。
でも、幸いにも『学び合い』に出会えたことで、I先生の実践への理解が深まり、一歩でも近づけたかな、と思えます。

2014-11-06

うれしい!大分の日田市立朝日小学校 04:47

高知県で『学び合い』を実践されていて、大分県に転勤された先生が転勤先の学校で『学び合い』を始め、それから異学年合同『学び合い』に。

その先生が高知を去ることは、高知の『学び合い』の動きにとってはとても残念なことだったけれど、続けて『学び合い』を実践されていることは何ともうれしい。

日田市立朝日小学校のHPでその様子が紹介されていることを先生にメールで教えてもらった。

高知を離れてもこうやって連絡をいただけることもうれしい。

写真も掲載されていた。


返信に、

いい光景ですねぇ。

学び合い』をすると、「どこでも見られる光景」。

この、「どこでも見られる光景」であるということに感動します。

子ども達が、いえ、人が(もっと言えば、生物としての「ヒト」が)学び合う力を感じて感動できます。

と書いた。



私が『学び合い』に出会い、高知からブログで発信したときに、九州のmunehiroさんが、「自分のクラスで起こっていることが、高知でも起こっている」と感動して、高知まで来て実践発表をして下さったことを思い出した。


その人にしかできない実践ではなく、やろうと思いセオリーに従えば誰でもできる授業(教育)の研究に価値と魅力を感じる。

もちろん没個性ではなく、セオリーの上にその人の個性が表れてくる。

2014-11-05

I先生の思い出 06:36

11月1日の記事のコメント欄に書き込んだ「先輩の先生」(I先生)。

I先生は、自分の学級のことについて私に語って下さるときに、

「こういうことがあってなあ。…で、その時俺がどうしたと思う?」

と、いつも私に考えさせてくれながら語って下さった。

私を育てて下さっていたのだ。


私は懸命に考えて自分なりの答えを出すのだが、I先生は必ず私の思いもよらない、しかし、「そうか!」というお話をしてくださった。

教育とは何か改めて考えさせられるお話だった。


もちろん、お話だけでなく生の姿でもたくさん見せていただいた。


数あるエピソードの1つ。


I先生が担任している6年生の子ども達が学校中に散らばって何やら始めた。


何をしているのか私がI先生に尋ねると、

「もうすぐ卒業やから、学校をきれいにして卒業しよう。そのために思いつくことはなんでもやってええぞ言うたら、見てみー。まーあいつらよー動くなー。わはははー。」

と嬉しそうに笑っていた。

教師用の工具室に入って、工具を掛けやすいように釘を打ちつけ始める子もいた。


「目的を明確にして、意義を熱く語り、自由に活動させる」

まさにそんな先生。

自由に動く中で子ども達が何かやらかしてしまっても、しっかり受け止め対処できる度量も持っている。


豪快さと繊細さと緻密さを併せ持つ、強烈な魅力のある先生だった。

2014-11-01

特別支援学級との交流 09:59

学び合い』に出会うずっと前のことだが、特別支援学級の子ども達との交流を企画したことがあった。

それまでの交流会では、参加するメンバーみんながなんとか出来そうな最大公約数的なゲームを、教師があれこれ考えて、スケジュール通りに流すという感じだったらしい。

でも、どうも参加者全員にとって「やらされ感」があり、交流を楽しみ切れていない雰囲気があったようだ。

そこで私は、班に分かれて、「みんなが楽しい時間を過ごす」「相手を知る」ということをめあてにし、臨機応変に自分達で考えながら自由に動くようにしてもらった。


ただ、まったくのぶっつけ本番ではなく、相手を知るための能動的な行動にもつながると思ったので、事前に担任の先生にインタビューして(本人たちは会話が十分できなかった)どんな遊びならできるか、得意か、などは聞き、ある程度の用意はしておいた。

しかし、それもその日その時の気分によって違うかもしれないので、全く使わないことになるかもしれない。

しかし、いろんな人がアイデアを出し合いながら進めることに価値があるということを告げておいた。


「めあてを明確にし、みんなで最良のものを考えながら進んでいく」

思えば『学び合い』の考え方の芽があったのかもしれない。


参加者みんなが参加意識も高まり、満足のいく時間を過ごせた。


これは、特別支援学級の友達と付き合うときだけでなく、誰と付き合う時でも必要なこと。

「その人」とどう向き合い、どう付き合うかを自ら探っていくということ。


子ども達の知らない所で教師があれこれ「配慮」して考えたゲームを、その意図もよく把握しないままに一緒にする時間を漫然と過ごしていたのでは得られない、自分で考え、試行錯誤していくことの大切さとやりがいを学べたのではないかと思う。


自分で考え、試行錯誤しながら付き合おうとした経験は、その後の日常的な自主的な交流にもつながりやすい。

scorpion1104scorpion11042014/11/01 21:14素敵な交流ですね。

sumi-chansumi-chan2014/11/01 22:46先日、支援籍学習がありました。全校朝会で児童に紹介し、その後学年、クラスでの交流という流れでした。初めてだったので私の方で活動内容を考えて全て進めましたが、次回は子ども達からアイディアを出してもらおうと思います。

daitouirukadaitouiruka2014/11/02 08:38scorpionさん、sumi-chanさん、ありがとうございます。
目的・意義をしっかりと語り、あとは子ども達に任せるということが、その後の自主的な活動につながっていくということ。
これは、上記の学校の前任校の先輩の先生から生の姿を見せていただきながら学んだことでした。
当時どの程度それを意識していたのかはわかりません。
しかし、『学び合い』に出会い、その目で当時のことを振り返りながら
「そういえばあのことって『学び合い』の考え方につながるところがあるなぁ。だから『学び合い』に出会ったときに即座に、これだっ!て思えたのかな」
と思うことがあります。
『学び合い』の考えを受け入れた子ども達が、授業中だけでなく、その他の場面でも、自主的にその考え方に基づいた行動を選択し始めることを実際に見てきました。
交流は、その後の日常的なつながりを目的とするなら、自主的に試行錯誤できる時間を保障することが大切だと思います。
こういった交流は、一回限りのイベントでは、やはり効果は薄いと思います。
へたをすると、
「付き合いにくい、めんどうな人だなぁ」
なんて、マイナスイメージを持ってしまい、そのままになってしまう子もいるかもしれません。
活動の振り返りをし、「では、次どうするか」という再チャレンジのチャンスが必要だと思います。
長時間でなくてもいいから、数回。
準備が大変なら、負担感がありますが、それほどいらないからいいですよね。
そういえば、『学び合い』の出前授業でも、2時間確保してもらって実施するという例がありますが、これって『学び合い』の試行錯誤の良さを伝えるいい方法だな、と思います。
それと同様です。

ところで、構成的な活動を否定するわけではありません。
状況に応じて。
特に、一回限りの交流しか持てない場合は、ある程度教師側の構成がないと、不全感が残ったままになるかもしれません。

特別支援をどうとらえるか、私自身まだまだ不十分だと思います。
scorpionさんとも、sumi-chanさんとも、またじっくり学び合わせていただきたいです。