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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2014-09-30

自分達で主体的に時間を使う 07:02

授業を始める直前に、急に話さなければならないことが入って教室を離れなければならなくなった。

ほんの少ししか時間はかからないだろうと思って、子ども達には特に何も告げないまま教室を離れようとしたとき、後ろから

「先生、今週の係のこと決めとかないかんから話し合いしよってええですか?」

という声が聞こえてきた。

「あ、それはええね。」

と言って教室を離れた。

「先生がいなくなったから自由に遊べる」

ではなく、「自分達の時間」を有効に使おうという心が見えてうれしい。


さて、思っていたよりも話に時間がかかってしまったのだが、係の話し合いもそれほど時間はかからないはずだし、どうしているかな、と思いながら教室にもどってみると、すでにその時間の授業の課題に全員が真面目に取り組んでいた。

「おー。素晴らしい。ちゃんと考えて動いているねぇ。」

と言うと、

「〇分まで〇〇をやることにしちょるがよ。」

と、自分達でおよその流れも決めているらしい。

まあ、課題は前もって1単元分渡しているので、もし、何もやっていなかったら、

「自分達で何をしたらええのか、考えないかんやろ。」

と言わなければならないところだったが、昨年度の子ども達同様、今年度の子ども達も次第にそれが必要なくなってきていることを感じる。

成長してきている姿にちょっと涙が出そうになった。


・自分達が達成すべきめあてとその基準を明確に把握する。

・そのめあては「みんな」が達成しなければならないことで、達成の責任は「みんな」にある。

・時間は限られており、どのように有効に使うかは自分達に任されており、うまくいかなければ自分達でなんとか補い、次回へ向けて改善していかなければならない(教師の方も無理な課題ではなかったかという反省はしていかなければならないが)。


という考え方が、課題を自分(達)のものとし、主体的に時間を使い解決できるようにさせてくれるのだろうと思う。

2014-09-22

成功へ向けて、それぞれができること 02:52

運動会が終わった。

プログラムに一輪車演技がある。

その中に演技者全員が一列に手をつないで大きく回転するものがある。

全員の息が合わないともちろんできない。

本番が近付いているのに成功率が低く、その演技をあきらめなければならないかとも思ったくらいだ。


「得意な人何人かだけを選んですることもできるかもしれない。でも、なんとか全員で成功させたいよね。」

「まだ苦手な人、上手になるための努力、本当に精一杯していると言える?上手な人、苦手な人がこけそうになった時に支えられるようもっともっと上手になる努力もできるよね。成功に向けて、一人一人の努力のポイントは違うかもしれないけど、それぞれがまだ努力できることがあるはず。」


全体の練習以外にも時間をつくって自主練に励む姿がさらに多く見られだした。

それも見ていてうれしくなるのだが、トンボをかけてグランド整備をしている子ども達の姿も見られたのがさらにうれしかった。

ちょっとしたくぼみでスリップしてしまう。

個人の技術向上だけでなく、みんなにとって演技しやすいよう、成功させるための環境整備を進んでしているのだ。


当日。

残念ながらずっと体調を崩して熱を出していた一人が欠席していたので厳密には全員とは言えないのだが、出場した全員の回転の演技が見事成功した。

しかも、前日から降っていた雨のため、決してよいグランドコンディションではない中。


「自分も、見ている人も感動できる運動会にしよう」

というのが目標だった。

見ていた人達から直接

「感動した」

という評価の言葉をいただけた。

2014-09-21

マニュアルについて再び 04:36

以前書いた通り、マニュアルの存在を否定するわけではないことを前提に。

ある教科をうまく進めるマニュアルを教師が懸命に考えて与え、それを完璧になぞれるようになることが目的になってはいけない。

マニュアルはあくまでもマニュアルであり、「主体的に使う」という意識がないと、それが当てはまらない場面でも無理に当てはめようとして無理が生じる。


マニュアルは、作るとしたら自分(達)で作れるようになるのが一番いいだろう(選択できる情報としていくつか例示するのはかまわないと思う)。

また、初めは与えられたマニュアルでも不具合が起きたときに自分(達)で改善していくのが当たり前と思える主体性を持っていてほしい。


教師が作った1つの教科のマニュアルを完璧になぞれるようになっても、別の教科では動けないかもしれない。

「だから別の教科でもそれぞれ作ろう」となる。

それでも、そのクラスだけでしか取り入れていないと、別の担任になったとき、動けなくなるかもしれない。

「だから全校で取り組もう」となる。

それでも、その学校を卒業してしまったとき、動けなくなるかもしれない。

社会に出たらどうなるのだろう。

社会に出たときに所属する組織にマニュアルがあったとしても、マニュアル以外の状況に出会ったとき、動けなくなるかもしれない。


学び合うことを身に付けるには、やはり、「本当にそれは目的を達成するために意味のある方法か?」と吟味する心や、「みんな」を意識する心を抜きにしては将来にわたって本当の意味で使える力にはなりにくいと思う。

学び合うためのマニュアルができ、それを完璧になぞれる力があったとしても、そしてそのマニュアルが実際に当てはまる状況に出会ったとしても、本当に目的を達成したいという心や、「みんな」で伸びようとする心がなければ、そもそもその力を「使う気」が起きず、結局は使われない(力がない状態と同じ)からだ。

逆に心があれば、状況が変わってもそれに合わせて何とか学び合えるよう試行錯誤を繰り返し、目的達成に向かえるだろう。

将来にわたって使える学び方、学ぶ力を身につけさせたい。

2014-09-16

自分自身を騙さないための、相手の主張に飲み込まれないための覚え書き 05:54

人はその人特有の「色眼鏡」をかけてものごとを見てしまいがち。

それぞれが「私的論理」を持っているから。

その中に「基本的な誤り」が紛れ込む。

1.決めつけ

  一つのレッテルを貼ってしまって、断定してない?

2.誇張

  針小棒大。ちょっとのことを大げさにとらえてない?

3.見落とし

  物事の一面だけを見て大事な側面を見てないんじゃない?

4.過度の一般化

  一つの事象を、全てに当てはめて考えてない?

5.誤った価値観

  自滅的・破壊的な方へ向かう価値観を持ってない?


まあ、上記のことをうまく利用して、相手を元気にできる場合もあり、心理的な治療に応用される場合もある。

例えば、苦しい状況にある人に、

「明けない夜なんてないよね。」

と言ったことで、がんばれるってこともある。


それに対して、

「それは、過度の一般化と言ってね、確かに夜は明けるかも知れないけれど、それと私の悩みとどんな関係が?」

って冷静に返されるとがっかりするけど(笑)。

2014-09-13

「『学び合い』の力について、まだ分かっていなかったことに気づかされた。」 07:48

というのは、昨年度担任した子どもさんの保護者のことば。

わざわざ本校に立ち寄ってお話してくださった。

その日その方は、6年生で『学び合い』をして中学校に進学した子ども達の授業を参観したが、もともと少なかった小学校の時のメンバーがさらに半分になってしまっても、ごく自然に学び合っている姿を見て感動したとのこと。

実はその方の子どもさんは自分がやりたいことを目指して他校へ進学しているので、「我が子」がいない授業参観。

「6年生の頃のメンバーがみんなそろっているからできる」のではなく、現在のメンバーになれば、それに応じてそのメンバーでの学び合いがみごとに成立している。

子ども達に任せる授業をしていたのは分かっていたつもりだが、なんだかんだ言っても強力な先生がいるから成立しているのだと、どこかで思っているところがあった。

でも、『学び合い』の本当の力はその程度のものではないということを今回の授業を見せてもらって気づかされた。

まだまだ『学び合い』について分かっていなかったのだ、と。


本当にありがたい言葉だった。

自立し、その場に応じて協力し合いながら課題を解決していく人になるように成長し続けてくれている。

「〇〇先生だからよかった。〇〇先生だからできる。〇〇先生でないとだめだ。」

などと言ってもらえることを喜ぶ教師のエゴにとらわれているうちはその感動を分かち合えなかっただろう。


ただ、その方は、「今のその先生との相性もいいからやりやすいんだと思います」ともおっしゃっていた。

確かにその先生は私も知っている方で、「『学び合い』をやっている」というわけではないけれど、子ども達がそんなふうに学び合うことをとても喜んでくれる方である。

だからこそ、「自然に」学び合えていたのだろう。


まあ、どんな先生であっても、例えば授業中の学び合いをかなり制限しようとする先生であっても、何とか授業外の時間を見つけてでも、一人も見捨てないように学び合ってくれると信じている。

もちろん、大人になっても。

o4dao4da2014/09/13 21:19時間外に!というコメントそうですね。そこまで求めればいいですね。人のせいにする人生では寂しいので、相談し合いながら進むということを思い浮かべました。

daitouirukadaitouiruka2014/09/14 09:33o4daさん、ありがとうございます。
自己責任で、状況に応じて、人の力も借りつつ、人に力を貸しつつしぶとく生きていってほしいです。
隙あらば学び合って(笑)。

2014-09-07

伝えたい欲求 16:09

算数の時間。

課題について、自分だけが気づいているポイントを何とか友達に伝えて相談したくて、でも、うまく言葉が見つからなくて、時間が過ぎていく。

私は、口出しを我慢して見ている。

しばらくして、「あ!」と、何かひらめいた様子。

嬉々として友達に説明を始める。

いい言葉を思いついたらしい。

そして、伝わった時、相手と分かち合える更なる喜び。


こういった場面を見ると、説明する必然性があり、なんとか相手に分かってもらいたいという欲求があることが説明する力を向上させるんだなぁと思う。


「上手な説明の仕方」について国語で数時間授業するだけでは十分な力はつかない。

あらゆる場面を利用して、何度も試行錯誤しながら身に付けていく。

その機会をできるだけ多く作っていくことが大事だとつくづく思う。

相手に合わせながら説明を変化させ、分かってもらえるように努力することで言葉の力が磨かれ、思考も深まっていく。


学び合い』の考え方なら、国語に限らず、全ての授業で、休み時間や放課後も含めた全ての活動で、その機会がつくれる。

自らつくれるようになる。

国語の授業じゃないんだから」と言わないで、初めは時間がかかるかもしれないけれど、ちゃんと説明できる力をみんなで磨いていく。

遠回りに見えて、結局はその方が時間もかからなくなり、他の場面でも応用できる本当の力がついていく。


ほとんどの場合、「自分の考えを分かってほしい」という欲求はもともとある。

学び合い』は、それに加えて、「みんな」を求めること、そしてそれを達成するために、自主的に考えて動ける環境を保障することで、その欲求をさらに後押ししてくれる。

concert3concert32014/09/08 12:16>あらゆる場面を利用して、何度も試行錯誤しながら
>身に付けていく。
>その機会をできるだけ多く作っていくことが大事
>だとつくづく思う。
>相手に合わせながら説明を変化させ、
>分かってもらえるように努力することで
>言葉の力が磨かれ、思考も深まっていく。


まるで自分のことを言われているようです。(^_^;)
努力が報われないこともありますが,相手が言いたい
ことを理解し,相手に合わせた説明を考え,自分が
無理なら仲間にお願いする…。『学び合い』で
やっていることは,大人がやっていることと同じだなぁと
つくづく感じました。

子どもたちはものすごい力をつけていらっしゃいますね。

daitouirukadaitouiruka2014/09/13 05:29concert3さん、ありがとうございます。

>子どもたちはものすごい力をつけていらっしゃいますね。
いえいえ「伝えるための表現力」という面ではまだまだそんな状態ではありません。
まして「みんな」ではありません。
だからこそ、「機会をできるだけ多く作っていくことが大事だとつくづく思」っているのです。
子ども達の自己評価でも、
「今の説明では、一つ下の4年生に分かってもらえるとは思えない。」
ということが多いです。

しかし、「相手になんとか伝えたい」「『みんな』をめざしたい」という心が育ってきていることは感じられます。
そういった「心」を「力」にふくめるとすれば、確かに「力」をつけてきていると言えると思います。
実は、その「心」が、これから先も、自主的に「力をつけていく」ための、「力を実際に自他に役立てる」ための原動力として欠かせないものだと思っています。

そういった意味では、言ってくださるとおり、「ものすごい力」を感じています。

2014-09-06

前回書き込みの方が『学び合い』をやってみたということ 15:11

「ちょっとしたハードルがあって、できにくい状況ではあるので、すぐには取り組めないかもしれない」

と書き込んだが、なんと、もうやってしまったとのこと。


すると、思った以上に子ども達の動きがよかったということだった。

さらに、その方は朝は勤務の始まるはるか前の時刻に出勤していたそうだが、それもしなくてよくなったそうだ。

楽になるのはいいことだ。

手抜きではなく、同等かそれ以上の結果が生み出せるなら。

そうすると、もっと手をかけるべきところにしっかりと手をかけられる。

それに、教師が精神的にも肉体的にも安定しているということは、何より子ども達にとっても有益だということだ。

実際、実践していくなかでこれから躓くことも出てくると思うし、やりにくい状況が現れてくるかも知れないけれど、効果を実感してもらえた人が、1人、また1人と増えてくれることがうれしい。

そうすると、「実践したい」と願っている人が少しでも実践しやすい状況ができていくから。