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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
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2014-08-06

マニュアル 11:50

子ども達だけで学習を進めていけるようなマニュアルをよく見かけるようになった。

いや、以前からもあるにはあったのだが、気になって目につきだしたのだろう。


そのなかには、「全員がちゃんとできたか確認する」というような項目が入っているものもある。

「みんなができるようになることを大切にしたい」という作成した人の思いが入っているのだろう。

でも、それを使う場合、育てたい人間のイメージは、

①「その教科の授業がマニュアル通りにスムースに進められる人間」

②「いかなる時でも、状況に応じて『みんなが向上すること』を意識し、最も良い方法な何かを考えながら行動していける人間」

どちらなのか?

それをはっきりと意識しておくことはとても重要なことだと思う。

くれぐれも言っておきたいのは、マニュアルを否定しているわけではないということ。

どの教師が担任しても、少なくとも最低限の成果を挙げることができるように、目に見える形で示しておくということはとても意義のあることだとは思う。

教員の構成メンバーによって、それがとても重要な役割を果たしてくれることも多くあるだろう。

実際、私自身それを見て自分に欠けている部分を教えらることが多々ある(ただ、これは一括して押し付けられると私の指導の中での矛盾が起こってしまって困るな、という部分もある…例えば、1人で考える時間を全員に一律に設けるなど…)。

が、同じ学校で同じマニュアルを使っていても、確かに授業はその通りに進むのだが、「司会がその台詞を言うところ以外では友達がどんな状態であっても気にしない学級」と、「司会のマニュアル以外の場面でも友達のことを気遣って声をかけている学級」がある。

各学級の成長の過程の一場面ということもあり、その1時間を見ただけでは一概に言えない。

が、ずっとそのままで終わってしまうこともある。

この違いはなぜ生じるのか?

要は、担任が上記の②を意識し、子ども達ともそのことを共有するよう本気で求めているかどうかの違いではないだろうか。

その違いは、マニュアルには書ききれない指導の細部に表れてくる。

②へ到達するための道筋として、マニュアルから入るかどうかは、指導者によって、子どもによって、周りの状況によって様々あるだろう。

私の場合、出来る限り自分達で見つけていってほしいのでマニュアルから入らない方を出来る限り選びたい。

その方が、「自分で状況判断する力」「自己責任で動く力」「自己選択で行ったという自尊心」「相手の心への響き方(マニュアルどおり気にかけてもらってもねぇ…)」等々の面から見て、はるかに良いと思えるからだ。

「いつ、いかなる時も」そうするかどうかは決めていない。

状況による。

ただ、『学び合い』を始めてから、私が判断していたよりもはるかに多くのことが子ども達にはできるということを思い知らされてきている。


誤解のないよう付け加えるが、様々な行事などの司会進行マニュアル等まで否定するのではない。

むしろないと困る。

授業においても、大筋の流れを子ども達が話し合って(状況を見て変更していけることが前提)決めておいた方が、時間を効率的に使えるならそれでいいだろう。

ただ、上記のような「全員がちゃんとできたか確認する」という類の、実は「人間形成」にまで関わる内容のことをマニュアルに入れる場合、それを活用する者はくれぐれも注意しておかなければいけないと思う。

あくまでも、マニュアルがない場面であっても、その「みんな」を意識する心を使って行動していけるようになることを目指すように。


最近、実際に成果もあげてきたある有名な学校のマニュアルを元に、「自分達も作ろう」というような声がよく聞かれるようになった。

しかし、もともとの作成者が込めた崇高な願いを汲み取らず、「やらされ感」いっぱいで取り組めばおのずと弊害も生じるだろう。

あまつさえ、それを活用し、せっかく成果を上げている学校の実践まで貶めるような噂が流されたりすることも。


「仏作って魂入れず」の状態では、労ばかり多くして成果がない(害はある)。

こういった事態だけは避けたい。

mei-c5mei-c52014/08/06 13:24自分が良いなと思うものを知ってもらいたい、体感してもらいたい、という気持ちはありながらも
そうは言っても、押し付けややらせるというのはなんか違う、という気持ちもあります。
人に進めるのが上手い人を見ると、自分と相手の「魂」の部分がうまーく重なるように、重なるように持って行っているな、と尊敬してしまいます。

daitouirukadaitouiruka2014/08/06 16:56「相手の興味に興味を持つ」ことが大事ですよね。
相手が何を欲しているのかをまずきちんと把握して(目標の一致)、それに応じてお勧めのものを「これなんかいかがでしょう?」ぐらいのつもりで出す(代替案・一つの選択肢)。
今まで何度も「これはいい!みんなにも喜んでもらえるぞ!!シェアしよう!!!!」
と、自分としては善意の塊のつもりで話しても、「どうでもいい」「押し付けるなよ」「宗教の勧誘か」「自慢?」等々…いや、実際に言われたわけではないけどそんな雰囲気で引かれることが。
人は同じものを選ぶのでも、「自分で選択した」と思えることが大事なんですよね。

ogymogym2014/08/07 22:56選択肢の提示があり、自分で選択、主体は自分に常にある、のが大事、そうだなあと思います。

daitouirukadaitouiruka2014/08/08 09:09「自分で選んだ」と思わせる「セールストーク」もありますので、消費者の立場の時にはできるだけひっかからないよう気を付けています(笑)。
「あ、今あの技法使ってるな」みたいに。

motoryoumotoryou2014/08/08 20:28マニュアルを否定刷るわけではないですし,それによく分からないときにはマニュアルがあると,安心してまずはやれる(私自身も)ます。しかし,マニュアルとかテクニックとかは,ずっとは続かないものだなあと感じます。いつかはそれ自体が目的化してしまい,マニュアルを,テクニックを使うこと自体を大切にし「流派」みたいになってしまうきがします。そうなるとまた,おかしなことになっていく…。そんな気がします。先日ある方が「哲学は残る。技術は廃れる」と言っていたのが印象に残っています。

daitouirukadaitouiruka2014/08/09 01:14確かに「手段」が「目的」化してしまっていることがありますよね。
本人は無自覚なままに。

そして、それを防ぐためにも、おっしゃる通り、哲学を持つことの大切さを感じます。
新たな状況の中でもぶれることなく行動を選択していけますよね。