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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
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2012-02-05

小中合同の『学び合い』研修が高知県で~講演編~模擬授業体験から得たもの 16:16

授業後のS指導主事の講演。

すっきりまとめてくださっていて、わかりやすかった。

なるほど、こう伝えたらいいのか、と勉強になった。

また、ちゃんと高知にちなんだ坂本龍馬のことも織り込んで話してくださっていた。

うれしい心配り。



講演の中で、参加教職員を子どもに見立てた模擬授業もしてくださった。


これが私にはとてもとても貴重な体験になった。


そこでは、他の人と話してはいけない一斉授業と、『学び合い』の授業の比較体験をさせていただいた。

それも私のとても苦手な数学で!

しかし、だからこそよかった。



心の揺れ動きを交え、できるだけ再現してみたい。

学び合い』の中で起こっているであろう子ども達の気持ちの揺れや変化を自分の体験として得られたことをシェアするために。



問題1は、誰とも話さず一人で考えなければならないことになっていた。

自分としてはほとんど記憶のかなたに飛んで行ってしまっている「インテグラル」なるものを使って解く面積の問題だった。

何とか記憶を掘り起し、作図まではできた、が、その後、全く手がつけられない。

禁止されているにもかかわらず、向こうのほうでは会話が始まってしまった。

「いかん言われちゅうに、『学び合い』してしまいよるね。あははは。」

と、自分達で言いながら(笑)。

結局分からず。

解法をパワポで示してくださったが、見ただけではやはり全くわからなかった。


問題2は、『学び合い』OK。

因数分解の解の公式を使って解く問題。さっきのよりは確かに簡単なようだが、どちらにしろ解けないんだから自分としては難易度は関係ない。公式も記憶にない。

例えばこのとき、(自分も教師として言っていたような気がするのだが)励ますつもりで「さっきのより簡単だよ。だから頑張って。」なんて言われても、さらに落ち込むか、腹が立つだけだろうな、きっと、と思った。

「教員なのに解の公式も忘れている」と言われるかもしれない。

ここで、「6年生なのに九九も全部言えない」と言われる子の気持ちが分かる。

その学年になったらそれまでの学年のことがみんな分かっているということは実際問題としてわれわれ教師は前提にできない。


さて、今度の問題は教科書の関連ページのコピーを置いてくれている。

しかも、「中学校の数学の先生、いらっしゃいますか?」とS指導主事が聞くと、1名だけ手をあげてくれた。

おお、頼りになる!聞きに行こう!



そしてスタート。



しかし、ちょっとは自分で考えてみようかな?などと思い挑戦してみた。

…が、どうしても進まない。

よし、数学の先生のところへ!

そちらを見るとすでに数名が集まっていて、狭くて入りにくそうだった。

よし、では教科書をプリントしたものを見よう。読んで理解する力も必要だしな。

と、そちらへ行った。

その時そこにはほとんど人はいなかった。

読んでみた。しかし、それでもどうにも分からない。

何かちょっと分かったような会話がその辺りの人から聞こえてきたので聞いてみる。

でも、分からない。


もう一度数学の先生の方を見ると、ちょっと人が少なくなっている。

今だ!と、そちらへ向かった。


「教えてください。」

その数学の先生は快く教えてくれ始めた。

解の公式を書いたメモを見せてくれて、それから移項して…なんとかちょっとだけ光が見えてきた。

しかし。やはり、分かった!まではいかない。

説明は続くが、ちらちらと忘れてしまっている用語が出てくる。

そして説明のスピード。

ん?と思うたびに記憶をたたき起こしているのだが、それでも間に合わない。ついていけないのだ。

おお、これが世に言う「自動化」か!!

と、問題が解けるのとは全く別の感動を味わう。

しかし、それに浸っている暇はない。

刻々と時は過ぎていく。


近くの人でちょっと噛み砕いたような説明をしてくれている人がいる。

おお、これが世に言う「ゲートキーパー」か!!

一緒に聞く人もいる。私同様分かっていない人もいるんだという安心感と、ちょっとずつ周りから聞こえ始める「分かった」という声からくるプレッシャーが入り混じる。



そこで、ちょっとずつ、ちょっとずつ分かりかけてくる。

が、まだ完全とは言えない。


試しに別の人の話もまた聞いてみる。私の脳にさらにフィットする「ゲートキーパー」を求めて。

そこでは今までとちょっと違う解き方をしていた。

今度は分かるか?…と思ったが、さっきのやり方をもっとつきつめていった方がいいような気がしてきた。

試行錯誤である。


周りが分かってきて、自分が分からないと、思った以上にあせってくるもんだ。

一斉に聞く講義ならこうはならないだろう。

まあ、後でじっくりだれかに聞くか調べるかしてみよう、と、もったいないけどこの時間は捨ててやり過ごしそうだ。


もうちょっとで解けそう、というところで…時間切れ。


少しの休憩があったが、その間も何とか解こうとしている人達がいる。

子ども達もそうだもんなぁ。



私も最後まで行き着きたかったが、話しておきたい方がおられたので、その方と話して休憩終わり。



その後、質疑応答の時間もあったが、これらはいろんなところで初めて『学び合い』に触れた人(私自身も)が同様に持つ疑問で、いろんなところにすでに書かれているし、それに対するいくつかの回答もあるので省略する(私自身も理屈はわかるが「完全に腑に落ちた!」まではいっていないこともある。これは今後実践していく中で検証していきたい。)



そして、今回の模擬授業で気付いたことの付け加え。

分かってなくても、懸命に教えてくれる人の顔を見ていると、つい分かっていないのにうなずいてしまっている自分がいた!

ああっ、子どもには分かったふりはいけないって言ってたのに!

決してずるをしたいわけじゃなく、その人に申し訳なくなってしまって…こんな気持ちにもなるんだなぁ、という自分の体験もきちんと踏まえたうえで「やっぱり、それじゃいけないんじゃない?勇気を出してちゃんと伝えようよ。」と言えるようになろう。



そして、もう一つ。

「時間内に終わるように関わり方、学び方を工夫しよう。」ということはやはり言い続けなければならないと思うのだけれど、その時間必死になって試行錯誤した結果できなかった場合、その試行錯誤そのものも否定するような雰囲気はつくってはいけない。

それが、次につながる大切な収穫になるのだから(収穫になるように意義づけることが大事)。

ひょっとすると私は「頑張ったのは分かるけど、結局できなければいけないんだよ。」というメッセージが冷たい感じで伝わっていたかもしれない。

それだと、毎回追い込まれてつらい思いが重なっていく子ができてくる。

「1時間の区切りで終わらせることをあまり強いてはいけない。」

というようなことをこのブログ群の中でもおっしゃっている方がいたように思う。

「時間のこともちゃんと考慮して動こう」という同じ言葉を伝えるときも、どんな思いが根底にあるかで、違って伝わる。



そしてさらに。

講演が終わって、学校を後にしたが、途中で止めた車の中で、なんとかわかるまで解いてみた。

そして…やっとできた。

うれしかった。

時間が終わっても何とか解こうと思ったモチベーションは、「分からないことが分かりたい」ということもあったが、一生懸命教えてくれた人に、「分かるようになりました」と報告したいという気持ちもあったからだ(急遽、夜のお客(高知の「飲み会」のこと)にも誘っていただいたのだ)。

子ども達もこんな気持ちになって、今まで勉強に向かわなかった子が向かうようになるんだろうなあ。



「数学に対する純粋な興味がモチベーションでなければならない。そんな動機は不純だ。」

と言われる方もいるかもしれない。


確かにそうできればそれに越したことはないだろうが、全ての教科の全ての時間にそれはできないだろう。

それに、どんなに工夫しても、そのことに興味を持つ子と持たない子はいる。


むしろ、世の中本来なら興味の湧かないことでも仕事の一環としてこなさなければならない重要なことは山ほどある。


そういった課題に対して、少しでもモチベーションを上げる各自の工夫(仲間とともにやることも一つの工夫)ができる力をつけることは大事だと思う。

そうでないと、「それ、俺のやりたいことじゃないしー。」と、好きなこと、興味の湧くことしかしない、あるいは誰かに興味を持つように持って行ってもらわないとできない人たちがこの世にあふれるようになるのではないか。




改めて『学び合い』の授業で行っていることの意味が分かってきたような気がする。


それは、今まで自分が行ってきた授業の常識からすると許されないこと…

例えば、立ち歩くこと、自分で相手を選べること、教師用指導書や解き方を書いたプリントを見てもよいこと、一人学びの時間がないまま他の人と話したりプリントを見たりすること…等々。


考えてみれば実社会に出てから新たなことを学んでいく際には当然のようにみんながしていること、しなければならないことだ。


むしろ、何も調べたり確かめたりせず、人にも聞かないという仕事の仕方をしている人がいたら批判を受けるだろう。「大丈夫か?」と。

例えばそんな医者がいたら危なくてかかる気にはなれない。「一生懸命、だれの考えも参考にせず、一人で考えた治療法です。」なんて。



上記のことは、もちろん、自分自身も必要性を感じていたので『学び合い』をするときはそうすることを認めていた。

しかし、どこかで「自分は分かっている方、できる方のグループにいる人」であることを想定した範囲内での必要性だったのではないかと、改めて突きつけられた思いがした。





A小学校でのこの体験は、実はここに記す前に今朝運転する車の中で高校生の息子に語ったことだ。


息子に語りながら、改めてはっきりと上記のことに対する気づきが深まってきて(やはり人と対話することは大事だ)、なんだか涙が湧いてきていた。


いつもは楽しくしゃべっている周りの友達が、授業中になると「どうやら日本語らしいけどわけのわからない言葉をスラスラと話し始める人」になってしまう恐怖。

何時間も何時間もこんな不安な気持ちを毎日繰り返している子がいるんだ。

いや、悲しいことにそんな恐怖を感じる心はもう麻痺させてしまって対応している子もいるだろう。



模擬授業を受けている最中は、懸命になっていてそれほどじっくりとは感じることはできなかったが、こうして振り返ってみていると、つくづく私が「善意」のつもりでしてきたかなり多くのことの罪深さを思い知らされた。



「人と話してはいけない」「先生が決めた人としか話してはいけない」と教師が「配慮」したくなる気持ちもわかる。

私自身もそうしてきたから。


しかし、考える力をつける以前に、考えることそのものを放棄してしまう危険性の方が大きいのではないか?

私なら、ドロップアウトしてしまっているかもしれない。

それよりも、訳が分かっていない子にはまず「正統的周辺参加」をしてもらう方が先だろう、と(使い方間違ってない?ちょっと前に見かけたんで使ってみました:笑)。



困難なこと、今はどうしようもないことに「耐える力」はある方がよいと思う。


ただ、学びの場ではどうだろうか?



「考えると何とか分かりそうなこと」と「一人で考えてもどうしようもなさそうなこと」を見極める力、そして、それに応じて動き方を選択する力の方が重要なのではないだろうか?



「分からない状態にじっと耐える訓練」を重ねるよりも、「分からないことを何とか分かるために行動する訓練」を重ねることの方が重要なのではないだろうか?


本当にいろいろなことをこの模擬授業体験からいただいた。


ありがとうございます。






~夜のお客(高知の「飲み会」)編~に続く

concert3concert32012/02/06 04:49毎日ありがとうございます。『「考えると何とか分かりそうなこと」と「一人で考えてもどうしようもなさそうなこと」を見極める力、そして、それに応じて動き方を選択する力の方の方が重要』は全く同感です。また,『学び合い』体験の心情を事細かに綴っていただき,ありがとうございました。他の先生方からも,「体験がよかった」「子どもたちの気持ちがよくわかった」と言っていただきました。今後の高知県が楽しみです。

jun24kawajun24kawa2012/02/06 06:47続編、楽しみにしています。

maya-1maya-12012/02/06 08:53何回も繰り返し読ませて頂いています。

daitouirukadaitouiruka2012/02/06 13:31concert3さん、ありがとうございます。
授業体験は私も高知で会をするときに、参加者に受けていただいたことはありますが、受ける側ではありませんでした。
また、tomkickさんのご案内で兵庫にいらっしゃっていたMizochi先生の国語の模擬授業を受けさせていただいたのですが、そのときは伝えたい自分の考えがいっぱい湧いてきたので、貴重な体験ではありましたが、今回のものとはまた違ったものでした。
それぞれに楽しく、たくさんの気づきがある模擬授業体験になりました。
教師は「教えるだけ」の人になってしまってはいけませんね。
やはり、学ぶ立場にもいないと、学ぶ側の思いがわからなくなってしまいますね。
jun24kawaさん、ありがとうございます。
高知でこういう研修会が行われたことは本当にうれしいことです。ご報告、続けます。
maya-1さん、ありがとうございます。
「何回も繰り返し」なんて、書いたかいがありました。
躓く子の気持ち、実感しました。
私自身、上記のように算数・数学は苦手な方で処理も遅く、自分にいらいらしたり、腹が立ったりしていたことを思い出しました。
解こうとしても胸のあたりがもやもやとふさがってきて、何とか打ち破りたくてもがんじがらめにされているような無力感。
それを思い出していました。
でも、今回、すがる仲間がそばにいる安心感がありました。
参加させてもらってよかったです。