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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2011-12-20

期待の人 18:23

学び合い』の良さについて語り合える人がまた一人増えた…といっても、以前からの知り合いなので、『学び合い』をする仲間としてという意味で。

県外だけど…。

先日の心理学のワークでご一緒したまだ若い岡山の中学校男性教諭。

理科が専門。

見た目はとってもにこやかで腰の低い印象だが、心理学会の中でもいくつか論文を書くなどして好評価を得ている力のある人だ。

学び合い』の授業で、例えば、場面緘黙の生徒が自分から動いて友達と話しながら勉強しだすなど、さまざまな良い手ごたえがあるらしい。


野球の部活のお話もおもしろかった。

様子を見て、課題などを部員に伝えアドバイスなどもするが、それを選択するかどうか、選択したとしていつから練習に取り入れるかなどは部員達に任せているそうだ。

そのようなことは、学んでいる心理学の特徴でもあるので、おそらく『学び合い』をする前から取り入れていたのだと思うが、まさに自分達で「学び合う」という感じになっていると思う。

やらされるのではなく「自分たちでやる練習」になっている。

私と同様、授業以外ではわりとそのように出来ていると思っていたのだが、授業ではそのように出来ていない自分に矛盾を感じていたところで『学び合い』を知り、ひかれていったようだ。

なんとその部は当初それほど強くはなかったのだが、2年ほどで優勝するようになったという。

武術の考えをバスケットボールの練習に取り入れて、自分たちであれこれ工夫し、検証しながら強くなっていった桐朋高校のことを思い出した。


他の指導者達から「どんな指導をしたのか教えてほしい」と問われるので、上記のような説明をしたのだが、あっさりとは信じてもらえないらしい。

…まあ、そうかもね(笑)。


公教育でなされる部活は、単に技術が身に付いたとか、良い成績が残せたということが一番ではなく、仲間とともに課題を乗り越えていく力を養っていくことだと思う。

単なる選手養成機関ではないのだから。

その点が抜けていたらいくら強くても私としては価値も魅力も感じられない。

かといって、結果に全く変化が起きない場合もまた、本当に「仲間とともに課題を乗り越えていく力」が育っているのかを疑ってみないといけないだろう。

これは自戒をこめて。


ともあれ、結果「も」ちゃんと出している頼もしい仲間が増えた。

2011-12-18

心理学のワークでも 22:49

心理学のワークに参加。

新たな収穫もあり充実。

すごく難しいと思っていた技法が、講師の先生が紹介してくださった新たなアプローチの仕方から、ぐんと分かりやすいものになっていた(もちろん私にはわからないその先のもっともっと奥があるのだが)。

しかし、その深い部分にもさらに近づいていけた気がしたのは、そのアプローチの仕方をふまえてグループのワークをしたときだった。

グループの中に『学び合い』のようなことが起こってきた。

クライアント役の人の提出してくれるエピソードを分析していくとき、私のような素人ひとりの解釈ではどうしても一面的になるところが、他のメンバーの別の解釈と、エピソード提供者本人からのフィードバックが重なり、グループの中でどんどん深まっていくのだ。

とても心地よい発見のある時間があっという間に過ぎていった。

講師の先生も各グループを回って少しずつ入ってくださったりするが、基本的に参加者に任せている感じだった。

ワークの後も講師の先生は「全て自分がコントロールし、進めていくよりも、参加者に任せることでそれぞれが充実していくように思う。」というようなことをおっしゃっていた。

自分が授業するときのヒントにもなった。

2011-12-17

掃除のおばちゃんの名前 11:14

同じ部屋で勤務していて、教員としては私のだいぶ後輩にあたる補導センターの教員の話。

会話の中で外部から職場に掃除をしにきてくれているおばちゃんのことが出た。

「○○さんがね…。」

というように、彼は名前で呼んで話していた。

自分は知らなかった。

「ありがとうございます。」

「水が冷たくなりましたね。」

ぐらいの声はかけていたんだけど、名前まで知らなかった。

まあ、わざわざ聞くのもなんかへんな気もするけど、でも、彼は知っていた。

私にはこういうところが欠けている。尊敬してしまう。

整理整頓 11:02

後1学期を残し、2年間の研究員生活が終わる。

あれこれ頭に入ってきたことが、まだ頭の中でとっちらかっている状態だ。

どうまとめ、どう削るか。


見えてきたことがある。

だから、かえってやりにくくなったこともある。

それまでは野原の道と思って気にせず歩いていられたのに、実は両側が切り立った崖だったことが見えて急に歩けなくなるような…。

見えずに歩けているのと、見えているのに歩けているのでは、外見上は同じに見えても雲泥の差がある。

しかし、今までより行動が起こしにくくなってしまったのではせっかくの2年間が無駄になる。

動いてみてから考えるってことも大事。


逆に見えなくなってしまっていることもあるはず。

不安で夜ふと目が覚めてしまうこともある。


bunbunさんに言われる。

「教師はまじめ過ぎる。」

もちろん全ての教師がそうではない。

私も常にまじめというわけではないが、変に融通が利かないことは確かにある。

一つのことが気になって他のことができなくなる。

「すべきこと」だけで一日が回っていく。

いや、実際は時間はつくれるはずなのだが、結局気持ちの切り替えが利かず無駄な時間を過ごしている。

他のこともきちんとできることが仕事の充実に繋がるというのは、ことばでは分かっている。

いや、そういう体験もしてきたのに、今なぜか余裕がない。

もっとワクワクしよう。


まじめで仕事ができない人間は、ふまじめで仕事ができない人間よりも、ある意味タチが悪い。

「これ以上がんばれない!」って勝手にイライラするし、まじめなんだから周囲の者も責められない。

2011-12-03

そう見えるのか 13:17

教科の研究においてかなり尊敬しているある方の本を読んでいて『学び合い』を否定する文章があった。二重カギカッコはついていなかったが、文面からするとおそらく『学び合い』のことを念頭に置いているように見えた。

どの程度文献等にあたった上での批判なのかは不明だが、

どうやら…

・『学び合い』は教材に対する教師の理解や研究は必要ないと思っているようだ。

・「教えない」ということを「全く何もしない」「教師としての資質は何も必要ない」ととらえいるようだ。

・「教える力」を「教師1人」と「子ども1人」とで比較しているようだ。

・教育を教師の持つ教科の知識やスキルを伝えることのみとして考えているようだ。

・コミュニケーションをとっているかどうかのみを重視し、課題を達成することは二の次としていると思っているようだ。

・教師は評価もしないと思っているようだ。


普通の方にはそう見えるんだろうなと改めて知らせてもらえたとも言えるし、なにより自分自身油断しているとその通りになってしまっていることへの戒めにもなった。

そして、「考え方」についてほとんど学ばず、上記のようにとらえて少し「実践」してみて、あるいは上記のようにとらえて「実践」している人を見て「やっぱりだめじゃないか」と評価する人もこれから多く出てくるだろう。

まあ、ちゃんと理解したうえで、それでも受け入れない人も多く出てくるだろう。