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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2009-04-28

研究授業を引き受けた 00:44

町の教育研究会で、「今年度の授業者」を決める時、だれもがあれこれ理由をつけて引き受けたがらないことが多い。

今回もいつも通りそんな雰囲気になり、私に「どうですか?」とふられた。

「普段やっている授業で自由にやらせてもらえるなら」ということで、やらせてもらうことになった。

学び合い』についてアピールするチャンスだと、前向きにとらえて当然だと言われるかもしれないが、やはり、二の足をふんでしまう自分がいる。

日記の冒頭に授業を見合うことを呼びかけてはいるものの、今回のお相手は別に『学び合い』を見たいという方ではないわけである。

しかし、『学び合い』を知る以前ならこれほどあっさりとは引き受けられなかっただろう。

とりあえず『学び合い』という考え方に基づいた授業だということは伝えておいた。

授業の前に『学び合い』の超短縮版の手引き書か何かを配り、『学び合い』とは何かについてもお知らせしなくてはいけないと思っている。

学び合い』について興味があるわけでもない方々なので、それでも長いと思われ、全く読まれない可能性もあるので、もっと短い方が良いのだろうか?

保護者向けに書かれたもっと短い資料を作られていた方もいらっしゃったので、それを参考にした方がよいだろうか?

(どなたか、どのような配付資料がよいか、アドバイスをいただければうれしいです。今まで似たような状況で授業なされた方もいらっしゃると思います。)

いくらか、研究の為の資料として、書籍も買ってよいとのことだったので、私個人は既に持っているのだが、『学び合い』に関するものを購入させてもらおうと思っている。研究所保管になるもので、その後も誰かの目に触れることを願って。

授業を引き受けた後、「学びの共同体ですか?」と聞いて来られた方がいたので、「いえ、それとは違います。」と答えておいた。

今年度、学校内のちょっとしたことから社会科の部会に入ってしまっただけで、特に今まで社会科について研究しているからというわけでもない。

いや、それどころか全く初めて入った部会である。

クラスの子ども達はと言えば、特にアンケートをとったわけでもないが、社会科の授業が「楽しくなった」と言ってくれている子もいる。

学び合い』を始めたばかりのころ、「へー。こうやってみると、社会の授業もおもしろ~い。」と言い、うちの人にもそうやって伝えていた子もいた。

急な事情で社会科の授業ができなくなった時など、「え~。残念ー。」とか言う子ども達もいる。

しかし、しかし、である。私自身はまだ『学び合い』が出来ているという感じにはなっていない。

社会科の『学び合い』は、これだ!という感じには、自分自身でとうてい思えていない段階である。まだまだ迷いながらやっている感じである(それを言うと、他教科もであるが…汗)。

引き受けた時点では「こうやって自分を追い込んで、もっといい『学び合い』になるように努力しよう。」という気持ちもあった。

同時に、いい『学び合い』になるようにと変に意識し、操作をしてしまって、子ども達の『学び合い』を邪魔してしまわないよう、気をつけねば!とも思っている。

私自身、もっと多くの同志の方々と『学び合い』をして、『学び合い』の考え方を我が身に染み込ませなければならないと思う。

同志のみなさん。ますますよろしくお願いいたします。

bunbun-hbunbun-h2009/04/29 08:31「こうやって自分を追い込んで、もっといい『学び合い』になるように努力しよう。」
研究授業を(前向きに)引き受けられたことで子ども達も同じように思い始めるのではないでしょうか。
良い『学び合う』クラスになっていくと思います。

daitouirukadaitouiruka2009/05/02 22:59bunbunさん、ありがとうございます。
なんとかいい方向に向かっていけるよう、環境を整えていきたいと思っています。がんばります。

bunbun-hbunbun-h2009/05/02 23:13私もがんばりますよ。

2009-04-25

学び合い』の成果が思ったよりあがらないと感じたとき 06:55

どこか、昨年度の子ども達の「よかった部分」とだけ比較している自分がいるのだろう。

今年度は今年度。新たな気持ちでいかないと子ども達に失礼だ。

算数で、まだ単元のテストはしていないが、計算ドリルなどのできばえを見ると、まだまだ80%もわかっていない子ども達がたくさんいるようだ。

今年度は『学び合い』についての保護者への説明も、昨年度よりもっとしていこうと思い、通信や家庭訪問でもその良さについてアピールしてきたので少し焦ってしまっていた。


そんなとき、この日記で前述の、「昨年度半数の子どもを担任していて今年度私のクラスに入ってくれている先生」が、そんな私を見て、

「先生、何をそんなにあせっちゅうが?この『学び合い』はホンマにええって。勉強ほとんどせんかった子らがみんなやる気になっちゅう。字もビックリするくらい丁寧になった。表情もよくなった。友達関係も。今はまだ家庭訪問期間中の短縮時間割でじっくり勉強できてないし、なによりまだクラス替えがあった新学年になって1ヶ月もたってないがぜ。それ思うたら、すごい変化ぜ!」

この先生は、他の同僚の先生や保護者にも「先生(イルカ)の指導はええで。自分が受け持っちょったときとは子どもらの姿が違う。指導者でこんなに変わるもんやねー。」と、言ってくださっている。なんて心の大きな人なんだ!!!


確かに『学び合い』をやめて以前の授業にしたらもっとよくなるなんてとても思えない。

なにより当の子ども達が支持してくれている。

また、今年度になってのよい変化についてもすでにいくつも家庭訪問先できいている。


「教師の一分」のmunehiroさんのブログにあったテスト結果も見て、少し目が覚めた。

そうなんだ。

まだ始めたばかりなんだ。

その結果をもとに次にみんなでどうすれば良いのかを考えていくことが『学び合い』じゃないか。


少し…いやかなり焦っていた。


校内に、全国に、共に学び合う仲間がいることは、本当に本当にありがたい。

jun24kawajun24kawa2009/04/25 08:43あと、2年目にありがちな失敗があります。
自分が『学び合い』脳になると、子ども達は『学び合い』がもう分かっていると無前提に考えてしまいます。そうすると語りが良くなったり、悪くすると省略します。それを注意してくださいね。

daitouirukadaitouiruka2009/04/25 10:38ありがとうございます。
「自動化」の罠に陥らないよう、いつも新鮮な気持ちでいられるよう心掛けます。

ghjalghjal2009/04/25 15:09>確かに『学び合い』をやめて以前の授業にしたらもっとよくなるなんてとても思えない。
本当にそう思います。今は『学び合い』お試し期間的な自分にとって、「語り」は執拗に繰り返しているみたいです。なるほど、「語り」の大切さ。今後も大切にしていきたいと思います。お互いに頑張りましょう。

janglejapjanglejap2009/04/26 09:18西川先生のコメントを自分のことと感じました。daitouirukaさんのおかげです、ありがとうございます。
「先生(イルカ)の指導はええで。自分が受け持っちょったときとは子どもらの姿が違う。指導者でこんなに変わるもんやね」・・・・こんなふうに言ってくれる同僚がいらっしゃる、ということなかなかあることじゃないと思います。素晴らしいですね!

aki-kichiaki-kichi2009/04/26 09:22私も2年目の慣れに奢らず,子どもたちに
真摯に向き合って実践を進めていきたいと
思います。共にがんばりましょう!

daitouirukadaitouiruka2009/04/26 11:53janglejapさん。きちんと付き合わないとその人の良さが十分に分からないところがありますよね。むしろその全く逆に誤解していることとか。その同僚の先生、同じ職場になって3年目になるのに、今年になって同じ教室にいるようになってやっとその先生の情の厚さとか、優しさとか、子どもの見方の鋭さとかが強く伝わって来たような気がします(今までそうじゃなかったという訳ではないのですが、より強く)。
今まで、きちんと付き合うまではあまり好きなタイプではなかった先生(むしろ全く逆の価値観で合わないと思っていた)が、よく話してみるとその人の生き方や価値観にも共感出来るところがあったり。
『学び合い』でも、違う考えの中に宝物があると子ども達に言っています。自分もそうでないと、と思えるようになってきました。…とは言え、やっぱり始めは気合いがいりますけどね(笑)。
でも、子どもも、普段接していない友達と始めに接する時はそんな緊張感があるということを意識しないといけないんだなと改めて思いました。
ありがとうございました。

aki-kichiさん。
今までは、「慣れるほどいい」という感じでしたけど、『学び合い』の考え方を知ってから、改めて諺の「初心忘るるべからず」の意味をとらえなおしています。
共に!!!

munehiromunehiro2009/04/27 21:06私も半分が『学び合い』DNAを持った子達だからもっとできる。と思っていました。でも、すべては関係性なのだと思います。
 半分いたって、みんながみんなを意識するまではやっぱり語りが必要だし、課題があるし、この課題を子どもたちが乗り越えていくところに『学び合い』の醍醐味があるのだと思っています。

bunbun-hbunbun-h2009/04/27 21:41すみません横槍です。
munehiroさん、そうなんです。
すべては関係性なんですよね。
そしてこの課題を大人(私のこと)も乗り越えていくところに『学び合い』の醍醐味があるんですよね。
そうであって欲しいと自分に望んでいる今日この頃です。
(すみません、お借りしちゃった)

daitouirukadaitouiruka2009/04/28 04:20munehiroさん、bunbunさん、ありがとうございます。そうですよね。全くの0状態でないとは言え、新しい集団であることには変わりないのですから、また語っていかないといけませんよね。
自分自身にも『学び合い』の考え方を言い聞かせるように、また語っていきます。

2009-04-22

卒業生が中学校で担任の先生に話したこと 02:39

私が昨年度受け持っていた卒業生A女の弟を隣のクラスの先生が受け持っている。

その先生が家庭訪問中にA女のお母さんから聞いた話。

隣の先生も『学び合い』に共感し取り組んでくれはじめているので、『学び合い』の話になったらしい。


中学校で担任になった若い女先生が、

「何でこのクラスの人達はこんなに男女の仲が良いいの?」

って聞いたらしい。

するとすぐにA女が、

「それは、私達が小学校で『学び合い』をしたからです。」

と答えたらしい。

(うちの小学校は地域で最も大きな学校で、クラスの大多数をしめているため、クラスへの影響も大きいと思われる。)

「『学び合い』って何?」

その先生の問いに、

「それは、もし勉強がわからん人がいたら、みんなの力で助け合ってみんながわかるようにするがよ。」

というふうに答えたそうだ。


その話を聞いたとき背筋がぞくっとした。

嬉しくて…。


私がずっと抱えていた課題。

卒業後もたくましく生き生きと進んで行ける子どもを育てること。

私の手を放れた後、元気がなくなって学校に行けなくなる子がいることに、何とも言えない無力感と自責の念を持ってきた。

「小学校の方がよかったよ。」

「先生(イルカ)の方がよかったよ。」

自立を望むようなことを口では言いながら、どこかでそんな卒業生の言葉を嬉しがっていたちっぽけでエゴいっぱいの自分から、私自身が卒業できた気がする。『学び合い』に出会ったおかげで。


早速A女のお母さんに電話をかけて直接お話を聞いた。

「ええ、そうなんです。小学校よりも楽しいって言っています。」

一瞬、「えっ?小学校よりも楽しい?」と焦った。いやいや、ヤバイ。また以前のエゴな私が顔を出しそうになった。

小学校が楽しくなかったと言っている訳ではないのだ。

学び合い』をしてきた自分達を誇りに思い、その効果を認めた上での話なのだ。いい小学校生活があったからこそ、今の,より楽しい中学校生活がある。そういうことなのだ。


「前も楽しかったけど、今がもっと楽しい」。そして、「今よりも明日の方がもっと楽しい予感」を持って生きていける人生を、仲間と共に『学び合い』、支え合いながら送っていける子ども達を育てているんだ!!!という実感が、お母さんと話して改めてわきあがってきた。

当たり前に考えてみれば、自分だってそんな人生を望んでいるじゃないか。


子ども達は『学び合い』の文化を持って中学校へ進んでくれた。

jun24kawajun24kawa2009/04/23 05:48私は泣いています。嬉しくって。
小さなエゴの先には、もっともっと先がありますよね。
そして、次の一手があるはずです。期待しています。
あと、ヘッダーに「汽車」とありましたが、電車ですよね。あはははは

munehiromunehiro2009/04/23 21:01まだ、こんな素敵な経験はしていませんが、共感で泣けます。

daitouirukadaitouiruka2009/04/23 22:01jun24kawa先生。
本当に長い間縛られていたつまらない鎖から解放された気持ちがしているのです。ありがとうございます。
次の一手。中学校の先生にも声をかけてみるつもりです。
昨年度最後の人権教育研究会でも『学び合い』について周辺校にアピールはしていましたので、ほんの少しずつ私の周辺でも『学び合い』が認知されてきているのではないでしょうか。
全国で精力的に活動されている方々に比べたら本当にちっちゃなアピールですが…。

ところで先生、高知県の田舎度を侮られてはいけません。
間違いではなく本当~に汽車なのです。さすがに蒸気ではありませんが(笑)。
電車は高知市あたりを走っている路面電車だけです。
一度、汽車の旅をしにおいでになりませんか?
…って、今のところそんな時間、ありませんよね(笑)。

munehiroさん。経験していないなんて、そんなことはないはず!今年度もお互い、泣ける話、どんどん集めていきましょう。

ima-kiyima-kiy2009/04/24 00:08「ちっぽけなエゴ」のくだり、非常に身につまされました。心に刻みます。

bunbun-hbunbun-h2009/04/24 00:09コメント欄をお借りして・・・
jun24kawa先生。昨年夏、鳥取~益田間に乗られたのも電車ではなく汽車(蒸気ではなし)のはずですよ。(どうだ、高知には負けないぞ)

daitouirukadaitouiruka2009/04/25 06:08ima-kiyさん。コメントありがとうございます。
「子どもにとって自分が一番でなければいやだ」っていうちっぽけな心は、子どもの成長を目指した他の先生方とのよい協力関係のためには、どこかで妨げになってしまうような気がするのです。
教師の『学び合い』にとっての妨げ。
『学び合い』の考え方でいけば、「自分がどの子にとっても一番」なんていう状態っていうのはかなり無理があるということではないかと思います。

bunbunさん。そうですよね。高知だけではありませんよね。全国にどのくらいあるのかは知りませんが…。

2009-04-21

音読発表会での成長 01:10

音読発表会に向けて、グループでの練習を続ける毎日。

一つのグループが、A女が泣き出して練習にならなくなった。

「私が一生懸命声を出しているのに、B男が『小さい。もっと出せ。』と言う。」

とA女。

「参観日の発表会も参加しない。」

と言って、発表二日前、教室にも入って来られなくなった。

(まずい。)

私は内心焦った。

初めての参観日。トラブルのため参加しないという子がいる。

(参観授業の中身を変えようか?しかし、一部のトラブルのために全体の予定を変更してしまうことにより、この子達は何を学ぶのだろう?個人間の意地の張り合いのような感情を優先し、みんなが目指しているものを断念することではないか?)

ここが踏ん張りどころ。

「みんなの力で何とか出来るはず。みんなの力は先生一人の力なんかより、もっとずっと強い。先生は音読をすることそのものをみんなに求めているのではない。いい音読を目指してみんなが協力することを通して、人として成長することを求めているのです。」

子ども達がその子のところに行く。

懸命に話しかけている。

今までの私なら、授業をストップして、全員で、といっても、私が中心になってそのことを話し合っていたと思う。

学び合い』を知ってからはその部分が変わった。

「あなたが悩んでいることはわかる。でも、そのことにより、みんなが授業をすることをストップする事はできない。このままこの時間は、予定通り算数をします。きっとあなたは乗り越えられるはずです。この遅れた分は、後でなんとか取り戻してください。」

結局その時間は入って来られなかった(A女は、以前もそんなことがあったらしい。そして、これはよいことかどうかはっきりとわからなかったが、前回紹介した、教室にもう一人入ってくれているA先生がついて、隣の空き教室で勉強を見てくれていた。これは私のお願いではなく、A先生の判断であったが、私は何も言わずまかせることにした。)。


二つのことを考えた。

一つは、私が授業をやめ、説得に時間をかけることよりも、算数の授業にうつったことは、A女を追い込まず(今までなら私の「善意」で追い込んでいたように思う)、気持ちを切り替えるのにかえって役に立ったであろうということ(自分の感情が世の中の最重要課題ではないという無言のメッセージ)。

もう一つは、私ではなく、「あなた達なら乗り越えられるはず」と、なかまで解決していくことを促したことで、A女に(なかまのメンツはつぶせない)という気持ちが働いたのではないかということ。それに比べ、出会って間もない教師のメンツをつぶすことは、わりと簡単にできると思う(笑)。


次の時間からA女は入って来た。

音読の練習にも何とか取りかかった。

その日の練習後。

「今日、B男は、私にいやな言い方せんかった。」

とわざわざ私に報告しに来てくれた。


ここで、よけいなことかどうか迷ったが、一つの山は自分たちで越えたと思い、みんなに語った。

「B男は決して悪い心でA女に大きな声を出せと言ったのではないことはわかるね。いい音読発表会にしたいという思いからです。ただ、それをどう伝えたらいいかを考えたほうがよかったかもしれないね。B男はA女と去年も一緒のクラスで、A女が音読が苦手なのを知っている。そのことを知った上でどう声をかければ、A女ががんばれるか、考えられたのではないだろうか。B男はA女が、参観日に参加しないとまで言いながら、家で読む練習を繰り返していたことを知っているか?(B男、首を横に振る)そのがんばりに気付こうとする気持ちがあったらよかったかもしれないね。一方、A女は、何も言わないままで(相手が分かってくれない)と腹を立てるよりも、私は音読が苦手だけど、こんな努力はしているからもうちょっとできるようになるまで待って、って伝える努力をすれば、B男もわかってくれたかもしれないね。それからA女は、はじめ、B男一人に対する腹立ちだけで、参加してやるものか!と思っていたかも知れないけれど、あなたを懸命に誘ってくれた人達、(A女と一緒にいい音読発表会をしたい)っていう、他にたくさんいる友達の心が見えなくなっていたかもしれないね。B男との関係で腹立ちを抱えたままでも、なんとかすべきことをこなしていかなければならないことなんて世の中にはたくさんあるのです。今回、それを、みんなの力でみごとに学んでくれたと思うのです。」

A女とB男の顔は晴れやかだった。


教師が何を語るべきか、語らないべきか迷う時がある。

私は今のところ、押しつけるかたちではなく、物事にたいする別な見方を示すことや、その行動にどんな価値が見いだせるのかという教師の考えを示すことは重要なことではないかと思う(ここのところはご意見がある方、いただきたいと思います)。

その次の日の朝提出されたA女の音読カードには、

「もう大丈夫です。」

との言葉が。

そしていよいよ本番。

大丈夫って言っているものの、やはり気になっていた。

A女の音読は、決して「朗々と」とは言えないものだった。

しかし、その裏にあるドラマはみんな知っている。

そして、A先生の話では、今までのA女よりも明らかに良い声が出ていたそうだ。

発表後の私のコメントで、実名は挙げず、参観者に対して次のように言った。

「不十分な声だと思われた発表もあるかも知れませんが、私が口を出さず、子ども達で乗り越えて来たものがその裏にはあります。子ども達同士はそれを知っています。音読だけではないとても大切なものを学んでいます。」

そして急遽、全員に今日の授業の一言感想を言ってもらうことにした。

大勢の参観者の前で、しかもいきなり言われて、自分の考えを発表するのだ。

「自信がなければまず友達に聞いてもらっていいです。分からなければ、まず友達が言うのを聞いて参考にしていいです。全員が言えるように動いてください。時間はどれくらいいりますか?…では三分間で。」

そして、全員みごとに言えた。

発表の苦手な子も。クラス替えがあって間もない初めての参観日で。

恐るべし『学び合い』の力。

A女の感想は…

「B男君が大きな声を出して頑張っていました。」

あとで聞くと去年までもずいぶんといがみ合いがあったA女とB男。

一つの山を乗り越えて、A女が授業の最後に一つだけ選んだコメントが、B男を認める発言。

また涙が出そうになった。


本当によかったー。子ども達の解決する力を信じて、「予定変更」しなくて!

bunbun-hbunbun-h2009/04/22 20:48はい、先生、意見です。
「押し付けるかたちではなく」のところがポイントだと思います。示すべきか示さないべきかということよりも、ここのところを自問し続けることが肝要だと思います。
(・・・と、とりあえずコメントしておいて、自分がしたコメントについても今から考えて見ます)

daitouirukadaitouiruka2009/04/23 01:22ありがとうございます。
子どもに受け取ってもらえるだけの語りかどうか。
決めるのは子どもですよね。
押しつけなければそれがその子にとって価値のあるものだったかどうかが、その子のその後の姿で分かる。

2009-04-20

始めから『学び合い』をすると… 21:59

それまでの子ども達がどうだったかが分からず、昨年度のように、2学期途中から始めた場合に比べてその劇的な変化が見えないのが残念。

贅沢な悩み(笑)。

しかし、今年度はある学校の態勢から、昨年半数の子どもを担任していたA先生が教室にいてくれている。

A先生のお話によると、驚きの連続のようである。

私としては、参観日の音読の発表会の声が「もう少し出ないのかな~」と思っていた子ども達について、

「○○や△△が、授業中教室の端まで聞こえる声を出したのをほとんど聞いたことがなかった。あれはすごいことながぜ。」

とか、

「□□が勉強しよる。しかも今日は友達に教えに行った。今までやったら考えられんことぜ。」とか。

その先生のおかげで、『学び合い』による子ども達の劇的成長について少しは知ることが出来る。

ありがたいことだ。

そして、『学び合い』の良さを認めてくださって、ともに成長を喜んでくれている。

そして何と、隣のクラスの女先生も『学び合い』の考え方に賛同し、取り組み始めてくださっている。

そちらのクラスの成長についても、やはり半数を担任していたA先生は同様に伝えてくださっている。

そして、3人でわいわいとそのことを喜び合いながら会話している。

「山陰からも…」さんにならって、あえて職員室でも楽しげに話している。

子ども達の問題を前向きに話していける職場。

子ども達の成長をともに喜び合える職場。

よい同僚を得て、私は本当に幸せ者だ。

2009-04-18

子どもの気持ち 20:07

日記の頭に書いているメールアドレスをとって自分のところに送れるようにするまでにアドバイスいただいた方達になかなかの手間をかけさせてしまいました。

ほんっとーにわけがわからないのです。


周りの人達にとって当たり前のように分かっていることが、なかなか分からない子どもの気持ちがちょっぴり分かった気がします。

そして、ずっと見捨てずにつきあってくれる人がいる心強さもやっとわかりました。

このこと、子どもに語ろうっと。


無能力であることの生かし方(笑)。

bunbun-hbunbun-h2009/04/18 23:48(私のコメント欄に続いて)
しかし何なんでしょう。
私のメールを受け取ることができたのに、送ることができない一方通行状態ということなんですよね。
こういうことには私、まったくお力になれない。
残念。

daitouirukadaitouiruka2009/04/19 00:11いえいえ。また、「分かっている人に習う」。これです。『学び合い』の基本を自分の体験を通して学んでいるところですね。

2009-04-14

大人の会でも 21:02

今晩、PTAの会に出席した。

役員さんの長と副がなかなか決まらない。

進行役の方がいろいろ言っても、なかなか意見も出ず、話し合いも深まらない。

長と副の対象になる方達がロの字型にした長机の1辺に座るかたちになっていた。これは意見も出しにくい。

進行役ではない私は心の中で(ああ、当事者に任せて、自由に立ち歩くこともOKにして、話しやすいように動けば、もう少し意見交換もできそうなのになあ…)とのどまで出かかっていて、言えないままだった。

そうしているうちに、進行役の方が

「私、ちょっと席を離すので、皆さんで話し合って決めていて下さい。」

とおっしゃった。

(今だ!)と思い、立ち上がって集まる事を促すような手振りを交えながら「どうぞみなさんそちらの方で…。」と言ってみた。

すると、集まって話を始め、ほんの1~2分で決定方法が決められた。

大人だってそうなんだ。

解決すべき当事者同士で知恵を出し合い最もそのメンバーに合った解決策を導き出していく。『学び合い』の考え方は、生きて働く力(知恵)。こんなことこそ小学生のうちから経験してもらっておく必要があるのだろうと、つくづく思った。

2009-04-13

広がり 06:00

今年度私が受け持っているクラスの半分の子ども達を受け持っていた先生が、今年度うちのクラスに所属する支援学級の子どもの担任になって私のクラスに入ってくれている。

そして盛んに、

「『学び合い』はええ。ええで。なかなか他の人にかかわれんかった○○が、自分に向かってにこっと笑うて、友達のところに行きよったで。」

「○○が勉強に加わったで。」

など、私と喜び合いながら(私も早くも涙ぐみながら)子ども達の様子を眺めている。

今年度は、初めから『学び合い』でやりはじめたので、この子達が去年どうだったのかは、その先生にしか変化の度合いははっきりとはわからないけれど…。とにかくいいらしい。

この子達は、実はあとの半数は去年『学び合い』の考えに賛同してくれて少し取り入れてくれていた先生のクラスだったので、初めの説明なども「去年○○先生が同じ事言いよったで。」と、納得しながら聞いてくれていた。

先日の飲み会で「先生のやっている『学び合い』というものを教えてくれませんか?」とも言われた。

前に授業を見せたとき、なんの反応もなかった先生なので、あまりこちらから追いかけては勧めなかった先生だったのだが、どうやら、あまりにも違っていてどうコメントしてよいやら分からなかったということらしい。

これから共に学べたらいいと思う。

こんなふうに私の周りでも少しずつ『学び合い』の認知が広がってきている感触がある。

ただ、ブログの頭にある「連絡先」について。本当にネット音痴で、昨日もアドバイスしてくださっている方の指示に基づいて(のつもり)5時間ほど取り組んでみたけれどだめだった(涙)。

PCって「あることをしようと思ったら、その前にあることをしておかなければならなかった。そして、そのさらに前に…」とか、ずっと取り組んで周辺のものを次、次…と買っていって、結局「その機種ではもともとだめだった」とか、そんなことが私の場合多すぎる。まあ、説明書を読む能力のなさなんだろうけど…。

広めたいのに、そんな初歩でつまっている。

アドバイス下さっている方にも本当にお手数かけています。すみません。

jun24kawajun24kawa2009/04/13 06:40どこのところが分からないの?
メールして

akkun-758akkun-7582009/04/13 22:31支援学級の子も含めて「みんな」を意識してくださっているのが、とてもうれしいいです。
もっと、多くの実践を期待しています。

ybhdv7ybhdv72009/04/13 23:07これから楽しみですね~
僕も頑張ります♪

daitouirukadaitouiruka2009/04/14 04:46jun24kawaさん、とりあえず今の状態をお送りします。
akkun-758さん、「みんな」ですよね。つい、あまりにも手のかかってしまう子に関しては、口では言いながら心の中では「この子の場合はちょっと目標を下げて…」というような考えがむくむくと起きてしまいそうになる自分がいます。子ども「達」の力を信じていきます。
ybhdv7さん。はい。楽しみです。ともに頑張りましょう。

2009-04-09

5年生担任になりました。 06:19

とても素直でかわいい子どもたち。

初日。

遊具の使い方で昨年までずっとトラブル続きだったのだが、その日も起こったので「みんな」で話し合って使い方のルールを決めた。

「どうすればこれからこんなトラブルが起きなくなるか、友達と話し合ってみんなが自分の意見を持てるようにする」

この課題を出した。

自分たちで設定した時間内に自分の意見の持てていなかった子、一人。

あまり伸ばすのはいけないと思ったが、学級開きの日でもあり「みんな」のほうを体験してもらいたかっったので「初めてだから特別に」ということで、「どうする?」と問いかけると、さっと数人がその子の周りに集まった。

そして、初日から全員が自分の意見発表達成!だって『学び合い』だから。

こうして決まったルール。

さて、翌日。

いつも「遊具の使い方でトラブルがありました」と訴えかけてきていた子が、「またあった。」という報告。

確認すると本人が昨日決めたルールにしたがっていない。

「じゃあ、だめやん。」

と他の子たち。

昼休み。

3階から遊具の方を見ていたら…、いるいる。どうするかな?

声はもちろん聞こえないが、数名のクラスの子たちもいっしょに見ていた。

なんと、順番を守って他の子たちとうまくやっている。

他の子が蹴ったボールを取ってあげたりもしていた。

「よかったねー。みんなで話し合ったかいがあったやん。」

とそこにいたみんなで喜び合った。

もちろん、後でクラスみんなにも報告した。

今年度の学級通信の名前は「MI☆N☆NA」。

いままでだったらちょっとありきたりでいやだな(使っている人、失礼しました。あくまでも以前の私の個人的意見)、と思うようなタイトル。

しかし、今年度、本気で大切にしたい言葉。

繰り返し使っていくつもりだ。

「みんな」で。

munehiromunehiro2009/04/09 17:11みんなの意味がだんだん深く深くなっていくのが楽しみですね。
今年もよろしくお願いします。

bunbun-hbunbun-h2009/04/09 20:233階から遊具までの距離を思ってぐっとくるものがありました。
「遠くからのまなざし」を現実に即して体験されているわけですから。
しかも、その体験を何人かの子ども達が共有しているというのですから。

daitouirukadaitouiruka2009/04/10 05:30munehiroさん,bunbun-hさん、ありがとうございます。
なかなかパワーのいりそうな子どもさんもいますが、みんなの力で成長につなげることに活用しながら乗り越えていきたいと思います。
今年もよろしくおねがいします。

2009-04-02

子ども達の、クラスの、自然治癒力 21:52

前の時間にあることがあって、気持ちの整理がつかないままの子どもがいた。

どのようないきさつでそうなったかはクラスのみんな知っている状態だった。

以前の私は、子どもが何か心の整理がつかないことがあると、すぐに接触し、そのことについて話をして解決してあげようと思っていた。または、懸命に説得しようとしていた。

授業時間を削ってでも、心の問題を解決しなければ先に進めないように思っていた。

しかし、教室は、できる限り実際の社会の縮図になるようにしたいと思うようになってきた。何かトラブルがあると、みんなが自分の方を見てくれて懸命に関わってくれるものだと思ってしまうのは、集団に対する信頼感が増すのでいいことだと思っていた。しかし、状況によっては、それも必要なときもあろうが、いつもいつもそれでは、世の中は自分の都合に合わせて動いてくれると思い込んでしまう弱い人間を作ってしまうのではないかと思うようにもなった。

そこで私は、そのまま授業に入ることにした。

初めA女は動こうとしなかった。

周りは無視ではないが、多少意識に置きながら、すぐにかかわりに行こうとはしなかった。

A女が動きだした。何をするかと思えば、算数の時間なのに、国語の学習を始めた。

そのことについて私は何も触れることはせず、全体を見ていた。

しばらくするとA女は席を立った。

周りが気になるようである。話しかけたそうで、話しかけにくい感じ。

周りの子の方も気になっているそぶりの子もいるけれど、戸惑いつつ様子を見ている感じ。

私は何も言わずに1か所にとどまって見ている。時に歩き回るが、その子のそばを通っても特にそのことについて触れることなく通り過ぎる。

そのうち、B男が私に近寄ってきて、「先生、どうする?」と聞いてきた。A女のことである。

私は逆に「どうする?」と聞き返し、そのままにしておいた。

B男は悩んだ様子でまた私から離れる。A女の方には行かない。

そのうち、またA女は立ち、教卓に集まっている子のところにスーッと入っていって会話に加わる。周りの子もごく自然に受け入れる。

私は、いいもんだなーと思いながら見ている。

そのうち、別のところでもちょっとしたトラブルがあり、落ち込んでいる子が出た(今日はなぜかトラブルが重なった。いつもというわけではないですよ、念のため。)今度はA子がその子のところに行って話を聞いていた。

目の前で、1時間の間に、子どもが他の子ども達との関わりの中で立ち直っていく姿を見ることができた。

そんな子ども達の様子を見ていると、なんだかクラスが一つの生き物のように思えてきた。

どこか怪我をしたところがあったら、体の必要な部分が働き、そこを治療し始める。だけど(重症なら別として)体の全てがその部分のみに関わるのではなく、日常の生活も並行して営んでいく。そんな感じに見えた。

正常な生き物、正常なクラスってそんなものだろうな、と思えた。まったく怪我や病気をしないわけじゃないけど、もししたなら、体の各部が支えあっていくイメージ。

ずっと以前の私は、クラスのどこかが怪我をした場合、「いつも」全てストップして総がかりで、治療に当たるのが温かくて良いクラスという感じがしていた。しかし、それではかえって弱い子どもをつくってしまうのだろうなと思うようになった(もちろん状況によっては必要)。


その子が、自分にとって重大な悩みは、いつもみんなにとっても重大な悩みであるという認識を持つことは、とても自己中心的で、弱い人間をつくってしまうように思う。

また、自分がこんなに悩んでいても世の中は回っているんだという認識は、人を癒し、勇気付け、強くもしてくれるように思う。

そういえば、人が亡くなったとき、悲しみに押しつぶされそうなのを救ってくれるのは、葬儀の準備に追われることだという話を聞いたことがある。自分自身もそうであった(きちんと悲しむ時間も必要だと思う。しかし、つぶれてしまうまで悲しむのはやはり困る)。

自分のクラスにいるうちはなんとかやっていけていたのに、私の手を離れてから学校にいけなくなった子どもたちを何人か見てきた。そして、自分の指導にかけているものについてずっと悩んでいた。


何か問題が起こったとき、手を出さず待つことの大切さを改めて実感させられた1時間であった。

ただし、放任ではなく、君達ならできるよっていう「信じてるオーラ」を出しながら。

bunbun-hbunbun-h2009/04/02 22:10「ありがとうございました」(Aさんになりかわって・・・)

daitouirukadaitouiruka2009/04/02 22:49Aがほんとに思っていてくれたら、ありがたいです。
Aも昨日中学生になりました。
本当に幸せに、そして、しぶとく生きていってほしいです。

ありがとうございました。

bunbun-hbunbun-h2009/04/02 22:51大丈夫です。
思っていなくても、感じてはいますから。

kogapon7kogapon72009/04/02 23:00私も、強い子どもを育てることを忘れないようにします。

ybhdv7ybhdv72009/04/03 00:40深いですねぇ!
でも、本質を突いています。
僕も見習います!!

daitouirukadaitouiruka2009/04/06 23:21みなさん、コメントありがとうございます。
家を離れていて、反応が遅れてしまいました。
さて、明日から新学期。
新しい出会いにわくわくしています。
正直、不安もあります…でもあえてわくわくです。
自分を盛り上げていきましょー!!!

2009-04-01

NHK「プロフェッショナルの流儀」 21:36

育てることをテーマにした先日の番組で、次のような内容のことが放映されていた。

つまり、脳科学的に見ても、やっぱり『学び合い』をするとよいということだなという思いを強くした(もちろん西川先生もおっしゃっているようなことだけど…)。

人を育てるには…

○あまり教えない。

・分からない状態が分かったという状態になったとき、ドーパミンが出て快さを得る。そして、次にまたその状態を欲するようになる。

○ひたすら待つ。だだし、観察しながら。

・観察とは、微妙な変化を見ること。微妙な変化は自発性の芽である。待てなかった分だけ、自発性の芽を摘むことだ。

・芽がどうしてもでなかったら?…ヒントを出すのはOK。それも、どこかに連れて行くとか、誰かに会わせるとか。つまり、環境を変えてあげることがよい。

○芽を見つけたら、その時、本気でアクション。


 知りたいと思った時に、脳の中のその空白を埋めてやるのが一番よい身に付け方。タイミングを逃すととたんに意欲が低下する。

 少し無理目の仕事を任せる。難し過ぎず、易し過ぎず。

 受験の時などに無理に詰め込んだりする勉強もあるが、それは持続可能な勉強法ではない。

 

 親のやるべきことと、子どものやるべきことの分担を決めておかなければならない。先の、どこかに連れて行くとか、人に会わせるというのは親がするが、そこから先は、子どもの課題。 脳は強制できない。

 

   挑戦する心を持たせるには…

○「安全基地」になれ。これなしには成長できない。

・「安全基地」とは、赤ちゃんにとっての保護者のようなもの。「安全基地」になるためには…

①やりたいことをやらせる。強制や指示はしない。

②応援に徹する。

③欠点も受け入れる。

④困った時こそ手助けする。

 大人から見て役に立たないと思っている子どもの行為でも、その子の脳にとっては、確認作業であり、必要なこと。こうするとこうなるというループをつくるために。

 「最初は無理にやらされたけど、後にその道の大家になる」という場合もあるがどうなのか?」

 それは、どこかの時点で自発性が出ているはず。ずっと「やらされて」いて大家にはなれない。「無理にやらされた」というのも環境の一つと考えられる。

 自発性というものは、常に育んでいなければならない。たとえば、音楽でだめなら別のものでいい、つまり「自発性」というものそのものを育んでいくことが大事。

 「自発性の回路」という、「やりたいと思ったことをやる」という脳の働きが前頭葉を中心にある。それを育てることが大事。何で育ててもよい。

②については、物理的に一緒にいる時間の問題ではない。脳の中にイメージができていればよい。たとえば、「母親とはこういうものであり、こういうときにはこうしてくれるものである」とか。

そのイメージを植えつけるには、首尾一貫してブレないことが大事。「母とはこういう人である」「父とはこういう人である」というイメージ。

物理的な存在よりも、脳の中の存在が大事。


   自分を育てるには…

○後悔のススメ

・後悔すると、眼窩前頭皮質の部分が活発になる。ここは、環境の変化に対応する「適応力」をつかさどる場所。

 単なる反省ではなく、クヨクヨすることが大事。「もし、こうやっていたら、こうなったのに…という「比較」が脳の中で行われるから。くやしい、悲しいというネガティブな感情が起こると、今後それをしないような方向に向かう。

「人生の感想戦(やった試合の振り返り)」をするのがよい。そのとき、

・具体的に振り返る。

・ある方を選択したということは、そこに自分の価値観が反映されているわけであるから、そこで自分の価値観を点検する。

 後悔は、未来を変えるためにある。

 育てることは、育てる側も育つ。


最後に茂木さんと住吉さんの、こんな言葉で終わった。

「私たちは、社会をつくっているでしょ。お互いに相手が伸びることを助け合うことで、一人で伸びるよりもさらに大きく伸びることができるんですよ。それが、僕は人間というもんだと思う。だから、お互いに相手を育てることを心がけるだけで、まわりまわって自分も一人でがんばるよりは、より大きく成長することができると。」

「勇気が出ました。」

「ね。お互いに育て合いましょうよ。」

「はい。」

「クヨクヨ」のクダリは、ちょっと誤解を受けそうな表現だけど、やっぱり非生産的な落ち込みを勧めているわけではないですよね。

ね。我田引水じゃなく、ほんとに『学び合い』と重なることが多いと思いませんか?

学び合い』しましょうよって言っている感じですよね?

kogapon7kogapon72009/04/02 22:59参考になりました。ありがとうございます。
見ておけばよかったと、クヨクヨしています。
再放送とかあるんですかね?

bunbun-hbunbun-h2009/04/02 23:38「農(あ、まちがった脳だった)は共生(あ、まちがった強制だった)できない」
酔わせてください今日だけは・・・
昨日また自らの・・・
ということがあってしまったのです・・・
現実は現実でどうしようもない・・・
やりましょうね・・・
(ごめんなさい、本当に)
(コメントってこんなに安易に書いて良いものなんでしょうか。イルカさん本当に申し訳ない。この続きは私のブログに書きます)

ima-kiyima-kiy2009/04/03 00:43僕も見ました。的確にまとめてくださり、ありがとうございます。
あまりにも『学び合い』と重なるので、本当に驚きました。
茂木さんが正式に『学び合い』を後押ししてくれたら、西川先生の言う「政治」はぐっとスムーズになりますね。

daitouirukadaitouiruka2009/04/07 00:24kogapon7さん、ありがとうございます。
ほんと、うなずきながら見ていました。
人気のあった回は、わりと再放送もしているのを見たことがありますので、要チェックですね。
bunbun-hさん、ありがとうございます。ブログ読ませていただきます。
ima-kiyさん、ありがとうございます。
実際に茂木さんが『学び合い』をご覧になったらどのようにおっしゃるのか興味がありますね。
以前、同じ番組だったかどうか忘れましたが、「学びの共同体」についてコメントされていたことがありました。どうコメントされていたかよく覚えていないのですが、好意的であったことは覚えています。