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イキイキすることと『学び合い』 このページをアンテナに追加

埼玉県高校社会科の教員の後呂と申します。 多様な生き方あり方が、イキイキと出来るようなクラスや学校を目指しています。 ushirokentaro※gmail.com ※を@に変えてください。

2018-05-02

学校は失敗できる場所

質問づくりの記事を見て、以前実施した時はうまくいかなかったなーと思い出す。

普段の授業でもそうなんだけど、失敗できない教室環境になっていないだろうか。

挑戦する気持ちを摘み取ってしまう、そういう雰囲気はどこからどうやって形成されるのだろうか。

2018-05-01

課題が簡単

もう一つうまくいかないなぁ、と思う原因として考えられるのが、課題が簡単すぎることです。

集団の状態によって学びの質は変わっていきますが、集団は少しづつ成長しているのでいつまでも同じような課題ではダメなんですよねぇ。


課題の量を増やす

範囲を広く

前時の学習内容とつなげる

抽象的な課題にする

いろんなパターンがあると思います。


でも難しくすることが目的化しちゃいかんですね。

頑張らないと終わらない

100%の個人の頑張りと

20%のクラスの頑張り

120%で頑張ってねと最近声をかけてます。


さーどうなるかな

5月に入りました。

GWの中日、部活動の大会や体調不良者が多く、空席の目立つ教室です。

なんともさみしーい!

授業者である僕は心と体が重ーい状態です。

もちろん生徒も似たような状態でしょう。

毎日集団の状態が変わっていくわけですから、学び自体もそれに左右されてしまいます。

いつも元気な集団とか疲れちゃいますしね。



4月からスタートした授業も1ヶ月が経ち、ようやく生徒の素が授業で出て来ました。

3人に説明する課題も、説明しないでサインをもらう生徒。

答えを写すだけの生徒。

ケータイで何か盛り上がっている生徒。


こういう行動に目がいってしまうのは、僕自身がそういう行動を目に入れようとする状態にあるんだと思ってます。


GWで心と体が重ーいからイマイチうまくいかないなぁ。(僕の状態は鏡となって生徒にうつる)

ん、あいつらーイマイチじゃないか!(ジロジロ)


ってことです。

それを自覚した上で、生徒の学びの環境整備を進めるためにはどうしたらいいかと考えなきゃですよねー。


ということで今日はこんなことを最後の5分で話しました。

「みんなは授業を始めて1ヶ月、随分と自分たちの学びを作っていけているように思うな。

わかる人はわからない人に、わからない人はわかる人に、お互いの力を生かしながら一生懸命学んでいる姿は素敵だなーと思います。

また一人でやっている人も一層懸命学ぼうとしているね。これもマグネットが動いてはいないけど、今できることに一生懸命チャレンジしている素晴らしいことだと思うなぁ。

つまりは自分らしく学べるようになって来たということだと思う。

階段を登って来たからこそ、今大事にしてほしいことがあるんだ。

今の時間、説明しないでサインをもらった人、あげた人。ただ答えを写していた人。関係ないことをして1時間過ごした人がいたね。

それは自分たちが望むクラスにつながってはいないでしょ?

そういう行動をみんなが許す、それは自分たちが損をすることに繋がるんだよ。

それだったら胸を張ってわからないとマグネットを動かさない方がいいんじゃないかな。

さ、GW明けにまた授業があるね。君たちはもっともっといろんなことにチャレンジできる。

たのしみにしてるね。」


課題にも改善点があったと思うので、しっかり僕は猛省し改善しなくてはいけませんね。

2018-04-23

急がない、焦らない

授業が始まって2週間が経ち、徐々に生徒も慣れてきたように感じます

マグネットも数枚づつ動くようになってきました



今年は全員達成を強調していないんですよ

無理して動かなさなくていい、わかるが大事で動かすことは結果だしねぇって



でもそしたら案外みんなマグネットを動かそうとするんですよ

一人も見捨てないよりも、全員がわかる授業にシフトしている感があるんですけど、目の前の生徒にはそれが安心感になってのびのびやっているようです


最後の5分では、ちゃんと一人も見捨てないの観点で評価してますけど、言葉に力を必要以上に込めないようにしています


ここら辺が、『学び合い』になっていくことを意識しているところです

2018-04-22

学ぶチカラ

高校の世界史とか日本史を受け持っていると、どうしても時数と範囲の兼ね合いが問題になってくるんだよなぁ。

でも仮にうまく網羅的に範囲を終えたとしても、学ぶチカラを生徒が身につけているとは限らないんですよね


どちらが先かと優劣はつけられない…わけはなくて、学ぶチカラを身につけさせないと教員のアリバイ作りの授業になってしまうというお粗末な話

一人も見捨てないを自問する

「転退学する」は見捨てている状態ではない、と思うんだけど、いろんなもやもやが残る。

集団の状態によっては日常茶飯事なこともあるが、勤務校はそうではない。

これは普通を求めているから故のもやもやなのか…

学び場は学校に限ったわけではないし、安心安全、自分の学びを求めた結果別の場所にある、というのは不思議ではない。



生徒同士はどんな気持ちなのだろう。

欠けると認識するのか、再構成されていくと認識するのか。

それは生徒の価値観が一人も見捨てないになっているのかどうなのか。

僕はなぜもやもやするのか。



学び合い』は万能薬ではない。

でも『学び合い』を  すれば  なんとかなると盲目的に信じている僕がいた、ということをメタ的に認識しております。

これは『学び合い』をするからなっていく、という前のポストにつながるわけです。

2018-04-18

『学び合い』をするではなく、『学び合い』になっていく

先日の川越『学び合い』の会でのクリーンヒットワードです。

まさに『学び合い』は考え方である、を体現する言葉だと思います。

これを心において授業に臨んだところ、授業者としてとてもゆとりある状態になれました。