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イキイキすることと『学び合い』 このページをアンテナに追加

埼玉県高校社会科の教員の後呂と申します。 多様な生き方あり方が、イキイキと出来るようなクラスや学校を目指しています。

2017-02-17

「高校地歴の課題は生徒が動かないのですが」という質問について

13:12

学び合い』を実践している先生から、タイトルのような質問をいただきました。

いい機会だったので、自分なりのお返事を考えてみました。




まず、生徒が動く・動かないについて、これは大事なことではないです。

授業の目標は「生徒を動かすこと」ではありません。

「全員がわかる」という目標に向かいながら、その過程の中で協働の必要性が生まれ、結果として生徒が動いてしまうのです。



意図的に動かすような課題を設定することはできます。

「〇〇(例:江戸幕府の外交政策である四つの口)について、3人に説明して納得もらえたらサインをもらう」などの課題を出せば、サインをもらうために生徒は動きました。


ただ、なぜサインをもらう必要があるのかといえば、課題を理解するためにはそれ程のアウトプットが必要であるからです。

生徒が話し合う、関わることは、あくまでも目標にたどり着くまでの過程で、生徒が必要であると感じた時に生まれるものです。



よって、動く・動かないことに注目するのではなく、全員がわかっているかどうかに注目することが大事です。




次に地歴科目について、独特の教科の特性があります。

この地歴科の特性が、生徒に「学び合う必要がないと誤解させる可能性」を生んでいると私は感じています。

地歴科目の教科書は、網羅的に内容がビッシリ詰め込まれています。

そして受験ではその網羅的な知識を答えられるかどうかを問われています。

極論、一問一答ができるかどうかが求められているのです。


こうした状況で、生徒は全員がわかるという状態が、全員が穴埋めに答えを入れられる状態であると誤解します。

その穴埋めの答えは教科書に太字になっていますから、抜き出す力があればいいので学び合う必要性はないのです。

意味や意義、因果関係はわからなくても良い、つまりはわかったふりでもなんとか点が取れる教科なんです。



私はここに詰めていくポイントがあると考えています。

地歴科目でわかる、できるとは何だろうか。

わかった状態とは生徒がどのような状態にあるのか。


これを考査で求め、課題で取り組んでいけば、自ずと学び合う地歴科の授業になっていくのではないでしょうか?