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峰本のくもり時々「学び合い」日記

2010-12-22

[]「刎頸之交」が終わった! 11:34

 2組での授業。「刎頸之交」を快調に口語訳する。どんどん口語訳をさせ、漢文の句法テキストを参照させて訳し方を確認させ、口語訳を修正させる。単調で、中には居眠りをした生徒も出てしまったが、ある面、こうした漢文の口語訳のスタンダードな方法を刷り込ませるのも大切なことなのかな、と思う。これが分かれば自分で口語訳ができるようになるだろう。

 登場人物たちの細かい心理劇は残念ながら来年に持ち越してしまった。次は平家物語だ。

2010-12-21

[]百人一首かるた練習の最後 02:38

 10組の授業。かるた練習の最後を飾るのは我がクラスである。

 セミナーハウスの和室に彼らを連れて行き、今日は55分授業で短かったが、かるた会を楽しんだ。このクラスにしては意外にも、かるたを読む合間合間に静寂が訪れることが多かった。他のクラスでは一つの歌を詠み終わると、なかなか生徒のざわめきが収まらなかった。かるた会でもクラスの個性が表れる。ただ、10組はもっとがやがやとなるかと思っていたので、少し意外だった。

 さて、これでかるた会の練習は終わった。もう少しやってやりたいとも思うが、致し方あるまい。1月11日が本番である。彼らはどんなチームを編成してくれるのかな。

2010-12-20

[]「刎頸之交」の授業 07:08

 2組での授業。2組だけはどんどん授業があって進んでいく。困ったものだ。

 「刎頸之交」をどんどん解釈させ、重要語や句法の説明をしていく。順調である。生徒は何となくだるそうに見えるけれど……。

2010-12-17

[]百人一首100首を約3回読んだら疲れ果ててしまった 07:46

 2組と8組の授業。今日は2クラスとも百人一首かるた練習会である。セミナーハウスに生徒を来させて、畳の部屋でかるた会を行う。本当に、他の授業でこの部屋を使えないかなぁ。畳の部屋で授業をするのはすごく良いかもしれない。

 各クラスともまずは対戦を1回行う。そして2回戦を行うが、どちらも時間切れで途中で終わってしまう。だいたい50首前後は読むのかな。つまり、合計して約300首、私は声を張り上げて歌を朗唱したわけだ。

 今日は2組が3限、8組が4限と昼休みを挟むとはいえ連続していたせいだろうか、それともやはり寄る年波か、8組の授業の途中から全身に疲労を感じてきた。授業が終わった後はもうへろへろになってしまった。いやはや、朗唱は体力を使うのだね。

 来週の火曜日は同様に2クラスでかるた練習を行う予定である。だが、これでは到底体が持たない。CDを使って朗唱を聞かせることにしようかなぁ。まさかこんなところで体力のなさが露呈するとは。困ったものである。

2010-12-16

[]「刎頸之交」に至る活躍を見よ

 2組での需要。今日は予定を変更して教室で授業をする。漢文「刎頸之交」を扱う。

 教科書ではまさに「刎頸之交」の箇所しか取り上げていないので、そこに至るまでの話を『十八史略』から切り貼りプリントを作成して生徒に示す。

 しかし、やはり『十八史略』は簡略本なのだね。話の流れは分かっても、『史記』のような血湧き肉躍る興奮は伝わってこない。生徒も、4限だったせいかひどく眠そうだった。私の示し方も今ひとつ良くなかった。

2010-12-14

[]採点驀進中! 23:33

 2組での授業。しかし、今日は採点が終わったテストを返し、解説をした。その後、百人一首のテキストを開かせ、歌を覚えさせるとともに、歌の解説や文法事項の確認などの学習をさせた。これをもっと自由にさせると良かったかな。

 今週中はかるた取りの練習など、普段とは違う授業が展開される。それもまた良し。

2010-12-13

[]かるた大会練習進行中 22:12

 2組での授業。だが、このクラスもかるた大会の練習を行う。まだまだテストの採点が終わっていないため、しばらくこのままだなぁ。

 それぞれのクラスはそれぞれの表情を見せる。そして、こうしたかるた大会の練習なぞをしていると、普段の教室とは全く違った表情を見せる生徒がいる。そうすると、授業というものは生徒のごく1方面のみを見ているものなのだなぁ、と気づく。生徒の表情はもっともっと種種多様なのだ。当然だろう。自分だってそうだもの。学校にいる時だけが私ではない。家庭にいる時の私、集会にいる時の私、そもそも教務室にいる時の私。いろいろな私がいる。そして、それが全て「私」である。生徒もしかり。教室の授業を受けている時だけが彼らの全てではない。

 であるならば、もっと多様な姿を授業で現させたいものだ。そして、それをさまざまな評価したいものだ。テストの成績だけで評価するなど、愚の骨頂である。人間を見ていることにならない。瞬間風速だけを観測して、疾風怒濤の台風の何が分かるというのだろう。

2010-12-10

[]百人一首練習会スタート 08:05

 8組の授業があった。

 この時期の1年生は毎年恒例で百人一首かるた大会の練習を授業で行う。本校の伝統行事、かるた大会が1月11日に開催される。その練習でもあり、何より百人一首かるたという日本の誇るべき伝統に触れさせることもあり、そして何より和歌の学習にも通じていく。そんな意味でも授業中にかるた取りをさせるのである。本校には幸い広い和室を持ったセミナーハウスがある。2間合わせれば30畳くらいになるのだろうか。そこにクラスを入れて5人ずつ8組に分け、4つの対戦をさせる。方法は紅白戦である。

 今日は昨日からJYENESYSプログラムの短期留学生が滞在している。この8組にはインドネシア(?)からの女子の留学生が来ていた。彼女も含めていきなりかるた取りをさせる。各クラスにはこの留学生をサポートする役の生徒がいるので、生徒に彼女のサポートはすっかり任せる。こちらはかるた取りのためにグループを分け、対戦方法やかるた大会について説明し、そして4つの対戦を組ませて、かるたを読む。初めは様子をうかがっていた生徒たちも、次第に暖まってきたようで、最後の方では熱心に取り組んでいた。だが、まだかるたを覚えている生徒はほとんどいないようで、私が下の句を読むまで生徒たちは動かないという状態が続いた。

 留学生は日本語だし、さらに古典語で和歌という3重のハンディを負わせられた時間を過ごしたわけだ。さすがに途中はただ眺めているという状態が続いたが、それでも1枚ほどは取ったようだ。サポート役の生徒がよく手伝っていた。

 各クラス2時間ずつ、この練習会をする。こうやってほんのわずかであっても伝統文化に触れることは素晴らしいことだ。このかるた大会は私が在学していた当時からあったそうなのだが、実は私は記憶していない。というのも、こうして授業として行ってはいなかったからだ。いつの間にかクラスの代表選手が決まり、いつの間にか終わっていた、という感じである。それに比べれば今の生徒は恵まれている。

2010-12-02

[]試験直前の駆け込みセーフ 06:48

 8組、10組、2組での授業。今日は古典の3クラス全てに授業がある。「唐詩の世界」から、李白の「静夜思」と杜甫の「登高」を扱うわけだが、8組と10組はすでに「静夜思」を終え、「登高」をじっくり説明することができた。しかし2組は2編の詩を一度に説明しなければならない。他の2クラスでは約1時間半かけて説明してきたこの2編を1時間で取り扱わなければならないので、今日の4限は最初から緊張しまくっていた。(^_^;)

 「静夜思」では生徒に質問をしながら解釈を進めていきたかったのだが、残念ながらその質問はなし。それでも全体で3人ほどには発問をしながら進められたなぁ。自分では意外なほどスムースに説明をし終わり、チャイムが鳴って1分後くらいに全て終えることができた。ほっ!

 そのせいか、この授業が終わった後、ぐったりと疲れ果ててしまった。もっとも、その後で明日から始まる試験の検討や印刷をしたり、次の古典のテストを作成したりしてコンピュータとにらめっこし続けていたからかもしれない。何しろ体の芯がじーんとする疲労感に見舞われた。これは夏場に良く感じる夏バテとよく似た感覚だ。何とか頑張ろうと思ったのだが、どうにも何もすることができず、結局少し早めに(それでも午後5時半は過ぎていたけれど)帰宅した。いやはや、こんなことってあるんですね。全く、基礎体力のなさには呆れかえるなぁ。

 研究も遅々として進まないし、なすべき仕事はたまりまくる一方だし、全く、日々の授業をこなすだけで精一杯である。やれやれ。

2010-11-30

[]「『静夜思』っておもしろいと思った」 02:26

 10組と8組での授業。8組は「桃花源記」の最後の部分を口語訳し、この文章に込められた陶淵明の思いを解説した。その後、漢詩の決まりの定着を図る。

 10組は漢詩の学習に入っていった。取り上げるのは李白の「静夜思」と杜甫の「登高」である。李白・杜甫という二大詩人の作であるし、李白は絶句、杜甫は律詩と、二つの詩形をとりあえず押さえることができる。

 その「静夜思」では、まず詩の文章の解釈を行った。その後で、3つの質問をした。

  1. 季節はいつか?
  2. 作者の李白はどこにいるか?
  3. 彼は寝台の上に座って何をしているのか?(逆に言えば、何故寝ていないのか?)

 これらの質問はこの詩の解釈上重要なものだと考えている。

「季節はいつか?」これを考えることにより、月がおそらくは満月であり、詩の世界を具体的に想像することができる。生徒に質問したところ、「冬」と答えた者が多かった。月光を「霜」だと思うのは事実寒い季節だからだろう、というのが根拠である。悪くない。ただ、月が美しいのは一般的には「秋」なので、私は「晩秋」あたりがよいのではないか、と指摘した。

「李白はどこにいるか?」これは、この詩が故郷をしのぶという内容から、故郷を遠く離れた場所であることは推察できる。そこで、李白の故郷が一説では四川省であることを指摘し、彼は今、都の長安にいるだろうことを説明した。

「寝台の上で何をしているのか?」これは、「何故寝ていないのか?」と考えた方がよりリアルに推論できるだろう。李白は故郷を恋しく思うがゆえに寝られない、もしくは目が覚めてしまったのだ、と考えられることを説明した。

 そこから、起承転結の一つ一つにおける視点の移動、そこから来る自然な望郷の思いと、天才李白の思考の跡をたどって、説明をしていった。

 今日の生徒の学級日誌には、「『静夜思』っておもしろいと思った」と書かれていた。そうでしょう。たった20字の中に世界が広がっている。それを紡ぐのが人間の想像力であり、さらにそれを促すのが「発問」なのである。

2010-11-29

[]漢詩ワールドへようこそ! 07:16

 10組の授業。今日から漢詩に入る。

 まずは「桃花源記」の背景とその意味について解説する。こうした文章を理解する場合、その時代背景を知るのが不可欠である。またそれを知ることによって、ぐっと意味合いが開けてくる。

 その後、漢詩の決まりを確認する。生徒には「漢詩の決まり」の穴埋めプリントをすでに配布してあるので、それを確認するための小テストを行う。まあそうは言っても、何もアナウンスをしていなかったので、10分間ほど勉強する時間を与える。こうすることが一番暗記物を定着できるような気がする。そして小テスト。

 その後は扱う漢詩の音読をさせる。今日はこれでおしまい。漢詩が扱えるとは、教師冥利に尽きる。

2010-11-26

[]桃源郷への道遠し…… 08:22

 さて、今日は2組と8組の古典があった。どちらも「桃花源記」のほぼ同じ箇所、漁人が桃源郷の村人たちにもてなされる場面からスタートする。ここには「不復〜」が2箇所出てくる。それぞれ否定の強調と部分否定で解釈すべきものだ。そこで、その2箇所を指摘させ、「不復〜」の2つの訳し方を確認し、それぞれをどちらで訳すべきか考えさせた。これは10組も含めて3クラス全てで聞いてみたのだが、指名した生徒は最初の箇所をことごとく間違えた。その箇所だけを見ていると部分否定で訳せそうな気がするのだろうが、文脈を考えれば否定の強調の方が適切である。まだ前後の流れ=文脈で判断するということがうまくできないのだろうな。それにしても3クラス全てで間違うとは…。

 続いて今日扱った箇所は人物たちの心理面を考えるのに非常に適する箇所が多くある。

  1. 漁人が外の世界での王朝の交代等を教えた時、村人たちがため息をついたのは何故か?
  2. 村人が漁人に、「不足為外人道也」とこの村のことを外部の人に言うなと禁じたのは何故か?
  3. 漁人が帰る際に、至る所に目印を付けていったのは何故か?
  4. 漁人は村を出てから最初にその地方を監督する長官のところへ行ったのは何故か?

 これらの質問は全て、この「桃花源記」の主題を理解するのに必要なものばかりである。ここはじっくり時間をかけて議論させたいところだが、試験までの残り時間が少なく、やや足早になってしまった。

 しかし、まだその後に重要な質問がいくつかある。

  1. 長官たちが桃源郷への道を見つけることができなかったのは何故か?(漁人が目印を付けておいたのに)
  2. 劉子驥という人物が「喜んで」桃源郷を訪れようとしたのは何故か? 
  3. 彼以降、桃源郷訪れようとする人がいないとはどういうことか?

 このblogを見ている生徒はいるかなぁ? 見ていたら、これらの問いにどう答えるか考えておいて欲しい。それにしても、劉子驥が桃源郷に着けなかったのは何故なのかなぁ?

2010-11-22

[]「桃花源記」終了 23:43

 10組と2組での授業。10組は「桃花源記」をほぼ終え、2組は口語訳をようやく始めるという、きわめて対照的な展開となってしまった。もっとも、10組は来週2回の授業を残すのみだし、2組は今日を入れて残り5回ある。まあ、何とかなるだろう。

2010-11-17

[]「桃花源記」の授業 02:43

 8組と2組での授業。2組はまだ土佐日記のまとめをやっていたが、8組と昨日の10組は漢文を扱い、「桃花源記」の口語訳に進んだ。

 とはいえ、この文章はすらすらと読めるようになるのが最重要事項で、読めさえすれば、そして教科書の注を活用すれば、話の内容は比較的容易に理解できる。そこで、今日の授業は徹底的に音読にこだわった。

 まずは私が読みの確認を再度行った。その後、個人で音読練習をする。そして、隣同士ペアでお互いにチェックし合いながら音読練習をさせる。その後、全員を立たせて、各自の一番速いスピードで読ませてみる。そして、全体で音読をした。全部で6回(そのうち1回は目で追っているが)音読をさせた。これくらいやらないと音読練習にならない。それでもまだ不安定な生徒はいるのだから。

 そして、隣同士ペアに指名し、一人が私が指定した箇所を音読し、もう一人が口語訳をする、というようにした。口語訳する負担を軽減させるのと、音読の確認をさせるのと2つの目的のためである。

 音読練習に特化したせいか、口語訳は数行しか進まなかった。まあ、今回はそれで良いだろう。

2010-11-08

[]陶淵明のターニングポイントを探る 07:18

 10組での授業。助動詞の小テストを終え、今日から漢文に入る。扱うのは陶淵明の「桃花源記」である。実は私は、「桃花源記」を扱うのは初めてか、極めて久しぶりである。非常に興味深い、良い話なのだが、句法的に単純なので、なかなか今まで扱えないでいた。今年は私のたってのリクエストで扱うこととなった。

 さて、今日はまず、陶淵明の人生について国語便覧を使ってたどってみる。何しろ約1500年前の中国での話だ。想像力を働かせない限り、彼の人生がどのような者かを思い浮かべることはできない。しかも、今回使った国語便覧はあまり説明が詳しくない。そこで、いくつかのページを示して陶淵明の人生を浮かび上がらせた。

 まずは彼の説明箇所から、陶淵明がどのような人物でどのような人生をたどったのかを確認する。そして、南北朝時代の地図を開かせ、彼がどの地域で活躍したのかを確認させる。このように、文章と地図、聴覚的と視覚的の情報を組み合わせることにより、少しでも1500年前の事実が現前に浮かび上がるように配慮した。そうでもしないと事実だとは思えないものね。

 そして、板書してまとめながら、陶淵明がその能力を活かして出世の道を歩むか、しかしそれは俗世において上司にこびへつらうことであり、それを潔しとしない覚悟をもって仕事を辞めて農耕生活をするか、その二つの道の岐路に立ったのだ、と説明した。そして、彼は後者の道を選んだことを示した。

 その時に、生徒に問いかけてみた。人生にはいつかこのような時が来る。出世のために世の中の論理に丸め込まれるという選択をするか、出世を諦めて若い時からの矜持を維持するか、選択しなければならない時が来る。その時、どちらを選ぶだろうか。もちろん、どちらの道もOKである。その人がその時までの人生で考え、経験してきた上での選択なのだから、どちらを選んだとしても良いだろう。ただ、若い時には、俗世間の塵にまみれることなど選びはしない、と思っていたであろう人物も、いつかはその選択の時が訪れ、そしてある者はかつては忌み嫌った道を選ぶこともあるのだ。果たして、今高校生である彼らはそんな時にどんな選択をするのか。

 その時はおよそ40歳前後に訪れるのではないか。人生を考える時でもある。

 生徒は何となく、神妙な顔をして聴いていてくれた。

2010-11-03

[]漢文のおさらい 18:47

 昨日の授業記録をつけておこう。

 古典は8組と10組での授業。どちらも特別授業とし、漢文のおさらいをする。

 というのも、先月行われた実力テストの採点が終わり、案の定、漢文の出来が非常に悪かったのだ。そして、考えてみれば漢文は夏休み前に授業をやったきり、約3ヶ月間もまともに扱っていない。今教えている土佐日記はもう1、2時間かかりそうだし、このあたりで漢文のおさらいを、実力テストを返す際の見直しのついでにやった方が良いのではないか、との判断による。

 今回の実力テストで出題した漢文の問題は決して難しい方ではないのだが、やはり感じがずらずら並んでいる文章をいきなり見させられて、それをすんなり理解するのにはまだまだ生徒は訓練不足である。そこで、こうした機会を設けるのも必要なことだ。

 授業はテストの問題の見直しから初めて、漢文重要語の読みの確認をし、基本的な句法である疑問形や反語形を復習させ、さらに練習問題で練習させた。だが、文化祭の後の授業日で、朝に大清掃を行うために、授業が今日は60分であった。たった5分短いだけだが、それでも問題解法の説明をして、さあ問題練習をさせようとしたところで終わってしまう。もう5分間あればなぁ。

2010-10-28

[]「……ましかば〜ましや」の効果 07:10

 2組と8組での授業。2組はようやく助動詞小テストのアナウンスができた。来週実施することになる。このクラスもだいぶ間が空いてしまい、8組がもうじき終わるという「帰京」を最初から訳していった。進んでいくごとに説明すべき箇所を思い出してくる。同じ内容を3回繰り返すことの効果がここにあるのかな。

 8組はいよいよ2つの和歌の解釈に入る。最初の和歌は前半部分が少々訳しにくいが、助詞を適宜変換してやればOK。さて、この箇所での最大の難所、2つ目の和歌である。

 「見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや」

ごぞんじ、「……ましかば〜まし」の構文である。つまりこれは反実仮想の構文、「もし……だったら、〜だろうに」と訳すものである。ところがこの歌にはそれ以外にも仕掛けがいっぱい施してある。さすがに『土佐日記』の掉尾を飾る和歌である。歌人・紀貫之は自らの技量を存分に発揮しようと気合いを入れて作ったのだろう。

 早速助動詞「まし」の意味を生徒に確認する。しかし、指名した生徒は正しく答えられなかった。そこで「まし」の意味の判別の仕方を復習する。その後で答え直させたところ、「反実仮想」と答えてくれた。ほっ。これが分からないとこの歌の勘所が理解できない。

 続いて指名した生徒に、細かいところは抜きにして、反実仮想の訳し方に沿ってとにかく訳してみようと指示した。生徒は「亡くなった子どもを(これは教科書に注がある)千年の松と見たならば、遠く悲しい別れをせずにすんだだろうに」と訳してくれた。OK。そこまで訳してくれたら何の問題もない。若干私が助け船を出したが、それでも生徒は自力でやってくれた。感謝。

 後は、「亡くなった子ども」を何故「見し人」と表現するのかを問題にし、それが「かつてこの家で元気でいた姿を見ていた子ども」の意味であることを解説する。さらに「松の千年に見ましかば」が、「松が千年の寿命を持つように丈夫であったならば」の意味であることを説明する。そして、「遠く」には二つの意味が込められていることを説明し、「遠方」だけでなく何かと生徒に聞いたところ、「永遠の別れ」と答えてくれた。OK! それらを総合して解釈を組み立てた。いやいや、力業だったが、生徒が良く理解してくれた。

 何と切ない歌だろう。5年ぶりに自邸に戻ってみたら、松の片方はなくなっていて、そこに小松が生えていた。土佐で亡くなった子がもしもこの小松のように丈夫でいたならば、あの遠い土佐の地で永遠の悲しい別れをせずにすんだのに、と歌うのだ。幼い子を失った親の、悲しみ、嘆きが切々と伝わってくる。さすがは三十六歌仙の一人である。

 残念ながら本文は訳し終えられなかったが、良い授業であった。扱った作品の良さが光った。

2010-10-27

[]「入る」は「いる」なのだね 07:31

 8組での授業。「帰京」の3時間目かな。予告していた助動詞の小テストを行い、その後に口語訳を順調に進めていく。

 このクラスの生徒が昨日質問してきて、「入る」は「いる」と読むのではないか、と聞かれた。私はそれを「はいる」と読んでいたのだ。その後で調べたところ、古典では「いる」としか読まないようだ。おそらく「這ひ入る」が変化して「はいる」となったのだろう。だが、古典では「入る」は「いる」としか読まない。

 ありがとうございます。こうして生徒から教えられながら一つずつ知識を蓄えていくこの者でございます。授業の冒頭に、感謝しつつ訂正した。

2010-10-26

[]助動詞小テスト開始 07:14

 8組と10組での授業。「帰京」をどんどん口語訳させる。

 10組では授業の始めに助動詞の小テストを実施する。10点満点で、9点以上が合格。不合格だった者は再テストを受ける、ということにした。これをしばらく続けていくつもり。助動詞全部を終えるまでだから、1か月くらいかかるかな。これで少しは助動詞を覚えてくれると嬉しい。

 「帰京」は核心部分に近づいてくる。貫之の自邸の庭にあったはずの松が片方なくなっている。そのことを知った驚きや感慨。そして、従者たちに家族や子どもが集まっているのを見ることの寂しさなど、細やかな心理の変化が続く。このあたりを丁寧に追っていき、生徒に理解させる。

 もう1時間で終わるかな。次は漢文だ。

2010-10-25

[]50分授業の慌ただしいこと! 06:57

 今日は、後述する芸術鑑賞会のために、午前3コマ授業のみ、しかも50分授業であった。多くの県内の高校は55分授業を実施している。だから、50分授業とはその55分授業に近い時間であろう。私はどうもその「短い」時間に耐えられない。あまりに慌ただしいのだ。授業時間内も、また空き時間も。50分やら55分という時間は、何か一つのことをじっくり腰を落ち着けてやるにはあまりに短いと思う。多くの人は、一つのことを行うには90分が単位である、と言っている。大学の授業が一般的に90分であるのは、だから理にかなっている。それに比して50分やら55分というのはあまりに短い。私は、前々任校において、その50分間隔で1日が区切られることにほとほと参っていた。本校では通常は65分授業である。もちろん、まだ足りないのだろうが、それでも55分よりは10分も長い。これは大きな違いだ。じっくりと物事に取り組むことができる。本当に、本校以外の学校に行くことになった時、私はどうなるのだろうか?

 さて、授業は10組であった。淡々と口語訳を進めていく。このクラスは、どんなに難しい表現や重要は表現が出てくる箇所であっても、生徒に指名するとほぼ完璧に口語訳をしてしまう。勢い私の仕事は、何故そのような訳になるのかを文法的に解説することになる。おそらくそう訳した生徒自身も何故そのような訳になるのか自分自身で正確に理解できてはいないだろう。だから私の仕事にも意味がある。それにしてもよく勉強している。だから、このクラスにはもっとその場で考えさせ、話し合わせる課題を与えるべきだなぁ。

 土佐日記「帰京」は貫之が自分の家に帰ってきた時の、我が家の荒廃ぶりを嘆く場面が大事な要素である。その荒廃ぶりを生徒自身が見いだせるように導いてやると良いだろう。もう少し、工夫が必要だ。

2010-10-21

[]紀貫之の自邸はどんな規模? 07:34

 8組、10組、2組での授業。10組のみは「亡児」の最後の場面を扱ったが、8組と2組では「帰京」に入る。この「帰京」では、貫之が京都の自邸に帰り着いた時、自分の家が荒れ果てていることを嘆く場面から始まる。隣家の人に管理を任せておいたのに、である。その隣家の人とは「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり」となっており、一つの家のようになっていた、という。しかしこれは考えてみればイメージしにくいことだ。そこで、今日は平安時代の敷地の在り方を徹底的に生徒と一緒に確認した。

 以下の作業は、生徒の持っている国語便覧の資料を使わせた。

  1. 貫之の旅の日程を確認し、土佐から京都へ入ってきたことを確認する。
  2. 京都の平面図を確認して、貫之が羅城門から入京し、朱雀大路を通って行ったことを確認する。
  3. 貫之の自邸のある場所を確認し、貫之の入京以降の足取りについて確認する。
  4. 貴族の自邸には一町以上の敷地を持つものがあることを指摘する。
  5. 当時の貴族は複数の町を合わせて敷地とし、豪邸を建てていたことを、光源氏の六条院などを例にして説明する。
  6. 対照的に、貫之は中級貴族であり、彼の家は一町を分割して、他の人(おそらく同じ中級貴族)と分け合って住んでいたことを指摘する。
  7. よって、その境界ははっきりしておらず、そのために「帰京」でのトラブルが発生したのだ、と説明する。

 このように、貫之がどのような暮らしをしていたのか、そして「帰京」での背景がどのようなものなのかを、なるべく具体的にイメージできるように説明していった。

 ここまでやって、ようやく読みの練習をし、口語訳を始めた。もちろん、上記の説明で授業時間の大半を使った。

 それでも、古典の授業においては作品世界について具体的にイメージを持たせることが重要である。特に『土佐日記』の場合は、遠く土佐からようやく帰京したというのに、自邸が荒れ果てていたことのショックと、新しく生えていた小松に、亡児のイメージを重ね合わせて悲哀を感じるところに真骨頂がある。それをリアルに感じさせるためには、いかに具体的な背景のイメージを抱かせるかにかかっている。

 久しぶりに楽しく授業をした。

2010-10-20

[]「数は足らでぞ帰るべらなり」の悲痛 07:30

 8組と2組での授業。土佐日記「亡児」の最終場面である。土佐をいよいよ離れようとする場面で、幼い女の子を土佐の地で亡くした母が悲しみ嘆く。それを見て作者が「北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて来し数は足らでぞ帰るべらなり」の古歌を思い出して、自分の歌を歌うのだ。そのあたりの心情が悲痛である。

 幼い我が子を失った悲しみ、その子を火葬に付したことの嘆き、そしてその地を離れる寂しさ、それらが全て表れてくる場面である。

2010-10-14

[]「いかで〜もがも」ってどう訳す? 07:20

 2組での授業。以前にこのクラスでは重苦しい雰囲気が漂ったことのある、昼休み後の4限の授業であった。でも、今日は生徒が非常に集中していて、しかも暖かな雰囲気で授業を受けてくれた。これは良かったね。

 さて、土佐日記「亡児」の3時間目である。紀貫之の娘と目される少女が「まことにて名に聞く所羽ならば飛ぶがごとくに都へもがな」と歌った、その和歌を解釈する。その和歌を聞いて、人々が「いかでとく京へもがな」と思うところがあるが、さあやって参りました。「いかで」の解釈である。3種類の訳し方をする「いかで」について、その場合分けをし、説明をする。しかし、それらの説明の前に指名した生徒は上手に「何とかして早く都へ行きたいものだ」と上手に訳したなぁ。何でできるんだろう? 辞書にでも書いてあるのかな。あるいは……(>_<)。

 この箇所は紀貫之の和歌観が表れていて、大変に重要な箇所である。相変わらず用意し忘れたのだが、古今和歌集の仮名序を後で参考資料として生徒に示してやろう。心を動かすのが和歌の本質だという。実に素晴らしい見識である。

2010-10-12

[]ダブルヘッダーの午後 00:15

 8組と10組での授業。特に10組は、今日から修学旅行に行った同僚の代わりに授業をすることになり、もともとあった授業に加えて午後の2時間連続で古典をすることになった。自分のクラスだし、私の方は何の問題もなかったが、生徒の方は大変だったかな。

 土佐日記の「亡児」にようやく入る。他のクラスがやってきたように、土佐の地を離れることの意味をまず確認し、音読練習やら係り結びの確認やらを行った。その後はぐいぐいと訳していく。そして、2時間目には例の「月は東西どちらの空に浮かんでいるか」という問題に取り組んだ。みんな西の空ということは分かるのだが、昔は太陰暦であることへの思考のスイッチがなかなか切り替わらない。もっとも、太陰暦など具体的にイメージできる方が珍しいけれどね。

 8組でも同じ問題を扱う。これはどのクラスでも活発な意見交換が生まれて、良い問題だな。

2010-10-08

[]「むきやうさみふはなかしし」って、10回言ってみよう! 07:15

 10組の授業。ようやく「土佐日記」に入る。「土佐日記」についての情報を整理し、日記文学6作品を紹介する。はい、お得意の語呂合わせ日本文学史を紹介しました。「とかげはむらさきさらさぬき」。おわかりですか?

 その後、「門出」の部分をざっと確認する。そこで月の異名を紹介する。12の月の異名は、私の場合は「すっ」と覚えることができた。その覚え方が、私が高校生の時にも教えられた「むきやうさみふはなかしし」である。月の異名を覚えられる魔法の呪文である。

 今日は語呂合わせばかりやっていたなぁ。

2010-10-07

[]承平5年1月11日の月はどちらに出ている? 07:08

 8組と2組での授業。土佐日記の「亡児」にようやく本格的に読み始めた。

 8組では音読練習の後、この教材のスタートがいよいよ土佐の地を離れる時点で書かれていることを指摘し、そこで考えられる貫之の思いについて質問した。そうした生徒の解答を用いつつ、土佐の地で亡くなった娘への哀惜の念が通底していることを確認する。

 後は少しずつ口語訳を進める。何とか和歌の手前まで来たかな。

 2組ではその8組が終わった少し前の部分からスタートした。そして、二つの和歌の解釈に進む。以前に紹介した「和歌の解釈法」3ポイントを再確認させようと思ったのだが、最初のポイントを私自身が忘れてしまった。やれやれ。「句切れの有無」だったね。もっとも、「亡児」での和歌にはこの句切れがないものだから、なおさら忘れてしまったのだが。

 そして、最初の和歌で係助詞や命令・願望・詠嘆の語句があるかと聞いてみた。生徒は分からなそうな顔をしたので、「この和歌の中に『詠嘆』が1箇所あるので、探しなさい」と指示した。さすがにこれなら分かってくれた。助動詞「けり」がある。

 次の和歌は、論理関係がかなり省かれているので、いくつかの言葉を補って解釈する。

 そして、承平5年1月11日の件に入る。ここでは貫之一行が暁頃に海上にいることが記されている。そして、「ただ月を見て、西東をば知る」とある。そこで、「この月は西の空、東の空どちらにあるのか」と問うてみた。生徒に1分間の考える時間を与え、お互いに相談をさせた。こうした二択問題は単純なのか、しかし理科的知識と古典常識が要求されるので、生徒たちはわいわいと活発に相談していた。その後、生徒に指名したところ、ちゃんと「西の空」と答えた。しかし理由を聞いたら、「西の空に沈むから」と答えた。だが、本文には「沈んでいる」ということは書いていないはず。東の空から出るところなのかもしれない。何故「西の空」だと分かるのか、と再び問うた。これには生徒は、活発に相談しつつも、理由がつかめないようだった。ふーむ、こういう質問は生徒を活発に動かすのだねぇ。なかなか面白かった。

 この問題は古典常識がものをいう。古典の世界は太陰暦である。「11日」といえば上弦の月で、半月よりもう少し過ぎた頃である。したがって、夜明け前の月は西の空に浮かんでいるはずだ。もっとも、当時の暦を調べた研究では、この日の月はすでに沈んでいたはずなのだが。ともあれ、古典常識を駆使して作品を読む必要性を味わわせることができたかな。

2010-10-06

[]テスト返却完了 07:12

 8組と2組での授業があった。どちらもテストを返却する。返却し終えた後、5分間振り返りの時間を設け、自分がどこを間違えたのか、どうすれば良かったのか、何が自分に足りないのかを生徒に考えさせた。その後で解説をし、修正を受け付ける。何となく生徒の来る数が少なくなったような気がする。やはりじっくり考えさせるといいのかな。

 その後、わずかながら土佐日記「亡児」に入る。今日はここまで。明日以降、本格的に進めていこう。

2010-10-05

[]「イラク戦争」を考えた後は…… 07:00

 10組での授業。後期に入ってやっと10組の授業である。同じ文章を6回も読むと、さすがに「ぐっ」と来ることはなくなるかと思ったが、やはりシャーロット・アルデブロンさんのスピーチを読み聞かせをしていると、毎回同じ所で涙が出そうになる。3歳の男の子が湾岸戦争で亡くなった父親の墓石に呼びかけて、「父さん、もう出ておいで」という件である。毎回声が震える。相変わらず涙もろくなったなぁ。

 その後で、テストを返す。今回はどのクラスでも、解答例と自分の解答とを見比べて、自分の解答のどこに不備があったのか、何が足りなかったのかを考える時間を設けるようにしている。その間、およそ3分間。それでは足りないかな。その後で解説を始める。少しは生徒が見直しをしてくれるのを望んでのことである。

 解説が終わった後、生徒の質問を受けるが、大勢の生徒がやってきた。一人一人に対応しているうちに、あっという間に時間が終わってしまう。なかなか授業に入れない。

2010-10-01

[]土佐日記に伏流する思いを「想像」する 06:53

 昨日の2組、今日の8組と2組の授業があった。後期からは土佐日記を取り扱う。

 土佐日記といえば「門出」の部分から始めるのが定石だが、今回はこの部分を簡単に扱うことにする。そこで、まずは土佐日記という作品についての解説をした。その後で、貫之がたどった旅路の行程が表になっているプリントを配り、その行程を追って地図に貫之の旅路を線で書いてみさせた。途中、日記には記されていない地点をたどることや、地名の難しさなどがあって、そんなに易しい作業ではないのだが、生徒はしっかりと取り組んでくれた。このようにしてみると、貫之が1000年前に行った55日間の旅の遙けさを少しは理解してくれるかもしれない。現代では、飛行機と新幹線を駆使すれば、3時間くらいで行けるだろうが。

 その後、「門出」の本文に口語訳を加えたプリントを配布し、旅の門出に当たっての流れを簡単にたどっておく。

 今日は、2組では次の文章である「亡児」に進んだ。まずはこの文章での係り結びの箇所を指摘させる。生徒は係り結びに対する意識が薄いし、この文章では結びの消滅も結びの省略も出てくるので、ちょうどいいと思った。案の定、生徒は係助詞10個でさえなかなか見つけられない。机間巡視して状況を確認したり、ヒントを与えたりした後で、説明をする。

 その後、この文章が12月27日付であることを確認し、その日は貫之がどこにいたかを確認させる。そして、それが土佐の地を離れる時であることを確認させ、その時の貫之の気持ちを「想像」させる。生徒は「悲しい・寂しい」と答えてくれた。OK。しかし、当時の下級貴族のことを考えると、京都に戻れることは何よりも嬉しいことだったに違いない。それにも関わらず、旅の準備をしていても「何も言はず」とあるほどの悲しみをたたえているのは何故か、を考えさせる。そこで、その土佐の地で娘が亡くなっており、その娘が亡くなった地を離れることの寂しさを持って、この日の件を書いていることに気づかせる。

 土佐日記は、門出の部分の諧謔に気を取られがちだが、その根底に伏流する亡児への哀惜の念を覚えていくと、なかなかに味わい深い。

2010-09-21

[]「筒井筒」を『大和物語』と比較する 07:05

 10組での授業。「筒井筒」の「風吹けば……」の箇所の後半部分を終える。このクラスは進度的に多少余裕があったので、ゆっくりと進んでいく。

 そして、最後の10分余りで教科書所収の『大和物語』との比較を行う。残念ながら生徒自身に考えさせる時間の余裕がなかったので、用意した比較プリントを使って私が説明する。それでも生徒の反応は良さそうだった。

 古典の授業とはこうした内容をしっかり取り組むことが重要なのではないかなぁ。訳すことが古典の授業の全てのように思われている。しかし、重要なのはその後のことである。