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峰本のくもり時々「学び合い」日記

2010-12-15

[]短歌の授業で「古畑任三郎型授業」を試みる

 6組での授業。他に9組もあったのだが、こちらはテスト返しと短歌の口語訳を自主学習させていた。

 さて、6組での授業である。今回の短歌の授業では以下の4首を取り上げる。

  • その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな(与謝野晶子)
  • たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽ろきに泣きて/三歩あゆまず(石川啄木)
  • 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)
  • のど赤き玄鳥ふたつ梁にゐて垂乳根の母は死にたまふなり(斎藤茂吉)

 今日はこの内の最初の二首、晶子と啄木の歌を取り上げる。この歌を理解するために、「古畑任三郎型授業」を試みてみた。

 「古畑型授業」とは、古畑任三郎のドラマのように、教材の主題や肝心なところを先に伝えてしまい、そのことは教材のどの箇所から言うことができるか考えさせる、というものである。短歌の授業の場合、晶子や啄木の短歌の主題や評価を先に示して、この主題や評価は短歌のどの部分から言えるかを考えさせることになる。考えてみると、小説や短歌などを授業で扱う際に、今学んでいることがどこへ着地するのかが分からずに暗中模索して、結局は教師のまとめを受け入れるだけの従来型授業(「名探偵コナン型授業」と言います)よりも、どうせまとめをせねばならないのなら、最初からそのまとめを生徒に提示し、それが成立する理由を考えさせた方が安心するし、自らの意志で探索する授業になる。国語の場合、「古畑型授業」はぜひ取り入れるべき形式だ。

 さて、授業はまずは与謝野晶子の短歌を取り上げる。短歌をノートに五行分かち書きで書写するよう指示する。しかも、行間を二行ほど取るように、と。この行間にさまざまな気づきや解説を書き込むためである。下のような感じ。

その子二十



櫛にながるる



黒髪の



おごりの春の



うつくしきかな

 次に、この短歌を何度も読んで、「何か不思議だなぁ、変だなぁ、何故だろう?」と思う箇所をどんどん見つけるように指示する。その際、「形式・句切れ」の面と「表記・表現法」の面と「語句」の面とから考えるよう指示する。

 この歌は初句切れである。それはいいが、例えば次のような疑問が湧くだろう。

  1. 「その子」とは誰のことか。
  2. 何故「二十」なのか。「十九」ではいけないのか。
  3. 「ながるる」とひらがな表記なのは何故か。
  4. 何故「春」なのか。
  5. 「の」が重ねられているのはどんな効果を生むか。

 生徒は「櫛にながるるが良いと思った」とか、「おごりの春って何か」とか答えてくれた。「櫛にながるる黒髪」ってどんな黒髪? と問うて、ストレートヘアかななどと指摘してみた。

 さて、これらを考えた後で、この短歌の評価を黒板の一番左端に板書する。次のものである。

伝統を踏まえつつ、斬新な近代を切り開いた歌

 この評価の内、「伝統」とは短歌のどの箇所を言うか、「近代」とはどんなことかを、隣近所の友人たちと話し合いながら考えさせた。

 このクラスは話し合い活動がきわめて不活発なクラスである。しかし、今日は違った。中には話をしようとしない者もいたが、ほとんどの生徒は友人と話をしながらあれやこれやと意見を交換していた。

 生徒に指名しながら意見を述べさせたが、どうも的はずれだったので、先に取り上げたこの短歌に関する疑問の中からこの評価につながるものを考えつつ、解説していった。

 授業自体は上手く行ったのだが、短歌の評価からそれを支える表現を捕らえるというところが上手く行かなかったことを考えると、この到達点の設定が良くないのかもしれない。実はここは、授業直前までさんざん悩んだところだったのだ。到達点として提示するのは、もう一つ別の候補もあった。次のものである。

自己を肯定する、青春賛美の歌

 これら二つの到達点のどちらもが、「黒髪のおごりの春」という表現に立脚している。「黒髪」が何故「春=青春」に結びつくのか、そして「おごりの春」がどんなに革新的な表現だったのか、を理解することが全てである。

 上手く行かなかったことを考えると、到達点の選択はやはり間違ったのか、と思う。明日の9組では後の方でやってみよう。

 そしてもう一つ、短歌についての疑問箇所を指摘する活動を先にし、主題の根拠を考える活動を後にしたが、この順番は良かったのかなぁ。でも、主題の根拠を考えるためには、少しは短歌の内容を知っていた方が良いのではないかな。そう思って、疑問箇所の指摘活動を先にした。はて、どうなのだろうか。

 啄木の歌は「母への深い愛情」という主題を示し、それを支える表現を探させた。これはスムースに行った。授業はそこで時間切れ。啄木の歌は、何よりその表記の特異性が問題である。何故、三行分かち書きなのか、これは次回に考えさせることにしよう。

 久しぶりにエキサイティングな授業であった。終わった後、ある生徒が「短歌の授業が2時間だけなんて少なすぎます。もっとやりたいです」と言いに来てくれた。生徒も根拠を探る授業の面白さを感じてくれたのではないか。(^_^)v