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峰本のくもり時々「学び合い」日記

2010-06-30

[]『学び合い』と「放任」の違い 06:54

 6組での授業。「羅生門」の8時間目である。9組と同じようにファイナル・レポートを書かせる。

 その前に、この授業全体についてのアンケートをとる。9組でもこれは行っているが、興味深かったのはこの6組での結果である。9組も6組も話し合いは不活発になることが多かった。ほとんどだんまりだったグループがあった。特にこの6組は、席替えをして以降はだんまりグループが非常に目立った。その時の時間は苦痛だっただろうなぁと思う。そして、その結果がこのアンケートに反映されるだろうなぁ、と思っていた。

 ところが、意外や意外。というか、あまりに予定通りの結果に驚いている。6組でも9組でも、この授業の評判はきわめて良いのである。4段階で授業への満足度を聞いたが、ほとんどの生徒が「満足」「やや満足」を選んでいる。「やや不満」を選んだ者は75名中1名くらいしかいない。そして、「こうした形の授業を今後も続けて欲しいですか」という質問にもほぼ全員が「続けて欲しい」「まあ続けても良い」を選んだ。「あまり続けて欲しくない」が2、3人程度。ウーーーーム、考え込んでしまった。

 確かに、「羅生門」を素材にして好き勝手に話ができるのだから、満足度が高いのは当然である。でも、あの沈黙の時間があるのに、この授業の継続を望むというのはどういうことなのだろうか。板書中心の小説の授業によほど飽き飽きしているのかなぁ。このアンケートは、もう1クラスの結果を踏まえて集計し、考察してみたい。あまりに不思議な結果である。

 さて、6組の授業では、そのアンケートの後でファイナル・レポートを書かせる。相変わらずBGMをかけてリラックスムードの中で書かせる。今回用いたのはこれ。

LOVE BALLADES/ちょっとひとりKOTO2

LOVE BALLADES/ちょっとひとりKOTO2

 ところが、前回自由に立ち歩きを許したせいか、今回もレポート執筆せよと宣言したとたんに席を立った生徒が数人いた。あるいは隣近所の友人と話を始めた者がいた。半数以上は黙々とレポートか季に専念していたが、残りは友人との話に没頭している。もちろん、その話の内容は「羅生門」の原典と芥川の作品との違いを話し合うことなのだが、それにしても与えた40分ほどの時間のほとんどを友人との話に費やし、鉛筆がほとんど進まない者が何人もいた。

 このレポートは、しっかりしたものを書いて欲しいという意図から、締切をテスト終了後に設けている。そのせいだろうなぁ、この時間内に書き終わらなくても良いという設定が、たとえ私がこの時間内に提出するのがベストだよと言っても、彼らをしておしゃべりばかりをさせたのだろうなぁ。

 『学び合い』を成立させるのに大切なことは、「目標を明確にすること」である。そして、評価規準を明確にすることである。「全員が」(=評価基準)、「これをできるようになる」(=目標)と明確に子どもに示さなければならない。そうでないと、放任と同じになる。『学び合い』という学習かどうかは、この2つの要素が欠かせない(という理解で良いでしょうか?)。

 今日は目標自体の中に、放任に陥らせる要素が入っていたなぁ。反省。

2010-06-29

[]大汗かきかき、冷や汗かきかき…… 06:22

 しばらくblogを更新できないでいた。忙しさと疲れとが押し寄せているせいである。何しろ試験が近いので、そちらの作成に全力を挙げなければならない。それでいながら原稿書きもせねばならず、つい睡眠時間が短くなる。

 そのせいかなぁ、いや、今日の蒸し暑さの格別なせいだろう。2つの授業があったが、大汗をかいた。私は札付きの汗っかきである。これは運動不足によるのでしょうね。内臓脂肪がたまっているせいか、少し動いただけで大量の汗をかく。だから私はタオルと団扇が欠かせません。私のシンボルマークになっているくらい。あとそれとキッチン・タイマーね。本校の文化祭では、1、2年の生徒が担任・副任の似顔絵を描いてくれる。その時に描かれた私の絵には、団扇とキッチンタイマーがしっかりと描き込まれていた……。ありがとう。

 さて、その授業だが、特に10組での授業は大汗だけでなく、冷や汗もかいたような気がする。「守株」に入り、順調に口語訳を進め、一番の肝である部分否定の説明もする。しかし、意外に時間がかかってしまった。その後でこの例え話の意味について説明をしなければならない、と思ったら、どっと汗が噴き出してきた。その例え話の説明も、同僚が作ってくれたプリントを用いたのだが、私自身がこのプリントを十分に理解していなかったせいか、非常に歯切れの悪い説明をしてしまった。まあ、生徒には内容は伝わっただろうが、それにしても何を言っているのかよく分からない説明だったなぁ。10組の諸君、ごめんなさい。

 8組での授業は「狐借虎威」の例え話の説明を順調に終え、「守株」の読みに入ったところ。こちらは問題なかったのだけれどなぁ。

 いやはや、大汗かきの授業でした。

[]これまた見違えるようなにぎわいで 06:22

 昨日は6組の授業があった。これまたグループでの話し合いが停滞しているクラスで、どうしようかと思っていた。この授業は全体の7時間目で、「羅生門」の主題について考えさせる時間である。私の「下人が成熟する物語」を示し、それが妥当かどうか考えさせた。

 この授業ではプリントをまずは個人作業で埋め、その後にグループで自分の考えを確認させている。この際に、このクラスでは今までの4人グループで話し合いをさせることをやめ、フリータイムとして誰とでも話をしていい、としてみた。そうしたら、これまた今までの停滞ムードとは見違えるようなにぎわいを見せた。途端に仲の良い数人と話を始める者がおり、個人作業の続きをしている者がいる。うーむ、この態度の違いは何なんだろう?

 担任に聞いてみたところ、席替えをしたあとで雰囲気が落ち込んでいったらしい。最初の席で仲の良い友達が周りにでき、その状態からまだ抜け出していないところなのだろう。新しい席の周りにはまだ親しい友人はいなそうである。

 このクラスも、グループは一貫したメンバーにすべきだったなぁ。と同時に、今回のやり方ではグループのメンバーを固定する必要があったけれど、今日の授業のようにフリータイムを与えるのも良さそうだなぁ。

 9組でも授業があった。「羅生門」の授業の最後、8時間目である。アンケート調査を行い、その後で「羅生門」についての最終レポートを課した。これも、同僚のやり方をそのままいただいて、書かせてみる。次の2つの課題から1つを選んでレポートを書くのである。

  1. 「羅生門」の最後を芥川が改変したことによって、印象はどう変わるか。「羅生門」のテーマを踏まえて書け。
  2. 「羅生門」の原典となった「今昔物語集」の文章を読み、「羅生門」との違いについて、テーマを踏まえて書け。

 40分ほどの時間をとって書かせたのだが、生徒は一心不乱に書き続けてくれた。書ききれないものは宿題としたのだが、多くの生徒が提出してくれた。それも、用紙いっぱいに文章を綴った者がほとんどである。これまた、ありがたいことだ。

 さあ、様々なデータを提供してくれた今回の授業である。データの分析に取りかかるか。

2010-06-25

[]見違えるような反応の姿

 9組での授業。全体の7時間目である。

 まず、前回の話し合いでのレポートをまとめたものを配り、それに対してコメントをする。読みが深いものを取り上げているつもりなのだが、ここで実は教師の意図が働いてしまっている。私が誘導したいと思っている読みに添ったものが紹介され、さらにそれに対してコメントが加えられる。生徒にとって見れば私がある読み方に誘導しようとしているのは見え見えだろうなぁ。本人はあまりそんなつもりはなく、ただ友人の深い読みを紹介して、彼らの読みを活性化させようとしているだけなのだが。

 続いて主題について考えさせる。再び「下人が〜になる(する)物語」という形を示し、もう一度考えてみよう、と投げかけた。しばらくした後で隣同士で考えを確認させた。今回は数人の生徒に発表をさせた。生徒は「下人が悪の意味を知る物語」などと解答してくれた。3人ほどに指名したが、どれもが最初は「下人が盗人になる物語」だった。それが、「悪の意味を知る」というように深化してくれた。素晴らしい。

 その後「主題の探究」プリントを配り、私の読みを示して、その読みが成立するかどうかを確認させた。20分近くを生徒に与えたが、私はその間、CDラジカセを持ち込んで、BGMを流してあげた。リラックスをさせて、頭をフル回転してもらおう、というものである。流したCDはもちろんこれ!

ちょっと一人KOTO

ちょっと一人KOTO

 私のBGMの定番である。「赤いスイートピー」から始まる意外性と、琴によって奏でられる優しい響きとがあいまって、インパクト抜群である。

 もう何度もこのCDを他のクラスでもかけているが、このクラスは高い関心を持ってくれて、授業が終わった後にCDを確認しに来た生徒が何人もいた。いいでしょう〜。(^_^)

 その後、周囲の4人とグループを組ませて、お互いの考えを確認させる。この時の反応が意外であった。このクラスは前回も話し合いが停滞し、黙りこくったままのグループがいくつも見られた。しかし今回は、メンバーが違うせいか、BGMがかかっていて雰囲気が暖まっていたせいか、あるいは課題が取り組みやすかったせいか、非常に活発に話し合いを始めてくれた。もちろん、中には話し合いの進まないグループもあったが、ほとんどは話し合いが止まらなかった。10分間しか時間をとらなかったのだが、足りなかった。もったいないことをしたなぁ。

 最後に私が自分の考えを解説した。「若者らしい感傷的な下人が、したたかな大人になる」という枠組みを説明し、似た物語として「ゴッドファーザー」とか「ハリー・ポッター」などを挙げてみた。「ゴッドファーザー」は知らないと思ったが、後で回収したプリントを見ると、それを書いている生徒がいたので、ちょっとびっくり。「ハリー・ポッター」も多い。彼は酸いも甘いも味わった大人になったのかな。最後に「アナキン・スカイウォーカーがダースヴェーダーになる」例を挙げると、激しくうなずいた生徒がいた。ヒットしたかな。

 というわけで、9組には珍しい、活発な授業になった。

[]百獣の王は「パンダ」!?

 10組での授業。「狐借虎威」の口語訳をどんどん進めていく。私の記憶以上に進んでいたので、展開は楽だった。

 難しい句法を次々に説明し、訳を完成させていく。こういう場合、漢文は強力である。一定の型が分かれば読みも訳もできるのだもの。

 口語訳を終えた後、この話が例え話であることを確認し、その背景と意味について考える作業に入る。その時、江乙が例え話をする際に「虎」と「狐」を持ってきた理由を考えさせようと思い、「普通、『百獣の王』と言ったら『虎』じゃないよね? 何?」と発問して、近くにいた生徒に聞いたところ、急に指名されてとまどったのか、「えっ、……、パンダ?」と答えた。いやぁ、楽しかったなぁ。これも「予測不可能事象」の一つですか。授業はこれだから面白い。

[]読書教育論

国語科授業研究の深層―予測不可能事象と授業システム

国語科授業研究の深層―予測不可能事象と授業システム

 授業を終えてすぐに大学へ。読書教育論の指導である。藤森裕治氏の『国語科授業研究の深層』を読み、その研究課題と結論、および研究方法について検討する、という内容である。様々な研究の研究方法について検討するというこの授業は、非常に参考になる。と同時に、私の準備の甘さも露呈することになる。

 私はこの準備のために早朝4時30分に起きて、マップ風にまとめていった。はい、私が今朝早く起きたのはワールドカップ観戦ではありません。もっと個人的な必要に迫られていたのでした。

 私の準備は甘かったが、授業の内容は大変参考になった。こうした授業は今ところ月1回ペースで行われている。私にとっては準備が大変で苦しいのだが、素晴らしい授業である。

2010-06-23

[]この沈滞ムードが財産かもね 06:01

 9組での授業。久しぶりの9組である。全体としては6時間目の授業。「羅生門」の本文読解の最後の部分である。

 このクラスは席替えをしているが、以前の席に戻ってもらい、グループのメンバーは変更しないで最後の読み取りを行わせた。本来こうすべきなのである。6組での対応が間違ってしまったのだ。深く反省する。

 前回のレポートをまとめたプリントを配って、鋭い読みを確認させる。次に私の問題例に対する解答例を配り、解説をする。この時が、いわば従来の「羅生門」の授業と共通しているところかな。教師の読みを解説しているのだからね。邪道だとは思うが、学年共通のテストを行う以上、これは最低線の共通情報であろう。それでも、この解説をすることで、生徒の読み取りが整理されてくれることを願うばかりである。

 さて、最後の場面、下人が老婆の論理を逆手にとり、老婆の着物を引はいで羅生門の外の「夜の底」へ駆け降りて行く場面である。4人グループで話し合いをさせ、再度司会進行役の重要性を話し、互いに意見を交換するようにと訴える。それにも関わらず、相変わらずこのクラスは話し合いが沈滞する。終始活発に話し合いをするグループもあるが、終始不活発なグループもある。相変わらずだ。

 しかし、ある意味、このグループによる話し合いの不活発な状況を目にすることが出来たことは、今回の授業実践の一番の成果なのかもしれない。つまり、「話し合いをする場を設けるだけでは、話し合いは進展しない」ということである。というよりは、「話し合いを強要される場においては、話し合いが進展するとは限らない」と言うべきか。強要されても話し合いが出来る者もいれば、そもそも話し合いが苦手な者もいるはずである。「話し合い」という対人関係が大きく左右する学習形態は決して悪いものではない。しかし、それだけしか選択肢がない学習環境はあまり良いものとは言えないだろう。様々な学習法があり、それを各自の適性に合わせて選択できるという学習環境が必要なのではないか。人間はそれぞれに得意な学習方法がある。それを自らの学びに活かせるような学習環境が必要なのである。これが、今回の授業実践を通し、またその間に様々に見聞きし、考えたことを通して、今現在得たことである。

 『学び合い』はそもそもその学習方法を自らが選ぶことが大前提である。ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップは学習方法を様々に提示するが、それを選択するかどうかは子どもに任されている。そうした点は、ワークショップ型授業においては大原則なのだろうね。

[]比喩の理解はさせにくい 06:01

 8組と2組での授業。「狐借虎威」の授業である。8組は今日入ったばかり。2組はいよいよまとめの段階である。

 2組においては、この「狐借虎威」の話が江乙によって語られた例え話であることを説明し、「虎」や「狐」「百獣」が何を喩えているのかを確認させる。そして、その例えをした江乙の意図を考えさせる。その作業をプリントを使って行ったのだが、時間がおしていたので私が説明し、指名して発問しながらまとめていった。

 しかし、生徒の反応が悪い。例えが話されたその背景の状況を十分に理解できていないせいかな。だが、その背景を理解するには想像力をうんと働かさないといけないだろう。

 文章の理解には想像力が必要である。

2010-06-22

教師が設定した学びの場ではなく…… 05:48

 私は「授業づくりネットワーク」のメールマガジン「学びのしかけプロジェクト」を講読している。このメルマガは毎回非常に興味深い内容で、楽しみにしているものだ。

 今日配信されたメルマガで、山形県・寒河江市立柴橋小学校の増川秀一さんが執筆された以下の記述が、激しく私の心を打った。

 日頃の授業でのS君の様子を観察していると、自分の考えを発表する場

面や、ペアで協力しながら進める授業場面では、前向きに取り組む姿が多

く見られることがわかりました。反面、自分の席で教科書の要点をノート

に整理したり、黒板に書かれた内容を写したりする授業場面では、手遊び

をしていることの多いことが分かりました。そのことから、S君を授業に

参加させるには、考えを発表する場や友達との関わりを持つことのできる

活動的な要素を授業に取り入れることが大切であることを感じました。つ

まり、教師の設定した学びの場にS君を当てはめるのではなく、S君に合

った学びの場づくりを行うという発想への転換です。その学びの場づくり

のヒントになるものとして、私は国際理解教育セミナーで紹介していただ

いたアクティビティに目を向けたわけです。

 この「教師の設定した学びの場にS君を当てはめるのではなく、S君にあった学びの場づくりを行うという発想への転換」という箇所は、先日私が東京の喫茶店で考えついた視点に通じるものがある。それは、

教師が場を設定しただけでは活動は活性化されない。活動を活性化するには、その活動が生徒にとって価値のあるものでなければならない

という視点である。

 私が追究しようとしていることと共鳴するようなことが早速立ち現れてきて、とても嬉しい。

 この「学びのしかけプロジェクト」メルマガは非常に有益である。皆さんにお勧めしたい。

[]句法、重要語法のオンパレードだ 05:32

 2組と10組での授業。「狐借虎威」の授業の、それぞれ2時間目と1時間目である。10組は読みを多少始めてはいたが、内容に入ったのは今日が最初である。

 漢文の勉強を始めて最初の文章だが、この「狐借虎威」の文章は句法や重要語法のオンパレードである。「而」の接続の助字としての働きから始まり、「無敢〜」の特殊な否定形、「使〜」の使役形、「以A為B」の語法から「以為(おもへ)ラク」の読み方、「敢不〜乎」の反語形、「遂に」の意味、などなどなど。いやぁ、教えるべき内容がてんこ盛りで、すごかった。さらにこれらを駆使しして口語訳を終えた後、「狐」や「虎」「百獣」が誰を喩えたものか、そしてこの話をした江乙の意図について考えさせねばならない。いい文章だねぇ〜。

 このてんこ盛りの内容を、2組はガンガンと訳していって、でもやはり終わりきらなかった。うーん、2時間をかけても終わりきらないか。こりゃ困ったな。しかし、幸いなことに次の文章は「守株」であり、こちらは語法的には重要なものが少ないので、時間をかけずに教えられるだろう。そこで進度調整をするか。

 今回の漢文を口語訳させる際には、音読練習をした隣同士でペアを組ませ、そのどちらかが口語訳すべき箇所を音読し、もう片方が口語訳する、という方法を取り入れている。生徒の心理的負担感を軽減させるための手法である。今のところよく機能している。

 また、今回は漢文の全文を白文で黒板に板書し、そこに語法的な説明や口語訳などを書き入れて示している。そうする前に、全員一斉で音読する際に、まずは教科書を見て一斉に音読した後、黒板の白文を見て全員で音読するようにさせている。これは気持ちがいい。全員が白文を見て、全文をきちんと音読できている。まあ、私が読みの順番を指し示してはいるけれどね。

 漢文は音読が何よりも重要である。白文を見てちゃんと読めさえすれば、学習内容の6割は習得できたも同然だ。ガンガン音読させていこう。

またも仕事が追いかけてきたかな 05:32

 もうすぐ試験であるため、試験問題を作らなければならない。そういう忙しい時期なのに、大学での勉強の関連でなすべきことが2つある。今まで少しずつ準備をしていたつもりだが、いよいよその締切が、1つは今週金曜日、もう1つは今月末に迫ってきた。仕事に追いかけられている状態である。

 そのように勉強で苦労するということは、今まで願ってもできなかったことなので、ありがたいことではある。でも、苦しいことには変わりがない。しかし、ありがたいことだと今の状態を喜んでいよう。実際、こんな経験はめったにないことなのだから。

2010-06-21

[]「羅生門」の授業もいよいよ終盤である

 6組と3組での授業。6組は6時間目、3組は7時間目である。6組は相変わらず話し合いが不活発である。そこで少々説教をし、話し合いをすることの重要さを訴える。そのせいか、最後の方では少し話し合いが活性化されたかな?

 3組では主題の探究の段階に入った。以下のような流れで行った。

  1. 最初に、もう一度「下人が……になる(する)物語」という形に合わせて、『羅生門』のテーマをまとめさせる
  2. 下のプリントを使って、『羅生門』の主題について再考させる
  3. 個人作業で考えた結果をグループで検討させ、各自の考える主題について考えさせる

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実際は、前回の授業でのレポート結果について説明する時間が長くなり、上記の作業の時間配分が少なくなってしまった。これは大失敗。生徒に十分に考えさせることができなかった。

 でも、少なくとも第2段階の個人作業はそんなに時間をかけなくても大丈夫なのではないかと考えた。プリントのように、埋めるべき部分は少ないし、比較的埋めやすい内容を尋ねているからだ。事実、15分ほどの時間しか取れなかったが、大半の生徒は枠内を埋めていた。⑤の「同じような内容の話を思い出してみよう」というのは難儀していたようだが。ちなみに、私の考えるのは「原型の『赤ずきんちゃん』」である。原型の「赤ずきんちゃん」は赤ずきんが狼に食べられて終わってしまう。その教訓は……、「親の言うことを聞かないとひどい目に会う」ということである。このしょうもない結末はしたたかさを身につけた下人に通じるものがある、と思うのだが……。ちょっと苦しい? あなたならどんなお話を思いつきますか?

 生徒にはプリントを提出してもらった。これを見るのが楽しみである。彼らはどんなことを考えてくれたか、こうした授業を行う楽しみはここにある。

[]「狐借虎威」の授業

 2組での授業。「狐借虎威」の音読をし、口語訳に入っていく。本来はもっと漢文の訓読や書き下し文の練習をさせるのだが、試験までの残り時間を考えるとそうも言っていられない。毎時間の始めに漢文訓読の小テストをするので、それで対応してもらおう。

 口語訳は生徒に隣同士ペアにさせ、片方が一文を音読し、相方が口語訳をする、という形で進めた。その方が少しは教室に風を通すことができそうだと思ったからだ。また、指名されることのストレスを少しは軽減できるだろう。生徒は、少しリラックスした感じで音読し、口語訳をしてくれた。

 口語訳はいきなり助字の説明をし、そして句法の説明へと移る。この「狐借虎威」は重要な句法がいくつも出てくる。最初に扱う漢文としてはなかなかヘビー級である。説明すべきことが多い。でも、教師が主体とならざるを得ない授業は、仕方がないとはいえ、面白くないなぁ。

2010-06-19

東京青山同窓会に出席してきました 07:51

 18日の金曜日、授業を1つ終えて、午後からは東京へ出張に行った。本校の同窓会の一つ、東京青山同窓会の新人歓迎会に招待されていたのだ。この同窓会では毎年この時期に新人歓迎会を行う。そして、その際に担任だった教員を数名招待している。私は前の学年の時にも招待されたが、今回もまた招待された。と言うよりは、校内で誰が行くか人選をするのだが、今回も当たっちゃったわけだ。まだ行ったことのない同僚には申し訳ないな〜と思いながら、東京へと向かう。

 早めに着いたので、会場近くの喫茶店で抹茶ラテを飲みながら頼まれている原稿の構成を考える。それを考えているうちに研究に関する重大なアイディアを思いついた。まぁ重大かどうかはさておいて、今後検討すべきアイディアだなぁ、と思う。

 さて、東京青山同窓会である。今年は新人たち、つまりは卒業生たちが大勢参加してくれた。50名近くの参加である。クラスごとに紹介されたのだが、中でも3組の出席率が異常に高かった。35名中11人の参加であった。3組の結束は素晴らしいですよ! 担任のW先生!

 我が1組は5人の参加であった。他にも嬉しい顔ぶれがいっぱいいて、私としては実に楽しいことだった。何しろ、彼らが卒業してからまだ3か月ほどしか経っていない。今回は、懐かしさ、よりも親しみの方をより強く感じた。自然さである。彼らに会うことが、よく知っている顔・顔・顔を見ることが、何か自然である。本当に嬉しかったなぁ。

 さらに嬉しいことには、4年前の卒業生たち7人にも会えたことだ。女子ばかりだったが、全員私がよく知っている卒業生たちだ。Mさんは我が8組だったね。こちらは懐かしく、しかしまだほとんど変わらない彼らの姿に嬉しく感じた。どうも卒業生に会うと、豹変してしまったような場合は懐かしい反面、寂しく感じるものだ。でも、今回の7人は、もちろんそれぞれ成長しているものの、在学時の面影をまだまだ残していて、私にとってはほっとした気持ちになる。彼女らのほとんどは大学4年生。就職先が決まった者や、まだ就活中の者、大学院に進学しようとする者など、様々である。すべての彼らに幸多かれ、と祈らずにはいられない。

 同窓会は楽しく過ぎていった。今年は日本航空のパイロットだった同窓生の講演があった。これは非常に興味深かった。パイロットになったいきさつや、飛行中のパイロットとしての仕事、そして様々な外国へ行った際に現地の文化を貪欲に吸収すべきことなど、40分ほどだったろうか、分かりやすく話してくださり、とても興味深かった。

 最後は恒例の校歌斉唱、そして「丈夫」である。校歌斉唱ではW君の指揮の下で大合唱した。素面であのパフォーマンス、彼はやはり大物である。そして、S君とK君の指揮で応援歌「丈夫」を大合唱した。いやぁ、さすがに同窓生の迫力は違うなぁ。

 というわけで、金曜の夜は楽しい時を過ごしましたとさ。

2010-06-17

[]残り時間が厳しくなってきた 07:02

 2組での授業。漢文訓読の練習である。しかし、この2組は他のクラスと違ってテストまでの残り時間が少ない。他のクラスはもう漢文訓読の練習を終えているのに、2組は今日はスタートである。さらに、その授業は耳鼻科検診のために半分つぶれてしまった。残りの30分ほどでとりあえず返り点の種類と説明をし、後は自分で学習させようとしたところでチャイムが鳴ってしまった。しかも、4限だったせいか、体育祭の影響がまだ残っているのか、このクラスの特徴か、居眠りをしている生徒が何人かいた。

 全く、漢文訓読などは説明を聞いているより、自分で練習してみた方がずっと理解が早い。それでも、ほとんど説明しなかった10組では、生徒が「分からない、分からない」と連発していた。ある程度詳しく説明をした8組では、さほど生徒は質問に来なかった。そう思って、この2組でも詳しめの説明をしたのだ。それが徒だったかなぁ。

 自分でやってみて、自分で何が分からないかにぶつかって、それを自分でもがいて解決する。その経験こそが「学び」そのものだと思う。あまり教えすぎると、せっかくの「もがき」の機会を奪ってしまうなぁ。

 明日も授業がある。明日で漢文訓読+書き下し文の説明は終わりである。解説はなるべく少なくして、できるだけ彼らに練習時間を提供しよう。

[]話し合いの低調さと成果のアンバランス……? 07:02

 昨日は6組の授業があった。全体の5時間目。山場の部の前半、下人が老婆を取り押さえ、老婆が「なるほどな……」と語り終えるところまでである。

 前回の授業から席替えが行われ、新しいグループ編成で4つの役割を準備してこさせた。そこで話し合いをさせたのだが、以前とは違って話し合いが低調なグループがいくつも見られた。話し合いに積極的な者がいくつかのグループに集中してしまったようだ。そのグループは以前にも増して話し合いが活発なのだが、それ以外のグループのいくつかはまだ人間関係が十分に結べていないらしい。各自が用意してきた役割に基づいた発表が一巡した後、むっつりと黙り込んでいる。そんなグループが少なくとも3つある。うーん、これは困ったなぁ。前の組み合わせではここまで停滞しなかったのだが、今回はひどい。

 そもそも、グループ編成を途中で変えてしまうことが間違いである。この授業は4つの役割をグループ内でローテーションすることで、すべての役割を全員が経験することを狙っている。そのグループ編成が変わってしまえば、4つの役割すべてを経験することができなくなる。「実験だー」と思って席替えしたままでグループを組ませてしまったが、やはり失敗だった。

 しかし、後で生徒が提出した報告を読んでみると、停滞していた1つのグループのメンバーが鋭い読みをしていた。うーん、話し合いの好調さと読みの深まりとは比例しないのかなぁ。個人作業の方が鋭い読みができる、ということか。

 今度は個人作業をした後、グループでの話し合いをさせてみようか。

2010-06-15

[]振り返りにヒントがあるだろうか 07:18

 暑い1日だった。後から後から汗が噴き出てくるような中、3組の授業があった。全体の6時間目、「羅生門」の内容読解の最後である。下人が老婆の弁明を「冷然として」聞いた後、下人の中に勇気が湧いてきて、老婆の着物を引はぎ、「夜の底」へ駆け降りていくという最終の場面である。

 昨日の授業で提出された多様で、鋭い読みを示したものを紹介し、生徒を思いきり誉める。こうすることで今日の読み取りにも深い読みを期待してのことだ。3組という環境だからだろうか、あるいは今日の場面が力があるのか、話し合いの最中は終始活発に意見交換をしている姿が見受けられた。もうこうなると教師の出る幕はない。後は彼らの話し合いが少しでも快適な環境の中で行われるよう、窓を開けたりして調節するだけである。こんな時は彼らがとても頼もしく見える。思うに、授業というのは教師は暇にならなければならないのではないかな。生徒が学習するのであって、その間、教師は暇のはずである。まあ、そう一概には言えないか。

 そんな授業をしているといくつかの疑問が起こる。

  1. 話し合いが活発になるのはグループのメンバーの組み合わせによるのか、課題内容の興味深さによるのか
  2. メンバーの組み合わせの場合、どのような組み合わせが話し合いの活発・不活発を左右するのか
  3. 課題内容による場合、どのような課題内容が話し合いの活発・不活発を左右するのか

 そして、他のクラスの生徒の「振り返り」を読んでいて、次の疑問も浮かんだ。

  1. 「わかったこと」であまり妥当とは言えないことを書いている生徒は、何故そのようなことを考えたのか
  2. 「わかったこと」で妥当ではないことをどのようにすれば修正できるのか

 こうした授業をして、生徒からたくさんのレポートを提出させ、それらの記録を見ていると、様々疑問が湧いてくる。そのすべてに解答できるわけではないが、授業には実に様々の現象が起こっているのだということには気づく。それらの中で、何か追求できるものはあるだろうか。

[]「狐借虎威」の授業 07:19

 8組での授業。昨日の10組と同じように、「訓読に親しむ」を使って音読の練習をし、さらに「狐借虎威」の音読練習を繰り返させる。今日はこれだけで1コマ全部を使った。もちろん「狐…」の音読練習を始めたのは授業の半ばを過ぎてからだが、それでも音読にかなりの時間を必要としたのは確かだ。それだけ、生徒にとって初の本格的な漢文を音読するのは大変なことだったのだろう。でも、ここでじっくり時間をかけることが必要だと思い、1コマ全部を使う覚悟で音読練習をさせた。

 まあ、良かったんじゃないかな。これ以降の進度には影響が出るだろうが。

2010-06-14

1日明けて、通常授業再開 00:32

 青陵祭から1日明けて、今日は授業日。復旧作業の予定だが、既に昨日3年生が後片付けを終えていてくれたので、我々は校舎内の大清掃をする。昨年はこの3年生の後片付けに参加できずに、悔しい思いをした。生徒たちが頑張っているのに、いくら頭痛がしたとはいえ、家で寝ていなければならなかった自分が悔しい。

 今日は徹夜明けの状態で学校に行き、大清掃の指示をする。1年生たちに、復旧作業がもう終わっていることを懇々と説いておく。再来年には君たちがそうするのだ。

[]やっと期待していた効果が現れたかな 00:32

 3組と6組での授業。3組は全体の第5時間目、山場の部の前半まで読み進める。6組は全体の第4時間目。展開部の、下人が老婆に憎悪の心を燃やす場面までだ。

 正直言って、この「『羅生門』をグループで読む授業」は失敗だったかな、と思っていた。グループで読み進めさせているが、中にはいつまで経っても話し合いが活発にならないグループがある。活発に話をしているグループであっても、その内容の質をどうやって担保しようかと悩んでいたところだった。

 しかし、今日の3組の授業の後、生徒が提出した記録を読んでいると、私が本を読んでようやく理解し得た内容にまで、生徒たちがちゃんと到達しているのを見いだした。むろん、そのレベルまで読んでいるのは一、二人に過ぎない。しかし、私はそれらの意見をプリントにしてクラス全員に次の時間に配布している。したがって、そのような深い読みまで到達したことは生徒に知らせているのだ。あるいは、こうした他の生徒の読みを紹介し続けてきたことが良い効果を生んでいるのかもしれない。教員がどんなに深い読みを示しても、それは教室空間で圧倒的な権威を持つ教師が与える読みであり、生徒にはそれはただ受容するしかないものだ。しかし、他の生徒が読んだ内容ならば、素直に受け入れられるとともに、自分もそんな読みをしてみようと、これまた素直に思えるのではないだろうか。そんな効果を、この授業は挙げているのかもしれない。

 ふーむ、面白いね。そうしたことを、最後のアンケートで拾い上げられるようにしてみようか。

[]漢文の授業に本格的に入る 00:32

 10組での授業。漢文に本格的に入ってきた。まずは訓読の小テストを行う。しばらくこの小テストを続けていこう。そうすることで、生徒の訓読の力が少しでもつけばよい。

 そう、我がクラスはついに席替えをした。10クラスの中で一番遅かったのではないかな。私が担任したクラスにしてはずいぶん遅い席替えである。生徒に一切任せているので、生徒たちでその気運が高まったのだろう。良いことである。

 その新しい席の中、次は「訓読に親しむ」という教科書の教材を用いて、訓読の音読練習をさせる。その後、早速「虎借狐威」を音読する。そして、生徒に予習させてきた書き下し文が正しいかどうかを新しい席の隣同士で確認させる。その後、正答のプリントを配る。

 今日は55分授業のため、残念ながらここまででおしまい。他校の大半は55分授業を展開していることを考えると、「短いなぁ」と痛感する。65分授業でも短いと感じることがしょっちゅうなのに。

2010-06-12

青陵祭! 07:34

 今日は本校の体育祭、「青陵祭」であった。昨年とはうって変わった気持ちのよい晴天の日、一昨年は「地震」、昨年は「雷」、今年は「火事」が予想されたのだがそんなこともなく、実に穏やかに今年の青陵祭は行われた。

 昨年のように、自分たちがやらなければならない!という意識がほとんどないものだから、私自身は全体にのんびりとした関わり方であった。今日も、若干体調が悪いせいもあって、ほとんどテントから出ずに観戦に徹していた。

 嬉しかったのは、昨年の卒業生たちが大勢来てくれたことだ。特に我が1組の生徒たちが7人くらい来てくれた。変わらぬ姿、変わらぬ彼ら。一瞬タイムスリップしたような気持ちさえする。皆元気で、大学生活やら予備校生活やらを過ごしているようだ。皆、最後までいてくれた。これまたありがたい。ある卒業生が「青陵祭にいい思い出のある者が来るんじゃないの」と言っていた。なるほどね。生徒会のOBたちも来ていたようだ。それも、その説を裏付ける事実だね。生徒会の働きは半端じゃない。今年は生徒会本部の隣の席に座っていたので、彼らの準備の稚拙さや、しかし臨機応変に対応していく姿やらを見て、その苦労と活躍のほどを良く知ることができた。

 さて、ほぼ何事もなく終わった今年の青陵祭だが、我が10連合は競技2位、総合3位という成績であった。確かに、競技での活躍は目立ったなぁ。期待していたが、良かった良かった。

 というわけで、これで7回目の青陵祭。今年も楽しく盛り上がった。

2010-06-11

疲れがたまったかな? 23:46

 昨日は古典の授業1つだけだったのに、夕方になってどうにも具合が悪くなり、家で静かにしていた。おかげでこのblogも更新できなかった。

 今日もSHRの時から大汗をかき始め、1限では滝のような汗。そのためか体の芯の力が抜けていくような感覚になり、ぼうっとしてしまった。その姿をたまたま見られた学校長の勧めで、今日は午後から休養をとった。実は今日は大学の研究指導の日だったのだが、そしてそのために昨夜は遅くまでかかって準備をしていたのだが、結局無駄になってしまった。うーむ、やはり体力が研究には必要だなぁ。

 明日は本校の体育祭があり、今日は予行であった。その予行も途中で抜けて、家で休むことにした。7年間の勤務で予行を欠席したことなど初めてだ。いろいろなことがあるねぇ、今年は。

[]「羅生門」をグループで読む授業 23:46

 9組での授業。全体の5時限目に当たる。今日は山場の部の前半、下人が老婆を捕らえて組み伏させ、憎悪が消えてしまった後で、老婆の答えを聞いて再び憎悪が起こった時に、「なるほどな」と老婆が語るその言葉の終わりまでの部分である。下人の心理の速い変化、その理由とそれが何を示すのかなどなど、考え所の多い箇所である。

 しかし、今日は体育祭前日のために50分授業であった。しかも、SHRで連絡事項は多いは、体調はおかしくなるは。また、9組は席替えをしており、この2時間話し合いをしていたグループが解体されてしまっていた。今回の授業は4つの役割を4人のメンバー全員が1回ずつ経験するというのが大きな眼目であるので、生徒には申し訳ないが、前のグループに組み直してもらう。それらをしているうちに時間はどんどん過ぎてしまい、話し合いの時間は実質35分程度しか確保できなかった。うーん、これは困ったなぁ。次回の第6時限目も生徒の席を元に戻して実施しなければならない。途中までは、新しい席で新しくグループを組み直してもいいかなぁ、と思っていた。しかし、今回の授業の大きな目的を考えると、それは不可能であることに気づいた。やれやれ。困ったことになった。

 それでも次回の1時間のみのことになるので、仕方なかろう。今のグループはそれぞれのカラーがだいぶ固まってしまった印象がある。話し合いが活発に進むグループと不活発なグループとが固定化された。できれば組み替えしたいところなのだが、まあ今回は仕方ないだろうな。

教育実習生の最後の研究授業 23:46

 上記のように体調が悪い中、教育実習生で最後に研究授業をする者が授業を行っていたので、見に行った。全部は見られず、後半の20分程度だったろうか。

 生物の授業で、減数分裂を扱っているものだった。減数分裂することでどれくらいの多様性が生まれるかを生徒に計算させていた。その際、この計算は指数法則を使うと簡単になるのだが、1年生段階では指数法則を知らないので、生徒に理解させるのに苦労していたようだ。

 もっと生徒に話し合わせたり、やらせたりする場面を増やせばいいのにと思うが、それでも生徒を動かそうと努力していた。実習生としては上出来だろう。いい研究授業だった。

 今年の実習生は、私が意識してできるだけ多くの研究授業を見ようとしたせいか、どれもよく工夫された良い授業だった。さすがは我らが教え子。良い後輩となってくれそうである。まあ、全員が採用試験を受験するわけではないが、できれば多くの者が後輩となって欲しい。そうしてこそ、新潟県の教育は前進するのだろうからね。

2010-06-09

物理は実験ができるのだね 02:13

 教育実習生の研究授業が次々と行われている。ということは、彼らの実習がもうすぐ終わる、ということだ。寂しいなぁ。それぞれは2週間、または3週間を頑張ってきた。何だかもうそんなに時間が経つのか、と時の経つことの速さを感じる。私の大切な卒業生たちだものね。

 今日は物理の実習生の研究授業があった。彼女を2年間教えた者としては、彼女の大きな成長ぶりを嬉しく、またまぶしく感じる。残念ながら私自身の授業とだぶってしまったので、途中のほんの10分間くらいしか見ることができなかった。

 4人ずつのグループを作らせ、厚紙でコマを作らせて、どのようにしたら良く回るコマが作れるか、という「実験」をさせていた。その結果を踏まえて、良く回るコマの計算方法を教えていた。そうか、物理という科目は実験をさせることができるのだね。しかも、ごく簡単な道具で。その実験で得た知見を元に、物理現象の原理を理解するとともに、その計算方法も生徒自身が見つけるようにすると、なおいいのだろうなと思った。

 国語において、この「実験」に当たるようなものは何かなぁ。そうした知見によって自分で計算法を見つける、という授業を国語でできるかなぁ。

[]漢文訓読の授業 02:13

 8組と2組での授業。8組は漢文訓読の練習に入る。「ますらを漢文訓読」のプリントを配り、生徒に自主勉強をさせる。ただ、今回は10組の時よりも説明を少し詳しくする。様々な種類の返り点の説明の中で、いくつかのパターンを示してやったり、間違いやすいパターンを示したりした。そのせいか、10組の時とは違って「わからない〜」と嘆くような生徒の声を聞くことはなかった。うーむ、説明を多くすれば、その分自分たちが学習を進める時間が少なくなって困る、と思うんだけれどな。

 2組では「丹波に出雲といふ所あり」のまとめをまずは行う。聖海上人の「感涙いたづらになりにけり」という結末を迎えたのは上人の勘違いが原因だが、では、上人は何故勘違いしてしまったのか、という質問を生徒に考えさせた。その答えは、私が想定していた3つのパターンのすべてが出てきて、感心した。「宗教家の視野の狭さ」に類するようなアイディアは他の2つのクラスからは出てこなかったものだ。いやいや、大したものだ。

2010-06-08

これはまるでライティング・ワークショップではないか! 03:05

 今日は教育実習生の研究授業を見学しにいく。私が4年前まで教えていた実習生である。美術の授業であった。美術の研究授業は、今までは途中から見に行ったことがある。しかし、最初に生徒にどのように指示するかに関心があったので、今回は最初から見た。

 正直驚いた。その授業の進め方に、である。この実習生の美術の授業は次のようにして行われた。

  1. 今日の作品製作の手順を説明する。題材は江戸時代の絵画の写真等を使ったコラージュ作品を作ることである。そのコラージュには、台紙の余白を活かして素材を貼る方法と、余白を残さないで埋め尽くす方法とがある。どちらを選んでも良い、とする。また、ある物語の一場面というスタンスで画面構成をするよう指示する。
  2. 生徒に制作をさせる。その際、机間巡視しながら生徒の質問を受けたり、技術アドバイスをしたり、作品の意図について質問したりする。
  3. 30分後に、クラス全員(19名)のミニ発表会をする。
  4. 仕上げと後片付けの指示。

 これの何に驚いたか。これは、ある授業と酷似した進め方である。そう、ライティング・ワークショップである。

 ライティング・ワークショップは次のようにして進められる。

  1. ミニレッスン:生徒に必要と思われる表現技法について説明する。ただし、それを用いるかどうかは生徒に任される。
  2. 作文:その間はカンファランスの時間。教師は机間巡視して、生徒の作品について質問をし、共感する。
  3. 発表:生徒を「作家の椅子」に座らせて、1人または2人くらいの作品を発表させる。聞いた者は発表者への「ラブ・レター」を贈る。

 この形と美術の授業の進め方は全く同じだ。しかも、表現技法を教えるが、それを採用するかどうかは生徒に任される点、カンファランスで生徒の作品を評価はせず、共感とアドバイスのみにしている点、最後に発表の時間がある点などはライティング・ワークショップの特徴をよく表している。なるほど、ライティング・ワークショップは芸術の授業なのだ。

 上條晴夫さんがご自分のブログで、「ワークショップは『工房』のイメージだが、ライティング・ワークショップは『芸術の授業』のイメージが近い」と書いておられた。まさにその通り。ライティング・ワークショップは芸術の授業である。

 であるならば、リーディング・ワークショップも似たように進むのかな。芸術の授業としてリーディングが進むのだろうか。面白そうだ。

[]「羅生門」をグループで読む授業 03:05

 3組での4時間目の授業。今日は展開部を読む。下人が羅生門の梯子から2階の老婆の様子を見る場面である。

 相変わらずこのクラスは活発に話をしている。しかし、活発さと話し合いの深さとがリンクしているとは限らない。後で彼らのプリントの内容を良く確認してみよう。

[]漢文訓読の授業 03:05

 10組での授業。漢文訓読の2時間目。今日は書き下し文に直すことを中心に説明をし、練習させる。最後の5分間で返り点についての小テストを行い、採点させる。

 訓読の練習の授業はこれで終わり。次回からは文章を読む。「狐借虎威」である。句法もあるし、楽しい教材だ。

2010-06-07

ブクログをリンクしてみました 07:09

 ブクログは、しばらく前に登録して稼働させてはいたが、まだほとんど登録をしていない。でも、これから読んだ本や読みたい本などを登録していこうと思う。右下にリンクを貼りました。ご参考になれば幸いです。(^_^)

[]「羅生門」をグループで読む授業

 6組と3組での授業。どちらも全体の3時限目である。この時間は「羅生門」の導入部、下人が羅生門の下でいろいろと考えている場面を読む。それを、4つの役割を割り当てられた4人1グループで読み進めていくわけだ。

 2つのクラスで同じことをしてみたが、どちらも大変和気藹々と話をしていた。ただ、中には話の停滞しているグループもあるし、明らかに「羅生門」以外の話をしている時があるグループもある。もっとも、こうしたグループでの話し合いをしている時に当該の課題以外の話を全くするなという方が無理ではあるが。しかし、何となく今回は、2つのクラスとも私個人としては不満を感じた。もっと話をして欲しいし、もっと鋭く切り込んで欲しいと思う。でも、それもまた無理な要求なのかなぁ。私が今「羅生門」の読みについて知っているいくつかのことは、長い時間と何冊もの参考書を読んでの上でのことだしね。それらを、初めて読んだ高校1年生に要求するのは無茶な話だ。彼らの読みの中で、少しでもそうしたものに達する者が出てきてくれればいい。いや、そもそもこの授業の目的は、生徒が自分の読みの力を伸ばしてくれることなのだから、その読みの力がこうした授業で伸びてくれればいいのだろう。

 生徒の用意してきたプリントや話し合いの内容、さらに授業後の振り返りをすべて回収してコピーしてある。それを分析し、生徒がメタ認知を持てていることを確認できればありがたいな。実践後のアンケート結果も楽しみである。

[]「丹波に出雲……」の授業

 2組での授業。ようやく「丹波に出雲といふ所あり」の口語訳を終えた。2組は本当に遅れているなぁ。それでいて残り時間は他の2クラスより少ない。時間割と行事予定の組み合わせのマジックである。それでも今後の予定上は大丈夫のはずなのだけれど。

2010-06-05

[]結局、狙いと方法が一致しないんだな 08:07

 金曜日は来週行われる体育祭の代休日であった。と同時に、大学院の研究指導が午後からある。その準備に、午前中は(というか夜中から)忙殺された。はい、ちゃんと「宿題」があるんです。この年になって宿題に追われるようになるとは思わなかった。でも、そうした宿題でもなければ、仕事をしながら研究をしようなどということはできないかもしれない。だから、非常にありがたいことだと思っている。

 研究指導は公刊されている博士論文を読み、それについてレポートをするというものである。今読んでいるのは、私のマップ指導の基本文献といえる『語彙力と読書』(塚田泰彦著)である。

 しかし、結果からいうと、私は全く勘違いをしていたことが明らかになった。というより、ちゃんとそのように指導され、指示されていたのに、私はそれを守らなかった、ということである。指導してくださっている先生は私に「博士論文の構成や手法、論の運び方を見て、まとめてくること」を課題としておられた。しかし私は本の内容をまとめてしまったのだ。

 うーむ、そういえばそうだよねぇ。確かに今回の本は私のマップ指導と深い関わりのある本ではあるが、そして「読解」と「読書」の乖離という問題や「読書」という読みの指導があることに気づかせてくれたりして、ついつい内容の理解に意識がいってしまったのだ。また、先生から上記のような指導を受けていたのに、何しろそれから1か月以上経ってしまったからね。

 先生はそのことを指摘してくださり、博士論文を読むことの意義をもう一度教えてくださった。うーむ、やはり人間は対面で教えてもらわない限り、自分の間違いに気づかないもののようである。

 次の課題もいただいた。今度は、この宿題が自分のためであることをしっかり自覚して取り組まねば。

 その後で、修士の大学院生のゼミに参入させていただいた。その場所で、今取り組んでいる「羅生門」をグループで読む授業について報告し、意見をいただいた。ここでもまた、私の取り組みの甘さが露呈されることになる。

 私は、今回の授業の目的として「生徒自身が自分で問いを立てるようになること」を挙げている。様々な読みの方法を経験すること、そして生徒が自分で問いを立てる力を育てることが重要な点である。しかし、私は生徒に読みを立てることを要求していながら、自分で「質問例」をプリントにして与え、さらにその解答例まで与えている。実は、一連の学習の終わりに、教科書傍用ワークをプリントにして与えようとまで思っていた。それらはすべてテスト対策である。今回の授業は教師主導の形はできるだけ押さえているため、それでは不安に思うであろう生徒の負担軽減のためにこれらの質問例やらプリントやらを与えている。当然のことながら、それは授業の目的である「生徒自身が自分で問いを立てるようになること」を自分自身で否定している授業になってしまっている。

 うーむ、これまた自分の甘さを深く感じさせることになってしまった。この授業の構想を立てていた時は、生徒が自分で問いを立てることも狙い、さらに質問例を与えることで不安の解消も狙ったものだった。だが、それが目的と方法の不一致を招いてしまったのだ。

 やはりこういうことも、人から言ってもらわないと気づかないものだ。自分では、自分のやり方には一応一貫した理由があると思っている。しかし、当事者にはその矛盾点が分からなくなってしまうことがある。他人の目の重要さを、今更ながら気づかされた。

4年前の卒業生たちと旧担任団との同窓会 08:07

 今日は、教育実習生に来ている4年前の卒業生たちと、彼らを担任した旧担任団との同窓会兼実習生激励会が行われた。4年前の担任団11名中、部活の用事で来られなかったお一人を除く10名が揃った。実習生8人も全員揃った。いやぁ、素晴らしいことだね。私は実は頭痛がして、少々体調が悪かったのだが、やはり参加して良かった。久しぶりに久闊を叙し、また卒業生たちと様々に話をすることができた。

 担任団はほとんど変わらない様子である。卒業生たちも、むろん4年間の間の成長はあるものの、私の目にはあまり変わらないでいてくれていると思われた。そんな彼らと、また旧担任たちと、時を忘れて語り続けたのは実に久しぶりのことだった。いやぁ、楽しい会だった。

 旧担任たちがこれからもますます元気でいて欲しい。そして、卒業生たちの来週の実習が実り多いものであるよう、心から願いたい。4年前の卒業生諸君、仲間たちは元気ですぞ!

2010-06-03

[]「羅生門」をグループで読む授業 03:47

 3組での2時限目の授業。小説の構造分析を行う時限である。

 昨日の6組での失敗を鑑みて、3組では区切りの練習をさせることなく、小説の構造の説明をした後ですぐに「羅生門」の区切りをさせた。次のように展開した。

  1. (15分)まず、グループで相談しながら区切りをさせる
  2. (5分)場面転換について説明し、対抗する2つの勢力の出会いだけでなく、下人の位置について意識して、区切りの箇所を再検討するよう促す
  3. (15分)机間巡視して、クライマックスをいくつかの段落の範囲としていたのを見つけ、クライマックスは一点であることを全員に説明する。また、生徒から質問を受けたので、クライマックスは会話文であること、そしてクライマックスの後にも段落があり得ることを説明する

このように、見直しを何度もさせ、また説明も徐々に詳しくしていった。

 これらの結果、生徒に区切りの箇所を確認したところ、これでもまだ正確に確定はできなかったものの、だいぶズレを抑制することができた。特に発端(事件の始め)の箇所はほぼ間違いなかった。一方、クライマックスの段落はいくつかに意見が分かれた。それでも、「それではおれが引はぎをしようと恨むまいな。…」の段落を選んだグループが一番多かったので、まあ良かったかな。

 それにしてもこのクラスは反応がいい。これらの作業の間、ずっと和気藹々として取り組んでくれた。私のつまらない冗談にもちゃんと反応してくれる。こういう雰囲気だと何でも受け入れやすくなるだろうね。

 昨日書いた今後の実施計画の7、8時限目だが、マイクロ・ディベートをしたらどうだろうか? 論題は「下人が盗人になったのはやむを得なかった。是か非か?」というものとする。そして、7時限目は肯定側と否定側の意見とそれらへの反駁意見を各自が考え、これをグループで情報交換してシナリオを作り上げる。8時限目は別グループの4人を集め、ジャッジ2人と肯定側1人・否定側1人とし、ローテーションをさせてマイクロ・ディベートを4回させるのだ。マイクロ・ディベートを取り入れることによって、生徒がより一層本文を読み込み、「羅生門」という小説を自分の力で自分なりに読むことができるだろう。

[]「丹波に出雲といふ所あり」の授業 03:47

 8組と2組での授業。8組では口語訳が少し残っていたのを訳し終え、文章全体についてのまとめの課題に取り組ませる。2組では口語訳に全く入っていなかったので、文章中の形容詞・形容動詞を指摘させ、口語訳を進ませる。やれやれ。2組はずいぶん遅れているなぁ。

教育実習生の研究授業を見た 03:48

 3週目は中学校へ実習に行くので、今日で実習を終える実習生が一人いる。そこで今日、この実習生の研究授業があった。私の現代文の授業を見に来てくれた方である。英語の授業であった。なかなか熱心に実習に取り組んでいた方なので、研究授業を楽しみにして見に行った。

 結果、大変素晴らしい授業だった。実習生とは思えない堂々とした授業運びと、想定外の生徒の反応にも余裕を持って対応する姿は、ちょっとしたベテラン教師並みのものであった。

 これには、本校の英語科の授業システムも良い影響を与えているのだろう。ノート作りと予習のさせ方がシステム化されており、それに基づく授業運びができるようになっている。

 その中でもノート作りには感心した。本文をチャンクごとに区切ってノートの左ページに書写し、その脇に単語を書き出し、右ページには単語の意味、そしてチャンクの和訳を書かせている。従って、和訳は日本文としての語順にはなっておらず、チャンクごとの英語文のままの語順である。しかし、これは大変論理的である。日本文はこのチャンクごとの和訳を後で正しい語順に並べ替えればよいだけであり、むしろチャンクごとにしっかり和訳することで、内容を良く理解できる。これは古典でのノート作りにも応用できるなぁ。

 また、このようなノートを作ってくるので、授業は最初に音読をさせ、その後で隣の生徒同士で予習してきた内容を確認させている。そして、訳せなかったところは生徒同士で補うようにさせ、教師はそのペアごとに指名して、訳を大ざっぱに確認するだけである。うーむ、これはすごい。でも、予習をしてくるようにと予告してあるのだから、その予習内容を生徒同士で確認させて、それでも分からない箇所を教師が補うというスタイルの方が論理的、かつ効率的だ。これまた古典の授業に応用できる。

 さらに、今日の授業では前回の学習内容を活かして、二つの相対する立場を想定させ、隣同士で英語でディベートをさせていた。学習した内容を自分なりの英語で表現させるということと、そのやりとりを通してある英語表現の違いについて着目して欲しい、という意図を持っていた。私が「羅生門」の授業でマイクロ・ディベートを取り入れようかと考えついたのも、この授業を見学したことからインスパイアされたものだ。

 いやいや、良い授業だった。ヒントをたくさんもらった。教育実習生の授業からヒントをもらえるなんて、何とも贅沢な時間だった。

2010-06-02

[]「羅生門」をグループで読む授業 07:01

 6組での2時限目の授業。全8時限の授業は以下のように進む予定である。

  1. 全文音読、「下人が〜になる物語」を考える
  2. 小説の構造分析
  3. 内容読解① 導入部
  4. 内容読解② 展開部
  5. 内容読解③ 山場の部①
  6. 内容読解④ 山場の部②、終結部
  7. 主題の確認、ライティング・ワークショップによるまとめ
  8. 全体のまとめ

 7、8時限目はどのように展開するかまだ思案中である。

 さて、6組での授業である。小説の構造分析は読み研方式の構造分析を用いて、小説全体を4つの部分に分ける。そして、この小説の構造を理解するとともに、分けるようになるのが授業の目的である。

 そこで、まずは同僚が提供してくれた「昔話による構造分析の練習」を用いて、小説の構造を説明し、「化けくらべ」という昔話で構造分析を試させる。10分間の時間を取り、4人グループ内で相談しながらやらせてみた。この練習プリントは、対立する2つの勢力が何かをまとめ、主題は何か、というところまで問う内容のものなので、生徒はそこの部分でまごついていたようだ。

 その後で、「羅生門」の構造分析をさせる。事件の発端がどこから始まるかを確認させ、クライマックスがどこに当たるかを考えさせる。それを踏まえれば、山場の部の始まりもわかり、結末がどこから始まるかもわかるはずだ。

 だが、生徒は苦戦していたようだ。そこで、舞台転換のポイントが場面の切り替えになる、ということの説明を付け加え、時間を延長して考えさせた。しかし、発表させた生徒の答えもやや的はずれなものが多かった。結局、こちらで大きく軌道修正しなければならなかった。

 うーん、なかなか難しいものだね。下人が老婆と出会う箇所は明確に分かるのだが、そこに通じる場面の最初はどこか、ということになるとなかなか正確に確定できない。場面転換を考えれば、明確に分けられるのだけれどね。

 もっと時間を十分にかけて試行錯誤をさせるべきだったのかもしれない。明日、3組の授業があるので、これは時間をかけてみようか。

2010-06-01

[]「羅生門」をグループで読む授業 06:41

 昨日は6組、今日は3組での授業。どちらも8時間を想定している「羅生門」をグループで読む授業の1時間目である。

 まずは「小説を読むことについての調査」を行う。小説の読み方がどの程度身についているかを問うアンケートである。これを集計を3クラス分行ったのだが、なかなか興味深い結果が出ている。小説を読むといっても、いろいろな方略がある。しかし、それらの方略がバランス良く身についているかというと、当然ながらそうではない。「感想が書ける」という能力が図抜けているのは皮肉っぽくて面白い。それだけ感想文をしこたま書かせられてきた、ということか。このアンケートについては、今回の「羅生門」の授業が終わった時に同じ質問項目でもう一度行う。これの個人での差をとることで、授業がどの程度効果を発揮したかを探る予定である。

 次に、4人グループを組ませる。そして、「羅生門」を4人で順番に音読する、「読み合わせ」を行わせる。この手法は、同僚が昨年行った公開授業で見て、「こりゃぁいい」と思ったものだ。これならば終始緊張感を持続して音読を続けることができる。また、一人一人が読む分量が多いので、ストーリーも頭の中に入りやすいだろう。9組でこの手法を使わなかったのが残念である。朗読CDを聞かせたのだが、居眠りしてしまう者が出てしまったものだ。

 その後、この「羅生門」を「下人が〜になる(する)物語」という形でまとめるとしたらどうなるかを、グループで話し合わせ、まとめさせる。それを各グループ代表が黒板に板書し、全員で確認することとした。「下人が盗人になる物語」というまとめ方が多かった。「下人が悪人になる物語」「下人が悪の世界に入る物語」「下人が老婆の影響で悪に染まる物語」など、多少の変形があったり、原因まで言及してまとめたものもあった。基本的には「下人が盗人になる物語」で生徒たちはまとめてきた。そこで、「下人の行方は誰も知らない」と書いてあるのに、下人が盗人になったとどこからわかる? と質問してみた。「下人が老婆の着物をはぎ取ったから」と答えた者もいるし、「『門の下で欠けていた勇気』が出てきたから」と答えた者もいた。これは良い答えだねぇ。ということで、「門の下で欠けていた勇気」とは何かを確認させ、そこから盗人になったと推定できることを示した。そして、小説を読むとはこのように書いていないことを推定する必要もあるものなのだ、と話した。

 さあ、次回は小説の構造分析である。

[]漢文訓読の授業 06:41

 10組での授業。漢文訓読を練習させる。「ますらを漢文訓読」というプリントを作り、動詞の活用の時と同様、生徒同士で学び合いをさせる。ただ、今回のプリントは練習問題が中心になり、説明の部分がやや弱くなってしまったので、冒頭に訓点のそれぞれについてやや説明する。そうしたら、途端に生徒の何人かが居眠りを始めたのには参った。体育祭の準備が始まったし、4限だったからね。それにしても、露骨だったなぁ。

 その後は、最後に小テストを行うことを通告して、学び合いをさせる。ところが、私が作成した「ますらを漢文訓読」の設問が少々難しすぎたらしく、「わからない」「理解できない」と嘆く生徒が続出した。それらの対応に追われる。うーむ、レベル設定を間違えたようだ。何しろ、生徒から質問を受けて、私自身が時間内には答えられないような設問も載っているからね。

 それでも最後の小テストは出来が良かったんじゃないかな。簡単なレベルだし、難しい問題に取り組んだ後なので、わかりやすかったと思う。生徒は2分くらいで解き終えていた。

 次回は書き下し文を取り扱う。でも、もう少しこの漢文訓読に時間を割いてやろう。