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峰本のくもり時々「学び合い」日記

2010-04-30

朝の読書のない朝は 02:27

 昨日は久しぶりの休日。家族サービスに努める。とは言っても、家族で大型店ア○タに行き、ゲームセンターで興じるという、我が家にしては珍しいことをした。長男と一緒にシューティングゲームをする。今ひとつ操作方法が飲み込めないせいか、彼よりも早くやられてしまった。無念。

 さて、今朝は朝の読書のない朝である。しかし、生徒には「自主的に朝の読書を続けよう」と呼びかけてある。どんなものかな、と楽しみにして少し早めに教室に行った。生徒はいるいる、朝の読書がないからといって遅く来るような者はほとんどいないようだった。だが、教室で机について彼らがやっていることは、読書が少し、多くは授業の予習だった。喜んで、がっくり。まあ、少しは読書していた者がいたし、早く来ることが習慣化しているので、次回に朝の読書を再開する時はスムースに行くだろう、と自分で自分を慰めておくか。

[]10組も訳を終えた 02:27

 今日は10組のみの授業。「絵仏師良秀」の口語訳を進めていく。このクラスでもほぼ順調に進めることができ、口語訳を終えることができた。しかも、8組ではできなかった係り結びの法則の説明もできた。良かった。しかし、できれば内容の確認もしたかったのだが……。さすがにそこまでは無理か。

 さて、連休明けの古典の授業は古典文法を教えることになる。動詞の活用である。これを、『学び合い』を用いてやらせようと考えている。はてさて、上手くいくだろうかなぁ。楽しみである。

 明日から連休。しかし、私にはやるべきこと、終えるべきことがいくつもある。なかなか体を休めることができない。さあ、頑張ろうか。

[]リテラチャー・サークルについて 02:27

 連休中の課題の1つ、リテラチャー・サークルについての論文を読む。これを理解するとともに、自分でも実践できないか考えてみようと思っている。

 リテラチャー・サークルを導入しようとする理由として、「読書」という行為にも様々なアプローチの仕方があり、また「読書」という行為そのものが様々な方法によって行われるものなのだということが分かった。これは驚きの知見である。「読書」はただ本を読むだけではなく、その読むという行為の中にも様々な知的活動を総動員して行われる行為なのである。よって、読書を教えるためには、単に「さあ読もう」と声をかけるだけではなく、様々なアプローチの仕方が必要だ、というのだ。これには少々驚いた。

 読書行為には「読書前」「読書中」「読書後」の3つの場面があるという。その中で、日本の読書教育は「読書前」と「読書後」の指導法はいくつかあるだけで、バランスのとれたものではない。そこで、バランスのとれたリテラチャー・サークルが有効であるはずだ、という。そして、「読書中」の指導として、日本の国語の授業で行われているのはこの指導が中心だ、という。確かに、「読書教育」としてはバランスがとれていないかもしれないが、「読書教育」指導+国語の授業、によってバランスがとれることにはならないのだろうか。国語という教科全体において、バランスがとれているのではないだろうか。

 理屈はそうだろうが、読書教育そのものがあまり行われていない現状では、やはりアンバランスな教育内容になっているのだろうね、日本の国語教育は。

2010-04-28

朝の読書試行期間最終日 02:40

 今日で13日間にわたる試行期間は終わった。平穏なまま今日も終わった。

 この試行期間についてのアンケートをLHRに行った。私のクラスだけの速報だが、まあ、大方の予想通り、きわめて好評である。ただし、「絶対にやめて欲しい」と書いたものが1名いた。これは、「朝の読書のために家を出るのや交通機関に乗るのが早くなり、大変苦痛である」「読書は既に自主的に行っているので、強制的に行われる必要がない」という理由である。他にも「あまり続けて欲しくない」と答えたものが2、3あった。この理由は、「10分間という短い時間では本を読むのが細切れになってしまう」「どうせやるのなら20分間くらいにして欲しい」という理由のようだ。これまた納得できるものだ。

 時間を延長するのは現状では不可能だ。また、現状では本来の始業時間である8時40分より早く始めなければならず、結果として朝の通学に支障を来してしまう。このあたりは本校で朝の読書を実施しようとする限り、避けることのできない問題である。これを解決する手だては、ない。「申し訳ない」としか言いようがない。

 しかし、「読書は既に自主的に行っているので、みんなと一緒に読ませられる必要はない」というのには異議を唱えたい。この教育活動は「みんなで一緒に読む」ことにこそ意義がある。みんなと一緒に読むからこそ、強制的であるからこそ、読書に真剣に取り組むことができる。しかも、読書に真剣に取り組む全体のあの静寂の中で、自分もその静寂を作り出している一人として参加しているという意識を持たせることに意義がある。確かに一人で本を読んでいるのだが、朝の読書のあの時間は「みんなで本を読んでいる」のだ。あの特殊な状況は、そしてたぐいまれなる時空間は、みんなで一緒に読むことによってしか生まれ得ない。私は、強制されることに意味がある、と思っているのだ。

 反対意見はとても貴重である。我々の実践が決して手放しで受け入れられているわけではない、ということを肝に銘じることができる。そして、他の多数意見にも耳を傾けつつ、朝の読書は今回とほぼ同じ形で継続されることになるだろう。「素晴らしい時間だ」「本をじっくり読むことができた」という肯定意見もとても大切だからだ。

 複数の視点を認識することのできた、とても有意義なアンケートだったと思う。

[]何とか訳し終えたぞ 02:40

 8組と2組での授業。今日は他に9組の現代文があったのだが、この時間は心電図・レントゲン測定と重なってしまい、結局つぶれてしまった。古典の2組も、ようやく「児のそら寝」の主題確認を終えることができた。かなり遅れているのだね。それでいて残り時間は少ない。概してそういうものだが。

 さて、8組の授業である。「絵仏師良秀」を3分の2ほど残していた。この残りをどんどん訳して行く。何しろ来月中旬に行われる小中間考査で動詞の活用を取り上げなければならないので、その説明と練習時間を確保しておかなければならない。そのため、口語訳はなるべく早く終わりたかった。今日は、そんなに急いだつもりはなかったが、何とか最後まで訳し終えることができた。

 今回の箇所には「未然形+ば」の箇所が出てくる。しかも係り結びの「こそ〜已然形」も。これらを十分に理解するためには、どうしても活用形を理解していなければならない。いよいよ、古典文法の最初の関門、動詞の活用がやってくる。しかし今年はこれを『学び合い』で教えようと思っている。課題と評価法のみを提示し、あとは生徒自身で学ばせるのである。少ない時間で最大限の効果を得ようとすれば、もうこれしかない。

2010-04-27

朝の読書12日目 06:04

 今日も全く自然体のまま始まる。明日が試行期間最終日。そして、明日のLHRで「朝の読書」へのアンケートを行う。さて、生徒たちはどのような回答を寄せてくれるだろうか。

[]良秀は現実主義者だと思うのだが…… 06:04

 古典は今日から「絵仏師良秀」に入る。今日は8組と10組での授業があった。どちらもほぼ同じスタートであり、大体同じところまで口語訳を進めた。

 まずは読みの練習。そして「けり」「たり」を見つけて丸で囲ませる。次に「をにがどば」を見つけ、これは四角または色を変えて囲ませる。前回の「児のそら寝」でやったことは、まずは繰り返させなければね。事実、「をにがどば」の箇所で主語が変わることがこの文章でも多い。そして、口語訳をさせると、「けり」をちゃんと「〜た」と変換しないで訳す者が多い。このあたりはきちんとさせなければ。次に文を短く区切って、口語訳をさせていった。

 今回、「絵仏師良秀」を予習していて思ったのだが、彼は現実主義なのだと思った。彼が依頼されていた仏画や妻子を顧みずに、自分の家が炎に包まれていくのを見つめているのは、この炎を観察することによって不動尊の炎の描写に生かし、そうして立派な仏画を完成させることによって、仏の功徳を得ようと考えているのではないか。つまり、仏の功徳を得る当てがあるから、当面の仏画や妻子は顧みないのではないだろうか。ある意味、貨幣経済が発達してきた中世において台頭してきた現実主義の、彼は申し子ではないだろうか。

 こう考えると、芥川の「地獄変」との対比が明確になる。芥川は「地獄変」において、良秀を芸術至上主義者として描いた。だから彼は、芸術作品としての仏画を完成させたあと、自殺するのである。しかし、原話であるこの「絵仏師良秀」は、現実主義者としての良秀を描いていると思う。

 この考えは、我々が使っている第一学習社の指導書に書かれている記述を大いに踏まえている。しかし、良秀が現実主義者だと後の「考察」には書かれているのに、本文の解説の中で良秀が人々をあざ笑った理由として「彼の芸術を人々が理解しないから」と解説しているのは納得がいかないなぁ。芸術への無理解をあざ笑うことは芸術至上主義の考え方ではないかなぁ。

応援歌練習が終わった 06:04

 先週から足掛け5日間にわたって行われてきた応援歌練習が終わった。1年生にとっては「恐怖の」応援歌練習である。またそれは3年生にとっても「気が重い」応援歌練習であったようだ。何しろ今年は、応援リーダーのなり手が、昨年よりなおいっそう少なかった、というのだから。世も末だなぁ。応援歌練習もそろそろやめてもいいんじゃないだろうか。(^_^)

 今日は1、2年生の合同で練習が行われた。上記のせいか、今年の3年生は今ひとつ迫力が足りないような気がした。また、工夫が足りないと言ってもいいか。もちろん、彼らは教育方法学を知らないからね。効果的な指導の仕方など思いつくもない。あるいは、方法などむちゃくちゃでも、とにかく叩き込まれた、という記憶が、伝統の継承には大切なのかもしれない。その意味でも、びしばし叩き込む必要があるのだけれどね。何となく、3年生は優しかったなぁ。もちろん、1年生はそう思えない者も多いだろうが。

2010-04-26

朝の読書11日目 07:09

 今日を含めて、あと3日間で試行期間は終わる。今週はさらに監督者の数を減らし、2人で10クラスすべてを見ていただくことにした。といっても、廊下にいていただき、遅刻者や読書以外のことをしている者を注意していただくくらいである。私が教室の様子を見た限り、残念ながら授業の予習らしきことをしている者がいた。うーん、やはり監督者がいないとだれてしまうのかなぁ。そのあたりが次回の課題である。

[]授業研究になれば良いのだが…… 07:09

 10組での授業。「児のそら寝」のまとめの部分である。私が協同作業による授業をしていることを聞いて、興味を持ってくださった同僚の先生が授業を見に来てくださった。これは本当にありがたい。私の授業には良い点も悪い点もきっとたくさんある。それを、客観的な目で見てくださるのはとてもありがたい。まあ、往々にして終わったあとに特にコメントをいただけないのだが、それでも授業を見てくれることには意義がある。よろしければ、どんどん見て欲しい。そして、ほんの一言でいいから、コメントをいただけたらありがたい。今回も、「やはり生徒が話し合うのはいいですね」と言ってくださった。ありがたい。

 「児のそら寝」の背景について生徒に話し合わせ、考えさせる。今回は、前回8組でやった時よりは少し時間を縮め、私からの説明もできるだけ簡素にした。あまりどぎつい説明はまだ彼らには早すぎると考えたからだ。

 児が僧たちから「かいもちひ」が出来上がるのを待っていたと思われたくないと考えた理由や僧たちが最後に笑った理由などを考えさせる過程で、児と僧たちとの関係を深く考えさせた。生徒にグループで考えさせ、何人かに指名して答えさせたのを黒板にメモし、それを用いて考えをまとめていった。僧たちが児に対して好意を持っていたと考えられること、そして児もそうした僧たちの思いを裏切りたくないと考えていたことなどを、指名した生徒の答えや積極的に発言してくれた生徒の答えなどをまとめつつ説明していく。ここまでくれば、児を描いた絵を見せ、彼が僧たちの恋愛の対象だったのだ、と言っても、どうやら軟着陸的に受け入れてもらえたようだ。授業後に集めたプリントにも、今日の授業での話し合いは面白かった、古典の背景が分かって面白かった、という意見が寄せられていた。

 なるほど、児と僧たちの関係を確認し、そこから背景を説明するといいのだね。こうした流れは、実はその授業の最中に思いついたものだ。しかも生徒の反応を見ながら。やはり授業は生徒との関係において作り出すものである。また、そうでなければ面白くない。

[]生徒が「よしっ!」と手振りをしていた 07:09

 9組での授業。「好奇心」の4時間目である。この文章にここまで時間をかけるつもりはなかったのだが、結果的にそうなってしまった。

 今日は、文章に関する詳細な設問を用意したプリントを使って授業を進める。まずは生徒たちに個人作業でこのプリントを解答させる。次に、グループを組ませて各自の解答を確認させ、答えをブラッシュ・アップさせる。その際、A4用紙に十字を書いて4つの場所に区切った形のプリントを用意し、それを1グループに1枚ずつ置いていく。4つの設問の番号を書かせ、それぞれの設問の担当者を決めさせる。その担当者が他の3人の意見を聞きながら解答をまとめていく。終わったら、次の設問の担当者に紙を回し、次々に解答をまとめていく、というようにさせた。狙いは明白である。こうすることにより、グループ員の全員が話をするようにすること、ひいては話し合い活動を活発にさせるためのアイテムである。

 話し合いの様子を見ていると、前回よりは話し合いは活発になったような気がする。しかし、相変わらず活発に話し合うグループと、静かに個人作業をしているのが目立つグループとがある。この静かグループを何とか活性化させたいものだ。もちろん、メンバーの性格もあるから、そう簡単ではないだろうが。

 今回の設問は解答がかなりはっきりと決まるものである。話し合いによって変動するものではない。そこで、残りは私が正答例を説明していく。その中で、たとえの意味を説明していたところ、ある生徒が「よしっ!」と身振りをしていた。答えがはまったのだろうね。いいものだ。

[]『iPhone仕事便利帳』 07:09

 iPhoneを便利に使う方法300をまとめて紹介している。中には私の知っているもの、あまり関係なさそうなものも多数含まれているが、それでも知らなかったこと、興味深いこともあり、なかなか良かった。特に、それぞれの紹介が多くても1ページでまとめられているので、気軽にどのページからも読めるのが良い。

 この本のせいではないが、私のiPhoneについにスケジュール・アプリを入れた。「Pocket informant」である。これはスケジュールとToDoを1つのアプリで管理できる。私はToDo管理をかなり必要とするので、両方使えるものがいいと思ったのだ。

 このアプリは私にとって初の有料アプリである。今まで徹底的に無料アプリのみで使ってきた。しかし、スケジュールだけは無料では使えない。思い切って購入してみた。今のところ、なかなか使いやすい。

2010-04-23

朝の読書10日目 06:40

 今日で2週間が終わった。これまでの間はほぼ予想通りである。先週のあの凛とした静寂の時間は予想以上だったが。今週に入って監督を外してみたところ、生徒が若干読書以外のことをしていたのが誤算といえば誤算である。思えば、朝の読書だけでも大変なことなのに、その同じ時期に生活記録表を書かせているのだから、それは生徒も大変だよな。いきなり、やるべきことが多すぎる。それを平気で要求してしまうところが、本校といえば本校である。

大学へ 06:40

 昨日授業変更をしたために、今日は授業が1つもない。しかし、この時とばかり、たまっている仕事や用事を片付ける。

 午前中はまず大学へ行った。書類の提出をしなければならないためだ。新潟市は4月の23日だというのにまだまだ寒い。本当に、今年はどうしちゃったんだろうね。全国的に寒い春のようだが、新潟市は特にそれを感じる。気温は10度を超えて入るようだが、風が吹くためになかなか暖かくならない。大学のキャンパスも寒々としていた。しかし、学生たちはたくさん来ていた。私はちょうど1限の終わりと出くわしたのだが、大勢の学生たちが建物から外へ移動していた。この時期は、まだ多くの学生が授業に出るからね。人の動きが激しい。

 私は教育学部にも行き、指導教員に会いにいく。正直言って、国語教育の専門家から指導を受けるのはこれが初めてである。私は学部は人文学部であったし、教職課程はとったが、何しろ内容はもはや覚えていない。大学院は放送大学であり、しかも指導教員として付けられたのは教育社会学が専門の先生であった。国語科教育学を専門とする方は放送大学にはいなかったのだ。今回も、最初は現代社会文化研究科には国語科教育学を専門とする方がいない、と言われ、正直「またか」という思いでいた。しかし、その後に変化があり、国語科教育学の専門家がお一人指導教員の中に加わっておられたのだ。もちろん、迷わずこの先生を指導教員のうちに入れさせていただいた。その先生から指導を受ける、今日は2回目だった。

 いやはや、国語科教育学の専門家から話を聞くことがこんなにも刺激的で知的好奇心を昂揚させるものだとは思わなかった。しかも、私の指導教員となってくださった先生は、私の問題意識とかなり共通したテーマで研究しておられる方である。私は、自分の興味関心が初めて人に認められたような気がした。そして、その方向で学んでいっていいのだ、という実感を得ることができた。

 今日は、大学院生のゼミをしている途中にお邪魔し、修士課程に在籍している方々と顔合わせの機会も設けてくださった。学部から上がってきた方、現職で学んでいる方、他大学出身でこられた方など、いろいろな方と会うことができ、これまた非常に刺激的である。こうして実際の人々と対面することができるのは、通信制の大学院では経験することのできないことである。

 私は、自分が他の人の目があるところの方が勉強するタイプである、という自覚がある。これは高校生の時にそう感じた。家で勉強するよりも、高校の図書館で勉強する方が真剣に勉強できるのである。他人の目がないと、つい関係ないものへと手を伸ばしてしまう。しかし、他人の目があるところでは集中せざるを得ない。と言うことで、自分は他の人がいることで勉強をしてきた。こうした他者意識が学習の原動力にもなっていると思う。それが私のテーマに関連することでもあるし、自らが学ぶ・仕事をする上でも変わらないことである。

 私の指導教員は、本当に親身に指導してくださる方だ。と同時に結構厳しい方でもある。今日もテーマに関連する論文のコピーをたくさんくださり、「暇な時に読んでください」と言われた。しかし、これはプレッシャーである。実は、他にも宿題を与えられている。その上に、この論文の束だ。こんなことも今までされなかったので、感動しありがたく思うとともに、気を引き締めて望まなければ、との思いもある。

「朝の読書」アンケートの作成 06:40

 「朝の読書」試行期間は来週の水曜日で終わる。13日間にわたる試行期間は、アンケートの実施によってその効果をまとめようとしているわけだ。そのアンケートを生徒用と教員用と2種類作る。これが、今日中に行っておきたい重要な仕事である。何とか終えることができ、ほっとした。

2010-04-22

朝の読書9日目 07:07

 今日も無難に過ぎる。次第にこの静けさが普通になりつつある。このまま習慣化してくれるといいのにね。しかし、試行期間は来週水曜日までである。生徒には、ぜひ自主的に続けるよう呼びかけよう。

[]「児のそら寝」の授業 07:07

 8組と2組での授業。2組はダブルヘッダーとなった。一気に「児のそら寝」を訳し終える。

 8組では「児のそら寝」の内容確認作業を行う。4人ずつのグループを組ませ、以下の問題について話し合って、グループとしての統一見解を出すように指示した。

  1. 「かいもちひ」とは「ぼたもち」のことか、「そばがき」のことか?
  2. 児はどうして、自分がかいもちひができあがるのを待っていたと思われると「困る」と考えたのか?
  3. 僧たちは何故笑ったのか?
  4. 僧たちが児に敬語を使っていることから考えて、「児」とは何者か? また、「僧たち」とはどういう僧か?

 グループ作業は、生き生きと行っていた。特に今回の課題は、単純に本文から抜き出せばよいものではないこと、また、グループとしての統一見解を出すよう指示したことが、功を奏したのではないか。やはり、グループの意見をまとめさせないとダメだね。

 それぞれの質問について、2名ずつ指名し、黒板に解答を書かせた。

 1の質問では、「ぼたもち」派と「そばがき」派とが出て、大変面白くなった。それぞれの理由を検討するとともに、他のグループにも意見を求めて、理由付けを確認した。私は「そばがき」の方が僧たちが作るものとして適切だと思うが、「ぼたもち」派は、児が寝たふりをするには時間が必要で、すぐにできる「そばがき」は適切ではない、と解答していた。鋭い意見だと思う。

 2の質問では、「児にはプライドがあった」などと答えていた。なるほどと思ったが、私としてはさらにその背景まで答えて欲しかった。これは、児が僧たちに対していい格好をしたい、よく思われたい、という必然性があるのである。後で説明する、「児」=男色の対象、へとつながる重要なポイントである。

 3の質問では、児の返事のタイミングの悪さをどちらも指摘していた。そこで生徒全員に、「僧たちは児の寝たふりに気づいていたか?」と問いかけた。大半が「気づいていた」と答えた。そのことが背景にあることを説明した。

 4の質問は難しい。資料がなさ過ぎる。そこで、『検定不合格教科書 古文』から「児」の姿を描いた絵巻のプリントを配り、その長い髪と女物の着物姿から、彼が男色の対象となっていたことを説明した。うーん、ちょっとどぎつすぎたかなぁ。こう説明した瞬間、生徒の空気が凍り付いたのが分かった。事実は事実なのだが、もう少しオブラートに包んだ表現をすべきだったかな。私はよく分からないが、「ボーイズ・ラブ」をテーマにした漫画がはやっているそうだから、あまり抵抗感なく受け入れてくれるか、と思っていたのだが。これは、他のクラスでは考え直すべきだなぁ。

 ともあれ、古典での本格的な話し合い・学び合いの授業をすることができた。課題設定について、もっと考えていくべきだ。

2010-04-21

朝の読書8日目 07:02

 今日も何事もなく過ぎる。4階の1年生の教室前に来てみると、教員がついていないせいか、何となく先週と雰囲気が違う。少しざわついている気がする。不思議なものだ。この違いが如実に分かるものだ。先週はどこかの寺社の境内に来たかのような、凛とした雰囲気に満ちあふれていた。今週はその凛とした感じが薄れている。私自身が慣れてきたのかもしれない。あるいは、監督がいないせいで、生徒の気持ちもどこか緩んでいるのかもしれない。

 やはり監督は付けていこうかなぁ。あの雰囲気は他には得難いものがある。

[]「好奇心」の授業 07:02

 6組での授業。今日はこの1コマのみであった。

 まずは前文・本文・後文の3つの区切りを確認させ、さらに本文を3つに区切る、その区切れの部分を確認させた。生徒にグループを組ませ、お互いに確認させてから生徒を指名して確認していった。

 次にプリントに沿って書き入れるべき内容をグループで確認させる。それを板書させ、それぞれ検討していった。だいたいスムーズに流れていったが、やはり、せっかくグループを組んでいるというのに、プリントを埋めていくという作業はふさわしくないな、と感じた。プリント学習はどうしても個別学習にふさわしい学習内容である。それをグループでやることはあまり意味がないのではないか。グループで学習するのなら、グループでなければ解決できないような学習内容を与えるべきだなぁ。今日はそんなことを感じた。

生徒総会が開かれる 07:02

 昨年度の決算や今年度の予算を審議する生徒総会が開かれた。これは一種の直接民主主義を目の当たりにできるものであり、毎回興味深く見ている。しかし、今年は運営の仕方に疑問を持った。生徒会執行部の担当者は決算書や予算書のプリントを配り、「それを見てください」と言っただけであった。何か説明でもあるのかと思ったが、それはほとんどなし。唯一、予算書の審議において、昨年との違いを若干説明しただけだった。おいおい、そんなんでいいのかい?

 おかげで生徒総会は集合から解散まで、およそ30分程度で終わった。こんなことなら、わざわざ集まらなくても、「ぷりんとをくばったのでみておいてください」とSHRで話をすればいいだけじゃないか。

 何か腑に落ちない。

2010-04-20

朝の読書7日目 07:11

 昨日、予習やら生活記録表書きやらが発覚したので、そのことについて注意した翌日の今日、さすがにちゃんと読書をしていたようだ。しかし、他のクラスでは遅刻があったりしたそうだ。やはり監督がつかないと、どうしても生徒は甘く考えてしまうのかなぁ。今後、監督がつくという選択肢はそう簡単に外すことはできなそうだ。

[]「児のそら寝」 07:11

 8組と10組での授業。どちらも進度はほぼ同じであり、ほぼ同じ内容となった。

 「児のそら寝」の後半部分を口語訳していく。生徒に指名して訳させながら、私がそれに解説を加えたり、訳を修正させたりしている。どちらのクラスも何とか最後まで終えることができた。

 その後で、内容読解のプリントを配り、本文から自分たちで考えなければならない課題について、グループで考えさせる。特に10組では、4人ずつのグループを組ませてプリントに取り組ませた。どのグループもある程度活発に話をしていたようで、良かったと思う。

 さて、そのプリントは今日は回収しなかったので、次回に集めるのが楽しみである。

[]「好奇心」の授業 07:11

 3組での授業。久しぶりの3組である。1週間以上間隔があいた。

 他のクラスと同様に、文章構成の型について話をする。このクラスでは、3段構成の呼び方「序・破・急」が生徒の方から出てきた。その生徒も、どうやら「ヱヴァンゲリヲン」から発想したらしい。はい、私はそれを、他のクラスでの生徒への説明に使ってきました。

 その後で、前文・本文・後文に区切ることをグループでやらせる。生徒に考えを述べさせたところ、このクラスは余りぶれることなく、しかも理由付けが私の想定していたことが次々に出てきて、面白く思った。読み取り方を理解している生徒がいるのかもしれない。

2010-04-19

朝の読書6日目 03:51

 今日からは新しい段階に入った。今までは監督として副任が一緒にいて本を読んでいたが、今日からは監督はつかず、生徒だけで運営させることにしたのである。当面、副任数名に廊下で見回ってもらっているが、基本的には生徒が自分たちで声を掛け合い、本を読む、というスタイルである。

 だが、残念ながらあまりうまくなかったようだ。見回ってくださった副任の話では、私のクラスでは、授業関連の本を開いていたり、生活記録表を書いたりしていた生徒がいたそうである。ちゃんと見ていてくださった副任に感謝、である。と同時に、非常に残念だ。この生徒による運営が上手く行かないと、今回の朝の読書の企画がダメになる可能性がある。やはり、本来の「朝の読書」として、教員も一緒に読む、という形でなければダメなのだろうか。生徒の意識の高さに期待して自主管理を計画したが、まだまだ子どもである。自分を律することができず、つい目前の問題を排除しようとする。

 これは考え直しの必要があるかもしれない。まあ、もう一度しっかりと読書することを呼びかけて、最悪の場合、再び副任に監督をお願いするかもしれない。

[]「好奇心」の授業 03:51

 9組と6組での授業。

 9組では、文章構成の分析もそろそろ大詰めである。まずは、前回の私との話し合いの中で出てきた、文章構成を考える際の基準となることについて、板書してまとめた。

f:id:beulah:20100420032740j:image

 続いて、本文②・③の内容を、本文の表現からまとめさせ、また後文の内容を表す一文を抜き出させた。それらを生徒に指名して黒板に板書させ、それを見ながら私がまとめる、というお得意の手法を使う。

f:id:beulah:20100420032741j:image

 一つ失敗をしてしまった。配布したプリントでは、本文②・③の内容を本文からまとめさせる、その解答は1文(もしくは2文)で完結した表現にならなければならない。そのことを強調しなかったので、生徒は本文の表現をそのまま抜き出したような解答を書いてしまった。本文①の作業を行った後では、当然そのように考えるだろうね。これは私の配慮が足りなかった。もちろん、プリントの指示を読めばそうではないことは分かるのだが、人間、そう簡単に作業の方向を切り替えられるものではない。

 生徒の解答は概ね満足できるものであった。そこで、足りない部分を補って解答例を作った。その後で、これらの内容をまとめていって、200字の要約文の作例を示し、必要なポイントを指摘して、これらが生徒自身の要約文にちゃんと含まれているかどうかを確認させた。

 やれやれ。長らくかかった構造分析もこれで終わり、である。次回は内容分析に入る。

 6組では、この構造分析の最初の部分を行う。2回目なので、少しは手際よくできるだろうか。

[]「児のそら寝」の授業 03:51

 10組での授業。口語訳を進めていく。

 まずは音読練習。しつこく二人ペアになっての音読をさせる。その後は口語訳を進めていく。なるべく説明事項を簡略化させたつもりだが、ようやく文章の半分くらいまできたところだ。ちょっと時間をかけすぎるなぁ。

応援歌練習が始まる 03:51

 さあ、1年生の緊張の時間、応援歌練習が始まった。本校は3年生が1年生を教えて、応援歌をこの時期に覚えさせる。その際、旧制高校並みに「びしばし」と叩き込む。「返事は押忍!」「声が小せぇ!」と怒号を浴びせ、応援歌を「体に」叩き込む。いやはや、大変なんです、これが。

 でも、今年の3年生は優しいなぁ。我が10組を担当してくれた3年生のリーダーは、「僕の後についてきてください」と、最初は敬語を使っていた。おいおい、そんなのあり? と私などは思うが、何しろ生徒に任せておく。彼らが、いずれ体育祭で1年生をリードしなければならないのだ。ここで3年生自身に苦労してもらわなければ、自分たちの体育祭ではなくなる。

 それにしても、全体として3年生のリードの仕方が下手だなぁ。1年生を2列に並ばせたが、前に男子、後ろに女子であった。これでは、背の高い男子に遮られて、後ろの女子はリーダーの姿が見えないだろう。また、隣同士の間をくっつけたままでいるので、これまたリーダーの指示が通らない。1年生がとまどい、声が出ないのも当然である。

 毎年の繰り返しなのだが、今年は特に、その稚拙さが目立つ。もはやこの「応援歌練習」も衰退する運命にあるのかなぁ。OBの一人としては、寂しいものがある。

今日も卒業生にたくさん出会った 03:51

 授業を終えて、そそくさと大学へ向かう。4月当初はとにかく手続きが多い。今日も手続きのために大学へ行った。

 キャンパスの中で3月に卒業した卒業生に多く会った。一人は私がここにいる理由を知っていた。このblogを読んでくれたのかな。次の2人は、私が何故ここにいるのかが不思議だったようだ。はい、すみません。(^^ゞ

 私自身の研究もどんどん進めていかなければならない。何しろ、仕事と研究の(+信仰の)3足のわらじを履いての歩みである。ちゃんと計画を立てていかなければね。

2010-04-16

朝の読書5日目 07:57

 今日も比較的穏やかな天気。しかし、寒い。風が冷たいのだ、新潟市は。そんな中を、5日目も淡々と過ぎていった。次第にこの静寂が当たり前になりつつある感覚である。逆に言うと、何故今までこうでなかったのかと、不思議に思う。

 昨日書いてしまいましたが、ちゃんと本校の学校長はこの朝の読書の実践を見に来てくださっていました。ここに大書して謝罪し、訂正します。(^_^) さすがは学校長! 「この静寂に感動した」とおっしゃっておられました。ありがたいことです。同じ感覚を共有できる管理職がいてくださることは、下々の者にとって安心感を与えます。

 さて、「朝の読書」は来週から第2ステージに入る。今週1週間は副任が監督についていただいたが、来週からは監督がつかない。すべて生徒の自主管理に任せることになる。しばらくは副任によって廊下を見回ってもらうが、うまく行っていれば次第にそれも少なくしていくつもりである。監督につかないことは本来の「朝の読書」の精神から外れることである。「みんなで」読むという中には教員も含まれるからだ。しかし、朝の読書をやっている最中は、教員は朝会をしている。その中での連絡事項をリアルタイムで聞けないのは、やはり問題があろう。

 ということで、生徒には来週から自分たちでやるのだ、ということを伝える。おそらく今の感じからすると、しばらくは大丈夫だろう。全く目を離すことはできないだろうが、少なくとも試行期間中は大丈夫なはずだ。これをどのようにして今後につなげていくか、思案のしどころである。

[]「児のそら寝」の授業 07:57

 10組での授業。1週間ぶりである。そこで、予習ノートをちゃんと作ってきたかどうかを確認するところから始める。

 その後は他のクラスで行った通り。宇治拾遺物語についてまとめ、音読練習を繰り返す。10組は35人しか人数がいないのだが、4段階ある音読練習をこなした後の一斉音読は、他の普通科の40人クラスよりも声が大きかった。まあ、このクラスは最初から声が大きめだったので、さもありなん、と思うが。いずれにせよ、良い傾向である。

 その後は心内語の箇所の確認をし、そして口語訳に入る。まずは「けり」の箇所を確認して、それを「〜た」と訳すことを伝える。1カ所、詠嘆で訳すべきところがあるのだけれどね。そして、格助詞を補って訳すことなどを話しているうちに、時間切れ。1行くらいしか訳せなかった。

 今後はあまり時間をかけてはいられない。教えるべき内容を厳選して、早めに進んでいかないと。何しろこの後には、動詞の活用をマスターさせる難事業が待っているのだ。

部活動登録 07:57

 今年からの新事業として、部活動登録が行われた。本校では、部活動に生徒が登録するのを、何となく行っていた。それを、統一日を定めて行おう、というのだ。悪くない。これで生徒がどの部活に所属するのか、というのが明確になるし、生徒も部活に入りやすくなるだろう。

 我が書道部には15人の1年生が入部してくれた。2、3年生とあわせると、何と40人の大所帯である。まあ、3年生は今後はあまり活動しなくなるので、人数はもう少し落ち着くだろうけれどね。1年生は残念ながら全員女子であるが、それでも15人とは素晴らしい。中には、ちょっと私が声をかけた生徒もいる。いやぁ、良かったね。

歓送迎会 07:57

 そそくさと学校を後にして、きょうは学校としての歓送迎会が行われた。全員ではなかったが、転出された元同僚たちが一堂に会した。6年、7年、8年、9年と本校で活躍した先生方が多い。私と親しくしてくれた先生方がほとんどである。この方々とお別れせざるをえないことは、ただただ残念につきる。

 何しろ大勢で、時間も限られている。それでも私にしては多くの方と話をすることができた。転出先での生活を語ってくれる姿は、やはり慣れ親しんだ姿である。また、新任者の方々ともお話ができた。国語教育の話もすることができた。私にとっては収穫である。

 しかし、本当にしっかり話をしたのだろう。また、時間制限がきっちりしていたのだろう、あれよという間に時は過ぎてしまい、もうお開きとなってしまった。私は酒を飲まないのですよ。それでも、この時間の早さの感覚は久しぶりだ。

 転出者と話し足りない思いはいくらもあるのだが、仕方なくお別れする。2年後は私の番なのだねぇ。次第に寂しさが募ってくる。

2010-04-15

朝の読書4日目

 今朝は今までの中で一番穏やかな天候だった。そのせいか、生徒たちは遅刻する者もなく、静かに読書をしていた。

 我々のこの取り組みを、他の学年はどう思っているのかな。3学年の学年部長は様子を見に来てくれた。さすがである。2学年は関心ないのかな。そもそも、管理職は関心がないのかな? それは、困るんじゃないかな。

[]「好奇心」の授業

 9組での授業。2日連続とは珍しい。

 昨日と同様に、最初からグループを組ませて作業をさせる。まずはプリントの完成を目指させる。その際、次のように話をした。

 プリントの解答欄に当てはまる一文や適切な文を、グループで協力して書き入れなさい。その際、何故その一文を選んだのか、何故その文にしたのか、という理由も説明できるようにしておくように。

 上教大の水落先生のblogに書かれていた、「国語における学び合い」の課題設定を参考にして、そのように指示をした。

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 35分後、生徒に指名をしながら、解答を確認する。

 最初の質問は、「好奇心」という文章の「前文」はどの段落か、そしてその内容を端的に表す1文はどこか、という問題である。ところが、さっそく意見が分かれた。あるグループは冒頭の1文を答え、次のグループは3番目の文を答えた。どちらも、理由付けはしっかりしている。しかしこれは、「前文」の役割を十分把握しているかどうか、の問題である。そこで、「前文」の役割をもう一度確認させ、3番目の文がふさわしいことを示した。

 次の質問は、「本文」についてである。「本文」は3つの部分に分かれる。その1つ目の内容を端的に表す段落と1文を抜き出させる、という問題である。これまた解答は別れた。4段落目の最後の1文をあげたグループと、3段落目の途中の1部分をあげたグループとがあった。この2つは、どちらも理由付けがあまりしっかりしていなかった。「……と書いてあるから」という程度の答えである。それでは他の解答も可能であるよ、と指摘した。やはりここでも「本文」の役割を良く理解していないことが原因と思われた。そこで、「本文」には「具体例」と「その説明」の2つの部分があることを伝え、どちらが大切かを問うた。生徒は「説明」の方、と答えてくれたので、本文では具体例が書かれているのは3段落であり、その説明は4段落であることを確認させ、4段落から考えるべきであることを伝えた。

 生徒はやはり理由付けがしっかりしていない。もちろん入学したばかりで当然のことなのだが、中学校でもそうした理由付けの考察は十分していないのだなぁ、と思わせられた。こうしたところをしっかり考えていくことが、現代文の授業だと思う。

[]「児のそら寝」の授業

 8組での授業。今日から口語訳に入る。しかし、文法的なことについて、自分自身では押さえ気味に説明していったつもりなのだが、おそらく生徒は、その情報量に圧倒されたことだろう。恐ろしく時間がかかってしまい、65分授業を使っても、第1段落までしか終わらなかった。

 うーむ、これは問題である。もっと口語訳はさらりと終わるべきなのかなぁ。しかし、何故そういう訳になるのかを説明しないと、私は納得できないのだけれどなぁ。

書道部の巨大書作発動! 07:06

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 新入生への歓迎の意を込めて、今年も書道部が巨大書作のパフォーマンスを行った。

 「書道は愛だ!」と大きく書いた彼ら。うーん、書道部もメジャーになったものだ。

2010-04-14

朝の読書3日目 06:30

 今日は新潟市は強風が吹き荒れた。こうなるとすぐに運休や遅れが出るのが越後線。今日は信越線まで遅れたらしく、私のクラスでも生徒が1人間に合わなかった。

 初日・2日目は雨、3日目は強風。朝の読書の船出は、天候的には前途多難である。しかし、内容は非常に充実している。静かな中での読書。そして特筆すべきは、この時間以外でも読書をする姿が非常に増えたことだ。今日はLHRがあったのだが、意識調査をして、少し時間が余った時などは、何も言わないのに生徒は本を取り出して読み始めている。他にも、少し時間が余るとすぐに本を出して読んでいる姿を何度も見ている。今までの経験から考えて、こんな姿は異常である。いや、いい意味ですよ。

 おそらく、10分間という時間設定が良いのだろう。10分間の読書は、結構読む分量が多くなる。続きを早く読みたい、という気持ちになりやすいのではないだろうか。そこで、空き時間にもせっせと読書に励むのではないか。今まで授業始5分間読書3年間続けて来たが、ここまで読書する姿が広がりはしなかった。もちろん、毎日、みんなで、という条件もあるだろうが、この生徒たちの読書する姿は、嬉しい誤算である。

[]「児のそら寝」の授業 06:30

 8組と2組での授業。2組は、今日古典があることが伝わっていなかったらしく、生徒は準備をしていなかった。その違いはあるものの、どちらもほぼ同じ内容で授業をした。

 8組では、まずは授業ノートのチェックから始める。先日のオリエンテーションで授業ノート、予習ノートの作り方をくどいほど説明し、実際にノートを作らせた。そしてそれを完成させることを宿題としておいた。そこで、生徒に机の上にノートを広げさせ、私が一人一人見回ってノートをチェックした。もちろん自分なりのアレンジがあるべきなのだが、最初は私が指示した方法をきちんと守らせたい。アレンジはそれから。1人だけやって来ない者がいて、「おお、なかなかいい度胸だなぁ。名簿に大きく『×』を付けとくね」などとからかいつつ、見て回る。

 次に、「児のそら寝」の出典である宇治拾遺物語について簡単にまとめる。便覧を開かせ、ラインを引かせて、板書してまとめる。

 次に、「児のそら寝」を音読する。私が読んで、表記と違うところにカタカタの読みを書き入れさせる。その後、歴史的仮名遣いの読み方を教え、生徒に音読練習をさせる。私は音読練習を半端じゃなくさせる。まずは私の後に続いて少しずつ一斉に音読させる。次には個人練習。1人で2回読ませる。次に隣同士で向かい合わせ、一方が読み、もう一方がチェックをする。終わったら交代。次は、全員を起立させ、早く正確に読むゲームをする。途中でつっかえたら最初に戻るというルールで、誰が一番早く読み終えるか競争させた。といっても、つかえずに読み終えるためには「ゆっくり」読むのだよ、と強調することを忘れずにね。ここまでして、ようやく全員で一斉に音読させる。いやはや、最初の一斉音読の数倍の音量で、早く正確に読むことができた。立派なものだ。

 最後に、本文を読ませて、児が心の中で言っている部分、心内語を探させる。そのために、心内語を見分ける方法をとして引用の格助詞に注意することを教え、その後、生徒にやらせる。だいたい終わったら、先ほど音読練習をした相手と結果を確認させる。そして私が箇所を指摘した。とにかく仲間とやること、確認することで自分の考えが間違っていないかという不安を軽減させること、これをやらせようと思っている。

[]中村雄二郎「好奇心」の授業 06:30

 9組での授業。まずは全文を音読する。

 その後、今日のテーマは「文章の構成を分析する」ことだと告げ、「構成の分析」と板書する。そして、文章構成の型、3段構成と4段構成を紹介し、それが「序破急」や「起承転結」と言われることを伝え、しかしそれは能や漢詩での形式であることを教える。評論の形式は「序論・本論・結論」である。そして、「序論」は筆者の問題提起の箇所、「本論」はその具体的な説明の箇所、「結論」は問題提起に対する筆者の意見の箇所、であることを伝える。そして、要約とはこの問題提起とそれに対する意見とをまとめれば基本は良いのだ、と伝える。

 その後、昨日の朝日新聞に載った、横浜国際高校3年の生徒の文章を配り、これの「問題提起」と「筆者の意見」の部分を探させ、それを用いて要約するという練習をさせる。途中で4人ずつのグループにし、お互いの考えを交流させた。

 その後で、先日配っていた「好奇心」の構成分析プリントを出させて、宿題としていた箇所についてグループ内で意見交換をしながらまとめさせた。

 最初としてはまずいい滑り出しかな。グループ作業ができて、まずは良かった。

今日も大学へ 06:30

 夕方に大学へ行き、副指導教員のお一人からサインと印をもらう。その他にいくつかの手続きをする。いやはや、毎日通うのも疲れる。

2010-04-13

朝の読書は快調に進む 06:54

 朝の読書試行期間2日目である。今日も8時30分から、1学年の階は静寂な雰囲気に包まれた。副任が教室内で監督し、担任は朝会が終わった後で交代するのだが、交代するために音を立てるのがはばかれるほど、静かに生徒たちは本を読んでいる。うーむ、これはいいね! これは試行などというレベルではなく、ぜひ継続したいものだ。

テストおよび身体計測 06:54

 今日は授業はなし。午前中はスタディ・サポートの国数英3科目のテストが行われた。生徒の感想に、「難しかった」「選択肢だと思ってなめていたら、大変だった」などというのがあった。おいおい、この程度でその程度かい? まあ、謙遜やらもあるのだろうが。

 午後は身体計測。1年生は聴力と視力を計り、次に身体計測である。私は視力を計測するとともに、それらの合間を縫ってできるだけ個人面談を進めた。そんなに一人一人に時間をかけないつもりなのだが、いざ始めて見るとつい10分を超えてしまう。何とか本来の予定通りにまで回復した。

 放課後は会議。これがまた長引く。年度当初は周知しておかなければならない案件が多いとはいえ、それでも時間が長すぎる。資料があるのだから、それを示して終わり! ってできないのかな。

大学へ 06:54

 会議が17時を越えてしまったので、すぐさま帰宅し、そのまま大学へ。大学院の指導教員を登録する書類に、先生方からサインと印をもらわなければならない。今日はそのお一人目、主旨道教員の先生を訪問する。現代社会文化研究科では主査一人と副査二人の、計3人の指導教員による指導が行われる。ということは、その3人の先生方からそれぞれサインと印をいただく必要がある。メールなどでそれらの先生方と日程調整をした結果、今日と明日と明後日と、これから3日間毎日夕方に大学に行かなければならなくなったのだ。仕方がないとはいえ、やれやれ、である。

 主指導教員の先生は大変親切な方で、他の二人との連絡もしていてくださり、また私の必要とする書類なども親身に書いてくださった。本当にありがたい。何しろ、右も左も、前も後ろも分からない状態で新たな世界に飛び込んでしまったのだから、混迷の度合いは私の勤務校の1年生以上である。彼らにはリアルなクラスメートがいる。しかし、私の場合、それはヴァーチャルなのだ。

 研究室に小1時間ほどいて、今後の日程などを説明していただく。いよいよ始まるのだ、という武者震いが起こる。上教大の水落先生は、「プロフェッショナルの教師」ということをblogに書かれていた。プロフェッショナル教師=実践+研究、だそうな。実践のできる研究家、または研究のできる実践家を上教大の教職大学院は育てる、というのだ。私の目指すところもそこにあるかな。プロフェッショナルかどうかはさておいて、「研究のできる実践家」にはなりたいと思っている。

[]『読書は1冊のノートにまとめなさい』 06:54

 同じ著者による『情報は1冊のノートにまとめなさい』がベストセラーになって久しいが、これはその読書版。どんなものかと思い、読んでみた。

 A6のノートに読書ノートを書こう、ということだ。方法は、引用+感想というもの。それを次々に積み重ねていく。焼き鳥のねぎまのようなので、「ねぎま式読書ノート」と命名しておられる。

 本を読みながら、自分の認識を変えられた箇所を中心に、ページの端を折っておく。読み終わった後に、それらのページを開いて引用すべき部分に線を引く。そして、それをノートに書き写すとともに、自分の感想を簡単に書き記す、というものだ。

 それらのノートは、時系列にただ積み重ねておくだけ。それを検索するのはコンピュータにさせる。書名と日付と簡単な分類コードを入力しておき、その情報を用いて検索をし、実物はノートに当たる、というわけである。このようにして、ノートを保管しておけば、本そのものは手放すことができる、というわけである。

 検索云々の箇所はともかく、引用+感想の読書ノート、その再読・再々読の仕方、情報をノート1冊に一元化するというノートの取り方など、参考になる部分が多かった。ただ、これは研究レベルには向かないかな、と思った。研究の場合、引用箇所を再利用することが多くなる。これは最初からデジタルデータ化しておく方がよいだろう。

 最近、この手のジャンルに凝っている。本からの情報入手法やノート術である。今年は、これらの知見を元に、私の情報管理法が変わりつつある。情報の一元化というものを実践してみようとしているのである。分からなくなったら、とにかくあのノートを見ればよい、という安心感は、確かに良いね。

2010-04-12

朝の読書がスタート!

 本日4月12日は本校にとって記念すべき日となるだろう(とはいっても、一部の教師にしか理解できないだろうが)。今日から28日までの13日間、1学年全体で「朝の読書」の試行期間がスタートしたのである。

 生徒には朝8時30分までに学校に来させ、一斉に読書をさせた。副任に協力を願って監督に当たってもらい、担任である我々は朝会が終わった後に教室に行って交代した。若干遅刻した者がいたようだ。今朝は雨が降っていたので、バスなどの交通機関が遅れたのだろう。それでも、他の階では(つまり他学年では)ドタバタと慌ただしい様子が見受けられたのに、1学年の階は静寂に包まれていた。1学年全体が静かに本を読んでいる。うーむ、この静けさは想像以上である。静かな中にもすがすがしい雰囲気があふれている。いや、これは思った以上の効果だ。

 教室に向かう途中で学年文庫の棚を見てみる。10数人が本を借り出していた。自分の本を用意するのを忘れたのだろうか。学年文庫を利用してくれて、本を借り出してくれるのは嬉しいが、本を自分でも用意して欲しいね。

 副任と交代して、私も教室に入って本を読む。8時40分の本来の始業時間のチャイムが鳴るまで続ける。チャイムが鳴っても、なかなか本の世界から戻りがたいような雰囲気だった。いやぁ、いいね!

 朝の読書の良さはこれまでさんざん知らされてきた。自分自身でも授業始の5分間読書を実践し続け、その良さを理解してきた。しかし、学年単位とはいえ、一斉に読書をすることがこうもすごいエネルギーを発揮するとは思いもよらなかった。この実践はすごい。朝の読書の偉大さを改めて知らされた。

[]授業開き2

 今日も学習オリエンテーション3日目。今日は現代文が1コマ、古典が2コマあった。

 現代文は3組。このクラスでも他と同じようにシラバスを使って授業の受け方や今後の予定などを詳細に話す。今回はノートの作り方、予習の仕方についても話をする。しかし、私自身でもまだどのように指導したらよいか確定していないので、暫定的な案を示す。「3本線ノート」についての本で紹介されていた方法にアレンジを加えたものを紹介する。

 その後、3×3のマンダラートを使って出身中学についてのイメージを書かせ、それを名刺代わりにして名刺交換会をさせる。このクラスでも、それまでの硬い表情はどこへやら、非常に楽しそうに10分間交流を続けていた。

 残り時間が少なくなっていたので、このクラスでは、マンダラートを書かせたプリント裏面を使って、本校をテーマにしたイメージ・マップを描かせてみた。1週間が経過した状態で、本校についてのイメージにどのようなものを持っているのかが如実に分かって、面白い。イメージ・マップには、やはり人が現在持っている概念を外部に表出する機能がある。これを用いることで、学習内容の定着度を計測することができそうだ。

[]授業開き2

 8組と2組での授業。こちらでも、先週の10組と同じようにシラバスを使って授業の受け方や今後の予定を詳細に話した。その後、予習ノートの作り方を詳しく話し、残り時間は実際にノートを作らせた。10組のように、音読することはやめてみた。音読もし、ノートも作るのでは、やることが分散してしまって、おそらく定着しないだろうと思ったからだ。今回はノート作りをしっかりと理解して欲しいと思い、それを中心にした。生徒はおとなしくノート作りに取り組んでくれた。

 さて、これでようやくシラバスを説明する時間は終わった。今年度教える6クラスのすべてに顔を出したわけだ。これからどんな授業を展開していけるか、楽しみでもあるが、不安でもある。

2010-04-10

4月9日の出来事 07:45

 昨日は学習オリエンテーションの2日目。1年生は高校での初の授業である。65分授業はフルで5コマある。私のクラスは英語が2科目、数学が1科目、国語が2科目あった。これは疲れるだろうね。4限の私の授業の時は、数人が眠そうな顔をしていた。

 私は現代文が2コマ、古典が1コマあった。現代文は9組と6組。授業開きである今日の内容は、シラバスを使って現代文の授業の受け方や予習の仕方、副教材の使い方を細かく説明する。その後で、3×3のマンダラートを用いて、8つの枠の中に制限時間内でできるだけ多くの発想をするゲームを行った。お題は「○○中学」。自分の出身中学について、思いつくことを様々な書かせた。1分半の制限時間での後、書いた用紙を名刺代わりにして、大名刺交換会を行った。私の今後の授業では話し合いや学び合いをさせていくので、生徒がフレンドリーでなくては困る。そこで、現代文の授業は私の話を聞くだけではなく、お互いに動かなければならないことを分からせるためにも、このようにした。9組も6組も実に活発に名刺交換会を行っていた。この活動はどのクラスでもにぎやかになって良いね。その後、最初の教材である中村雄二郎の「好奇心」の学習プリントを配り、宿題とした。

 古典は10組の授業である。ここでも、シラバスを使って古典を学ぶ意義を話し、副教材の使い方を説明した。その後、ノートの作り方を説明し、実際にノートを作らせようとしたのだが、そのためには本文を読まなければなるまいと思い、音読を始めた。ところがそのためには、歴史的仮名遣いの読み方の基本を教えなくてはならず、それらを少しずつやっているうちに、みんなが中途半端に終わってしまった。やれやれ、十分に考えていなかったな。簡単に読み方を教え、みんなで音読をした。声が揃っていて、元気な声で非常によろしい。その後、作例プリントにそってノート作りをさせる。このノートを作ってくることが宿題である。

 私にとっても久しぶりの授業(およそ2ヶ月ぶり?)なので、腰が痛くなった。さあ、これから授業の始まりである。

4月10日の出来事 07:45

 今日は久しぶりのOFFである。もちろん、先週もそうだったんだけれど、やはり今週は長かった。入学式(高校生のものと自分のものと)を終え、新入生たちを様々に指導し、説明し続け、それを準備したりしているその裏では自分の大学院での勉強の手続きを進めなくてはならない。二足のわらじ(実質的には3足なのだが)を履きながらのスタートは、想像以上にきついものがある。

 それらを一応は大過なく過ごし、今日は家の整理につきあう。長男が中学生になり、次男が小2になった。そのため、彼らの使う部屋の模様替えを行っている。彼らが使う部屋は、3階の二間続きの部屋なのだが、ここには引っ越し以来の段ボールがところ狭しと積み上げられていた。重い腰を上げて、ようやくそれらを片付け始めたのである。と同時に、長男の小学校6年間の荷物も増えている。それらを片付けつつ、2つ並べていた机を離して、長男には独立したスペースを与えた。中学生なんだからね、少しは囲まれた場所が必要である。

 私の家は少々特殊な間取りになっている。3階建てなのだが、その3階は、2階からの吹き抜けがあるために、2間続きの部屋が少し互い違いになっている。そのどちらもがオープンスペース的になっているので、簡単に間仕切ることができない。そこで、今回は二段ベッドを仕切りの代わりにした。この2段ベッドを運び込むスペースを作るのに大仕事。その後、ベッドを運び込むのもお仕事であった。午前中と夜中との2回に分けて作業をし、何とか形だけは整えた。だいぶ斬新な配置になった。まだ不要物がたくさんおかれているので、これからはこの整理だなぁ。

2010-04-08

学習オリエンテーションがスタート 05:04

 1年生は今日から学習オリエンテーションである。とはいえ、午前中は課題考査。入学前に与えておいた課題についてテストをした。国語は、導入用の冊子をやっておくことと教科書の最初の教材のごく調べをしておくこと、である。それらを範囲としての考査であった。少しだけ採点してみたが、漢字問題の間違いが目立つ。昨今は漢字が書けなくて当然という風潮もあるが、それでもやはりこの程度の漢字は難なく書けて欲しい。ちょっと間違いが多いな、という印象である。

 午後からは学年集会とLHRである。学年集会では生徒指導部、進路指導部より高校生活についてや進路に対する考え方について話がある。新進路指導部長はさすがに「すとん」と来る話をする。「オリエンテーション」という言葉の意味を生徒に考えさせていた。彼の得意の話の1つである。「オリエント」、つまり「東方」という意味からそれは来ている。そして、「オリエンテーション」とは「自分の立ち位置を定めること・方向を定めること」ということだ。良い話である。65分間も訳の分からない話をいきなり聞かせられる、その意味合いを考えさせてくれる。

 しかし、生徒たちは次第に集中力が切れてきたようだ。45分間過ぎくらいから、そろそろ頭が下がったり、あくびをしている者がちらほら見受けられるようになった。無理もない。ほんの数週間前は50分授業で生活してきたのだからね。本校の65分授業は、彼らにとっては慣れるまで大変だろう。しかし、最初からそう甘えてもらっては困る。最後は私が朝の読書について話をしたのだが、はじめに生徒たちの甘えを正すことから始めた。理解はできるが、許すことはできない。しっかりと話を聞こう、と語りかけた。

 5限目はLHRである。クラス役員を決めた。まずは級長・副級長を決める。私は徹底して、これは立候補を募る。私の方から指名したりはしない。指名するのは、教師の権力によるあまりに理不尽な決め付けである。生徒が自らクラスを作り上げていくのだ、という姿勢を示すためにも、クラスの代表となる級長・副級長は立候補を募った。今までの私の本校での経験では、そんなに苦労なく立候補者が出てくれた。しかし、今年は少々手こずった。なかなか生徒から手が挙がらないのだ。これは長期戦になると覚悟を決めて、私は椅子にどかりと腰を下ろし、彼らの出方を待った。その間、いろいろと役職の説明をしたり、立候補する意義について語りかけた。10分ほど経っただろうか、一人の男子生徒が手を挙げてくれた。嬉しかったねぇ。本当に。もう一人も募ったところ、これもしばらくしてから男子生徒が手を上げてくれた。私の担任するクラスには珍しく、二人とも男子となった。いやぁ、今日はこれが一番嬉しかった。

 その後は、各種の役職の説明をし、生徒に一斉に希望を黒板に書かせた。定員オーバーになったところは、その名前を書いた者たちで決めさせた。このように、何かをクラスで決める場合、できるだけ彼ら自身に決めさせるというのが私の方針である。私の方から「こうしよう」ということはほとんどない。そのように彼ら自身が決めてこそ、彼ら自身に責任を負わせることができる。私はそう信じている。

2010-04-07

2日目の出来事 05:52

 新入生が入学して2日目。しばらくは様々な行事をこなすことになる。

 まずは対面式。2、3年生との対面をする。今年も生徒会長をはじめとする在校生代表の挨拶はわかせた。Perfumeというユニットがあるようだが、その振り付けを4分間ほどにわたって踊ったのだ。いやはや度肝を抜かせるパフォーマンスである。しばらくは、生徒会長の挨拶だけという味も素っ気もないことが続いた年もあったのだが、昨年の我々の3年生の頃からかな、昔のようにパフォーマンスを演じてくれるようになった。対面式はこうじゃなくっちゃね。新入生代表の挨拶は我がクラスの生徒である。これも大役を無事果たせて、ほっとした。

 続いて校歌練習、そしてスタディサポートの調査と続く。某ベネ○セにスタディサポートというものがあるそうで、それを本校でも昨年から1年生に導入している。入学してきた1年生の実力を測るには好都合というわけだ。それの意識調査を今日は行った。

 午後からは最初のLHRがあった。私は校舎探検と自己紹介に使った。生徒たちを引き連れて、この1年間に彼らが使うであろう校舎の箇所を案内して回る。その後、お得意の「偏愛マップ」を用いて、自分の好きなものをマップ上に列挙させ、それを名刺に見立てて名刺交換会をやらせる。副任にも来てもらい、我々二人もマップに内容を埋めて、彼らの来るのを待ち受ける。生徒たちはわいわいとお互いにマップを交換しながら、クラスメートたちと話をしていった。男子同士、女子同士は交流が進んだようだが、まだ男女間での交流はほとんど起こらなかったな。せっかくの機会なのだから、どんどん交流すると良いのにね。我々教員のところにも最後に生徒が来てくれて、ヤレヤレ助かった、というところである。

 次は部活動紹介があった。私はここで年休を取り、学校を離れる。

 生徒たちには早く学校に慣れて欲しい。しかし、今の初々しさ、ドキドキ感を失って欲しくないという気持ちもある。緊張した面持ちでSHRで着席して待っている姿というのは非常に良い。これがだらけて、声をかけないと教室に入らないようなことにはなって欲しくないなぁ。まあ、徐々に、である。

大学院へ 05:52

 年休を取って、私は新潟大学へ行く。実は私は、新潟大学の大学院現代社会文化研究科の博士後期課程に入学したのである。私も新入生、というわけだ。

 ところが、新潟大学は私の出身大学ではあるが、何しろ30年近く前の話だし、新潟大学はその間にいろいろと様相を変え、様々な設備が整っていった。そして、現代社会文化研究科というものは私が在学していた時にはなかったものだ。したがって、何から何まで初めてのことで、ただただ戸惑っている。

 今日はその大学院のガイダンスが午後からあった。しかし、私は初のLHRがあるので、それに参加することはできなかった。そこで時間をずらしてもらい、同じく入学したN高校のT先生と一緒に様々な説明を聞き、様々な手続きを行った。彼は修士課程を新潟大学で過ごしているので、私よりは大学院の内情を知っている。おかげで手続き等がスムースに進んだ。

 しかし、これからの学業のことを考えると、不安でいっぱいである。何しろ仕事をしながら、しかも担任をしながら、論文執筆を目指さなければならない。そもそも、学費がなかなか馬鹿にならず、新中学生と小学生と幼稚園児を抱えている私としては、この学費を払うことができるかどうかさえ危ぶまれている。前途多難である。

 それでもとにかく、とりあえずは挑戦してみようと思っている。T先生も言っていたが、年齢を考えると、おそらくはこれが最後のチャレンジとなるだろう。学問を新たに始めるという最後の機会に、まずは挑戦してみたい。すぐに倒れてしまうかもしれないけれどね。

長男の中学校入学 05:52

 私の長男が中学校に入学した。今日は彼の入学式であった。小学校6年間は長かったなぁ。でも短かったけれど。私の長男は早生まれのせいか、やや未熟なところが目立つ。だが、そんな彼も制服に身を包み、中学生となったわけだ。1つ、成長したのかな。

 中学3年間は小学校と比べて遥かに短いだろう。この3年間が、彼にとって充実したものであるように、そして彼の学業が進むように、願ってやまない。

2010-04-06

入学式 23:56

 平成22年度の入学式が行われる日である。そして、平成22年度が正式に動き出す日でもある。

 午前中は大清掃・会場設営、そして新任式・始業式が行われる。去年の今日、3年1組と出会ったのだなぁ。そして、4年前は3年8組と。本校に来てからは、このように担任をするということが特別な意味合いを帯びていて、その時々のことがこのように深く思い出されたりする。不思議なことである。

 さて,すべての準備を終え,新入生の点呼を行うために新しい1年10組の教室へ向かう。ところが点呼の時間を過ぎても1人遅れている。おやおやと思ったが,しばらくしているうちに到着した。まあ,最初から声を荒げるのもどうかと思い,暖かく迎えてやる。何となく,新しい学年はこれまでよりもいっそう幼さが目立つ。まあ,ほんの3週間前まで18歳の人間を相手にしていたのだからね。15歳の人間が幼く見えるのは当たり前だ。彼らを「幼い」と決めつけてしまうのは,可哀想である。

 さあ,全員が揃ったところで入学式へ。3週間前に通った道を4度目に通り,生徒たちを先導して式場に入っていく。その後の着席,入学許可における呼名,また,担任団紹介と,すべてのイベントを大過なくやり過ごすことができた。やれやれ,である。

 その後は最初のLHRがある。各種の書類を回収し,各種の書類を配ってまた回収し,各種の書類を配って説明する。もう配るのが多すぎる。入学の時にやろうとすることが多すぎるぞ。これでは何がなんだか分からなくなる。じっくり生徒たちがどんな人間か,見る暇もありはしない。

 少々時間をオーバーして次のクラス保護者会へ。ここではごく簡単に話をする。とにかくお願いしたいのは,朝読書を始めることと,応援歌練習では気をつけていて欲しいことと,PTAクラス役員をお願いする時はぜひとも断らないで欲しいことだけである。

 さて,新入生たちは無事本校へ入学した。これからまた新しい人間たちとの付き合いが始まる。様々なことが起こるだろう。それらに対応しつつ,果たしてどんな1年を送ることになるのだろうか。これもまた不思議なことである。

2010-04-05

ひょんな所で卒業生に出会う 00:28

 今日は午前中に年休を取り、まずは郵便局へ行った。その後、大学へ行く。大学は新入生たちでごった返していて、皆一様に黒いスーツ姿でキャンパスを埋め尽くしていた。卒業生たちにも会った。ひょんな所で会うものだ、と彼らは思っただろう。私がこんな時に大学のキャンパスにいる理由は……、申し訳ないが、まだ明らかにしないでおこう。そのうち公開できる時もあるかな。

 しかし、今時の新入生は一様に黒のスーツ姿なのだなぁ。あれはリクルートスーツではないのか。もう3年後のことを考えているのかなぁ。何でみんなは他と同じ行動をとりたがるのだろう。私が入学した時は、水色のブレザーを着た。親に買ってもらったものだが、3980円程度のものだったよ。それでも,私にとっては初めてのブレザーで,晴れがましかったがなぁ。そして,友人たちもそれぞれ思い思いのスーツ姿だった。今日のように,どの学生もはんこを押したような同じ姿だというのは,一種異様であった。個性・個性と騒いでいたはずの彼らが,どうしてこういう時には個性を捨ててしまうのだろう。不思議でならない。

入学式準備 00:28

 大学での用を終え,学校に戻る。明日の入学式に向けて,準備に邁進せねばならない。

 まずは入学式で保護者に渡す資料の袋詰めを学年全体で協力して行う。その後,入学式の日程について,最終確認をする。さらに,各種の資料やプリント,掲示物などを作成する。これらを先週はほとんどすることができなかった。前日の今日になって,とにかく急ピッチで作成する。それでも準備作業は十分に進めておいたので,何とか大半は終えることができた。後は,明日の午前中に作業を進めるのみである。

 私はまだ新しい環境に慣れない。しかし,さあ,明日は新入生たちが入学してくる。新たに392名の生徒を受け入れて,また新しい本校がスタートする。

2010-04-03

会議の嵐 09:03

 今日は新年度最初の職員会議があった。新任者が紹介され、これで正式に新しいメンバーを交えてのスタートである。

 大切なことであるのはよく分かっているが、それにしても会議・会議の連続であった。職員会議、学年会、分掌会議、教科会、そしておまけに理数科会まであった。そのほとんどが伝達するための会議である。もっとも不毛な会議、しかしなさねばならない会議、それが分かっているからなおさらやるせない。しかし、それならばせめて時間の短縮を図って欲しいなぁ。職員会議が2時間15分もかかるなんて、いくら何でも時間のかけすぎだ。おかげでそれ以降の時間設定が狂った。まあそれは良いとして、今日1日は、私は何も仕事ができなかった。閻魔帳を作ったくらいかな。

 それでも、この会議の嵐が今日に設定されたのは良かった。例年ならばこの嵐は始業式・入学式の前日に吹き荒れる。そうすると、1日へとへとになって何もできないまま、始業式を迎えることになるのだ。今回は4月2日に嵐をやり過ごしてしまえば、5日(月)がまるまる1日準備に当てられる。なかなかナイスな日程設定である。今までは、これをすると教員自身の自由な時間が分断されて、嫌がられていたのだろうけれどね。十分理解できるが、私にとってはこの方が「まだ」良いな。

飲みニュケーションの効果? 09:03

 今年はいろいろなことが型破りである。今日は1・2・3学年とも夜の結団式を行うことになった。つまりは飲み会である。例年は、各学年がそれぞれに日程を調整して行っていたが、今年は統一実施日を決めたのだ。会議・会議の連続の後、飲み会かよ、とこれだけは強く反対していた。

 私はクリスチャンである。世の一般の信者はどうか知らないが、私はクリスチャンであるが故に、酒は飲まない。飲んだことがない。よって、飲み会というものが私は嫌いだ。行っても何の足しにもならない。人々はアルコールのせいか陽気になり、あれやこれやと話をしている。私はそうした仲間になかなか加われない。ひたすら食事をし、ひたすらソフトドリンクをあおり、時間をつぶしてくるだけだ。飲みニュケーションなどというものの効果を私は信じない。そもそも、飲み会でなければ本音を語れないなんて、おかしなコミュニケーションだと思っている。

 そのせいもあり、今日の結団式への参加は正直気が重かった。飲み会への抵抗感もさることながら、ずっと意識している旧年度への惜別、新年度への拒絶感などがまだ整理しきれず、そんな気持ちのなかでさらに負荷をかけるのはたまったものではない、と思っていた。実際に参加してみて、実に思った通りだったのだが、それでも良かったこともある。新任者の方と初めて本格的に話をし、そしてその方々がこんな風な人なのだ、と多少は理解することができたからだ。もちろん、こんな程度のコミュニケーションは普段の会話でも時間をかければ十分に得ることができる。それでも、今日の飲み会を通して、時間をかけずに、半ば強制的に、相手を理解することができた。これは、「効果」と言っても良いのかな。

 京都橘大学の池田先生は、研修会の後の懇親会の効果を強調される。研修会に出席して、その後の懇親会を欠席するのは、せっかくの研修会のせいかを半減以下にさせることだ、と言っておられる。理解はできるものの、私には難しいなぁ、と思っていた。今日の飲み会は、そうした意味合いではないものの、その効能を少しは感じられたかもしれない。

2010-04-01

新年度の始動 05:40

 4月1日、今日から平成22年度である。新年度にふさわしく、朝、学校に着いたら、新任者が大きな荷物を運び入れようとしていた。新年度らしくて、良い。でも、それができるようになったのは我々の努力の賜物であることを、忘れないで欲しいなぁ。

 新1学年の自分の席に着く。ここから見る風景は、今までのものとは大違いだ。私はこれまでの6年間の間、座席はどちらかというと教務室に入ると右側を向いて座っていることが多かった。今回は左側、しかも一番右端である。したがって、教務室全体を一望できる位置である。もっとも、本校は大教務室制なので、遙か向こうの3学年の様子はほとんどわからないのだが。

 次々に新任者の転任挨拶を受ける。立派だなぁ。私が転任した時は、こんなにちゃんと挨拶したかなぁ。その中で、様々な年度初め準備作業を行う。まずは、新1学年の学年だより作成である。はい、心優しい学年部長の策略により、私はまたしても学年だより作成担当となった。これで4年連続かい。もういい加減にネタが尽きたね。(^_^;)

 それを何とかこなしている最中に、対面式で新入生代表の挨拶をする生徒が来てくれた。そのスピーチ原稿を添削する。といっても、ほとんど直すべき所がない。あまり最初から朗々とスピーチするのも場違いだし、そこそこの内容であってこそ、かえって初々しくていいんじゃないのか、と思う。ということで、一つだけアドバイスをして帰す。わざわざ来てくれて、申し訳なかった。さらに、先月の合格者オリエンテーションに来られなかった生徒も来たので、改めて指導をする。こうして生徒の顔を見ると、少しずつ新年度モードに入ってくる。

 他にいくつかの雑務をこなし、担任会に臨む。明日は全体の職員会議、そして初の学年会があるので、その前に確認すべきことをいくつか終える。しかし、まだまだお互い手探りをしているような雰囲気の担任会だ。というよりも、私があまりにいろいろと経験をしているので、その記憶との齟齬にまだ慣れていないのだろう。本当に、年を重ねるごとに柔軟性が失われてくる。以前やってきたことと同じでなければ気が済まなくなってくる。もっと私自身がオープンにならなければならんなぁ。

 ということで、エンジンがくすぶり続けてかかりにくいまま、新年度はスタートした。はてさて、明日はどうなる事やら。

アニメ『こばと。』が終わっていた 05:40

こばと。限定版 第1巻 [DVD]

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 当然といえば当然だが、アニメ『こばと。』が既に放映を終了していた。何しろ衛星放送なので、普段そんなものを見ていない私にとっては、放送終了などわかるわけもない。今週の月曜から地上波でも放映し始めたようだが、それすら知らなかった。いやぁ、テレビに疎い生活をしているなぁ。

 CLAMPの作品であるが、アニメになると大体ひどく原作のテイストが損なわれてしまうので、敬遠している。でも、この作品はよい。原作にはないエピソードがどんどん入ってきて面食らってしまうが、それでも雰囲気は損なわれずに来ているようだ。私はしばらくYouTubeで鑑賞していたが、1月以来の忙しさの中で見飛ばして以来、ずっと見なくなっていた。この度、最終回を見て、うーん、やはり良いアニメだったのだと再確認した。CLANPらしい意外性を明らかにしたラストだった。

 しかし、これで原作よりもアニメが先行してしまったわけだ。アニメにはCLAMPの大川緋羽が脚本で参加しているので、アニメのラストは、作者自身の設定がかなり採用されているだろう。この作品には、あの結末以外のものはなかなか見いだしにくいのではないか。そうすると、原作は今後どう展開していくのかなぁ。