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峰本のくもり時々「学び合い」日記

2011-01-10

元気で活動しております 03:51

 以下のblogに、今まで通りの活動を記しています。よろしかったら読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/beulah/

2011-01-06

今日は学年の準備で終わったなぁ 23:34

 今日より私の仕事始め。例年はほとんどカレンダー通りなのだけれど、何しろ今年は新しい命の誕生に振り回され、まだまだいつものリズムに戻れない感じだ。

 学校に行き、息子の内祝代わりのお菓子を配る。私はあまり「内祝」というのは仰々しくて嫌いである。そもそも、この時点ではまだ出生届を出していないのだから、命名もできはしない。

 その後、明日の課題考査の印刷を手伝う。明日は授業再開、そして課題考査である。午後から2コマ授業があるが、私は時間割のマジックで授業がない。その分、短歌作成の課題プリントを完成させることにしよう。

 そして、少し休暇を取り、ようやく息子の出生届を出しに行く。はい、今日が提出期限です。ぎりぎりまでかかったのは2回目だなぁ。でも今回ほど名前を付けるのが難産だったことはない。長男が、自分の名前の1字を使って欲しいとずっと訴えており、また家内がある字を使いたいと言っていた。しかし、その2つを組み合わせても、どうも良い名前にはならなかったのだ。そこで、別のある候補を2つ考え、そのどちらかにしようと思っていた。しかし、昨夜の土壇場で家内がその候補に違和感を訴え始めた。そこで、今一度初心に返って、2つの字を他にどのような読み方があるのかを漢和辞典を使って調べ始めた。それらを組み合わせて、ある読み方が浮かび、それを口にした時、ちょうど私が抱いていた息子がぱちりと目を開けた。もちろん、しゃっくりが始まったせいなのだが、それでも息子が認めてくれたようで、ちょっと感動した。その時すでに、家内は居眠りを始めていた。時に午前2時。ぎりぎりで名前の候補が定まったのだ。

 その名前を携え、役所で出生届を出す。今までの子どもたちはすべて私が出していたのだが、それでも出生届を出す時はドキドキする。果たして、本当にこの名前で良いのか、ダメだと言われないか、などとあり得ないことをふと思ったりする。もちろん、無事我が息子の名前は受け付けられました。しかし、読めないだろうなぁ。学校の教員泣かせの名前だなぁ。(^^ゞ

 その後、学校にとって返し、息子の職場での手続きをする。そして、学年だよりを作成し、模擬試験を解き直させていた、そのノートをチェックし、短歌作成の課題プリントを少しヴァージョン・アップさせた。やれやれ。仕事始めにしてはたくさんの業務をこなしたなぁ。

2011-01-05

寒中お見舞い申し上げます 07:01

 年末年始の休息をそろそろ明けて、2011年の活動をそろそろ始めていきたいと思う。とはいえ、まだ思うように動けない状態ではありますが。

 昨年の大晦日に家内と三男とが退院した。その後、産後でまだ十分に動けない家内に代わり、家事をいろいろにこなす。とはいえ、洗濯・食器洗い・買い物くらいではあるが。私の弱点として、料理が苦手であるということがある。そのせいかなぁ、何もかも段取りが悪いのは。料理は段取りがきちんとしていないと失敗してしまう。「作文は料理に似ている」という至言もあるしね。

 とはいえ、三が日の料理はある意味楽だ。我が家では朝と晩はお餅を煮て、これにきな粉をつけて食べる。そして、郷土料理ののっぺと野菜たくさんの雑煮を食べる。これを三が日だけでなく、幕の内くらいまでは繰り返し食べるのだ。まあ、時には別のものも食べるが、メニューが比較的単純なので、料理を作れない私にとっては簡単な作業だ。ある意味、この時期に三男の出産があったのは恵みであったのかもしれない。

 でも月曜・火曜と年賀状を作成し続けた日々であった。今年の年賀状は年が明けてからようやく作り始めた。しかも、家族の名前を連記するのに、三男の名前がまだ決まっていないので「??」としている。なかなかユニークな年賀状である。しかも、家内が入院中に宛名を書いてくれた、その宛名以外の人から年賀状をいただいていることが分かるので、その方々へも急きょ作成する。さらに、今年は生徒からの年賀状が多い。私は自分からは出さず、生徒から来たものだけに返礼することにしている。それが、クラスの生徒だけでなく、顧問をしている書道部の生徒からもたくさん来た。彼らに1通1通返事を作る。書道部の生徒のものは当然筆で書いてあるのに、私はMacとプリンターのお世話になっている。ごめんね。(^_^;)

 今日はやっと少しだけ本を読んでメモを取ることができた。ブッククラブの理論的背景を知ろうとしているが、なかなかはっきりとは分からない。ある一つの原典があるのではなく、社会的構成主義や正統的周辺参加論などが相まってバックボーンになっているのだろうね。今日、メモを取り始めたのはこの本。

 さて、ドタバタだった正月も今日で終わり。明日からは仕事を始める。今年もどんな授業を作っていこうかな。そして、それをまとめて、世に問うていきたい。

2010-12-31

妻と息子の帰還 23:46

 2010年も押し迫った今日、妻と三男が帰宅する。退院するのである。かれこれ24日間の入院、振り返ってみると長かったはずなのだが、それなりの満足感と達成感がある。私などは大したことはしていないのに、むしろ私の母に頼り切り、また子どもたちを叱りとばし、そして子どもたちの頑張りと我慢に頼り切っていたのだが、それなりの私自身の努力もあったのだろう。この父子4人の時間が終わってしまうのが、ちょっと寂しくもある。いや、環境の変化に慣れないだけなのですが。

 午前中は次男の宿題に付き合ってやる。3ケタと2ケタの引き算で、途端にスピードが鈍る。同じケタの足し算はまあまあのスピードなのだが、引き算となるとすぐに時間がかかってしまう。引き算というのはやはり頭の使い方はエネルギーがいるのだろう。何しろ引き算と足し算を同一計算上で行わなければならないからね。頭のレジスタを2つ用意しなければならない。

 昼過ぎに何とか半分を終え、それで今日はダウン。続いて家中に掃除機をかける。とはいえ、まだ掃除し足りない部分もあるが、上から下まで露出している部分は少なくとも掃除機をかける。これだけなのに、もう全身の筋肉が疲労を起こす。グロッキー状態。相変わらず、体力のなさに辟易する。

 もう妻たちを迎えに行く時間である。病院に行き、妻と三男を迎える。担当の先生には会えないが、看護師の方々や同室だった方々など、いろいろな人に挨拶をし、二人は無事退院した。いやはや、12月7日以来、本当に長かった。終わってみればあっという間だが、やはり長かった。

 三男は初めて兄たちや姉とご対面。もうすでにアイドル状態である。どうぞ存分にかわいがってくれ。父はあまりかわいがってやる体力が残っていそうにない。

 そんなこんなで今年の大晦日は過ぎていった。おっと、まだ年賀状を作っていないぞ。何しろ、三男の名前もまだ決まっていないのだから。というわけで、私からの年賀状は遅くなります。お許しくださいませ。良い年をお迎えください。

2010-12-30

[]「雨」2題

 夜の集会からの帰り道,車に乗っているとみぞれ混じりの雨が降ってきた.それを見た次男が,「雨が『つぶつぶ』降ってきた」と言った.すかさず長男が「『つぶつぶ』じゃなくて『ぽつぽつ』だろ!」と訂正しにかかる.しかし,確かに「つぶつぶ」としたような雨だったよなぁ.「ぽつぽつ」なんて,そんな生やさしい雨粒ではなかったし.子どもは詩人だとはよく言ったもの.次男の「写実的」な感性に拍手.長男の訂正にも拍手.

 帰宅した後,子どもたちとお風呂に入る.風呂の中で長女が「おとうさん,水は雨からできているって,知ってた?」と聞いてくる.私は「雨は水からできている,でしょう?」と聞いた.でも,娘は聞こえなかったと思ったのか,「ううん,水は雨からできているって,知ってた?」と繰り返した.そこでふと思案.考えてみれば雨が流れて川になり,その川から取った水を浄化して水道水になるんだよなぁ.「うん,知っているよ.」と答えると,娘は満足していた.うーむ,これまた何て詩的な表現だろう.「水は雨からできている」.娘の感性に拍手.

 これに,明日から4番目が加わる.順調に回復しているらしく,明日,家内と三男は退院する.足かけ24日間の入院だった.長かったなぁ.でも,過ぎてみると,家内がいない状態にようやく慣れてきたこの頃,またこの流れが乱されるのかと思うと,少し憂鬱にもなる.はい,私は新しい状況に慣れるのにものすごく時間がかかるのです.

 ともあれ,ビッグなクリスマスプレゼント,そしてビッグなお年玉である.

読書メモ入力終了

『デジタル教材の教育学』のメモ取りをようやく終えた.ちょっと,「メモ」というのに似つかわしくないほどの分量を入力した.これはあまりよくない.まあ,検索をかければ大概のキーワードで引っかかるだろうけれど,内容を一覧したい時に,あまりに長い引用は見づらくなってしまう.

 次にも多くの本が控えている.これらをメモ取りする時は,もっと書き写す分量と箇所を厳選しよう.

 今年は,本を読むということに革命的な認識の変換のあった年だったなぁ.それまで,本を読むのは1冊全部を隅々まで読まなければならないものと,無意識のうちに思っていた.だが,本とは「目的を持って」読むべきものである.そして,その目的に関係ない箇所は読み飛ばしていいのである.

 『READING HACKS』は私にとって認識を変える重大な本だった.その中の引用に,「本を丸ごと読まない権利」を読者は持っている,という指摘に目を開かれた.これからも読書をする際には,この点に気を付けよう.

2010-12-29

[]『デジタル教材の教育学』 18:14

デジタル教材の教育学

デジタル教材の教育学

 休日の今日,年賀状作成やら原稿書きやら,やらなければならないことは山ほどあるが,まず何よりやらなければならないのが,この本のメモ取りである.1週間ほど前に読み終えているこの本は,私の研究にびんびん当てはまってくるすごい本だ.そこで,この本のメモ取りをしようと,ずっと思っていた.

 今日は子どもの宿題を見てやらなければならない.そこで,PowerBookをリビングに持ち込み,息子に宿題をさせている横でPowerBookを開いて,メモの打ち込みをやっている.でも,これはいいね.息子の宿題は算数なので,彼を叱咤激励しつつ,こちらはメモを打ち込み,息子の作業が一段落したら,答えを確認してやっている.おかげでメモ取りも半分程度終わったし,息子の宿題も今日の分が終わった.ただし,こたつの上でやっているので,腕が少々上に持ち上がりすぎてしまうのが難点だが.

 このメモ取りをしている中で必需品だと思ったのがブックスタンド.本を打ち込むときに,別の本でページを抑えているのだが,これでは極めて効率が悪い.そこで,午後からは気晴らしもかねてお買い物に行く.買ってきたのはこのブックスタンド.

 これはノートパソコンのスタンドとしても使える点がいいかなと思った.また,ブックスタンドとして使う際に,ページ押さえをしたままでページをめくることができるという点もよいと思った.ただ,実際使ってみると,ページ押さえが思ったよりも軽くて,本があまり安定していない.

 まあ,本を抑えに使っていたときに比べると別世界だけれどね.

2010-12-28

冬季特編最終日 07:54

 冬季特編も今日で終わり。生徒諸君はご苦労様、である。もっとも、昨年まではSHRがないくらいで、1、2年生はこの日まで冬季講習をやっていたのだからね。さらに、全員がこの冬季講習に参加するという、その先棒を担いでいた張本人が私だから、生徒のことを思いやる資格もないのかもしれないが。せめて、英・数・国それぞれの分野を自由選択するようにできないかなぁ。来年の2年生の時には、理・社も加わってもらい、3科目自由選択させたいなぁ。

 今日は三男の誕生を皆さんから祝ってもらった。学校の親和会からお祝いをいただいた。さらに1学年からはお祝いと「パリパリ絵本」をいただいた。さすが、朝の読書を推進している学年である。まあ、いくら何でも三男はまだ読めませんが。(^^ゞ 午前中の講習の後、国語科からもお祝いをいただいた。皆に祝福された三男である。ありがたいことだ。

 思えば、私がこの学校に赴任した4月の始めに長女が生まれた。その時も皆さんから祝福していただいた。上の二人はそれぞれ勤務していたところが違うが、長女と三男はこの学校に勤務している時に生まれたわけだ。それだけ長くいる、ということかな。

 今日は卒業生たちも来てくれた。このblogを読んで、急きょ来てくれたN君。ありがとう。君自身もこれから勉強が大変だろうけれど、なぁ〜に、君ならできる! 頑張ってください。

 さらに午後にはKさんと廊下でばったり出会った。他の3人も一緒であった。それぞれに大変わりしたり、何も変わっていなかったり、成長が見られて嬉しい限りである。その中で、Kさんが一番変わっていたなぁ。あんまり変わらないでね。(^_^) 内面の成長は大いに歓迎するけれど。

 今日で今年の勤務は終わりである。午後はまた休みを取り、子どもたちのフラストレーションを解消すべく、また、私自身の用事もあり、新潟市立中央図書館「ほんぽーと」へ行く。実は県立図書館や大学図書館に行きたいのだけれど、どちらもお休みなんだもの。ちょっと早すぎるぜ! 「ほんぽーと」は相変わらず和む空間である。今回は私の母も連れて行ってくる。子どものための本を借り、彼らは漫画コーナーへまっしぐら。母は館内を見て回る。私は自分の研究に関する本を探しまくる。7冊借りてきた。その中で、今回注目したいのはこの2冊。

「PISA型読解力」の弱点を克服する「ブッククラブ」入門

「PISA型読解力」の弱点を克服する「ブッククラブ」入門

有元氏のこれらの本によって、ブッククラブが効果的である、その理論的背景を探りたいと考えている。

 今年もいろんなことがあったなぁ。何より、昨年度の3年1組の卒業、そして今年度の1年10組との出会い、1学年との出会い、大学での私の指導教官との出会い、日本国語教育学会での多くの出会い、招いていただいた集会の兄弟姉妹との出会い、そして最後に、我が三男との出会いがあった。人は出会いによって成長する。また、出会いによって学ぶ。まだまだ学ぶことは続く。さらに頑張っていこう。

2010-12-27

冬季特編3日目 07:01

 24日から始まった冬季特編も今日で3日目。土曜日の講習をカウントすれば、の話ではあるが。

 今日の新潟市は雪が積もった。積雪5cmくらいかな。今朝は長男が部活のために別の中学で練習すると言うことで、その中学へ送ってやった。新潟市は雪が降ると交通マヒを起こすのだが、今朝は積もったもののすでに溶け始めており、車の通行にはほとんど支障がなかった。ちょっと肩透かし。彼を送り届けてから、学校へ行く。

 生徒の書いた日誌に、「冬休みに入ったのに、ちっとも冬休みらしくない」と嘆きの言葉があった。そりゃそうだよね。何しろ28日までSHRはあるは、英語の講習は授業そのものだは、5限まで授業があった時とほとんど変わりがない。うーん、授業扱いするようになったから、SHRがあるのはある意味当然だし、どうせ全員が受講するのだから、授業をしてしまっても当然だとは言えるけれど、もう少し冬休みの講習らしい内容にしないと、生徒は単に冬休みが短くなったとしか感じないのではないのではないか。これでは動機付けが難しいよね。せめてSHRは無しにして、レベル別にクラスを組み替えたらどうかなぁ。あるいは分野別でもいいや。数学なら分野別にクラスを開講することはできるだろう。SHRの不実施はおそらく全校体制のため難しいだろうが、クラス展開は学年の考えで可能なのではないか。

 とはいえ、私は今回はご存知の通りの家庭の事情のため、午後からは休みを取って対応にあたる。そのため、冬季特編は私は担当しない。ちょっと残念、である。

 代わりに、今日は生まれたばかりの三男を初めて抱っこしてきました。(^_^)

2010-12-24

クリスマス・イブのビッグプレゼント

 今日から冬休みである。しかし、今日から28日まで冬季特編と銘打ち、冬季講習が行われる。これは授業日である。授業日だから、欠席は授業の欠席とカウントされる。今年から始まった制度だが、どうも私には慣れなくて。ついつい、今日からSHRがないのだと思いこんだり、講習を休んでも欠時にならないのだと口走ったりしてしまう。どうも、長年染み込んだ感覚はそう容易には変わらない。

 SHRに出てた後、私は午前中のみ出勤して帰宅する。よって、今回の冬季講習には私は出ない。本校に赴任して初めてのことである。それは何故かというと……。

 午後から病院に行く。妻が入院している。まあ、多少病気といえば病気だが、実は今日は妻が帝王切開の手術を受けるのである。はい、子どもが生まれるのです。何と4人目。こんな年になってまさか赤ん坊が抱けるとは、思いもよらなかった。

 14時前から手術が始まり、14時40分頃に我が子が手術室から出てきた。男の子である。私にとっては三男になる。小さな、しかししっかりとした子どもである。4人目ともなるとあまり感慨というものはないが、それでもその子が集中管理室に連れて行かれた後、自然とにんまりとしてしまう。

 実は、99%女の子を予想していた。私は男の子よりは女の子の方を欲しいと思っている。そして、妻も妊娠中に、この子は女の子みたいだ、と言っていた。それで二人で女の子の名前ばかりを考えていた。それが(まさに)ふたを開けてみると、男の子だったというわけだ。やれやれ。生まれた時から父に頭を使わせる子である。(^_^)

 おかげさまで母子ともに健康です。子どもは少し低体温だったりしたが、今のところは順調である。全てを守ってくださり、素晴らしい子を与えてくださった神様に、ただただ感謝するばかりだ。

 というわけで、クリスマス・イブがこれからは特別な日になった。私はクリスチャンだが、クリスマスには特別な意味はないと考える者である。したがって、クリスマスは全然特別な日ではなかったのだ。しかし、これからは別の意味で特別な日になったなぁ。

 Merry Christmas! and Happy Birthday my little son!

2010-12-23

今のAppleはすごい! 07:15

 今日は休日。いろいろなことをした。県立図書館に行って、資料の探索をしようと思っていたのだが、行ってみたら休館だった。今日から1月6日まで休館。おいおい、小学校じゃあるまいし、ちょっと早すぎるんでないの? どうりで、iPhoneで開館日を検索しようとして、なかなかつながらなかったわけだ。

 その後もいろいろ周り、そして買い物に行ったついでにヤ○ダ電器に行ってみる。そうすると、Apple製品を普段よりも強力にディスプレイしており、iMacMacBook Airの新型などを触ってきた。

 そして、ついに見たiPad! もう、圧倒的だった。A4プロセッサのせいか、動作が思った以上にきびきびとしている。私のiPhone3Gで、iPhone4でも3GSでもない。今からもう2年前の機種である。そのせいか、iOSは最新のものなのだが、動作が本当にもっさりしている。iPhone4ならそんなことは感じないのだろうにね。しかし、iPadはそれよりももっと動作がきびきびしているように感じた。あの大画面だから移動距離が多い分、きびきびとした動きをより強く感じるのだろう。確かに、手に持った時、外観の印象よりは重く感じる。でも、やはりあの大画面は圧倒的な魅力だ。あれを持っていれば、いろいろな発想が湧くだろうなぁ。いいなぁ。

 そしてPowerBook Airの新型も触ってみた。11インチのものと13インチのものとがあった。11インチは確かに小さくて魅力的だが、画面のフォントも小さくなっていた。私は13インチが魅力的に感じたなぁ。そんなにモバイルを重視すべき環境ではないしね。

 iMacがすごかった。20インチを触ったが、その画面の美しさ、反応の素早さ、どれをとっても圧倒的だった。24インチ(27インチ?)も隣にあったが、あまりにすごかったので尻込みして触らなかった。

 私の愛用しているMacPowerBook G4で、Pismoと呼ばれる機種である。もう3世代も4世代も前のものだ。頑張って動いてくれているのだが、最近はインターネットの動作も何だか遅いし、外付けのハードディスクを読みに行く時にはしばしば待たされることがある。学校で使っているのはPowerMac G5である。これも、メモリが少ないせいでPantherを入れている。6年くらい前の環境である。こうしたものに慣れた目には、最新のApple製品はあまりにまぶしい! いいなぁ〜。

2010-12-22

[]またも牧水の歌までで今年は終わり 11:34

 9組での授業。前回は啄木の歌の途中で終わってしまったので、そこから再開する。

 母を背負った時に「そのあまり軽きに泣きて」と続く、その「軽き」を感じた時に何故泣くのかを生徒に考えさせる。「お母さん、良かったねぇ、ダイエットに成功して」みたいな感涙ではないよなどと軽口をたたきつつ、軽いことを感じて涙を流すのがけっして当たり前のことではないことを気づかせる。生徒に指名したところ、「母が衰弱したのに気づいたから」と答えた。悪くないと断りつつ、「たはむれに母を背負ひて」とあるから、この母は健康であることを指摘する。もし病弱ならば「たはむれ」ではないからだ。別の生徒に指名したところ、「年を取ったから」と答えた。そちらの方向だろうね。そこで、母が年老いたことに気づいて涙を流したのだ、とまとめる。

 そして、「たはむれに母を背負ひて」という親愛さからは歩みが進むだろうし、母が意外にも年老いたことに気づいた悲しみからは歩みが止まるだろう、その二つの感情のせめぎ合いが「三歩」という歩数なのではないか、と指摘した。「一歩」では止まりすぎる、「五歩」では進みすぎる、「三歩」という歩数が二つの相反する感情のせめぎ合いとして適当な数ではないかと思うのだ。

 次に牧水の「白鳥はかなしからずや」の歌を扱う。疑問点を出させてさまざまに検討した後、牧水の孤独を主題として先に示し、その根拠を考えさせる。生徒からは「空の青海のあをにも染まずただよふ」の箇所を指摘して、白鳥が周囲の青に染まっていない点を答えてくれた。ちゃんと色彩のコントラストを指摘している。

 次の茂吉に少し入りかけたが、時間切れ。今年はこれで終わりである。短歌はなかなかおもしろい授業が展開できる。疑問を持たせやすい点、それについて吟味しやすい点、さらに主題を先に示してその根拠を考えさせやすい点がとてもいい。短歌の授業はもっと取り入れるべきだなぁ。

[]「刎頸之交」が終わった! 11:34

 2組での授業。「刎頸之交」を快調に口語訳する。どんどん口語訳をさせ、漢文の句法テキストを参照させて訳し方を確認させ、口語訳を修正させる。単調で、中には居眠りをした生徒も出てしまったが、ある面、こうした漢文の口語訳のスタンダードな方法を刷り込ませるのも大切なことなのかな、と思う。これが分かれば自分で口語訳ができるようになるだろう。

 登場人物たちの細かい心理劇は残念ながら来年に持ち越してしまった。次は平家物語だ。

2010年の授業が終わった 11:34

 今日は一応の授業の最終日。明後日から冬季特編で、生徒は学校に来るのだけれど、一応のけじめである。大清掃や全校集会があり、LHRで成績を生徒に渡す。

 2010年はなかなか激動だった。それももうすぐ終わる。私的には明後日に一大事が控えているし、自分の研究は遅々として進まない。この年末年始はさらにドタバタしそうである。

2010-12-21

明日の「学年だより」より 02:38

 私は1学年の学年だより係である。これは前回の学年の時もそうだったが、今回の学年では、私以外に他の同僚も多く作成してくれている。とても助かる。

 今回の学年だより22号は冬休み直前号である。そのために私は次のような文章を書いた。

あらたまの年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)

 題名の和歌は、『万葉集』の編者、大伴家持が詠んだ歌です。「新しい年の初めの今日、降り積もる雪のように、良い事がたくさんありますように」という祈りを込めた、新年の祝いの歌です。

 今年も多くのことがありました。君たちにとっては何よりも「N高校」に入学したことがいちばん大きなことでしょうか。それは「吉事」でしたか? それとも期待していたほどではなかったですか?

 高校は義務教育ではない、というのはもはやほとんど意味をなさないことかもしれません。しかし、その事実は変わりません。君たちは中学校を卒業して、就職して社会に出ることも可能だったのです。でも君たちは高校に進学することを選びました。そして、N高校を受験し、合格した後は入学することを選んだのです。今、君たちがここにいるのは、君たちが選択してきた結果です。

 人生とは選択の積み重ねです。そして、その選択した結果が今の君たちのアイデンティティを形作ります。『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を読んだ、あるいは映画を観た人は多いでしょう。この中でハリーは、自分が本当はヴォルデモートの出身であるスリザリン寮にふさわしかったのではないかと悩みます。しかし、終盤でダンブルドア校長はこう言いました。「自分が何者であるかは、自分が何をできるかではない、自分が何を選んできたかだ。」と。ハリーはグリフィンドール寮に入りたいと願いました。その願いが、彼を真のグリフィンドール生にしたのです。

 君は何を願ってこのN高校に入りましたか? 君の願いは何ですか? N高校が君をN高校生にするのではありません。君自身が、N高校生になるのです。君の願いが、そしてそれを実現しようと努力することが、N高校の伝統を作っていくのです。

 自分が何者であるか、自分は今どこに向かおうとしているのか、自分の学習は軌道に乗っているのか、様々に考え直す良い機会でしょう。もう一度、自分の願いを確認してください。また、その願いをさらに大きく持ってください。

「今日降る雪のいやしけ吉事」。今年も大雪でしょうか。その降り積もる雪のように、君たちの来年がたくさんの願いで埋め尽くされるように、我々1学年団は願っています。

自画自賛みたいで申し訳ないが、ちょっとよく書けたでしょ? (^^ゞ

[]百人一首かるた練習の最後 02:38

 10組の授業。かるた練習の最後を飾るのは我がクラスである。

 セミナーハウスの和室に彼らを連れて行き、今日は55分授業で短かったが、かるた会を楽しんだ。このクラスにしては意外にも、かるたを読む合間合間に静寂が訪れることが多かった。他のクラスでは一つの歌を詠み終わると、なかなか生徒のざわめきが収まらなかった。かるた会でもクラスの個性が表れる。ただ、10組はもっとがやがやとなるかと思っていたので、少し意外だった。

 さて、これでかるた会の練習は終わった。もう少しやってやりたいとも思うが、致し方あるまい。1月11日が本番である。彼らはどんなチームを編成してくれるのかな。

[]「古畑型授業」による短歌の授業の意義 02:38

 3組での授業。短歌の授業の1時間目である。今日は55分授業なので、与謝野晶子の短歌のみしか扱えなかった。

 このクラスはいつもは非常に反応が良く、楽しいクラスである。しかし、この短歌の授業にあってはいつもの反応の良さが少し潜んでしまう。晶子の短歌を書写させ、疑問点や発見を話し合わせて述べさせたのだが、あまりこちらが期待するような発言がなかった。勢い、こちらの方で検討すべき点を述べてしまう。そうすると何となく主導権が教員に移ってしまう。

 ただ、その後の、この歌に対する評価を先に掲げ、それの根拠を指摘させる段階では、まあまあの反応をしてくれた。晶子のこの歌は、解釈がなかなか難しいのだね。表面上の意味は取りやすいが、「黒髪のおごりの春」が「うつくしきかな」と続くあたりは、生徒自身が意味に気づくには難しいだろう。

 他の学校の国語教師を親に持つ生徒がいるのだが、その生徒は他の同僚の授業を受けている。その生徒が「短歌の授業は、生徒に何だかんだと解釈をさせるのだけれど、結局先生が解釈をまとめて押しつけてしまうのだから、だったら最初から先生の解釈を伝えればいいのに」と感想を言っていたそうだ。

 ありがちな感想だと思うが、やはり真実をついているのではないか。短歌は短いだけに、なおさら教員の解釈の押しつけという印象を受けるのだろう。

 そこから、逆に「教員の解釈を先に示し、それが成り立つ根拠を考えさせる」という「古畑型授業」の有効性が、やはり支持されるのではないかなぁ。確かに、生徒がどんなに解釈をしても、結局教員の解釈にまとめられてしまっては、生徒には徒労感が残るだろう。

2010-12-20

[]「空の青/海のあを」ってどんな青? 07:08

 6組と3組の授業。ただ、3組は都合によりかるた練習会を行った。よって、現代文の授業は6組のみ。

 6組ではまず石川啄木の3行分かち書きの短歌表記について説明した。最初に

石川啄木の短歌の最大の疑問って何?

と聞いてみた。すると3人目の生徒で

3行で書かれていること

と答えてくれた。いやぁ、やはり大したものだね。啄木の歌を見慣れていると、3行分かち書きがあまり不自然に見えなくなってしまうが、やはり真っ直ぐな目はちゃんとそれを捕らえてくれる。

 啄木の3行分かち書きについては、あるいは様々な意見があるのかもしれない。しかし、私は今回このように説明した。『日本の詩歌』の解説を参考にしてある。

 そもそも取り上げた歌は虚構の歌である。実際に母を背負ったのではなく、幻影の母を思い描いていたのだ。では何故か。それは啄木が母や妻や長女を函館に残し、一人上京して小説家として身を立てようとしていた時だ。しかし彼の小説は売れず、失意と孤独の中で彼は一人自室にいた。その中で幻影の母を背負うという虚構を歌ったのである。小説家を目指した啄木にとって短歌は「遊び」であった。まさに「一握の砂」に過ぎず、「悲しい玩具」に過ぎなかった。だからこそ形式もこだわらないものとなった。また内容も生活から浮かび上がる印象を綴るものとなった。しかしそれだからこそ、彼の短歌は革新的だったのである。

 専門的には違うのかな。『日本の詩歌』の解説を読んで私が理解したことは以上のようなことなのだが。

 さて、続いて若山牧水の「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」に移る。

 最初にこの短歌の疑問を上げさせる。真っ先に出てきたのが「空の青/海のあを」と「青」の表記が違う、ということだった。おそらくこれは中学校でも教わっていたことなのだろう。でも、この短歌の要となる疑問だ。

 次に「染まずただよふ」で、何故「ただよふ」という表現を使っているのか、という疑問が出てきた。そこで、この「ただよふ」は空の中を漂うのか、海の上を漂うのか、と聞いてみた。生徒に手を挙げさせたところ、空の方が優勢だった。

 続いて「白鳥」とは何の鳥か、と問うた。2人目で「カモメ」と答えてくれた。そうだろうね。海にいる白い鳥だからカモメが適当でしょう。しかしこれを「カモメ」と言い表さず、「白鳥」と書いたところに意味がある。これは「白」と「青」との色彩的コントラストの歌だからだ。

 さらに「かなしからずや」の「や」は疑問にも反語にも取れる。疑問なら「悲しくないのだろうか」、反語なら「悲しくないはずがない」となり、疑問より強くなる。どちらが適当かと問うたところ、疑問と取った者が大半だった。これは牧水の孤独にどれだけコミットするかによるのではないかなぁ。

 さて、これらの疑問を検討した後で、この短歌の主題を掲げる。むろん、「暗い恋に苦悩する青春の孤独」である。まずは背景となる牧水の恋について説明した後、「孤独」を読み取れる根拠を生徒に問うた。生徒は「空の青海のあをにも染まずただよふ」の箇所を挙げた。そこで、「青」と「あを」の表記の違いについて説明した。空の青色と海の青色とは違う。そこで表記を変えた。しかし、その二つの青にも「白鳥」は染まらないのだ。

 うーむ、このところは私が説明しないで生徒に少しでも聞いてみるべきところだったなぁ。この歌は中学校でも学習している者がおり、この箇所もおそらく説明を受けているだろう。その知識を持っているなら、それを活用すべきだった。いかんいかん。

 以上で牧水の歌の説明は終わり。斎藤茂吉の歌に行こうとしたが時間切れだった。この歌は年越しとなる。

[]「刎頸之交」の授業 07:08

 2組での授業。2組だけはどんどん授業があって進んでいく。困ったものだ。

 「刎頸之交」をどんどん解釈させ、重要語や句法の説明をしていく。順調である。生徒は何となくだるそうに見えるけれど……。

2010-12-17

電子掲示板を活用して読書レポートを投稿させている 07:46

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 電子掲示板を活用した読書レポートはかれこれ4年にわたって行わせている。今まではこの電子掲示板を活用するのは生徒の選択に任せていた。しかし、今回は違う。生徒全員に電子掲示板を通してレポートを提出するよう求めている。その理由は、そもそも何故電子掲示板を使うのか、にかかっている。私がこの実践で行いたいのは、生徒が友人の読書レポートを読むことで自分自身の考えを見直し、発展させ、新たな視点を獲得するためである。自分が本を読んで、それをまとめるだけではなく、さらに同じ本を読んだ他の生徒の視点を知ることによって、自己の認識を変容させるためである。それならば、生徒全員が他の生徒の読書レポートを読むことのできる環境が必要になる。そのために、全員に電子掲示板を使ってレポートを提出するよう求めたのだ。

 今回、生徒に読ませている本は以下の4冊。このうち1冊を選ばせている。なお、今回の統一テーマは「国際理解」である。一部の生徒が中国に交流に行ったり、短期留学生が本校を訪れたりした、この時期に合わせてのテーマ選択である。

異文化理解 (岩波新書)

異文化理解 (岩波新書)

国際協力と平和を考える50話 (岩波ジュニア新書)

国際協力と平和を考える50話 (岩波ジュニア新書)

世界を知る力 (PHP新書)

世界を知る力 (PHP新書)

 今回はこの1冊ずつに電子掲示板を設置し、生徒は自分が読んだ本の掲示板に自分の読書レポートを書き込むようにさせている。本日が投稿締切日なのだが、大半の生徒が投稿してくれた。生徒はよく取り組んでくれた。

 今後は、自分が読んだ本の電子掲示板を生徒に訪れさせ、他の生徒のレポートを読んでコメントを書かせる予定である。さらに、そのコメントを読んだり、他の生徒のレポートを読んで、自分の最初に書き込んだ時の意見が変容したかどうかを、自分の最初のレポートにコメントとして書き込ませるつもりだ。こうすることで、生徒は他人の意見を知ることで自己の認識を新たにする機会を得ることができると思う。

[]百人一首100首を約3回読んだら疲れ果ててしまった 07:46

 2組と8組の授業。今日は2クラスとも百人一首かるた練習会である。セミナーハウスに生徒を来させて、畳の部屋でかるた会を行う。本当に、他の授業でこの部屋を使えないかなぁ。畳の部屋で授業をするのはすごく良いかもしれない。

 各クラスともまずは対戦を1回行う。そして2回戦を行うが、どちらも時間切れで途中で終わってしまう。だいたい50首前後は読むのかな。つまり、合計して約300首、私は声を張り上げて歌を朗唱したわけだ。

 今日は2組が3限、8組が4限と昼休みを挟むとはいえ連続していたせいだろうか、それともやはり寄る年波か、8組の授業の途中から全身に疲労を感じてきた。授業が終わった後はもうへろへろになってしまった。いやはや、朗唱は体力を使うのだね。

 来週の火曜日は同様に2クラスでかるた練習を行う予定である。だが、これでは到底体が持たない。CDを使って朗唱を聞かせることにしようかなぁ。まさかこんなところで体力のなさが露呈するとは。困ったものである。

2010-12-16

[]短歌の授業で「古畑型授業」を試みるPart2

 9組での授業。昨日と同様、与謝野晶子と石川啄木の短歌を「古畑型」授業で実施する。このクラスでは、昨日の6組での反省を活かし、与謝野晶子の短歌を教える際に、到達点を巷間の評価ではなく、短歌の主題そのものとした。つまり、

この短歌の主題は「自己を肯定する青春への賛美」である。その根拠を短歌の中から見つけよ。

という課題を与えることになる。

 授業は、まずは短歌への発見・疑問を上げることから始めた。生徒からは次のような解答を得た。

  • 「おごりの春」が「うつくしきかな」とつながるのは何故か
  • 何故「春」なのか
  • 「黒髪」と「おごりの春」とのつながりがよく分からない

最後の疑問は、まさにこの短歌の核心部分をついたものである。よくぞここに気づいてくれた。

 その後、短歌の主題を示して、その根拠を指摘させた。生徒からは次の解答を得た。 

  • 「おごりの春」の箇所がそれらしい
  • 「うつくしきかな」

だいたい以上のようなものであった。あまり予想したほどには発言は活性化されなかった。むしろ、昨日の6組で示した世評の方が、もっと活発に話が出たように思う。うーん。クラスの雰囲気の差なのか、それとも主題を示してその根拠を探させるという課題はあまりに易しいのか。

 上記のような指摘が出ることは当然予想していた。むしろ、それが出てきて欲しい。ただ、ここで考えさせたいのは、何故「春」を「おごる」ことができるのか、春を、つまり自分の青春を「うつくしきかな」と歌えるのは何故なのかということだ。つまりはその革新性、斬新さを見いだして欲しいのだ。

 その目的から考えると、短歌を当時の時代背景から考えることを思いつかない生徒はそうしたことを疑問にも感じないだろうなぁ。青春が美しいのは、彼らにとっては当然のことだからだ。ある生徒は友人との話し合いの中で、「二十なのだから、成人式に参加した時(初春だから季節はあっている)の歌ではないか」と解釈していた。うーむ、誤読も甚だしいが、しかし短歌以外の情報を持っていない状態では大健闘した解釈だと言える。

 本文に書いてあること以外の情報を用いて本文の解釈を深める、という能力は、やはり意識的に育てなければならない。こちらがそうするだろうと期待だけするのは難しいことなのかもしれない。不可能ではないだろうけれどね。

[]「刎頸之交」に至る活躍を見よ

 2組での需要。今日は予定を変更して教室で授業をする。漢文「刎頸之交」を扱う。

 教科書ではまさに「刎頸之交」の箇所しか取り上げていないので、そこに至るまでの話を『十八史略』から切り貼りプリントを作成して生徒に示す。

 しかし、やはり『十八史略』は簡略本なのだね。話の流れは分かっても、『史記』のような血湧き肉躍る興奮は伝わってこない。生徒も、4限だったせいかひどく眠そうだった。私の示し方も今ひとつ良くなかった。

2010-12-15

[]短歌の授業で「古畑任三郎型授業」を試みる

 6組での授業。他に9組もあったのだが、こちらはテスト返しと短歌の口語訳を自主学習させていた。

 さて、6組での授業である。今回の短歌の授業では以下の4首を取り上げる。

  • その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな(与謝野晶子)
  • たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽ろきに泣きて/三歩あゆまず(石川啄木)
  • 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)
  • のど赤き玄鳥ふたつ梁にゐて垂乳根の母は死にたまふなり(斎藤茂吉)

 今日はこの内の最初の二首、晶子と啄木の歌を取り上げる。この歌を理解するために、「古畑任三郎型授業」を試みてみた。

 「古畑型授業」とは、古畑任三郎のドラマのように、教材の主題や肝心なところを先に伝えてしまい、そのことは教材のどの箇所から言うことができるか考えさせる、というものである。短歌の授業の場合、晶子や啄木の短歌の主題や評価を先に示して、この主題や評価は短歌のどの部分から言えるかを考えさせることになる。考えてみると、小説や短歌などを授業で扱う際に、今学んでいることがどこへ着地するのかが分からずに暗中模索して、結局は教師のまとめを受け入れるだけの従来型授業(「名探偵コナン型授業」と言います)よりも、どうせまとめをせねばならないのなら、最初からそのまとめを生徒に提示し、それが成立する理由を考えさせた方が安心するし、自らの意志で探索する授業になる。国語の場合、「古畑型授業」はぜひ取り入れるべき形式だ。

 さて、授業はまずは与謝野晶子の短歌を取り上げる。短歌をノートに五行分かち書きで書写するよう指示する。しかも、行間を二行ほど取るように、と。この行間にさまざまな気づきや解説を書き込むためである。下のような感じ。

その子二十



櫛にながるる



黒髪の



おごりの春の



うつくしきかな

 次に、この短歌を何度も読んで、「何か不思議だなぁ、変だなぁ、何故だろう?」と思う箇所をどんどん見つけるように指示する。その際、「形式・句切れ」の面と「表記・表現法」の面と「語句」の面とから考えるよう指示する。

 この歌は初句切れである。それはいいが、例えば次のような疑問が湧くだろう。

  1. 「その子」とは誰のことか。
  2. 何故「二十」なのか。「十九」ではいけないのか。
  3. 「ながるる」とひらがな表記なのは何故か。
  4. 何故「春」なのか。
  5. 「の」が重ねられているのはどんな効果を生むか。

 生徒は「櫛にながるるが良いと思った」とか、「おごりの春って何か」とか答えてくれた。「櫛にながるる黒髪」ってどんな黒髪? と問うて、ストレートヘアかななどと指摘してみた。

 さて、これらを考えた後で、この短歌の評価を黒板の一番左端に板書する。次のものである。

伝統を踏まえつつ、斬新な近代を切り開いた歌

 この評価の内、「伝統」とは短歌のどの箇所を言うか、「近代」とはどんなことかを、隣近所の友人たちと話し合いながら考えさせた。

 このクラスは話し合い活動がきわめて不活発なクラスである。しかし、今日は違った。中には話をしようとしない者もいたが、ほとんどの生徒は友人と話をしながらあれやこれやと意見を交換していた。

 生徒に指名しながら意見を述べさせたが、どうも的はずれだったので、先に取り上げたこの短歌に関する疑問の中からこの評価につながるものを考えつつ、解説していった。

 授業自体は上手く行ったのだが、短歌の評価からそれを支える表現を捕らえるというところが上手く行かなかったことを考えると、この到達点の設定が良くないのかもしれない。実はここは、授業直前までさんざん悩んだところだったのだ。到達点として提示するのは、もう一つ別の候補もあった。次のものである。

自己を肯定する、青春賛美の歌

 これら二つの到達点のどちらもが、「黒髪のおごりの春」という表現に立脚している。「黒髪」が何故「春=青春」に結びつくのか、そして「おごりの春」がどんなに革新的な表現だったのか、を理解することが全てである。

 上手く行かなかったことを考えると、到達点の選択はやはり間違ったのか、と思う。明日の9組では後の方でやってみよう。

 そしてもう一つ、短歌についての疑問箇所を指摘する活動を先にし、主題の根拠を考える活動を後にしたが、この順番は良かったのかなぁ。でも、主題の根拠を考えるためには、少しは短歌の内容を知っていた方が良いのではないかな。そう思って、疑問箇所の指摘活動を先にした。はて、どうなのだろうか。

 啄木の歌は「母への深い愛情」という主題を示し、それを支える表現を探させた。これはスムースに行った。授業はそこで時間切れ。啄木の歌は、何よりその表記の特異性が問題である。何故、三行分かち書きなのか、これは次回に考えさせることにしよう。

 久しぶりにエキサイティングな授業であった。終わった後、ある生徒が「短歌の授業が2時間だけなんて少なすぎます。もっとやりたいです」と言いに来てくれた。生徒も根拠を探る授業の面白さを感じてくれたのではないか。(^_^)v

2010-12-14

[]採点驀進中! 23:33

 2組での授業。しかし、今日は採点が終わったテストを返し、解説をした。その後、百人一首のテキストを開かせ、歌を覚えさせるとともに、歌の解説や文法事項の確認などの学習をさせた。これをもっと自由にさせると良かったかな。

 今週中はかるた取りの練習など、普段とは違う授業が展開される。それもまた良し。

[]クラスマッチ終了 23:33

 昨日から午後はクラスマッチが行われている。1年生はバレーボールである。昨日は会議やら採点やらで応援に行けなかった。そもそも、何時から試合をやっていたのか分からなかったのだ。その中で、我が10組は2戦2勝だったそうな。なかなかやるじゃん!

 ということで、今日は私も応援しに行った。しかし、勝ちを意識したせいか、私が応援したせいか、今日は2戦2敗。通算4戦2勝2敗で、決勝トーナメントへは進出できなかった。うーん、残念である。

 しかし、これによって生徒は非常に一体感を感じたことだろう。男子と女子の間もより理解が深まったようだ。互いの意外な一面を見いだしてた。いいねぇ、高校生は。そしてクラスマッチは。

2010-12-13

[]かるた大会練習進行中 22:12

 2組での授業。だが、このクラスもかるた大会の練習を行う。まだまだテストの採点が終わっていないため、しばらくこのままだなぁ。

 それぞれのクラスはそれぞれの表情を見せる。そして、こうしたかるた大会の練習なぞをしていると、普段の教室とは全く違った表情を見せる生徒がいる。そうすると、授業というものは生徒のごく1方面のみを見ているものなのだなぁ、と気づく。生徒の表情はもっともっと種種多様なのだ。当然だろう。自分だってそうだもの。学校にいる時だけが私ではない。家庭にいる時の私、集会にいる時の私、そもそも教務室にいる時の私。いろいろな私がいる。そして、それが全て「私」である。生徒もしかり。教室の授業を受けている時だけが彼らの全てではない。

 であるならば、もっと多様な姿を授業で現させたいものだ。そして、それをさまざまな評価したいものだ。テストの成績だけで評価するなど、愚の骨頂である。人間を見ていることにならない。瞬間風速だけを観測して、疾風怒濤の台風の何が分かるというのだろう。

[]授業の心構えを確認させた 22:12

 6組での授業。テストを返却した。そして、この機会しかないだろう、このクラスの生徒に、この9月から11月までの授業態度について思い出させ、指摘した。残念ながらこのクラスの現代文における授業態度は最悪であった。しかし、私はそのことをその時には指摘しなかった。それは、できることなら彼ら自身で気づいて修正して欲しい、と願っていたからだ。人間には「このままではいけない」という自浄能力があると思う。自ら自分の行動を振り返り、そして自らそれを改める力がある。また、そうでなくてはならない。それを外側から指摘され、変更していくことも大事だが、自分自身が気づくことも大事なのではないか。

 今日はそんなことを話した。生徒は多少は分かってくれたようだ。

[]JENESYS留学生帰還 22:12

 今日のSHRで留学生たちがお別れの挨拶をした。私のクラスに来た2名の留学生は、ずいぶんクラスに親しみを持ってくれたようで、二人とも涙を流しながら別れを惜しんでくれた。二人から最後のスピーチをしてもらい、クラス全員でトンネルを作って、その中を通らせて送った。

 生徒たちは留学生が来てくれたことで、どんな経験をしたのかな。ああした留学生と深い関わりをすることができるのは、とても得難い、素晴らしいことだと思う。もっともっと留学生たちとの関わりを持って欲しいし、また自らが留学生になってもいいと思う。生徒たちはどんどん外国に出て行くべきだよ。

2010-12-10

[]百人一首練習会スタート 08:05

 8組の授業があった。

 この時期の1年生は毎年恒例で百人一首かるた大会の練習を授業で行う。本校の伝統行事、かるた大会が1月11日に開催される。その練習でもあり、何より百人一首かるたという日本の誇るべき伝統に触れさせることもあり、そして何より和歌の学習にも通じていく。そんな意味でも授業中にかるた取りをさせるのである。本校には幸い広い和室を持ったセミナーハウスがある。2間合わせれば30畳くらいになるのだろうか。そこにクラスを入れて5人ずつ8組に分け、4つの対戦をさせる。方法は紅白戦である。

 今日は昨日からJYENESYSプログラムの短期留学生が滞在している。この8組にはインドネシア(?)からの女子の留学生が来ていた。彼女も含めていきなりかるた取りをさせる。各クラスにはこの留学生をサポートする役の生徒がいるので、生徒に彼女のサポートはすっかり任せる。こちらはかるた取りのためにグループを分け、対戦方法やかるた大会について説明し、そして4つの対戦を組ませて、かるたを読む。初めは様子をうかがっていた生徒たちも、次第に暖まってきたようで、最後の方では熱心に取り組んでいた。だが、まだかるたを覚えている生徒はほとんどいないようで、私が下の句を読むまで生徒たちは動かないという状態が続いた。

 留学生は日本語だし、さらに古典語で和歌という3重のハンディを負わせられた時間を過ごしたわけだ。さすがに途中はただ眺めているという状態が続いたが、それでも1枚ほどは取ったようだ。サポート役の生徒がよく手伝っていた。

 各クラス2時間ずつ、この練習会をする。こうやってほんのわずかであっても伝統文化に触れることは素晴らしいことだ。このかるた大会は私が在学していた当時からあったそうなのだが、実は私は記憶していない。というのも、こうして授業として行ってはいなかったからだ。いつの間にかクラスの代表選手が決まり、いつの間にか終わっていた、という感じである。それに比べれば今の生徒は恵まれている。

JYENESYS留学生交流会 08:05

 今日の4限は留学生との交流会を学年で行った。留学生は11名来校している。他にAFS交換留学生として新潟市に滞在している10名も参加した。彼らとともに、1学年全体で交流会を行った。

 この交流会は生徒が全て企画し、運営し、進行した。自分から希望した生徒12名ほどが教員の指導の下、今回の交流会を行った。いや、大したものだ。出来はもちろん稚拙なものだが、それでもホスピタリティにあふれた、素晴らしい交流会だった。

 最初に留学生11名の自己紹介を行った。それぞれ、自国の紹介を行っていた。オーストラリア、ニュージーランド、タイ、シンガポール、インド、インドネシアなどなどの国から彼らは来ている。

 その後、生徒たちが用意した3つの質問に全員が考えて答える、というのをやった。1つ目は「愛を告白するにはどうする?」、2つ目は「世界が終わるとしたらどうする?」、3つ目は「お金をたくさん持てたらどうする?」というものだ。留学生の生徒はもちろん、フロアの本校生徒からも意見が出て、非常に楽しかった。家族や友人を思いやり、彼らと過ごすことや彼らのためになることをすると答えたものが多かった。

 最後は「We are the World」を全員で合唱した。良いものだね、歌で心をつなぐことができるとは。約1時間、非常に充実した内容で交流会は終わった。

 これらの全てはもちろん英語で行われた。司会の本校生徒ももちろん英語で話した。留学生たちの英語は私には十分には聴き取れなかったが、それでも生徒たちは楽しそうだった。いやはや、今の生徒のリスニング能力は大したものである。

 全てが終わった後、私のクラスに来ている留学生2名を招き、教室で記念撮影をした。昨日から彼らは来ていたが、たった2日間でもクラスの生徒と仲良く過ごしていたようだ。よかったよかった。

2010-12-07

後期中間考査3日目 01:03

 今日はオーラル・コミュニケーション、倫理、音楽の3科目の試験が行われた。今日は寒い1日だった。学校の中もあまり暖かくならず、震えていたり汗をかいたりしていた。

 そんな中、毎年恒例の「地域の声を聞く会」が午後に行われた。今年は県内某私立大学の入試課長をされている方をお呼びした。この方は本校のOBである。今日のご指摘は大きく分けて2点。本校生にはかつてあった「がむしゃらさ」が薄くなり、大人しくなったということと、卒業生のネットワークを重視し、卒業生の結束をさらに高めるべきということだった。本校OBだけあって、暖かなご指摘が多かった。

 今日は家庭内で少々動きがあり、早めに帰宅する。しばらくはこちらにかかりきりになりそうだ。

2010-12-06

後期中間考査2日目 23:26

 今日は暖かな1日だった。ぽかぽかの陽気の中、生徒は必死に問題に取り組んでいた。

 今日は数学A・生物・家庭の3科目の試験が行われた。私の方は、金曜日に行われた現代文のテストの採点をしたり、次の古典のテストの検討をしたりして、今日も忙しい時を過ごしていた。

[]ブッククラブの理論的背景を探らなければならんなぁ 23:26

 私の研究テーマは「電子掲示板を活用した、協調学習を組み入れた読書レポートの実践」である。読書レポートを電子掲示板を使って書き込ませることは前からやっている。そこに協調学習を組み入れて、より効果的に行おうと考えている。

 言うなれば、「オンラインのブッククラブ」である。読書レポートをオンラインで書かせるということは、つまりはオンライン上でブッククラブを実施する、ということだ。

 それならば、ブッククラブが何故必要なのか、ブッククラブは何故国語科の学力にとって効果的なのか。その理論的背景を探らなければならない。ブッククラブしかり、リテラチャー・サークルしかり、リーディング・ワークショップしかり、である。それらの拠って立つ理論的背景をしっかりと理解した上で、それをオンライン上で行う意義について考えねばならない。それをして初めて、私の研究の方向性が確保される。

 なかなか物事はそう簡単には分からないものだ。これらのことは、考えてみれば当然なのに、今日、本を読みながら、その本に書き込みをしている最中に気づいたことだ。

 やはり本を読みながら、思いついたことや考えたことを本に書き込むことは大切なのだなぁ。書き込みはいわば本との対話の跡である。本への批判的検証だとも言える。こうした読み方はとっても大切だ。これを教室でも教えるべきではないかなぁ。

2010-12-03

後期中間考査1日目 07:29

 今日から後期の中間考査である。新潟市内は最初はよい天気だったものの、次第に暴風が吹き荒れた。市内某高校では窓ガラス100枚ほどが強風で割れたそうである。幸い本校ではそのようなことはなかった。本校の後ろにある松林が強風をそらしてくれるのかな。建物自体は5階まであるのだけれど、2階にいたせいかそれほどの揺れは感じなかった。

 さて、今日は現代文・リーダー・政経の3教科の試験であった。現代文が早速出てきた。懸案の問題が一つあったのだが、幸い生徒は我々の出題意図をくみ取って解答してくれているようである。今回も記述の部分が多かった。まあ、記述式の解答を苦手とする者が多いのだから、その手の解答をたくさんした方がよいだろうけれどね。

 午後は古典の問題作成やら何やらで忙殺される。採点もほとんど進まず、試験後の予定を立てたかったのだけれど、それすらままならず、何だか慌ただしく過ぎていった。外は暴風、内もドタバタであった。

2010-12-02

[]試験直前の駆け込みセーフ 06:48

 8組、10組、2組での授業。今日は古典の3クラス全てに授業がある。「唐詩の世界」から、李白の「静夜思」と杜甫の「登高」を扱うわけだが、8組と10組はすでに「静夜思」を終え、「登高」をじっくり説明することができた。しかし2組は2編の詩を一度に説明しなければならない。他の2クラスでは約1時間半かけて説明してきたこの2編を1時間で取り扱わなければならないので、今日の4限は最初から緊張しまくっていた。(^_^;)

 「静夜思」では生徒に質問をしながら解釈を進めていきたかったのだが、残念ながらその質問はなし。それでも全体で3人ほどには発問をしながら進められたなぁ。自分では意外なほどスムースに説明をし終わり、チャイムが鳴って1分後くらいに全て終えることができた。ほっ!

 そのせいか、この授業が終わった後、ぐったりと疲れ果ててしまった。もっとも、その後で明日から始まる試験の検討や印刷をしたり、次の古典のテストを作成したりしてコンピュータとにらめっこし続けていたからかもしれない。何しろ体の芯がじーんとする疲労感に見舞われた。これは夏場に良く感じる夏バテとよく似た感覚だ。何とか頑張ろうと思ったのだが、どうにも何もすることができず、結局少し早めに(それでも午後5時半は過ぎていたけれど)帰宅した。いやはや、こんなことってあるんですね。全く、基礎体力のなさには呆れかえるなぁ。

 研究も遅々として進まないし、なすべき仕事はたまりまくる一方だし、全く、日々の授業をこなすだけで精一杯である。やれやれ。

2010-11-30

[]「『間』の感覚」を全てのクラスで終える 02:26

 3組での授業。「『間』の感覚」の最終段を、プリントを使って終える。結局今回は本文全体を音読することはしなかった。それがどのような結果をもたらすか、テストの結果で確認しよう。

[]「『静夜思』っておもしろいと思った」 02:26

 10組と8組での授業。8組は「桃花源記」の最後の部分を口語訳し、この文章に込められた陶淵明の思いを解説した。その後、漢詩の決まりの定着を図る。

 10組は漢詩の学習に入っていった。取り上げるのは李白の「静夜思」と杜甫の「登高」である。李白・杜甫という二大詩人の作であるし、李白は絶句、杜甫は律詩と、二つの詩形をとりあえず押さえることができる。

 その「静夜思」では、まず詩の文章の解釈を行った。その後で、3つの質問をした。

  1. 季節はいつか?
  2. 作者の李白はどこにいるか?
  3. 彼は寝台の上に座って何をしているのか?(逆に言えば、何故寝ていないのか?)

 これらの質問はこの詩の解釈上重要なものだと考えている。

「季節はいつか?」これを考えることにより、月がおそらくは満月であり、詩の世界を具体的に想像することができる。生徒に質問したところ、「冬」と答えた者が多かった。月光を「霜」だと思うのは事実寒い季節だからだろう、というのが根拠である。悪くない。ただ、月が美しいのは一般的には「秋」なので、私は「晩秋」あたりがよいのではないか、と指摘した。

「李白はどこにいるか?」これは、この詩が故郷をしのぶという内容から、故郷を遠く離れた場所であることは推察できる。そこで、李白の故郷が一説では四川省であることを指摘し、彼は今、都の長安にいるだろうことを説明した。

「寝台の上で何をしているのか?」これは、「何故寝ていないのか?」と考えた方がよりリアルに推論できるだろう。李白は故郷を恋しく思うがゆえに寝られない、もしくは目が覚めてしまったのだ、と考えられることを説明した。

 そこから、起承転結の一つ一つにおける視点の移動、そこから来る自然な望郷の思いと、天才李白の思考の跡をたどって、説明をしていった。

 今日の生徒の学級日誌には、「『静夜思』っておもしろいと思った」と書かれていた。そうでしょう。たった20字の中に世界が広がっている。それを紡ぐのが人間の想像力であり、さらにそれを促すのが「発問」なのである。

2010-11-29

[]「「間」の感覚」を次々に終える 07:16

 6組と3組での授業。6組は「『間』の感覚」の最後の部分をプリントで解説する。3組はロジックツリーをクラス全体で考え、4分の3の部分を終える。本文の性質上、ロジックツリーを用いて構造を理解すればよい箇所とじっくり考えるべき箇所とが明確なので、それに沿って授業を進める。

 今日は6組は何となく食いつきが良かったなぁ。試験直前だからか、穴埋め+解説という形式のプリントが彼らにはまったのか、それとも新しく席替えをしていて、その席がよいのか。本当にこのクラスは席によって雰囲気が変わるようだ。席替えをきっかけに、年度当初のほんわかな雰囲気が崩れていったように感じる。

 学校という装置は授業以外の力が大きく左右している。クラス編成しかり、担任の性格しかり。なかなかの複雑系である。

[]漢詩ワールドへようこそ! 07:16

 10組の授業。今日から漢詩に入る。

 まずは「桃花源記」の背景とその意味について解説する。こうした文章を理解する場合、その時代背景を知るのが不可欠である。またそれを知ることによって、ぐっと意味合いが開けてくる。

 その後、漢詩の決まりを確認する。生徒には「漢詩の決まり」の穴埋めプリントをすでに配布してあるので、それを確認するための小テストを行う。まあそうは言っても、何もアナウンスをしていなかったので、10分間ほど勉強する時間を与える。こうすることが一番暗記物を定着できるような気がする。そして小テスト。

 その後は扱う漢詩の音読をさせる。今日はこれでおしまい。漢詩が扱えるとは、教師冥利に尽きる。

2010-11-26

[]最後の部分はやや従来型で 08:22

 相変わらず多忙な毎日を過ごしている。連日夜遅くまで授業準備をしている。何故かというと、学校にいる間は先週行われた3年生の実力テストの採点をしていたせいだ。それを何とか今日中に終わらせるために、授業準備のかなりの部分は自宅で行うこととなった。一昨日あたりは、現代文の「『間』の感覚」の最後の部分用のプリントを作っていた。ここは「間」の感覚とは何かが語られる箇所で、今までのようなロジックツリーで表現するのが難しいところなのである。そこで、この箇所用の学習プリントを作り、穴埋め+考察で乗り切ることとした。よって、今回の「間」の感覚は、ロジックツリーによる分析3時間+やや従来型の本文考察1時間で扱ったことになる。文章自体がそうしたやり方を要求するものだった、と考えている。それにしてもロジックツリーという新しいツールを使った授業だったなぁ。生徒はどう感じたのか、後でアンケートをとってみたい。

[]桃源郷への道遠し…… 08:22

 さて、今日は2組と8組の古典があった。どちらも「桃花源記」のほぼ同じ箇所、漁人が桃源郷の村人たちにもてなされる場面からスタートする。ここには「不復〜」が2箇所出てくる。それぞれ否定の強調と部分否定で解釈すべきものだ。そこで、その2箇所を指摘させ、「不復〜」の2つの訳し方を確認し、それぞれをどちらで訳すべきか考えさせた。これは10組も含めて3クラス全てで聞いてみたのだが、指名した生徒は最初の箇所をことごとく間違えた。その箇所だけを見ていると部分否定で訳せそうな気がするのだろうが、文脈を考えれば否定の強調の方が適切である。まだ前後の流れ=文脈で判断するということがうまくできないのだろうな。それにしても3クラス全てで間違うとは…。

 続いて今日扱った箇所は人物たちの心理面を考えるのに非常に適する箇所が多くある。

  1. 漁人が外の世界での王朝の交代等を教えた時、村人たちがため息をついたのは何故か?
  2. 村人が漁人に、「不足為外人道也」とこの村のことを外部の人に言うなと禁じたのは何故か?
  3. 漁人が帰る際に、至る所に目印を付けていったのは何故か?
  4. 漁人は村を出てから最初にその地方を監督する長官のところへ行ったのは何故か?

 これらの質問は全て、この「桃花源記」の主題を理解するのに必要なものばかりである。ここはじっくり時間をかけて議論させたいところだが、試験までの残り時間が少なく、やや足早になってしまった。

 しかし、まだその後に重要な質問がいくつかある。

  1. 長官たちが桃源郷への道を見つけることができなかったのは何故か?(漁人が目印を付けておいたのに)
  2. 劉子驥という人物が「喜んで」桃源郷を訪れようとしたのは何故か? 
  3. 彼以降、桃源郷訪れようとする人がいないとはどういうことか?

 このblogを見ている生徒はいるかなぁ? 見ていたら、これらの問いにどう答えるか考えておいて欲しい。それにしても、劉子驥が桃源郷に着けなかったのは何故なのかなぁ?

2010-11-22

[]全日本教育工学研究協議会全国大会【上越大会】で発表してきました 23:43

 ここしばらくblogを更新できなかったのは、この大会の準備のためであった。先週の土曜日、本校ではNHKの大越健介氏が母校で講演をしていた最中、私は上越に行って上記大会で発表してきた。

 この会は、上越教育大学の石野正彦先生の紹介で発表申し込みをし、そのためにずっと準備してきたものである。ここにおいて「Web掲示板を活用した読書レポートに対する考察 ー掲示板の利用状況から探る改善の視点についてー」と題して発表した。これはWeb掲示板を使った読書レポートの実践について、その掲示板の利用状況や生徒アンケートから今後の可能性と改善の視点について考察したものである。今まで、様々な場面においてこの実践を発表してきた。2年間にわたって実践したので、その途中での状況や一応終わってからの状況などをその都度発表した。今回は、その結果の分析と改善の方向性について考えたものである。これで、2年前のこの実践は完結したことになろう。

 やはりこうした学会での発表は良い。15分間という短い時間ではあるが、12分間にわたり発表し、さらに質問を受けた。また、全て終わってからまた意見をいただいた。以下の3点である。

  • 紙媒体で提出した生徒のレポートは、掲示板を活用した者と同様に交流する機会を設けたのか?
  • 実名でレポートを提出させたことによる、生徒の抵抗感はなかったのか?
  • かなり長い分量のレポートに対して、気軽にコメントをつけるのは抵抗感があったのではないか、もっとレポートを短くさせ、コメントも短くさせればよいのではないか?

 最初のものは確かにこの実践の弱い点である。紙媒体で提出した生徒にも交流の機会を与えるべきであった。そうでないと、意見交流を起こさせるという目的が中途半端になってしまう。

 2番目の指摘はこの実践において常につきまとうことであろう。だが、誹謗・中傷的な書き込みを防ぎ、学習指導の一環として行う上では、譲れない点である。

 3番目の指摘は「目から鱗」のものであった。確かに長い文章に対してはなかなか気軽に書き込みがしにくいだろう。ツイッターが代表するように、短いつぶやきに対しては短くすぐにコメントがつく。それが、長いレポートにコメントするには気構えてしまうのではないか、という指摘はなるほどと思えた。

 実は、自身の発表とともに、今回は私が発表した分科会の司会進行も頼まれてしまった。そこで、9人が行った発表の全てを聞きながら、司会進行も行った。しかし、おかげでICT利用におけるいろいろな現状を知ることができたし、私の研究におけるヒントもいただいた。JNK4の情報活用リストは確かに使えるかもしれない。

 午後からはパネルディスカッションに参加して、5人の先生方が繰り広げる議論を興味深く聴いていた。ツイッターのつぶやきが同時中継で映し出され、フロアからの意見の吸い取り方としてのトレンドな形を目の当たりにすることができた。

 いやぁ、有意義な1日だった。家族には迷惑をかけたが、私の研究には実に有意義であった。

[]「桃花源記」終了 23:43

 10組と2組での授業。10組は「桃花源記」をほぼ終え、2組は口語訳をようやく始めるという、きわめて対照的な展開となってしまった。もっとも、10組は来週2回の授業を残すのみだし、2組は今日を入れて残り5回ある。まあ、何とかなるだろう。

[]ロジック・ツリー描き授業短縮版 23:43

 6組での授業。残り3時間の中で、ようやく「『間』の感覚」に入った。

 まずは漢字テストをし、その後でロジックツリーを紹介して、練習問題をし、「『間』の感覚」をロジックツリーを用いて分析する課題に取り組ませた。その際、本文掲載の文章の出だしを原典と比較させ、本文の問題提起が何であるかをしっかり確認させてから取り組ませた。しかし、残り時間がわずか15分くらいしかなく、非常に未消化なままの授業となってしまった。これではロジックツリーを紹介しただけである。

 しかし次時はクラス全体でロジックツリーを完成させなければならない。短縮版はやはり無理があるなぁ。

2010-11-17

[]ロジックツリーを用いた評論の構造分析の授業 02:43

 9組の授業。「『間』の感覚」の2時間目である。前回は個人作業でこの文章の構造を、ロジックツリーを用いて分析させた。2時間目の今回は、ロジックツリー作りをグループで行わせるものである。

 自分でやってみてよく分かったが、この文章におけるロジックツリー作りは何度も何度も試行錯誤をくり返しながら、少しずつ良いものへと改良することが不可欠である。ロジックツリーは、一番左側に位置するルートとなるボックスと、一番右側に位置する最も具体的な内容のボックスとをいかにしてつなぐか、ここが思案の中心部分となる。そして、これを考えることはきわめて論理的思考力を要求される。具体的内容をいくつかまとめ上げて、抽象的項目を設定するのである。それを、問題提起と具体的内容との全体像を勘案しながら作り上げていくことになる。これはグループ作業で、生徒同士が様々にアイディアを出しながら作り上げていくのが一番良い。

 そこで、グループ作業でロジックツリーを作る授業を展開するため、以下のような工夫をした。

  1. ロジックツリーのボックスとなるものは大きめの付箋(ポスト・イット)を使うことにした。
  2. その付箋に、次のものを事前に印刷しておくことにした。
    1. 一番左側に位置する問題提起の文
    2. 一番右側に位置する具体的内容
  3. 上の2つをワープロのラベルに印刷し、ラベルをはがして付箋に貼り付けさせることとした。
  4. こうしてできあがったラベル付き付箋をA2の大きさの台紙に貼り付けさせる。
  5. さらにそれらをつなぐ第2層の抽象的項目をグループで設定して別の付箋に書き込ませ、配置させる。
  6. 各付箋(=ロジックツリーのボックス)間を線でつないで、関係を表現させる。

 これを、次のような時間配分で行った。

  1. 作業の説明(10分)
  2. 第1のグループ作業(20分)
  3. 他グループの作業状況を確認させる「偵察タイム」(5分)
  4. 第2のグループ作業(15分)

 今日は変則の時程のため50分間の授業で行った。次の写真はその授業の様子である。

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 第1のグループ作業の様子。このグループは、最初から台紙に付箋を貼るのではなく、机の上に仮止めして考えている。なかなかやるね。

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 このグループは、まずは別の紙で配置をじっくり考えている。付箋で考えるのは後からやるらしい。

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 「偵察タイム」の様子。生徒はわいわいと他のグループのやり方を興味深く見ていた。

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 第2のグループ作業の様子。最初のグループ作業時よりもさらに生徒の動きが活発になる。このグループは全員が立ったままで作業に没頭している。

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 このグループは台紙の大きさを最初に配布したものの2倍にして、ロジックツリーの各ボックスを展開している。

 残念ながら50分間では作業時間が短すぎた。大半のグループがまだ作業を続けたがっていた。

 いやぁ、この授業はぜひ各グループで話し合われた内容を録音しておきたいところだった。生徒たちはグループ内での話し合いで多様な「気づき」と認識の変換を行っていた。また、付箋を配置したりその関係を考えたりするうちに新たな考えが浮かぶとそれをメンバーに提案してみたり、一度配置し終えたロジックツリーをグループで話し合ってもう一度見直して配置し直したり、様々な学習活動が展開されていた。

 ロジックツリーを構成する要素のうち、本文に明確に書いてある内容だけを事前に用意し、それ以外の要素を考えて加えながら、全体を配置するという作業だったが、思った以上に生徒の試行錯誤と論理的思考を促すことができたようだ。

 次回は同様のことをクラス全体でやってみようと思う。

[]「桃花源記」の授業 02:43

 8組と2組での授業。2組はまだ土佐日記のまとめをやっていたが、8組と昨日の10組は漢文を扱い、「桃花源記」の口語訳に進んだ。

 とはいえ、この文章はすらすらと読めるようになるのが最重要事項で、読めさえすれば、そして教科書の注を活用すれば、話の内容は比較的容易に理解できる。そこで、今日の授業は徹底的に音読にこだわった。

 まずは私が読みの確認を再度行った。その後、個人で音読練習をする。そして、隣同士ペアでお互いにチェックし合いながら音読練習をさせる。その後、全員を立たせて、各自の一番速いスピードで読ませてみる。そして、全体で音読をした。全部で6回(そのうち1回は目で追っているが)音読をさせた。これくらいやらないと音読練習にならない。それでもまだ不安定な生徒はいるのだから。

 そして、隣同士ペアに指名し、一人が私が指定した箇所を音読し、もう一人が口語訳をする、というようにした。口語訳する負担を軽減させるのと、音読の確認をさせるのと2つの目的のためである。

 音読練習に特化したせいか、口語訳は数行しか進まなかった。まあ、今回はそれで良いだろう。

2010-11-12

[]「『間』の感覚」のロジックツリー作りは難しいぞ 07:30

 今日は現代文の授業はない。2組の古典の授業があり、土佐日記の「帰京」を何とか訳し終えたところだ。

 それなのに、その1コマの授業以外のほとんど全部の時間を使って、今日はずっと「『間』の感覚」のロジックツリーを自分なりに作っていた。実は、まだ完成していない。うーむ、私がこれだけ時間を費やしてもまだ納得いくようなロジックツリーができないなんて、なんてこの文章は論理構造が混乱しているんだ。

 この文章は頭から順番に素直に読んでいくと何となくすんなりと分かる気がする。西洋と日本との様々な事柄の対比が次から次へと紹介されていて、何となく分かりやすい気がするのだ。しかし、この文章の問題提起と、それに対する筆者の主張をまとめようとすると、そしてそれを説明するための論理展開を整理しようとすると、これが非常に難儀する。要するにラベリングが全くされていないに等しいのだ。そこで、ロジックツリーを描くためには、こちらでもう一度ラベリングを施し、構造のつながりを整理して、再構成する必要がある。多くの項目を自分で考えて補わなければならないのだ。これは実に難しい作業だ。はっきり言って「悪文」と言っていい。ただし、日本の評論文にはこういうものが多い。直線的に読んでいくと何となく分かるような気がする。しかし、論理的に読もうとするときわめてつかみ所がない。三森ゆりか氏はかつて私に「日本の評論文といわれる文章は実は『随想』だ」とおっしゃっていた。本当にそのことがうなずける。論理構造を意識して文章を読んだり、文章を書いたりするためには、「評論文」を扱っちゃいけないんじゃないかな。学術論文やビジネス文章を教室に持ち込むべきだと思う。

 さて、私でも悪戦苦闘しているロジックツリー作りを生徒にさせることにどんな意味を持たせればいいだろうか。3組と9組で行った感触では、生徒はお互いに話し合いをしている時に「なるほど、そう考えるのね〜」などと言ったりしていた。つまり、互いの考えを紹介しあったり、見たりして、そのやり方や考え方を参考にしたり、あるいは意見を言ったりしていた。それをもっとやりやすくするような授業デザインが必要だろう。

 また、私自身が描いてみて気づいたことは、ツリーのボックスに書き込む内容よりも、ボックス同士の論理的つながりをどう考えるかに時間がかかったことだ。ということは、その部分を生徒同士で考えながらやらせると良いのではないだろうか。

 そのために、例えば付箋を使った授業を展開してみようか、と思っている。付箋をボックスに見立て、付箋に書き込むべき内容は私が用意してやり、その付箋同士の関係を友人同士でわいわい言いながら考える、また、必要な新たなボックスは自分たちで付け加える、というのはどうだろうか。それならば1コマ65分の中である程度のロジックツリーを描けるかもしれない。さらにその時間内で他のグループの作品を見させて、交流させると良いかもしれない。そして、全員でよりよいロジックツリーをまとめ上げることができるかもしれない。

 うーむ、事前準備が大変そうな思わぬ展開になってきたなぁ。でも、面白そうである。

2010-11-10

[]ロジックツリーを活用した評論教材の読解 07:08

 3組での授業。新しく評論に入った。高階秀爾氏の「『間』の感覚」である。これは『西洋の眼 日本の眼』という評論集に掲載されている文章の一部である。

 実はこの教科書教材は構造分析をするのに非常に難渋している。住居の様式が行動様式にも反映している、と冒頭に問題提起されているのだが、続いて述べられるのは西洋と日本との自然への対し方や絵画における西洋と日本の自然の扱いの違いについてなのだ。住居における違いはずいぶん後になる。これはどうもおかしいと思い、出典本を我が書斎から引っ張り出して確認してみたところ、この教材を含む文章全体ならスムースにつながっている、その後半3分の1のみを取り出し、そこから前半部分への指示語を抜いて教材としていたのだ。そのためにつながりや構成が破綻してしまっていた。うーん、教科書本文にはこうしたものが多いのだな。内容がよいからといって安易に出典から抜いてくるのは良いのだが、そのために構造が破綻してしまっても構わず教科書として掲載する。もっと教科書会社の諸兄は文章の構造というものを重要視した方がよい、と思う。そもそも、一つのまとまった文章の途中のみを教材とするのは良くない。確かに、全文を載せれば文章量が3〜4倍ほどになる。でも、そうした長文を忌避する日本の教科書の在り方はやはり間違っているのではないか。筆者が執筆した意図がねじ曲げられてしまう。文章は元のままの姿、丸ごとを提示すべきである。

 さて、そうは言っても、目の前のこの文章を生徒にどう把握させるか。そこで、むしろこの文章の構造分析の難しさそのものを扱い、生徒自身に理解させ、あるべき姿を模索させるような授業を構想した。そこで、文章構造を分析するツールに「ロジックツリー」を用いることにした。

 「ロジックツリー」は発想法の一つ、あるいはロジカルシンキングのためのツールの一つである。むしろビジネスのシーンで活用されているだろう。事実私も、ビジネス本からこの発想を得た。むろん、「ロジックツリー」を学校教育で用いている例も多くあるだろう。しかし、私は少なくとも初めてである。

http://www.kantokushi.or.jp/lsp/no612/612_02.html

 このロジックツリーで「『間』の感覚」の構造を分析させる前に、まずはこのツールを練習させるために、練習問題として私宛に届いたGoogleからのメールの構造分析を、ロジックツリーを用いてさせる、というプリントを作成し、生徒にやらせた。その後で、教科書本文の構造分析をさせた。

 生徒は真剣に取り組んでくれた。何度か作業の手を止めさせ、生徒同士で進捗状況を確認させるようにした。そのせいか、楽しそうに取り組んでくれた。

 さて、授業修了後に一度回収し、また返却するが、生徒はどこまでつっこんでくれただろうか。

保護者会終了 07:08

 無事、3日間にわたる保護者会が終了した。疲れたが、それでも保護者の方と話をするのは基本的に楽しい。生徒のことがまた少し分かる。ありがたいことだ。