あおのりの共育挑戦記

千葉県で小学校の教員をしています。 『学び合い』の精神で子どもたちと共に育っていけるよう日々チャレンジしていきます。

2013-09-17 (火)

ポジティブな評価のモデルでありたい

西川先生のこの記事に触発されて考えたことを書きます。

第一印象,怖いこと書くなぁ,と思いました。

確かに教員が評価されることって少ないです。でも我々の日々の実践が将来の日本を担う若者を育てている以上,その責任は重く,もっと評価され,向上を目指していかなければならないのも事実だなぁと思います。

私はどんどん教師は評価されるべきであると考えています。だって、そうでもしない限り、現在苦しんでいる子どもを何とかしようとする動機付けは学校には少ないですから。

仰るとおりです。周りから何も言われなければ,「変わりたい」と願って行動する人以外は,変わりません。

また評価が得られなければ,「変わりたい」と願って行動を起こした人も,方向を誤っていくかもしれません。

ただ評価を個人攻撃の対象とするならば実りが少ない。あくまでも改善の手立てとして使うべきなのです。

これは,なかなか難しいよなぁ,と思いました。どんな人も,失敗すると多少なり自分以外の誰か,何かに原因を置きたくなります。

自分を守るための本能のようなものがあると思います。私もそうです。

成績が悪いというこは、訳も分からない授業を週30時間、1年間、ずっと聞いている子どもが多いと言うことを示しているのですから。それは、日本で最も一般的に行われている拷問です。

「拷問」とは恐ろしい言葉を使う,と思いましたが,つまらない授業,講義を主観的に捉えると確かに「拷問」だなぁと思います。興味も面白みもなくちんぷんかんぷん理解のできない話を黙って聞かされ,だらけた態度を見せると怒られる。これは逃げ出したい。

つまり、無罪の人はいないのです。そのことさえみんなが理解していれば、「誰が悪い」という攻撃がエスカレートしないと思います。

そこが一番難しいから,「誰が悪い」という攻撃がエスカレートするんだろうなぁと思いました。しかも,誰かが攻撃されている光景を他人事として見る分には面白いとさえ感じる人だっていますから。(恥ずかしながら,自分にもそういう面はあります。どこかの不祥事を見て「バカだなぁ」と思うことだってあるし,気に入らない芸人がお笑い番組で叩かれているのを見て笑うこともあります。)

子どもに対して行うテストは、子どもの達成度を測るものですが、同時に教師自身の能力を測る物差しです。できが悪ければ、反省すべきは教師なのです。

これはもう,その通りです。読んでて苦笑い。

教師であるならば、自らに課される評価を否定すべきでは無いと思います。むしろ積極的になるべきだと思います。ただし、その扱い方が教師が子どもに評価していると同じ扱いと意味を持つべきであることを議論すべきだと思います。

この後半部分,どういう意味かよく理解できませんでした。

通知票と同じく,改善を要求するためのものではなく,現状を客観的に伝え,次期への期待と意欲を持たせるものであるべきってことでしょうか?


たとえば教師への評価をとろうとすると(子ども→教師でも,教師→教師でも)

「ここができてない」「これをもっとこうしたら」「ここを直してほしい」といったものになりがちな気がしますが,そうじゃないってことでしょうか。

自分が学生の時に通知票をもらう時の感覚ってどんなだったっけかなぁ・・・忘れてしまった。

特定の権力者が、その人の思い込みで特定の教育を否定し、そのことを人に強いることが起こりえるからです。

学び合い』自身がその道をたどらないことを願います。

「一斉授業よりまし」という言い方は一斉授業の否定とも取れますから。『学び合い』は考え方で,決して一斉授業と対立するものではないと思いますが,構図としてはそうなりがちです。対比的に捉える方が理解も楽ですし。(それこそ,「○○が悪い」と攻撃の対象を作ることができます)




さて,色々書きましたが,教師が評価される必要があるのは確かです。私も,今の自分の実践は十分やれているのか,まだまだ改善の余地があるのか,黄色信号が点灯しているのか,知りたいです。1年前にはその評価を得ようとしなかったために(されていたけど受け入れる耳を持っていなかったかもしれませんが)暴走し,学級を崩壊させ,自らも鬱病に陥りました。


ただ,難しいのは,どう肯定的な評価を得るか,というところです。

(う~ん,褒め言葉がほしいわけではありません。もちろんマイナス面を言われるよりはプラス面を伝えてくれた方が気持ちはいいです。)

(そして,個人的には否定的な通知票を自分が書くのも,周りの誰かが書いているのも嫌いです。もちろん自分がもらうのも。)

あくまでも改善の手立てとして使うべきなのです。

というところでしょうね。

ただ,教師であっても一人の人間なので,その手立てが否定的な言葉として与えられると,相当堪えると思います。

否定でなく,攻撃でなく,あくまで改善の手立てとして,評価を正しく与え,また受け取るためには,その土台作りが大切なように思います。


その土台とは,『日常的にひたすらほめる』ことかなぁと思いました。

夫婦研究のパイオニア,ジョン・ゴットマンの調査によれば,ポジティブな言動とネガティブな言動には,五対一という「魔法の比率」があるという。夫婦のあいだで,ネガティブな言動一回に対して,ポジティブな言動が五回あれば,結婚生活は長続きする可能性が高い。この比率が一対一に近づくと,夫婦は離婚に至るという。

出典:『心の中の幸福のバケツ』トム・ラス ドナルド・O・クリフトン 高遠裕子[訳] 日本経済新聞出版社

5:1の比率を頭に入れながら,子どもたちを叱り,その5倍,ひたすら褒めます。物事の良い面により注目し,その価値を伝え,どんどん褒める。もちろん,自分にも実践できることならばそれを自分の行動にも取り入れる。


そうやって,私自身が評価のモデルになるのです。

逆にそういったことをしないで,教師が評価をもらうときだけ,「よかったところを褒めてくれ,悪いところなんて探さないで」というのは虫が良すぎます。

私自身が,日常的に肯定的な評価を与え続けるしかないと思います。


(ちなみに,上記の本によると,ポジティブがネガティブの13倍を超えると,生産性が落ちるという結果も出ているそうです。褒めが過剰すぎるとダメなようです。でも,13倍ってそうそうないわ・・・)


今,自分のクラスで,私は褒めまくっています。自己肯定感の特別低い子どもたちなので,少しでも自信を持ってほしいというのが最初の目的でしたが,だんだん子どもたちが私に染まってきたのでしょうね,口調が似てきました。

そうすると,私のことも時々褒めてくれます。

「先生,いいねいいね~」

「センセー,ナイス!やったね!」

子どもによっては少しなめられているという感じもありますが,まぁ悪い気はしません。



なんだかとっても長文になってしまって,うまく文章がまとまっているか不明ですが,私の行っていること,考えていることは暴走していないでしょうか。

私はいいことだと思って続けていくつもりでいますが,また暴走するのは真っ平御免です。

私をより改善していくために,ぜひこの考えに対して評価をいただきたいなぁと思います。できれば,5:1で(笑)

今年は定期的に学級通信を発行しているので,子どもや保護者にも聞いてみようと思います。どうなるかな。

mei-c5mei-c52013/09/18 00:02わたしも、その記事を読んですこしドキッとしました。ビル・ゲイツさんも近いようなことを言及されていましたよね(確か「教師へのフィードバックでもたらせる変化」という題で)。
評価される、と聞くとハラハラしますが、フィードバックと考えると気持ち的に楽になるのはわたしだけでしょうか……
嬉しい言葉が伝染していくことって、素敵ですね。

daitouirukadaitouiruka2013/09/18 04:18肯定的な雰囲気に満たされた居心地のよい学級の様子が伝わってきます。
ところで、調査によるとネガティブもちょっとは必要だということなんですね。
確かに何やってもポジティブなこと「しか」言わないとちょっと薄っぺらくてうそくさくなるような気もします。
それから、同じポジティブでも自分でも分かっているようなことよりも(それもやっぱりうれしいんですが)、思わぬ視点や自分にとって新しい価値観を教えてくれる評価だとものすごくうれしくてわくわくします。
私の尊敬する先輩の先生がそんな評価をする人だったな、ということを思い出しました(子どもにだけでなく、私に対しても)。
そして、自分はそんなふうに子ども達がハッとするような評価ができているのかなということを振り返ることができました。
ありがとうございました。

nishinaonishinao2013/09/18 06:11教師としての視点だけではなく、経営者の視点からも同じことが言えるのかなと思いました。
僕は経営者になるので、そのように捉えました。
例えば、経営者であったとしても自分一人の力で全ての経営をしていく人はそういないですよね。(いたとしても、40人もの従業員がいる会社でそれはほぼ不可能なはずだとお思います。)株主総会や定例理事会などによって、企業が進んでいる方向性が間違ってきていないかを、定期的にチェックされます。それなのに、なぜ40人もの生徒がいる組織のトップにいる集団の統率者は、誰からも評価されなくていいのでしょうか。僕は、あおのりさんの言うとおり、ポジティブを大切にしながらでも、正当に評価され質を高めていく必要があるのではないかと考えました。
この前実際に体験して分かりましたが、褒められることは単純に嬉しく、ハッピーな気持ちになります。僕と一緒に働いてくれる人が全員は幸せになれるような集団作りをしていきたいなと思います。

文章がまとまっていなくてすいません。長文失礼しました。

aoqsk2630aoqsk26302013/09/24 21:15◆mei-c5さん
その記事,知りませんでした!教えていただいてありがとうございます。ぜひ探して読んでみたいと思います。
『フィードバック』そうですね,楽になります。横文字になると意味があいまいになるからでしょうか。ですが,イメージは楽に感じますが,やってることは同じだと思います。我々からのフィードバックが彼らにとっての評価であることは忘れずにいたいと思います。

◆daitouirukaさん
ステキな先輩をお持ちですね。きっとその先生はアンテナが高く,視野も広いんでしょう。他の人が気づかないところに気づける人は,不断の努力と多様な経験を積み重ねた人だろうと思っています。
子どもをハッとさせる評価,注目すべきポイントですね。
アンテナを高く,視野を広く持てるように,私も努力を続けていきたいと思います。

◆nishinaoさん
経営者としての視点,ありがとうございます。
「誰からも評価されなくていいのでしょうか」そんなわけありませんよね。
ふと思ったのは,子どもたちの日常の反応,授業参観の人数,そういったものがすべて評価なのかなと思いました。だから,教員はもっと子どもや保護者と日常的に雑談をする必要があるな,と感じました。経営者も,休憩時間には従業員と遊ぶくらいの気概があるとステキかもしれませんね(笑)
笑顔でいられるのは幸せです。笑顔を共有できるのはもっと幸せだと思います。じゃんじゃんハイタッチしましょう!