あおのりの共育挑戦記

千葉県で小学校の教員をしています。 『学び合い』の精神で子どもたちと共に育っていけるよう日々チャレンジしていきます。

2013-04-23 (火)

親は一生,教師は一時。

今日,3時間授業の特別日課の後,教員の一斉研修がありました。

市内全小中学校の教員が集まり,研修の機会を持ちます。

きっとどの地域にもありますよね。


その場で催された全体講演で,特別支援教育の話がされました。


前回の記事タイトルにも書きましたが,色々と自分が成長するように社会が動いているんじゃないかと勝手に勘違いしてしまいそうになるくらい,成長の機会,学ぶ機会がやってきています。


技術的なことは,様々な話がありました。たくさんメモを取ったので,少しずつ実践に活かすうちにここにも記録していきたいと思いますが,講演を聴いた感想は生が一番なので,今記録しておきます。


講演の最後に,

「親は一生,教師は一時。教師の一時は,子どもが二度と戻れない一時。」

という話がありました。

その瞬間,正直少し泣きそうになりました。


というのも,本当につい今日,うちの特別支援学級に在籍している児童が,交流学級での授業中に,近くの席の子に暴言を吐くなど問題行動を繰り返し,担任の先生に「もう来なくてもいいです,ずっとそっちでいいですから」と「いらない宣言」をされてしまったのです。


担任の先生の気持ちも分かります。暴言吐かれて嫌な気持ちになっている児童やクラスの雰囲気も察します。でも,問題の児童もきっとつらいだろうなぁ,と思うのです。

こうやって見捨てられ,居場所無く小学校を終えても,自分たちはサヨナラすればいい。

中学校も3年なんてあっと言う間。

でもその後は,家庭に帰るのです。

その時,彼がどうなるのか。きっと,荒れて荒れて,大変です。そうでなくても,学力も,社会性も,いろんなことが未熟で,とっても生きにくい人生を歩むだろうなぁと想像します。

その子も,その家族も。


そんなことを考えていたら,今日見捨てられた子どもの将来や,昨年投げ出してしまった子どもたちへの申し訳なさを想って,すごくやるせない気持ちになりました。


親は一生,教師は一時。

これは,教師は一時しか関わらなくていい,親は一生関わらなくてはいけない,と同時に,

教師は,その子の成長や幸福のために,短い一時しか関わることができない,ということも意味しているよなぁと思うのです。


その短い,決して戻れない一時の積み重ねで,不幸な子が生まれると,その周りの人も不幸になっていきます。それはまたその周囲に伝染し,不幸な社会が生まれます。


そう考えると,教師の仕事はやりがいがあると同時に,重いなぁと感じました。

自分の仕事の結果が不幸な社会を作ることになるのは嫌です。

だから,自分にできることは,労を惜しまずどんどん実践していかねばと思いました(でも失敗,崩壊はしないように慎重に)。そして,どんどん学び,更に成長していかなくてはと決意を新たにしました。


今日の講演の中に出てきた話で,これまで学んだ「『学び合い』」「アドラー心理学」「信頼ベースの教室ファシリテーション」なんかの中には親和性の高い内容があったように感じられます。

関連書籍を読み直したり,新たに勉強したりして,子どものためになるよう頑張ります。

これをお読みの諸先輩方,何かオススメの本や情報などありましたら,ブログ記事やコメント欄でぜひ共有させてください。