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なっつの学校と育児生活 このページをアンテナに追加 RSSフィード

北海道の中学校で数学を担当しているなっつといいます。 連絡はこちらへ。(すぐは返信できないかもしれません。) apeanut_not_peanuts@yahoo.co.jp (@を半角@に変えてください)

『学び合い』について興味を持った方は、サイドのリンク集からそれぞれの資料へどうぞ。
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2014-12-07

[]疑心暗鬼とぐだぐだと対話。 18:00

ぐだぐだ状態で1カ月近くを過ごしてしまったうちのクラス。

当然、クラスの状況がぐだぐだだと、意思疎通ができていないため、あれこれトラブルも起きて。トラブルの対応に追われる。


やっと、木曜日に学級裁量で使える時間を1時間確保。


ワールドカフェで学級の状況についての対話の時間を取ったら、やっと、少し風通しが良くなった。雰囲気がいいっていうだけで、こんなに色々動きが違うのね…っていう感じ。ちなみに、私が今まで設定したこの手の時間の中で、一番機能していた。


もちろん、これで全てが解決するわけはないんだけど、対話することは大事だと改めて思った木曜日。


クラスの状況について色々考えている人たちがいっぱいいて、でも、それをテーマに友達と話す時間も機会も自分たちではうまく設定できずに、それぞれがそれぞれに対してもんもんとしていた。という状況が表に出たので、これからはもう少し話がしやすくなるだろう。

行事があると表に出やすいし、わりと学級で使える時間もあるから解決しやすいけど、何も無いと表に出てこないで疑心暗鬼になっちゃうのよね…。

2014-10-11

[]研究会やセミナーに参加するということ。 09:27

今まで、私の研究会やセミナーに参加する態度は、他の人とずいぶん離れているなぁということは感じていたけれど、うまく言語化できずにいました。

私の興味

授業づくりネットワークin帯広に参加して


一般的には、研究会やセミナーという場所は、技や知識の伝達の場なのだということに、改めて気づきました。

そう捉えるからこそ、参加者が、参加したことに満足して帰り、でも日々の実践が変わらない状況にあれこれ思いを馳せる人がいたり、いくら参加しても、日々の実践は相変わらずうまくいかないという人がいたりするんだなぁと。


私は、「知識を得るために行っているんじゃない」「メモも基本的には取らない」と豪語してきましたが、じゃあ、何のため?のところを「楽しいから」としか言えなかったのですが。

学んでいるのは、知識ではなく、熱さだったり、目指す姿だったり、空気だったり、空気の作り方だったり、場の作り方だったり、テンポだったり、そういうことなんですね。

そういうのは、本には載っていない。そして、メモを取ることじゃなく、経験として残るもの。

その上で、私にフィットしていて、しかも流れ的にやったら効果のあるような技・必要な知識だけがなんとなく残っていて、必要な場で「そういえば、こんなのがあった!」と思い出すのです。

ちなみに、その場で触発されて、自分の中に渦巻いていたあれこれが言語化されて気づきになることはありますが、それは毎回あるわけではないので。


ということがわかりました。

すっきり。

だから、あの振り返りの時間がたまらなく嫌なのね。だって、知識で持ち帰るものなんて、ほとんど無いし。


ちなみに、夏の北フェスで私が持ち帰った最大のものは、赤坂先生の話術(ギャグを除く)でした。先日講義形式の授業をしている時に、「今の話し方、赤坂先生じゃない?」と気づいた私…。無意識のうちに取り入れていたみたいです。

笹木 陽一笹木 陽一2014/10/26 12:18昨日の「こどもの姿を語る会」ご苦労様でした。遅ればせながら記事を拝読し、昨日の古田さんの「寺子屋」を振り返りつつ、当会の方向性について大きな示唆を得たように感じます。

やはり、私たちの会は「研究会」や「セミナー」ではないのですね。「ピア・サポート・グループ」とか「セルフ・ヘルプ・グループ」という捉え方のほうが、我々にはしっくりくるように感じます。「知識の伝達」ではなく、「場の空気や雰囲気を共に構成し味わう関係」とでも言い直せるでしょうか。一斉授業と協同学習の対比とも重なります。

私はなっつさんと違い、意図的に「メモすること ecriture」や「振り返ること reflection」にこだわっています。それは知識は社会的に構成されるものだという基本認識のもと、自分の中にある言葉 self narrative を引き出す契機として「対話 dialogue」や「読書 lecture」を位置付けているからです。なっつさんの言う「経験 experience」というのは、言語化されてない体験の総合というか、もっと身体的で全体的なものかと思いますが、その無意識も含めて「ことば」というフィルターを重視したいというのが、私のスタンスでしょうか。

J.Racanは「無意識は言語のように構造化されている」と言いました。認知心理学では、言語化しえない身体的技能も「手続き的知識」と呼んで、広く知識とみなします。「智識」という仏教的な捉えともつながりますね。徒然と書き連ねましたが、あまり目的を明確にせず、その時々に感じる想いを共有する場として、「こどもの姿を語る会」を続けていけたらと考えています。今後ともよろしくお願いいたします。

a-peanuta-peanut2014/11/02 02:03>笹木先生
つまり、笹木先生は、体験したことなどをすべて無理矢理言葉に置き換えたくなるから、言葉が長くなるのですね…。

そして、難しい言葉が並ぶと読み飛ばしたくなる世代以降に育った私は、笹木先生の文章を読めないという困ったことになるのですね…。

私にとってのセラピーが「お片付け」であるのと同じように、笹木先生のセラピーは「書き記すこと」なのでしょうか。
やっぱり笹木先生はブログを書くべきなのだと思うのです。

笹木 陽一笹木 陽一2014/11/03 20:01応答に感謝します。さすが、お見通しといった感じですね。このブログへの初めてのコメント(2008.9.26)で私は「大学院博士課程への進学を計画中」と書きました。どうも抽象的な観念に逃げるのは私の特徴のようです。「文章が読めない」というのは、前任校でも国語科の先輩に言われたことでして、その反動から、半ば意図的に長文で難しく書く傾向があるのかもしれません。

私のセラピーが「書き記すこと」というのは全くその通りで、34歳の時に経験した「内観療法」は、ひたすら内省して自らの記憶をたどり書くというものでした。その後、姉の転院先を見つける過程で出会った「浦河べてるの家」を訪ね、直営のカフェで買い求めたのが『物語としてのケア』(野口裕二)。う日本におけるナラティブセラピー(物語療法)の最初の紹介書でした。自らの研究方法を「ナラティブ的探究 Narrative Inquiry」に求めたのは、ある意味必然であったように感じます。

「ブログを書くべき」とのご指摘も理解できますが、私のように対象に依存的な性格の持ち主は、「セラピーのため」という目的が見失われ、「ブログを書く」という手段そのものが目的化することが目に見えます。やはりネットへのアクセスは、家族の理解を得ながら現状のように限定的であることが必要であるようです。

またも長くなっていますね。「すべて無理やり言葉に置き換えたくなる」訳ではないのですが、このように生きてきた故の宿命かと半ばあきらめています。思えば、漂流教室の相馬さんにも、コメントでのよそよそしさを指摘されたのでした…。このような性分は「生きづらさ」とも重なっているのですが、「生き、語り、語り直し、生き直す」とのNIのテーゼが今の私を支えるストーリーです。面倒な輩でご迷惑をおかけしますが、何卒ご容赦いただいて、末永くお付き合い願えれば幸甚です。

「語る会」11月例会ですが、勤務校の周年行事(26日:授業実践公開)があり、なかなか時間がとりづらいのですが、24日(月・祝)と30日(日)なら何とかなりそうです。続きはMLで打ち合わせしましょう。

2014-09-21

[]最初から全員同じ目標に向かうことのできる集団は、集団として間違っているし気持ち悪い。 00:48

来週は学校祭です。

学校祭では、合唱の他に、壁新聞などの制作物があります。

当然、さぼる生徒、意欲的に取り組むことのできない生徒が存在し、熱心な生徒、真面目な生徒はそういう生徒に対して不満を持ちます。そして、そういう生徒の反発を怖れて、正常な声かけ、やろうという誘いをしなくなっていきます。


ということで、こんな話を学級全体に。


最初から、全員同じ目標に向かうことのできる集団っていうのは、集団として気持ち悪い。

極端な話しをすると、「戦争やるぞ!」「おーーー!!」っていう集団は、絶対間違っている。そこに疑問を抱く人がいたり、やりたくねーっていう人がいたりする方が正常。

がんばりたいと思っている人たちは、そういう人が最初からがんばりたいと思っているわけではないことを知った上で、それでも一緒にがんばって欲しかったら、誘って、声をかけていくべき。

間違っても、責めてはいけない。責めても、その人たちががんばるわけじゃない。

そして、そういう人たちの反発の声を怖れて、声をかけなくなるのは間違っている。声をかけることで、動く人たちも6割はいる。反発の声を怖れて、声をかけなくなったら、反発する人たちの力の方が大きくなる。そうじゃなくて、声をかけて動く人たちが、動いた、その行動を見るべき。悪いところじゃなくて、いいところをいっぱい見るんだよ。そして、声をかけていくんだよ。


逆に。がんばらない、どうでもいいと思っている人たち。

そういう人が、反発の声をあげたら、がんばろうと思っている人たちにダメージを与えているということは知っていた方がいいよ。もし、がんばりたいと思っている人たちが倒れたら、その責任は、自分たちにもあるんだからね。そういうこともちゃんと知っていてね。

私は、現在、基本的には、行事の時にがんばらない人に対して怒鳴りつけたり、叱ったりはしません。がんばれない心の状態があるんだなぁと思います。

でも、その中でがんばっている人や、がんばれないけれどちょっとがんばってみたところは、しっかり見たいと思っています。

私が見なくちゃいけないのは、がんばりたいと思っている人たちが、将来的にもがんばっていけるようなやり方を、それぞれに合った形で身につけてくれるように手助けするだけです。


あとは、「~したい」を大事にしたいなぁ。

motoryoumotoryou2014/09/23 22:37共感します。

a-peanuta-peanut2014/10/04 23:22わかってくださり、ありがとうございます。
こんな感じでやっていたら、合唱コンクールは金賞でした^^

ogymogym2014/10/11 23:47>「戦争やるぞ!」「おーーー!!」
ものすごく分かりやすいです。

scorpion1104scorpion11042014/10/26 17:10金賞おめでとうございます(^.^)

a-peanuta-peanut2014/11/02 01:51>ogymさん scorpion1104さん
ありがとうございます^^

2014-08-10

[]今年の夏の研究会ロード 08:48

先週1週間の研究会ロードで学んだこと。

[li]みんなが同じ方法で教育実践する必要は全く無い。みんな違ってみんないい。ただ、個々の中の実践の平均的な質は、みんな同じ程度じゃないと子どもがかわいそうだし、クレームもつく。

[li]教師の個々の資質は違うし、キャラも違うし、熱くなれる場所も違う。熱くなっていないものを、他のメンバーと同じに揃えるために実践したって、子どもに伝わるわけも無いし、子どもがかわいそう。

[li]教える方法を伝えるのではなく、熱くなれるものを教材化して、子どもに伝える技とか、根っこの部分が共有できればいい。

[li]次の世代に伝えていくべきことは、授業の内容や方法などではなく、熱く取り組む姿勢。誰かの技を同じように実践しようとしたって、元々持っている資質が違うんだから、全く同じようになんてできるわけもない。その人ができて、自分ができないからといって、落ち込むことも無い。自分らしく、自分の目指している方向を目指せばいい。完コピじゃなく、カバーを目指す。カバーは、オリジナルを超えることもある。

[li]目指す所についての交流は必要。自分の目指すところと、相手の目指すところとを理解するのは大切。

[li]方法は押し付けない。自分がどれだけいいと思っていても、相手にとってのベストとは限らない。ただ、その方法が、相手から見えるようにだけはしておく。見えるようにしておけば、そこから刺激を受けた人は、そこから学ぶことができる。

[li]全国の人とつながっていくことで、新たな視点で日本や北海道が見える。見えたことが直接何かになることは無くても、耕された自分は、子どもの役に立てる人になれるかもしれない。

[li]どんな実践も、たぶん、その目の前にいる子どもと、その教師の間ではベストだと思う。けれど、子どもが違ったら、教師が違ったら、その実践が適用されるとは限らない。自分の中にいっぱい引き出しを作っておけば、TPOに応じて色々な実践ができる。

[li]どんなに子どもが育っても、それが一般から受け入れられない不自然なレベルになってしまうと、なかなか広まらない。でも、広まらなくていいんじゃないかと思う。特異なものは、その子ども・教師の間では必要なのかもしれないけど、それを一般化するのは間違っていると思うから。特異なものが広まらないのは当たり前。ただ、特異なものは強烈に色濃いので、そこに憧れて、完コピしようとしてしまう人たち(そして、完コピできないことに落ち込む人たち)がいるのは残念。

[li]実践は、子どもの事実に沿った形で行われるべき。子どもが自分事と思っていないものは、どんなに美しく見える実践でも、意味が無いし、子どもの心に残らないし、忘れ去られる。

[li]いい実践が点在化しているのは、決してダメじゃない。点を線にしようとするから無理があるのであって、点をいっぱい増やして、点描のように面にする方が圧倒的に近道な気がする。

motoryoumotoryou2014/08/11 08:34なるほどな~,そうだなあ,と感じました。もやもやがすっきりするような言葉でした。

a-peanuta-peanut2014/08/13 09:06わかっていただけて嬉しいです^^

2014-04-13

[]今年度の取り組み 23:45

今年度は、1年担任。1年と2年の2クラスの数学を受け持っています。

去年から取り入れた、予習システム。

反転授業…とまではいかないけれど、けっこう大胆な予習の取り入れ方をしています。数学で予習って、あまりやらないんですよね。去年の石教研数学部会でも、かなり目を引いたみたいです。予習システム。


ただ。

ノートまとめを予習に取り入れると、ノート作るの大好きな子(特に女子)と、真面目な人はちゃんと予習してくるのですが、そんなに真面目に勉強しなくちゃいけないとは思っていない、ノートまとめは面倒だと思う人は、当然やってこないのです。

つまり、一部のノートまとめ好きな人以外にとっては、特に面白い予習システムではなかったということで。

最後の授業でとったアンケートでも、マスタープリントを絶賛する声はあっても、予習システムについて触れた生徒は、ごく一部でした。


ということで。

面白い、みんなが取り組むような、そして効果の高い予習システムって??と考えて。


生徒が好きな、マスタープリント中心にすればいいじゃん!!

と思ったのです。

もちろん、ノートまとめをすると頭に入りやすい人たちのために、「できればやってくる」というまとめ作業も入れて。


~予習課題~

1.教科書P○○~P○○を読む。

2.マスタープリントをやってみる(必ず)

3.課題について、説明する(できれば)

というものにしてみました。

授業では、マスタープリントと課題について、多くの生徒が理解できなかったところ中心に黒板で説明してから、交流の時間(わからなかったところを解決する時間)として、最後に、予習課題3についてこの時間でわかったことを、黒板以外何も見ないでまとめてみる作業をして終了。

もうちょっとすっきりしそうな感じがするけど、とりあえずこれでスタートしてみています。


1年生は、まだとまどいも大きいけど、2年生の食いつきはかなりいいです。去年私が受け持っていなかった生徒も、ちゃんと取り組んでいます。

しばらくこれで進めてみようと思います。