信濃の国からこんにちは このページをアンテナに追加 RSSフィード

三崎隆です。
長野県長野市の信州大学教育学部で『学び合い』(二重括弧の学び合い)を研究しています。
「信濃の国からこんにちは」は私たちの『学び合い』研究室の研究室通信です。
いつでもメールください。メールのやりとりで『学び合い』の考え方を共有しましょう。
メールアドレスは、misakiとshinshu-u.ac.jpを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。
研究室の全体ゼミは参観OKです。
全体ゼミは2019年度から毎週月曜日18:30-19:30に行っています。
詳しくは,私たちの『学び合い』研究室をご覧ください。

2019-06-16   コーナー

[] 06:41    コーナー - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    コーナー - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

できた人コーナーを作ります。

 できた人コーナーは,できた人を可視化するのではなく,困っている人を可視化するためのものです。ネーム・プレートも同じことです。その意味に於いては,できた人コーナーではなく,困っている人コーナーのネーミングの方がより良いものと思われます。次の出前授業から実際に使ってみようかと思うところです。できた人がまだできずに困っている人に対して何もせず見捨てている文化を持つ集団はなんとかしなければなりません。

2019-06-15   カード

[] 05:57    カード - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    カード - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

学び合い』の考え方を伝授して,

 かつて,「助けて」カードを使った実践を,『学び合い』の考え方を知らない現職に薦めたことがあり,実際にその方が「助けて」カードを使って実践されたことがあります。机の端にフラッシュカードの「助けて」カードを立てる金具を設置して,各人が「助けて」カードを持って授業に臨んだ実践です。分からなくなって困ったときに,自分の持っている「助けて」と書かれたフラッシュカードを,その金具に立てるのです。

クラスの中で,

 その「助けて」カードを見ることのできない子がだれもいない状況ができあがります。「助けて」カードが出たら,助けてもらえる環境が整っています。だれから助けてもらってもOKですし,誰がだれを助けてあげてもOKです。「助けて」カードを立てたら,助けてもらえない子は一人もいません。困っている子を見捨てるような子どもたちは一人もいないからです。

2019-06-14   助けて

[] 06:05    助けて - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    助けて - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

困ったときに

 無条件でいつでも助けてもらえる社会であることは素晴らしいことです。本当に困ったときに助けてもらった経験のある人ならばその意味はよく分かっているはずです。困っている人がいたら,遠慮なく助けてあげられる社会であることも素晴らしいことです。助けてあげることがどんなことであるのかを知っていて助けてあげられることが素晴らしいことだからです。そこには,共生の考え方があります。『学び合い』の考え方は,それを実現します。

2019-06-12   困っている子

[] 06:20    困っている子 - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    困っている子 - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

学び合い』の考え方

 を使って授業をすると,困っている子どもたちがいないかどうかが気になります。先生は授業中にどこをみているのですか?と聞かれることがありますが,困っている子どもたちがいないかどうかを見ています。その意味では,『学び合い』の考え方による授業は,困っている子どもたちがいないかどうかを分からない子が誰もいなくなる授業であるとも換言できます。

つまり,『学び合い』の考え方は

 初期の時点では,困っている子が可視化されている授業であると言えます。困っている子が可視化されていない授業では,現象論的にはわいわいがやがやしていますし,見かけ上,子どもたち同士で教えたり教えられたりしながら学びますから,一見,『学び合い』の考え方風に見えます。しかし,困っている子が可視化されていないだけに,一人も見捨てられている状況に陥っているかどうかが誰にも判断が付きません。

もちろん,可視化が

 すべてではないので,『学び合い』の考え方が十分に共有されていさえすれば,可視化されていなかったとしても子どもたち同士で困っている子どもたちがいないかどうかを確かめ合いますから,それで良いわけです。その現象さえ見当たらないようであれば,それは『学び合い』の考え方であるとは言えない授業です。

2019-06-10   驚き

[] 22:15    驚き - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    驚き - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

学び合い』の考え方は,

 授業において子どもたちに探究活動をすべて任せる文化であるだけに,子どもたちの判断で自由にしゃべり,子どもたちの判断で自由に席を立って動き回り,子どもたちの判断でだれとでもいつでもどこでも自由にかかわることのできる現象が現れます。「おしゃべりしていいんだよ」「席を立って動き回っていいんだよ」「だれと一緒にやってもいいんだよ」ですから,おしゃべりするかどうかは子どもたち自身が自分で考え判断して決めるのです。席を立って動き回るかどうかも,誰と一緒にやったらいいのか,も。

子どもたち自身の判断に依る

 授業中の自由なおしゃべりを認めない教師にとっては,驚きをもって受け止められることと思います。子どもたち自身が自分で判断して授業中に自由に席を立ってあちこち動き回ることを認める教育観を持っていない教師にとっては,信じられない現象であろうと思われます。おそらく,その教師が大学で修得した教育観や卒業後に赴任した学校で持っているであろう一般的な日本の学校教育における文化になじんできたのであれば,尚更であろうことは容易に推測できます。

目の前の子どもたちの

 今の現状をなんとかしたいと願えば,刹那的には後者でも成り立つのかもしれません。それが,日本の学校教育の主流でしたから。しかし,20年後に今の子どもたちが生きる社会の情勢を考えると,どのような教育が求められているのかは熟考すべき時がきていることは確かです。教師の指示によって子どもたちに”させてみる”試みを繰り返したところで,20年後に子どもたち自身が自ら判断しなければならなくなったときに,指示してくれる人が誰もいない状況下で,自ら判断し人として正しい行動を起こすことのできる人材が育つのでしょうか。

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