信濃の国からこんにちは このページをアンテナに追加 RSSフィード

三崎隆です。
長野県長野市の信州大学教育学部で『学び合い』(二重括弧の学び合い)を研究しています。
「信濃の国からこんにちは」は私たちの『学び合い』研究室の研究室通信です。
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全体ゼミは毎週月曜日18:00-19:30に行っています。
詳しくは,私たちの『学び合い』研究室をご覧ください。

2018-07-17   一番のツールは人

[] 06:28    一番のツールは人 - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    一番のツールは人 - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

列車に乗って出かけることがありますが,

 駅に行って切符を買う場合には,ほとんどが自動券売機になっています。田舎に行くとそれはなく,窓口での対人対面購入かまたは自動証明書発行機かのいずれかです。自動券売機の場合,いつも使っているタイプのものなら,何ら支障はありません。問題が発生するのは,初めての土地で初めての行き先で初めての自動券売機の場合です。初めて行くところですから、当然のことながらWebで予習します。どの駅までどの列車で乗っていけば良いのかを確認し,乗換駅の立体図を確認し,次の乗る列車と乗り換え時間を確認し,何番線で降りるのか乗るのかを確認していくのです。海外の場合も全く同じです。その意味では良い時代になりました。

しかし,です。

 ガイドがいない一人での移動の場合,駅の自動券売機に前で間違いなく時間を費やします。予習していた乗り換え時間の2倍3倍かかります。特に,JRから私鉄に乗り換える場合にはそうです。だから,都会はやっかいです。まず真っ先にすることは,頭上に掲げられた路線図の中から,初めて行く行き先の駅名を探します。たいてい,頭上の路線図は機能的に作られていて東西南北に配慮されていない場合がほとんどですから,駅名を探すのが極めてやっかいです。現在地となる今いる駅名を探し出すのにも時間を要するのですから,そこからどの路線でいくつ先の駅なのかも分からず,四苦八苦。

なんとか駅名が見つかれば

 良いですが,見つからない場合はどうしたらよいのでしょう。近くに窓口もなく,駅員さんらしき人影も全くないのですから。右を見たり左を見たり,後ろを見たり遠くを見たり。なんとか窓口らしき,入り口を見つけて行ってみると,係員の人に聞いている人がいて,私と同じようにあっちで聞いてこっちで聞いたのに結局解決できず,ここでも解決できずにまた別のところを紹介されて行くようです。私「乗車券は買ったのですが特急券はどこで買ったらいいのですか?」係員「ここでは買えないので,向こうの自動券売機の3番と4番の間のカーテンが閉まっているところにあるボタンを押して,係員が出てくるのを待ってください」。

言われたことの意味がよく分からず,

 うろうろしていると,また時間がかかります。ようやく辿り着いてボタンを押してしばらく待った末にようやく対人対面で購入できた次第です。今後,AIの普及によって効率化されることであろうと思われますが,初めてのことを初めてやろうとするときにAI対応はなかなかやっかいなことだと感じた瞬間です。やはり,対面で分からないことを言語で伝えるのがいいなあと思ってしまいます。しかし,その言語で伝えるのも自動化することがあり,それさえもなかなか難しいのは仕方がないことなのかもしれません。海外の場合,国内より以上に念入りに予習をしていかない限り,あっという間に異国の地で迷子です。初めての単元で初めての内容で初めての教材で初めて学ぶ子どもたちも同じことなのです。問題解決に向かうときの一番のツールは人です。

2018-07-12   一緒にやろうはその証拠

[] 06:17    一緒にやろうはその証拠 - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    一緒にやろうはその証拠 - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

学び合い』と学び合いは,

 現象論的にはそっくりに見えます.しかし,学び合いは教える側の子どもたちが学ぶことはないという仮定があるように思われて仕方がありません.教える側の子は教えるだけなので学んではいない,と.だから,教える側の子どもたちに得はないという論です.それなら,発展的な課題があったほうがましだと考えます.

教える側の子どもたちにとっては,

 学ぶ側の子どもたちが最終的に理解してくれたかどうかにはあまりこだわりがないように思えます.授業者がこだわっていませんから,その文脈下では是が非でも学ぶ側の子どもたちの理解を促そうとする必然性は感じ取れていないのかもしれません.無意識下の教える側の優位性なのかもしれません.

学び合い』は,

 児童観と学校観の考え方ですから,教える側の子どもたちがその文脈下において,学ぶ側の子どもたちを自分と同じ同僚・仲間であると認識しているならば,彼らを見捨てることはできないはずです.同僚を見捨てる集団の行く末は自ずと見えていますから.自分が困ったときに,真っ先に見捨てられるのは自分だと分かっているからです.

だから,

 教える側が学ぶ側の躓きがどこにあるかを探し,その解消に向けて共に歩み始めるのです.その過程で,自分が学べる得があること集団として得することを知っているからです.「一緒にやろう」という言葉かけがその明白な証拠です.

学び合いの文脈下では,

 教える側が「一緒にやろう」などというスタンスを持つことは皆無に近いことです.間違いなく自分が助ける側で,相手が助けられる側であるシチュエーションは動かしがたいのですから.

2018-07-11   スキーだとよく分かる

[] 06:32    スキーだとよく分かる - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    スキーだとよく分かる - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

雪国では,

 小学校第1学年からスキー授業があります.第1学年の子どもたちのスキー授業なので,ゲレンデも初心者用です.それも本当になだらかな斜面で,途中で止まってしまうのではないかと思うくらいの角度です.それでも,滑ることのできる子とそうでない子がいます.スキーを履かせてみれば,ある程度は私でも分かります.スキーをしたことのない子はスキー靴のはき方もわかりませんから,一人でははけません.

そのスキー授業で困らないようにするためには,

 もっと小さいときから,つまり就学前から家の周りの雪と戯れ,慣れてきたらスキー場に連れて行って,ソリから滑らせます.ソリに慣れたらスキーを履かせて歩かせます.一緒になって少し滑ってみます.転びます.起こしてあげてもう一度一緒に滑ります.また転びます.また起こしてあげてもう一度一緒に滑ります.なんとか一人でちょっと滑ることができるようになったら,滑る距離を少しずつ長くして試します.そう,トライ・アンド・エラーです.その繰り返しです.

それを繰り返していると,

 いつの間にか,そう本当にいつの間にか,ふっと後ろを振り向くと,いつも遠くで私の指示を待っていたはずなのに,すぐ後ろから付いてきているではありませんか.えーっ,いつの間についてくることができるようになったのか.驚きとともに嬉しさがこみ上げてきます.滑ってみて転んで,また滑ってみてまた転んで,そのたびにスキーを滑るときの雪の上での体のバランスを保つコツを覚えていくのです.子どもたちにトライ・アンド・エラーをさせてみた成果です.

黒板にスキーの絵を描いて,

 体重移動のコツを言葉でしゃべって講義しているだけでは,絶対にあり得ないことです.今,求められている学校教育における教科の授業も同じことです.授業者がいくら何度も繰り返して黒板に書いたとしても,それが指導であったとしても,子どもたちにさせてみなければ子どもたちは分かりませんし,できません.何度もトライ・アンド・エラーさせてみなければ分かりませんし,できないのです.スキーの上達にたとえたら,よく分かります.

2018-07-06   決定的な違い

[] 06:06    決定的な違い - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    決定的な違い - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

我々の研究室は,

 『学び合い』の考え方に立脚した授業について研究している研究室です。『学び合い』の考え方が研究になるからです。オリジナルがあり,方法が確立され,データが蓄積されて実証され,それら一連の成果が多く引用されます。『学び合い』の考え方に立脚した授業を定義することができるので,『学び合い』の考え方に立脚していないいわゆるそうでない授業との明確な違いが存在します。だから,比較研究が成り立つのです。

一方,学び合いは研究として成立しません。

 定義が確立されていたとしても,その定義に基づいた学び合いとそうでない授業との違いが明瞭ではないからです。学び合いの授業を定義できたとして,学び合いではない授業をどのように定義するのかが不明瞭ならば,比較のしようがありません。そこにオリジナルを見つけることは困難を伴います。何を持って学び合いの授業として何を持って学び合いではない授業とするのかが分かりづらいだけに明瞭な教育効果の有意差が現れにくいのです。学び合いの学術論文を見たことがありません。そう考えると,『学び合い』と学び合いは決定的に違うことがよく分かります。

2018-07-05   するものではなく,持つもの

[] 06:16    するものではなく,持つもの - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    するものではなく,持つもの - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

学び合い』をしてますか?

 と聞かれることがあります。『学び合い』をよく知っている人ならば,『学び合い』の考え方を持ってますか?とか『学び合い』の考え方を貫いてますか?と聞くはずです。だからそう聞かれたら,『学び合い』の考え方を子どもたちと共有した授業をしていますか?ということを聞きたいんだろうなあと勝手に解釈して答えることにしています。

学び合い』の考え方を子どもたちと共有した授業を

 しているかどうかを判断するためには,まず,子どもたちが『学び合い』の考え方を共有してくれているかどうかを判断しなければなりません。いったい,どうやってそれを判断するのでしょうか。安直ならば,「あなたがたは,『学び合い』の考え方を共有していますか?」とアンケート調査すれば分かるでしょう。しかし,子どもたちが「はい」と答えたとしても,それが確かに共有しているかどうかは判断が付かないところです。忖度しているかもしれませんから。

それなら,あなたならどうしますか?

 ゼミ生ならどうするでしょうか。今度聞いてみよう。答え次第によっては,『学び合い』の考え方を理解できているかどうかが分かりますから。『学び合い』をしてますか?と聞く人の大半は,『学び合い』はするものだと捉えている人ですから,『学び合い』と学び合いを混同させているので,よく分かってもらえていないカテゴリーに入る人でしょう。『学び合い』はするものではなく,持つものです。

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