信濃の国からこんにちは このページをアンテナに追加 RSSフィード

三崎隆です。
長野県長野市の信州大学教育学部で『学び合い』(二重括弧の学び合い)を研究しています。
「信濃の国からこんにちは」は私たちの『学び合い』研究室の研究室通信です。
いつでもメールください。メールのやりとりで『学び合い』の考え方を共有しましょう。
メールアドレスは、misakiとshinshu-u.ac.jpを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。
研究室の全体ゼミは参観OKです。
全体ゼミは毎週月曜日18:00-19:30に行っています(本年度は終了しました。次回は4/8(月)です)。
詳しくは,私たちの『学び合い』研究室をご覧ください。

2019-02-12   なんとかなる

[] 07:06    なんとかなる - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    なんとかなる - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

なんとかなるときと,

 なんともならないときがあります。言い方としてよく耳にします。なんとかなるときは,自分の文脈と異なる文脈との間で折り合いを付けることができるときでしょう。一方で,なんともならないときというのは自分の文脈と異なる文脈との間で折り合いを付けることができないときです。折り合いを付けることができないがために,自分の文脈に依存し続け,自分の文脈を優先しようとしてもがくことになります。その結果,なんともならない結果を招きます。

意図的に異なる文脈下に

 自分を置いてみることです。それも全く異なる初めての文脈が効果的です。自分の文脈を優先しようとしても,自分の経験したことのない文脈の下ではもがいてもなんともなりません。自分の文脈と少しだけ異なっている文脈では,なんともならない悲しさや空しさを味わうことはできないかもしれません。少しだけしか違っていませんから,その文脈との間で折り合いなどつけなくてもなんとかなるからです。だからこそ,全く異なる文脈を持っている異質集団が大切なのです。

2019-01-22   折り合い

[] 06:38    折り合い - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    折り合い - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

学び合い』の考え方によれば,

 自分のまわりの人たちと折り合いを付ける経験を通して同僚性を感得することが大切です。それは教師が教えてできるものではありません。一歩譲って教えてできたとしても、果たしてそれは見かけ上の表面的な繕いではないでしょうか?はたして,子どもたちが自分たちでまわりの友だちと折り合いの付け方を学ぶ場はどこでしょうか?教師が意図的に設定しないない限り,子どもたちは自分たちでその場と機会を見つけます。見つけると言うよりも,向こうからやってくると言った方が適切かもしれません。そう,休み時間等の教師の目の届かないところがほとんどです。

学び合い』の考え方では,

 それを教科の授業の場で行います。折り合いの付け方など,教師が教えたからと言って即時できるようになるなどと言うことはあり得ません。私の短い人生の経験から間違いなく言えることです。一人一人が異なる個性を持っている多様な存在なのですから,教師から教えてもらったことをそのまま発揮したとしても相手に対してベストな折り合いの付け方かどうかはその人そのときその場面その文脈によって異なります。同じ人であったとしてもそのときその文脈によって異なることは良くお分かりいただけることと思います。

1回経験したからと言って,

 それで十分などと言うことは決してあり得ません。そのときの状況や文脈がそれぞれ違いからです。答えなどどこにもない,自分で少しでも答えに近づけるようにやってみるしかないのです。我々の授業は,それを教科の授業で毎単位時間,繰り返し挑戦し続けます。自分たちでやってみて,トライ・アンド・エラーしながらどのようにして折り合いをつけたらよいのかを身をもって学ぶのです。サクセス・ロードなど何十回とやってみてようやく光が見えてくるくらいかもしれません。

2019-01-21   わけ

[] 07:11    わけ - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    わけ - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

学び合い』の考え方を使った授業は,

 ライブ出前授業をすることができます。飛び込みですることができるのです。みなさんの目の前にいる子どもたちを変えて見せます。児童生徒のみなさんとの人間関係が全くでていなくても,初見でもあっという間に,参観の先生方が目を見張るような変容を見せることができます。子どもたちは,これがあの子たちか,と思わせるような活躍ぶりを見せてくれます。まるで,魔法を見ているかのようです。実は,それにはわけがあります。

それは,『学び合い』の考え方の語りをするからです。

 ライブ出前授業で飛び込みでさせてもらう『学び合い』の考え方を使った授業では,必ず2単位時間を設定してもらいます。その1単位時間目に語るのです。それも,昨日書いたように,子どもたちの心に響く語りをするのです。その語りに共感する子どもたちが2単位時間目に当たる授業のときに,別人のように変わるのです。換言すれば,別人のように変わる変容を飛び込みでさせてしまうような語りをするのが『学び合い』の考え方だと言えます。一度,我々の『学び合い』ライブ出前授業を見て見ると良いです。『学び合い』の考え方の真髄をお見せします。

2019-01-19   話すとき

[] 06:23    話すとき - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    話すとき - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

本当に困っているかどうかを

 話せる人がいます。本当に困っているかどうかを話すとき・状況・文脈があります。それは人に依ります,状況・文脈に依ります。本当に困っていることを話したとしても,まわりの人も変わらず周りの状況・文脈も変わらないということを,生まれてから今日までの生活の中で経験してきていれば学習しますから話しません。話しても何も変わりませんから。ところが,それまでの事実を丹念に挙げて因果関係を論理的に結びつけて語りかけてくれたら,話そうかなと思うときがやってきます。

「先生,ずっと黙ってましたが,

 実は困っていたんです。一度だけ,困っていると話したことがあるのですが,大丈夫ですよと言われたので,それ以来,話しても仕方がないなと思って話しませんでした。自分が我慢すれば済むことだから,と自分に言い聞かせてあきらめてました。それも自分の運命なんだと思っています。先生,本当に困っています。」

授業でも同じこと。

 本当に困っていたとしても,それを誰かに話したところで何も変わらなければ,話さないでしょう。本当に困っていたとしても,困ってないふりをするだけです。「うん,わかった」と。ネーム・プレートをできた人コーナーにうごかす,と。ふりをしていれば,授業が終わり,授業者が次の授業で頑張ろうと見かけ上語るだけです。何もなかったかのように,その授業が終わります。その繰り返しです。本当に困っているかどうかが真実化するのは,高校入試であり就職試験であり。人生そのものかもしれません。20年後の。20年経ってみて,本当に困っていたかどうかがやっと分かるというのはなんとも悲しいことです。

授業の時に,

 だれが本当に困っているのか,本当に困っている友だちをどうしなければならないのか,見かけ上,形だけで語って終わりにするだけになるのか,それとも20年後の子どもたちの幸せを心から願って本当に困っている人を心から救おうと手をさしのべようとする子どもたちを一人でも多く育てようと心の底から語るのか,20年後にその違いが現れます。『学び合い』の考え方の語りというのは,本に書いてあることをただ真似て朗読するほど簡単ではないのです。聞く者の心に響くのが『学び合い』の考え方の語りです。それが,『学び合い』の考え方です。

2019-01-18   感謝

[] 07:16    感謝 - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    感謝 - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

本当に困っている人を

 助けようとする人たちがいてくれることに心から感謝します。本当に困ったときに,何を置いてでも助けてくれる人がそばにいてくれることほど心強いことはありません。それは,本当に困った経験をした者にしか分かりません。涙が出るくらい困っているのですから。それも,誰かに言われたわけではなく、特に授業者をはじめとした教師や上司に言われたわけではなく,その人の本当に困っている状況を察して自ら手をさしのべてくれることに人は心動かされます。心から手をさしのべてくれる人の創る社会的な文脈に依存するのです。

集団の中で,

 誰かに言われて動いているのかその人の心によって動いているのかは,本当に困っている人間にはすぐに分かります。誰かに言われて助けてくれるわけではないから,心動かされ,自分のそのあとの判断と行動を変えるのです。力を惜しまずに助けてくれたみなさんに心から感謝します。本当にありがとうございました。

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