信濃の国からこんにちは このページをアンテナに追加 RSSフィード

三崎隆です。
長野県長野市の信州大学教育学部で『学び合い』(二重括弧の学び合い)を研究しています。
「信濃の国からこんにちは」は私たちの『学び合い』研究室の研究室通信です。
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2018-07-12   一緒にやろうはその証拠

[] 06:17    一緒にやろうはその証拠 - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    一緒にやろうはその証拠 - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

学び合い』と学び合いは,

 現象論的にはそっくりに見えます.しかし,学び合いは教える側の子どもたちが学ぶことはないという仮定があるように思われて仕方がありません.教える側の子は教えるだけなので学んではいない,と.だから,教える側の子どもたちに得はないという論です.それなら,発展的な課題があったほうがましだと考えます.

教える側の子どもたちにとっては,

 学ぶ側の子どもたちが最終的に理解してくれたかどうかにはあまりこだわりがないように思えます.授業者がこだわっていませんから,その文脈下では是が非でも学ぶ側の子どもたちの理解を促そうとする必然性は感じ取れていないのかもしれません.無意識下の教える側の優位性なのかもしれません.

学び合い』は,

 児童観と学校観の考え方ですから,教える側の子どもたちがその文脈下において,学ぶ側の子どもたちを自分と同じ同僚・仲間であると認識しているならば,彼らを見捨てることはできないはずです.同僚を見捨てる集団の行く末は自ずと見えていますから.自分が困ったときに,真っ先に見捨てられるのは自分だと分かっているからです.

だから,

 教える側が学ぶ側の躓きがどこにあるかを探し,その解消に向けて共に歩み始めるのです.その過程で,自分が学べる得があること集団として得することを知っているからです.「一緒にやろう」という言葉かけがその明白な証拠です.

学び合いの文脈下では,

 教える側が「一緒にやろう」などというスタンスを持つことは皆無に近いことです.間違いなく自分が助ける側で,相手が助けられる側であるシチュエーションは動かしがたいのですから.

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