信濃の国からこんにちは このページをアンテナに追加 RSSフィード

三崎隆です。
長野県長野市の信州大学教育学部で『学び合い』(二重括弧の学び合い)を研究しています。
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2017-03-19   [大事なこと]主体的

[] 07:04    [大事なこと]主体的 - 信濃の国からこんにちは を含むブックマーク    [大事なこと]主体的 - 信濃の国からこんにちは のブックマークコメント

一昨日,jun24kawaさんが主体性について

 参考にしてもらえるとても良いことを「[大事なこと]主体的」として分かりやすく可視化していました(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20170317)。読みましたか?共感できることでまさにその通りです。その点については,私はサンドイッチを例に説明しています。どちらが分かりやすいかは読者諸氏の理解が多様ですから,判断は読者諸氏に委ねます。

一般的にイメージするサンドイッチは

 ご存じの通り,2枚のパンの間にさまざまな具を挟みます。それをおいしく食べるわけです。このとき,2枚のパンは上のパンと下のパンとなります。具はその上のパンと下のパンの間に挟まれます。上のパンと下のパンは提供者(教師)が用意します。具も提供者(教師)がある程度は用意します。しかし,食べる人(学習者)が用意する場合もあります。そのこと自体は不思議ではありません。だって,食べるのは自分ですから,自分の食べたいもの,自分がおいしいと思うものを用意するのは当たり前だからです。食べたくないものは食べたくないです。自分が食べたいおいしいものは提供者が食べたいおいしいものとは限りません。だから,具は食べる人(学習者)が選ぶのが基本です。いわゆるファースト・フードの店に行ったとしても,パンと具の組み合わせが何種類かあって,食べる人が選択するのが一般的です。

この場合,パンは提供者(教師)が

 用意しますから,教師は主体的です。当たり前のことです。しかし,その当たり前のことができていない授業も散見されることも事実です。上のパンは目標(何ができればよいかを示すこと)に相当し,下のパンは評価とリフレクション(何ができるようになったかをみんなで確認し,みんなでリフレクションすること※教師がリフレクションすることではないですから勘違いしないこと)に相当します。上のパン(目標)だけ主体的に用意しているのに,それも本当に一生懸命に。にもかかわらず,下のパン(評価とリフレクション)を用意していない授業があまりにも多いことが懸念されます。上のパンだけ用意したらサンドイッチになると思っているのでしょうか。

上のパンを用意しても,

 つまりその授業で何ができるようになったらよいかを示していても,下のパンを用意しない,つまり何ができるようになったかを確かめていない上にみんなでリフレクションもしていない,そのような授業がどのような授業だとたとえられるかは言わずともよく知られています。『学び合い』というと,上のパンだけ,つまり目標だけ提示すればそれでよいと勘違いしている人が大勢いることは,『学び合い』が誤解される要因です。上のパンだけ用意することに主体的になっても,下のパンがなければサンドイッチにならないように,目標だけ提示しても評価とリフレクションがなければ,『学び合い』にならないのです。だからこそ『学び合い』を実践する教師は,上のパン,つまり目標を設定することに主体的になると同時に,下のパン,つまり評価とリフレクションにも主体的にならないとダメということです。

それに対して,

 上のパン(目標)と下のパン(評価とリフレクション)に挟まれる具は,学習者が目標達成に向かうときに学習者自身が学習者自身の判断によって選択するもの(人,教材,Web等のさまざまな情報)に相当します。それらは教師が準備はしますが,学習者が自分で考え,判断し,選択し,実際に行動するものです。どんなサンドイッチにするのかは食べる人,つまり学習者自身が自分で決めることだからです。それが最善の方法なのです。最善の方法を考えられるのは学習者です。卵サンドイッチにするのか,ハムサンドイッチにするのか,カツサンドかサバサンドか,はたまた野菜サンドか焼きそばサンドか,それは学習者が自分で選びます。具を選ぶときの学習者はまさに主体的です。換言すれば,主体的にならなければ,自分の食べたいおいしいサンドイッチなどできるわけありません。だからこそ,どんなサンドイッチにするのかにするために,上のパンと下のパンの間は,学習者の主体性発揮のときなのです。

したがって,『学び合い』の考え方による授業は

 サンドイッチと言われます。目標提示と評価につづいたリフレクションは教師が主体的になりますが,はいどうぞから評価の時刻までは学習者が主体的になるのです。こんな話をすると,「授業はサンドイッチ」の部分だけは頭に残りますが,『学び合い』の肝心要の理論の部分が頭に残らないかもしれません。自分が本当に理解できたかどうかは,今見ている文章を閉じて,だれかを見つけて,そう,家族でも友達でもかまいませんから,『学び合い』がなぜサンドイッチなのか説明してあげてみると良いでしょう。もちろん,何も見ずに何にも頼らずに,です。その相手に分かりやすく伝われば,あなたは『学び合い』の授業がサンドイッチにたとえられることが理解できているのですし,『学び合い』の理論の一端も理解できている何よりの証拠です。

最後に,ただ,『学び合い』の考え方が十分に

 学習者に伝わっていくと,高崎のA先生の授業のように上のパンも下のパンも学習者が選択する現象が起きます。しかし,勘違いしないように言っておきますが,よほどでなければそのような現象に出会うことはありません。『学び合い』さえやれば,誰でもすぐにそうなれると思ったら,大きな間違いです。少なくとも私のしている『学び合い』ライブ出前授業では叶いません。まずは上のパン(目標)と下のパン(評価とリフレクション)を教師が主体的に作ることです。その上で,間に挟む具をどのようにするかを食べる人(学習者)に任せることです。そこから,始めましょう。特に,『学び合い』初心者に繰り返して言いたいことは,『学び合い』教師が主体的になるときには下のパン(評価とリフレクション)を忘れないように,ということです。

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