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上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を務めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,2019/11/2〜4に長野県でおこないます。
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2019-03-04ストーリーを持って論文を書く

[]ストーリーを持って論文を書く ストーリーを持って論文を書く - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - ストーリーを持って論文を書く - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 ストーリーを持って論文を書く - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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うちのゼミ生は今,今年度の研究成果を論文にまとめている。うちのゼミ生にとって論文を書く上で一番大変なのは序章(問題の所在)を書くことのようだ。先行研究を調べ上げ,自分がおこなった研究の「意味づけ」をするのだ。

うちのゼミの「隠れ」テーマは

意味は自分で見つけろ!(by熊徹)

である。実践授業をして,データを取って,会話記録を聞いて,インタビューをして,データ整理をして分析して,結論が出ても,それらがどんな意味なのか分からないままやっていることが多い。私も師匠から「直観は大切で,それは間違っていない。だからその研究を進めて大丈夫だ。」と言われて研究を進めた。そして論文を書くときになり,序章で「意味づけ」をするのに苦労した。

先行研究を調べ続けていくと,なるほど,なるほどと様々な研究にであっていく。そこでしくじるのが,その先行研究に合わせて書いてしまうこと。自分の研究とストーリーがずれてくる。そこに気づかないで書き進めてしまう。

結論は何?と絶えず問うていかないとここを見誤る。自分がこの研究で出した結論は何?それをひとことで言って常に目の前に掲げておくと見誤らない。それがストーリーである。

普通に考えると,序章(問題の所在)を考えて,その後調査して,分析して,結論を出すのが「正当な手順」と思いがちだが,実は違う。論文を書くというのは,「意味づけ」をすることだ。特に大学生や大学院生という学生にとっては,学修の成果を認識する上でとても重要な手続きとなる。この意味づけがきちんとなされれば,単に活動して終わったというようなレベルの低い1年間にはなり得ない。その成果をもって卒業,修了後仕事をしていくことができる。

2019-01-23部活動のとらえ方

[][]部活動のとらえ方 部活動のとらえ方 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 部活動のとらえ方 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 部活動のとらえ方 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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昨日の大学院「学修成果発表会」で「部活動の教育的価値を問い直す」という研究の副査を務めた。院生さんが教育委員会のメンバーや,中学校の顧問,保護者,生徒にインタビュー調査をおこない,部活動のとらえ方を把握し,今後の方針を提案するという,とても興味を引く研究だった。

生徒や保護者にとって部活動は「居場所」というとらえ方があるというデータを示してくれた。そうなのか。このとらえ方は私としてはあまりなかった。

確かに,自分の子どもに「どんな部活に入りたい?」と聞くことがある。それから,保護者や子どもが部活動で学校を選ぶということは当たり前のようにしている。もちろん居場所作りだけで選んでいるわけではないが,「学校での所属感」と言うことをピックアップして考えてみると,中学,高校では「クラス」よりも「部活動」と捉える割合が高い。

自分の高校時代を考えてみると,実際そうだった。自分の高校教師時代の生徒たちを思い返してみると,そういう生徒は半数以上いた。そして高校教師だった私としても,経験の半分以上は「部活動経営で自分の力を発揮できる,発揮したい」と考えていた。

しかし,今になって考えると,「それでいいのだろうか?」と思ってしまう。部活動は「課外活動」である。学校の教育課程外の活動が学校の「居場所」となっているといいう矛盾がある。むしろ学校という立場であれば,学校の正規の活動内に「居場所」となる活動があるべきではないだろうか?

そこの部分を考えずに,今の部活動の「ブラック」な部分を解消しようとしても,いろんなところにひずみおこり,結局は「精神論」で終わってしまう。子どもは部活動にしか「居場所」や,「社会(学外)と繋がるところ」や,「人間関係を学ぶところ」を見出せないから,部活動に対する思いが強くなり,それを取り巻く学校,教員,保護者も子どもの思いに応えようとする。

じゃあ,「学内」の居場所は何か?当然ながら「学級」であり,「授業」である。居心地の悪い学級を学級経営で居場所とし,参加しても面白くない授業を改善し,学びを進めることで,人間関係を構築し,社会とつながり,高みを目指す。こういう「学内」の改善なくして,部活動のとらえ方の改善はない。

学級づくり改革,授業改革を進めていけば,部活動にウエイトを置いていた子どもたちが教室や授業に戻ってくる。そうすれば,今までのような部活動の負担も小さくなり,改革(例えば,外部委託)が進む。今と同じような状態で部活動改革をしようとしても,教員が「そっちには任せてはおけない」として,抱え込む姿は容易に想像できる。

もう1つ。教員の「居場所(力を発揮できる場所)」としての部活動というとらえ方の改革もある。授業や学級経営はおろそかで,部活動指導に全力を傾けている教員の何と多いことか。部活動指導をしたいから,教員になるという人も多い。授業や学級経営に力を注げない人は,教員にならずに,スポーツ指導者になればいいのだと思う。そうすれば,全体の学級経営改善,授業改善も進む。

全てを同時に進めることが,部活動改善となる。

2019-01-05第17回臨床教科教育学セミナー(in都立科学技術高等学校)

[]第17回臨床教科教育学セミナー(in 都立科学技術高等学校) 第17回臨床教科教育学セミナー(in 都立科学技術高等学校) - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 第17回臨床教科教育学セミナー(in 都立科学技術高等学校) - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 第17回臨床教科教育学セミナー(in 都立科学技術高等学校) - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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過去の歴史に置いて,初の高校開催であった。それまでは全て大学で開催していた。これはとても意義があることと思っている。

教育研究でありながら,学校現場と乖離した教育研究をしているところは多い。学校現場で通じない言語(その学会,分野でしか通じない言葉)を使って研究を論じ,はっきり言って「内輪ウケ」で満足しているところもある。そうなるとますます学校現場の情報ははいってこず,教育研究とはいいながら,現場に活きない研究ばかりをすることになる。

本学会は子どもの生の姿を分析し,現場に還元するという理念から生まれた。研究者も実践者も互いに交流する学会として生まれた。

そしてようやく全国大会が17回目にして学校現場で開催され,高校生も自由研究は票に参加し,高校生のポスターセッションを学会参加者が聞くという場が生まれた。

他の教育学会でこんなことがあるだろうか?これは何より臨床教科教育学会では,現場の先生も主となって活動している証拠である。

しかし,年末から年始にかけて学校現場は超多忙の時期でありながら,都立科学技術高等学校の先生,生徒は大変な準備を見事に行い,すばらしい会にしてくれた。学校の先生は会の会員の先生もいらっしゃるが,生徒は完全なボランティアである。

最寄り駅から会場まで生徒さん達が案内に立ってくれる。受付では元気な挨拶をしてくれ,自由研究発表では,タイムキーパーをしてくれて,教室の外では常に生徒さんが待機してくれて,何かがあれば,即座に対応してくれる。

そしてポスターセッションでは,全くその分野が分からない私に対して,丁寧に説明してくれる。例えば,プラスチックゴミのリサイクルが全くされていない国のために,簡単に分解し,有害ガスが出ないシステムの開発とか,携帯電話の部品からレアメタルを取り出す時に,有害物質を出さないやり方とか,おがくずでキノコを栽培するよりも効率的な栽培地の開発とか,である。

全ての研究が,その研究のための研究ではなく,現実にある問題を解決するための研究である。これこそが「社会に開かれた」研究である。

さて,新潟県内に目を向けてみると,このように「社会に開かれた」学びを生起させているカリキュラムを行っている高校があるだろうか?日々の授業はなんのため?となると,堂々と「大学受験のため」と言う教員,生徒が多いのではないか?大学受験が目的なんて,完全に「閉じた学び」である。自分のためである。

今目の前の学習が,社会の問題をどのように解決するのか?を意識させて学ばないと,成長しても社会に目がいかない大人になってしまう。高校時代から常に社会,世界に目を向ける「見方・考え方」を鍛えられれば,その大人に「自分の老後,自分の子どもの将来を任せたい。」と思ってしまう。

こういう高校,新潟にないかな?自分の子どもを進学させたい。

私が座長をしたときのタイムキーパー,Dさんに,3つの研究発表が終わって交替の時,「発表の内容,分かりましたか?」と質問してみた。そうしたら,

分かりましたが,今の発表の研究って,サンプルが少なくてもいいんですね。わたしたちの研究では,この数ではデータにならないと言われちゃいます。

と言われてしまった。そう。的確な指摘だ。サンプルが少ないのは研究者の都合だ。その学級の人数が少なかったからと言って,それでOKにしてはいけない。堂々と研究発表なんてできないレベルなのかもしれない。もちろん,教育研究と自然科学研究では違いがあるといえば,そうなのだが,言い訳には出来ない。

特に教育研究界はいろんな分野と交流することで,新たな視点が生まれてくると思う。今回の生徒さん達の研究の説明を聞いて,かなり「SDGs」に活かせるなと思った。

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2018-11-15読書の効用

[]読書の効用 読書の効用 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 読書の効用 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 読書の効用 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「読書をすると成績が上がる」とか,「読書をすると論理的思考力が身につく」とか,まことしやかに言われているけれど,エビデンスに基づいて読書の効用について書かれた論文は読んだことがなかった。御存じの方は,読みたいので教えてほしい。

そんな中で,エビデンスに基づいた論文を見つけた。

「検証・学歴の効用」濱中淳子,勁草書房,2013

調査方法は,アンケートで,大学時代の読書傾向と,現在の読書傾向,そして現在の所得を調べている。工学系と経済系の大学生のデータだけなのだが,現在の読書傾向と現在の所得には,相関関係があるというのだ。

簡単に言うと,現在の読書傾向が,マンガや趣味・娯楽書の比重が多い場合,所得はそうでないひとに比べると有意に低いというのだ。これは,工学系,経済系どちらにも言える。

そして,現在マンガや趣味・娯楽書の比重が多いのは,大学時代にもマンガや趣味・娯楽書の比重が多かったという結果が出た。

逆に言うと,大学時代に専門書,思想書,純文学,ビジネス書,専門書などを読んでいると,現在もそれらの読書傾向が続き,所得も有意に多いというものだ。

大学時代に自分の専門に関する本を多く読んでいると,結果的には所得が多くなるという結果が出ている。

因果関係は述べられていないが,大学時代自分の専門に入り込み,その専門に関する本を多く読むと,専門の職業への就職につながり,所得が多くなるという流れであろう。

もちろん,所得が全てと言うことではないが,1つの指針を示している。

2018-01-16エクリチュール (1)

[][]エクリチュール (1) エクリチュール (1) - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - エクリチュール (1) - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 エクリチュール (1) - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

最近「エクリチュール」に関心を持っている。「エクリチュール」は一般的には「文字言語」を指すが,内田樹さんはロラン・バルト著「零度のエクリチュール」の叙述を元に

社会的に規定された言葉の使い方

と定義している。そして

社会的言語運用がきびしく制式化されており、自分が所属する社会集団に許されたエクリチュール以外の使用が禁止されているのは階層社会の際立った特徴である。

と述べている。本義は「文字言語」のことだが,この定義でいえば主に「音声言語」のことを指しているようだ。

私は現代日本に生きていて,あんまりそれを感じたことはなかったけれど,内田樹さんはフランスに学生と研修で行ったとき,階級により使う言葉(使ってはいけない言葉)が限定されていて,それが問題処理判断能力や,人の持つ意識を限定していると述べている*1

英語を始め,外国語に疎い私は全くそんなことはわからないのだが,日本でもかつて,職業や階層によって使える言葉が限定されていたなぁと思う。今再放送している「花子とアン」で,主人公ハナが,子どもの頃,女学校に入学して,徹底的に白鳥さん(ハリセンボンの春菜)から甲府弁をなおされ,いわゆる「お嬢様言葉」に矯正させられていた。また,時代劇を観ていると,武士階級の返事の仕方は「はい」だが,その他は「へい」となっていた。

英語の文法構造と日本語の文法構造は違う。思考は言語によるところが大きいから,思考構造も違い,ものの見方考え方も違ってくるということで,英語教育にも興味を持ち始めた。

そこで文献を漁っていたところで,「言語社会化論」(バーンスティン・萩原元昭編訳 1981 明治図書)に巡り会った。

英国の中産階級と労働者階級の話し言葉を分析し,その違いと思考の違いについて述べている。

大きく分けると「共用言語」と「定式言語」があり,労働者は前者を使用する割合がほとんどであり,中産階級は両者を使い分けているというのだ。簡単にいうと,「共用言語」はある特定の集団で暗黙の了解のうちに使える言語であり,「定式言語」は,文脈を知らない人にも理解させられる言語である。

「共用言語」の特徴の1つとして,次のようになると述べている。

共用言語の構造が,強い閉鎖的な社会関係をさらに強固なものとするところから、その話し手は、ある種の活動を通して、集団、およびその集団の形態や野心に対し、強い忠義心や忠誠心を示すものと思われる。そしてそのかわり、彼は、自分たちのものとは異なった言語形式—ちなみに、言語形式は、それを持っている集団に独特な社会的取り決めを象徴的に表している—をもつ他の社会集団に対して排他的になったり、おそらくそれと対立したりする、という代償を払っているものと思われる。つまり、共用言語の構造は、個人を集団から孤立させるような自他の違いについての経験を、ことばで表現することを差し止め、そして自らを脅かす恐れのある認知的、感情的状態に脈絡を与えるはたらきをするのである。(p.74)

これって,「仲間内の言葉」に当てはまることだ。その最たるものが仲間内で使う言葉(スラング)で,仲間性を強化し,他者を排除するといいうことは,現代日本でもそこら中で行われている。

そして,バースティンは,スラングを使うことで,罪の意識を減じているという例も挙げている。「正当な理由なく欠席する」(このニュアンスの正式な日本語,なんでしょう?)を「サボる」というようなものだ。「窃盗」を「万引き」と言ったり,「売春」を「援交」と言ったりするものだろう。

さて,エクリチュールが先か,社会階級が先かという論が当然出てくる。「その社会階級内で使われているから,その言語構造がある」とするか,「その言語構造から脱することができないからその社会階級から外に出られない。」というものだ。

バースティンは

言語形式は、何が、どのように学習されるのかを強く規定し、したがって将来の学習にも影響をおよぼすのである。こうした見地から、この論文では共用言語によって助長される行動について分析してきたのである。ところで、その場合の分析方法には本質的に循環論的なところがある、と思われるかもしれない。方法として、われわれは言語使用を分析し、そして社会的、心理的な行動を推論する。しかし、後者は初めから前者を規定しているいるのである。—なぜならば、言語の意味機能が社会構造だからである。(p.84)

と述べ,社会的,心理的な行動は言語使用を規定し,それが将来の学習に影響を及ぼすと言っている。つまり,循環している。

ということは,その循環を断ち切ると,別の世界が開ける可能性があるといいうことだろうか?

そこに教育の役割,言語活動の役割が見えてくるような気がする。この項,たぶんつづく。

*1:「街場の文体論」文春文庫 2016,pp.131-132

2017-07-23理論と実践の往還

[]理論と実際の往還 理論と実際の往還 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 理論と実際の往還 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 理論と実際の往還 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

教員の研修会で交流会があると,自分の実践はどうか,相手の実践はどのようなものかという情報交流が頻繁におこなわれる。その中で,どのような実践が自分の目の前の子ども対に有効かを考え,有効そうな実践の取捨選択がおこなわれる。その基準は,自分の「感覚」となる。

その感覚が合っているかどうかは何の根拠もない。感覚にフィットするものが実践され,フィットしないものはスルーされる。フィットしたものを実践したとして,効果がある場合もあるし,無い場合もある。実践の有無は各自の感覚なので,効果が無かった場合は,「あの実践はダメだ」ということで終わってしまう。

しかしそこで重要なのは,どうして効果があったのか,どうして効果がなかったのかという「理論」部分の検証である。この検証がされなければ,各教室で,各学校で,各地域で同じことがくり返され,その子どもたちにとって効果のない実践が,教師の思いつきでくり返され,無駄なストレスを子どもたちに与えることになる。

理論の部分を担うのは教育学である。教育学を研究しているのは主に大学などの研究機関である。現場に有効な理論を提供していかなければならないはずなのに,研究機関が単なる実践交流の場を提供しているのでは,研究機関の意味が無い。どうして上手く行くのか,どうして上手く行かないのかという理論と実践を結びつかせなければ,「感覚」根拠の実践が蔓延してしまう。

もちろん,「感覚」が鋭く,目の前の子どもたちに当てはまる実践をしている教師も多いのだが,実践をさまよい,右に左にぶれる実践を教師も少なくない。

逆に,理論が先立ち,頭でっかちで,目の前の子どもたちの現状を見ず,理論を押しつける実践をしてはいけない。現状に目をつぶってもいけない。

だから「往還」が重要なのである。

2016-12-01大学教員の小学校国語授業 8時間目(最終回)

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嫌な夢を見た。

入っている小学6年生のクラスで群読大会をするが,時間配分が悪く,しかも言うことを聞かない。大声で指示をするが,全く通じない。ああ,授業時間が終わっていく。発表が終わらない。うーん。

というような夢は,今まで何回も何十回も見てきた。教室内がわちゃくちゃで,授業に参加しない生徒がたくさんおり,指示を全く聞かないという高校の教室。たまにこういう夢を見たのだが,舞台が小学校の教室になるとは思わなかった。

そんなこともあり,みんな,群読,声を合わせて教室内に行き渡る声で発表してくれるかな?と不安を持ったまま6限の授業に入った。これが朝イチの1限の授業だったら,その不安から解放されるのが早くて良かったんだけれど,そんな思いをずーっと持ちながら,ちょっと逃げ出したい思いを持ちながら,過ごしていたからかなり疲弊してしまった。

不思議なもので,本来クラスに入った目的は,群読の脚本作成の過程を調査するものだった。けれど,そんなことはどうでもよくなって(本当は良くないけれど),みんなが発表してくれることに自分の関心が移っていった。

そんな不安は全く杞憂で,子どもたちは「じゃあ,14時55分まで練習ね。」と言ったら,みんな一斉に練習し出す。びっくり。すばらしい。あんまり準備時間を取れなかったのに,ここぞとばかり声を合わせる練習をする。前の時間の練習は,それほどでもなかったぞ。

あらかじめ頼んでおいた上越教育大学の院生,学生さんたちが見に来てくれて審査員をしてくれた。頼んでなかった別のゼミ所属の院生さんも来てくれた。どんな風に情報が伝わったんだろう?その方々に審査員として,各班に対してコメントをしてもらう。的確にひとことでコメントしてくれて,ありがたかった。おかげで私は進行に集中できる。

ぴったり声が合う班,笑いが出ちゃう班,声が小さい班,いろいろいるけれど,院生さんたちは,その発表でもいいところを見つけてコメントしてくれる。さすがだなぁと思う。

1班4分として8班あるので32分かかるかな?と初めの10分が練習時間だから,42分で授業時間ギリギリだなと想定していたが,1班3分で進行できた。残り8分ほど余ったので,ふりかえりを書いてもらって,その間私が今までの感想を言えた。

もうこれでこのクラスに入ることは多分無いから,国語への思いを語った。

文学は書いてあることをもとに書いていないことを読み取る学習です。どこか外に答えがあるんじゃないのです。答えは自分の中,自分の思考,自分の感覚,自分の感情の中にあります。書いてあることからそれを引き出して下さい。それでも,空想になってでたらめにならないために,書いていることをしっかりと読んで下さい。

中学校になれば,こういう国語が増えると思うので,今のうちからたくさん本を読んでおいてくださいね。

私の想像以上の群読を作ってくれました。ありがとうございました。

まぁ,こんなことを言った。

小学校で国語の授業をやってとても勉強になった。プレッシャーはあったけれど,とても楽しかった。それも,真摯に課題を受けとめ,反応してくれた子どもたちがいたから,だった。担任の先生の日々の指導の結果がこうなっているんだと思う。

小学校の先生は,オールラウンドプレイヤーで,どんな教科も担当しなければならない。高校教師は,私だったら国語しか担当しないから,国語のことだけ考えていれば良い。小学校の先生はそうはいかない。教科によって得意不得意があるから,ばらつきが出てくるだろう。

だから,私みたいに,教科専門の人が,突然自分のクラスに入ることで,自分で言うのはおこがましいけれど,「そういう切り口もあって,そんな課題だと子どもたちはこう反応するのか」という発見をしてもらえたら良いなと思う。これは今上越教育大学教職大学院でおこなっている学校支援プロジェクトの1つの支援の仕方になるんじゃないか?と思った。

なかなか自分のクラスに違う指導者が入るというのは,抵抗があると思うけれど,本当に快く受け入れて,授業でうまく行かない私を励ましてくれた担任の先生には感謝しても仕切れない。ありがとうございます。

また入ってみたいなと思うし,群読の時間をもうちょっと長い時間取れたら良かったという反省もある。群読の授業の可能性を見つけられた2週間だった。

2016-11-29大学教員の小学校国語授業 7時間目

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群読の授業に入る。「きつねの窓」で,ぼくがきつねの窓を手に入れたシーンを群読にする。

初めの部分は私が作ったシナリオがあり,最後の部分はグループで脚本を作る。

さて,子どもたちは,既習事項をもとに脚本を作るのかどうかというのがこの研究のポイントだ。その前に,私が作った部分の練習をするのだが,結構手こずる。声が合わさらない。どこを言うのかわからなくなる。声をあまり大きく出せない。など。

初めての群読(初っぱなにちょっと群読に触れたが)だから,しかたがないと言えばしかたがないが,ちょっと発表会にむけて不安になったりして。

脚本作成の時間は,グループによりまちまちになる。機械的に割り振ろうとする班,内容に関して読み取ろうとしている班,さまざまだ。

しかしほとんどの班において,みんなが同じ回数出番があるように調整している配慮があった。そこが重要なと頃なんだと思った。

木曜日は発表会で,私の授業も終わる。正直,もうちょっと群読に時間を割きたかったところだが,時間はいくらでもあるわけではない。

2016-11-28大学教員の小学校国語授業 6時間目

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小学校に行ったら,支援に入っている院生さんたちが授業観察をしていた。「授業見る?」と言ったら,なんと約10名の院生,学生さんたちが見に来た。こんなにくるとは思っていなかった……。

今日は読み取りの授業の最終回(予定)。

ぼくの孤独感は大きくなったのか,小さくなったのか

というような課題にした。これがまた活動の時間があまり取れなかった。45分は本編に入る前にちょっと何かすると本当に短い。活動の時間は15分も取れなかったかもしれない。

本来なら,黒板に出た書く班の意見を紹介し,根拠を聞き,それに伴って次の課題を出してまとめるという形がいいんだけれど,意見の紹介,根拠の聴取で時間が来てしまって「続きはまた明日。」で終わらせてしまった。

これは予想だけれど,担任の先生が受け持っていたら,あと5分で何とかなりそうというときには,5分延ばして授業するのかもしれない。けれど,中,高の教科担任制だと絶対それはできない。だから,その感覚が身について,途中でも「続きは次」なんてことにしてしまう。

これの良いところは子どもたちが書いてくれたワークシートを持ち帰って読んで,それをもとにまとめができるということ。

高校生でも同じなのだが,物語を読むときに,書いてないのに自分の感想,感覚,「もし,自分が登場人物だったら」というところで読んでしまう。

  • ぼくはきつねにもう会えなくなったから孤独感が増した
  • 「がっくりとうなだれた」から,孤独感が増した

と書く子どもが多かった。そうだよな。そう書くよなぁと思いながら,それでも

  • 「良く人に笑われる」と書いてあるから,周りに仲間がいる

なんて書く子どももいた。良く読めてるなと思う。

次の時間はそんなことを紹介し,メインイベントの群読に入る。

2016-11-25大学教員の小学校国語授業 5時間目

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今日は黒星。「負け」の根拠は,「今日は1時間で終わらせる!」と思っていた課題が,また継続課題になってしまったこと。うーん,活動の時間とまとめの時間の配分がうまく取れない。今日は新しい課題だったから,課題の説明をするんだけれど,「君の名は。」の語りをしたくなっちゃって,それが長くなったかなぁ?

また,課題がちょっとぼんやりしていたかなぁと,どうもダメだ。昨日ほぼ半日準備したが,時間をかければいいってこっちゃないぞ。

今日の課題

「ぼく」と「きつね」の無くなったもの(こと),得られたもの(こと)を3つの時期に分けて書きなさい。

「3つの時期」とは,「ぼく」が生まれてからきつねに会う前,きつねに会ってから小屋に帰る前,小屋に帰ってから今まで

どうも複雑になってしまう。「きつねに会っているとき」だけにしちゃえば良かったのかもしれない。全部をやる必要はないよな。「きつねに会っているとき」を把握すれば,その前と後の時期は自ずと区切られる。

さて,文章読み取りの予定はあと1時間だけだ。どうにか次の時間でまとめなければ。

しかし,

きつねの窓から見えるものは,もう失ったもの

という意見が飛んできたときには驚いた。なかなか深くまで読み込める。でも,

ぼくの声が聞こえてるけど,ぼくは死んでないよ。

という声も聞こえた。家族との温かい生活が無くなっちゃったんだよね。と,とっさに返せなかった……。