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上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を務めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。

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教室『学び合い』フォーラム
第14回(2018年)は静岡県でおこないます。
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2012-06-11日常と非日常

[]日常と非日常 日常と非日常 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 日常と非日常 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 日常と非日常 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

新潟ではほとんどの高校でこの時期に体育祭がおこなわれる。私の勤務校でも先日おこなわれた。

体育祭は「非日常」である。子どもたちはこの「非日常」のために「日常」を削り、準備する。よく、「この熱意が勉強に向けられれば……。」なんていう職員や親がいるが、「日常」あっての「非日常」、「非日常」あっての「日常」である。どちらも重要だし、片方に熱意を注げる人は、もう片方への熱意も強いという経験則がある。

それはそうと、生徒にとって体育祭の行事のような「非日常」は、職員にとっても「非日常」なのかというと、そういうわけでもない。日々の指導はなんら「日常」と変わらないのである。日常に指導していることと、行事における指導とで矛盾があっては生徒は混乱するし、見透かされる。つまり、行事での指導も同じ指導でなければならないので、職員にとっては体育祭であろうとも「日常」なのである。当たり前だ。仕事なんだから。

ということで、体育祭があっても職員は「非日常」を経験することがない。学生時代は「非日常」は定期的に学校から与えられるものだが、社会人になると「非日常」は自分で見いださなければならない。結婚式なんかは、かなり大がかりな「非日常」なのだが、人生の内何度もやってくるものでもない。

だから、ある人にとっては祭なんだし、ある人にとってはスポーツの試合だったりする。私にとってはアルビレックス新潟のホームゲームなのだが、最近その「非日常」から目を背けたくなってしまうのが、悩みの種だ。

2010-11-18最も効果的なICT教育

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先日、総務事務システムが導入されたと書いた。そこで今までパソコンなんか触ったことがない同僚に手取り足取り教えることの難しさを述べた。

しかし、その先生はもう総務事務システムに関しては私より進んでいる。年休の取得、出張申請、旅費請求、勤務の振替なんてお手の物だ。私は総務事務システムが稼働してから初めて年休を取ったが、その先生にちょっと聞きながら操作した。

結局ICT教育なんて、必要性がものをいう。必要だと思えばいとも簡単に覚えるのだ。総務事務システムを使わなければ、年休が申請できない。旅費が振り込まれないとなれば、やらざるを得ないだろう。もちろん知っている人に聞きながら。ICTの「C」が活かされるのだ。

逆に、学校現場で行われている「IT」機器導入なんて、必要もないのに導入し、必要もないから進まない。必要もない技術を教えるから、浸透しない。ICTなんて、手段であって目的ではない。しかし多くの現場では手段が目的になっている。現場だけではなく生活において、ICTが手段ではなく目的になっている。

携帯端末も手段であって目的ではない。しかし、iPhoneやらAndroidやら、BlackBerryのどれがいいかなんて議論になり、それぞれがそれぞれを批判するけれど、目的が達成されれば、どれを使っていようといいのであり、自分が持っていない携帯端末を批判する方もおかしいし、もっていない人から自分が持っている携帯端末の批判をまに受けて反論するのもおかしい。どうでもいいじゃん。

なんでICT機器になると、本末転倒なことがよく起こるんだろう?究極は、ICT機器が無くたって、目的が効果的に効率的に達成されることが理想なんだけど。なぜなら、ICT機器は故障するから。それが一番のストレス。

MugenMugen2010/11/19 23:21整備することが目的となり、活用はほとんどされていないというのが大半の学校の実情な気がします。

事務処理に関しては、慣れればICTの方が便利はいいですが、慣れるまでが大変ですよね・・・。

F-KatagiriF-Katagiri2010/11/19 23:56Mugenさん、コメントありがとうございます。本当にそうですね。なんのために整備するのか?という議論が全くありませんね。安易すぎる気がします。経済効果のために整備しているんでしょうね。完全に官と民の癒着だ。

私は、慣れれば慣れるほど、ICTのバージョンアップに悩まされます。だから意を決してMacにしました。こちらはバージョンアップしてもほとんどインターフェイスは変わらないから。

今まで約15年間成績処理で使っていたロータス123がとうとう使えなくなってしまった今日この頃。

2009-10-23教育の目的

[]教育の目的 教育の目的 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 教育の目的 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 教育の目的 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

10/22の内田樹先生のブログ

教育の目的はただひとつである。

それは人を成熟に導くことである。

誰も人間を他動的に成熟させることはできない。

人間を成熟させるのは自分自身である。

そのためには主体の側に「成熟しなければならない」という強い決意が必要である。

ひとが「私は成熟しなければならない」と思う理由はひとつしかない、それは「成熟しなければ、理解できないことがある」からである。それが理解したいからである。

http://blog.tatsuru.com/2009/10/22_1155.php

今日一日頑張ろう。

iku-nakaiku-naka2009/10/23 10:45お子さんの話、とても共感しました。「自分でできるようにと・・・」と思うのですが、手や口が手でしまい。大いに反省ですね、はい。

F-KatagiriF-Katagiri2009/10/23 16:20nakajimaさん、手をかけたくなっちゃうんですよね。きっと。べたべたしたいし、一緒に遊びたいし。そのうち一緒に遊んでもらえなくなるから、今のうちは……なんて思っちゃいます。

2009-08-31民主党政権獲得

[]民主党政権獲得 民主党政権獲得 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 民主党政権獲得 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 民主党政権獲得 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

大勝だけれども、教員免許更新制度は本当になくなるのかな?今年受講した人の立場は……。とはいっても、来年受講予定にされている私としても無くなってほしいが。

janglejapjanglejap2009/08/31 16:38免許更新制度について、全く同じ思いです。

F-KatagiriF-Katagiri2009/08/31 18:41janglejapさんも来年ですか?私と1周り年が違うのか……。

janglejapjanglejap2009/08/31 21:04おほほほ・・・。

2009-07-29教師の子供観は本当か?

[]教師の子供観は本当か? 教師の子供観は本当か? - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の子供観は本当か? - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 教師の子供観は本当か? - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「中学生は難しい時期だから声をなかなか出さない。」「小学校高学年もそうだ。」「高校なんて特にそうでしょう?」なんて言われた。

「○○の年代は●●でしょう。」ということで、諦めている場合がある。または、それを打破するのに手っ取り早い方法を探っている場合がある。

しかし、その年代では難しいということをいとも簡単にやっている先生もいる。この違いは何だろう?一言で言うと「気合い」だ。その年代では難しいと思っている先生にとっては難しいし、そんなことはないと思っている先生にとっては実現できることだ。

子どもは教師の価値観を簡単に見抜く。「あ、あの教師はウチラのことを難しい年頃と思っているな。じゃあ、難しくしてやろうか。」「あ、あの教師はウチラのことを声を出さないと思っているな。じゃあ、声を出さないでいる方が楽だ。」なんてなっている。

逆に声を出して当たり前、出さないのがおかしいという「気合い」で臨むと、声を出すのが当たり前の文化が生まれる。その文化を教師が創れるかどうか、洗脳できるかどうか何だと思う。

手っ取り早い方法は、教師が変わること、教師が変われば「CHANGE〜教室は変われる〜」ということで、フォーラムのテーマにつながりました。おあとがよろしいようで。

2009-03-31「入れ物」を大きくすること

[][]教師の資質 教師の資質 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の資質 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 教師の資質 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

池田さんの記事とそれに答える西川先生の記事を読んで、「人格の完成」について考えてみました。

教育は人格の完成を目指すものであるが、未だかつて完成された人格をもっている人はいないという矛盾をはらんでいます。教師自体も人格が完成している人間ではないのだけれど、教え子に人格の完成を喚起します。矛盾しているようですが、それが教育です。

なぜ教師は自分が人格的に完成していないにもかかわらず、子どもたちにそれを求められるのかというと、「自分が人格的に完成していない」ということをわかっているからです。どうしてわかっているのかというと、自分もかつて先生に人格の完成を目指して研鑽せよと求められ、自分もそれを目指したからです。目指しているから「完成していない」ということがわかる。

教育や師弟関係というのは、すべてそういうものだと思っています(ほとんど内田樹先生の受け売りですが)。

「自分は完全で、子どもたちは未熟で、子どもたちは自分に付き従って来ればいいんだ。」という人は「先生」にはなれません。なぜなら、子どもたちは「あなたは完全ではない」ということをすぐに見抜くからです。完全な人間はどこにもいないから、すぐにボロが出ます。ついている嘘があっけなくばれる人に付き従っていこうとは思いません。さらに言えば、自分が嘘をついているということさえも気づかない人に付いていこうとも思いません。だから言うことも聞かなくなります。

「かつて私はこれを教えられ、今も目指している。だからみんなも目指そう。」と言った方が、深みがありそうです。深みがある方が子どもたちは言うことを聞くと思いませんか?

言葉に関して言えば、「人格の完成を目指す」という言葉よりも「人格の陶冶*1をする」という言葉を使う方が私はしっくりいって好きです。

*1:とうや 生まれついた性質や才能を鍛えて練り上げること。

jun24kawajun24kawa2009/03/31 11:09私の教師の定義は「自分の出来ないことを人に求める職業」です。あははは

2009-02-06気にかかっていること

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今読んでいる本に、気になることが書いてあった。

担任と子どもたちの関係で、馴れ合い型のクラスと管理型のクラスを比較すると、馴れ合い型のクラスの方がいじめの発生が圧倒的に多いそうだ。

何となく分かるような気がする。

自分のクラスはどっちだっただろう?2つのタイプを両極端とすると、管理型の方によっていたような気もする。子どもたちと私の関係が遠いなぁと嘆くこともあったけれど、これがいじめの防止に少なからずなっていたと思うとちょっとは気が紛れる。

shinji-akasakashinji-akasaka2009/02/06 17:49確かに頷けますね。その本、気になります。差し支えなかったら、書名を教えてください。ちなみに「学び合う国語」いい本ですね。現場にいるときに読みたかった!

F-KatagiriF-Katagiri2009/02/06 19:20手元に本がないので著者名は忘れたのですが、「友だち地獄」というものです。ちくま新書だったかな?なかなかえぐいことも書いています。池田修さんのブログに紹介されていたので読んでいます。

abematuabematu2009/02/08 10:21Q−Uで、河村茂雄さんがよくおっしゃることですよね。
あっ、Q−Uなので「いじめ」というよりは、「学級の荒れ」ですけどね。
やはり「管理型」よりは「なれ合い型」の方が「荒れ」やすいと。

正直、自分は「管理型」「なれ合い型」のどちらのタイプかと聞かれたら、「なれ合い型」寄りです。
ですので、4月段階は、子どもたちは「おもしろそうな先生だ。おこらなそうな先生だ。」で楽しそうに出発するのですが、5月頃になると、なんだか、ダラけてきて、それを修正するのにつらいということを繰り返してしまいます。
知ってはいるけど、直せない・・・・。
自分が教師に向いていないのではないかと思う瞬間です。

F-KatagiriF-Katagiri2009/02/08 19:24あべたかさん、コメントありがとうございました。担任のタイプは「管理型」と「なれ合い型」の二極では分けられないと思います。じゃあ他に何があるのか……。「放牧型」とか、「放任型」とか……。私は「放牧型」なのかなぁ?と思うのですが、急に「管理型」に針が振れる時もあります。

赤坂さん、本をお褒めいただき、ありがとうございました。本を出すというのはすごいことだと、この間の『学び合い』群馬の会で実感しました。女性に握手を求められました!

nokogirisounokogirisou2009/02/08 22:02うーん。確かに二極では分けられないけれど、どちらかというとどちらかの傾向だと言えるのかもしれません。
前回の担任のときは「なれ合い型」だったかな。ちょっと手をかけすぎたことも反省。
まあ、生徒たちは勝手に大人になっていってくれましたが…。
ただ嬉しかったのは、もめ事があったあとに教室はなんとか修復しようという雰囲気にあふれていたことです。トラブルがあっても「自分たちでなんとかやるからだいじょうぶだよ」と言われ、それには救われました。

F-KatagiriF-Katagiri2009/02/09 13:43nokogirisouさん、そんなにいいクラスだったら「なれあい型」では無いと思いますよ。私はそんなクラスを目指したけれど、道半ばだったなぁ。管理型のようで、実は手をかけすぎたのかなぁ?

2009-01-049連休も今日で終わり

[]学校を取り巻く環境 学校を取り巻く環境 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校を取り巻く環境 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 学校を取り巻く環境 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

年始は親戚と会う機会が多い。親戚は小さな子どもから大先輩まで様々な人がいる。酒を酌み交わしていろいろ話すと私の仕事のことや、学校のことについても話がおよぶ。

大先輩は自分の学生時代の体験を元に話をするので、私のいる環境とずれていることが多い。というか、ほとんどがかみ合わない。どうしてかみ合わなくなったんだろう?と話を聞きながら分析したら、結局は今まで権威があったものを失墜させる流れが20世紀終わりあたりから起こったからだろう。

学校で起こったたくさんの「問題」は、既存の価値観のほころびの現れである。そしてその問題の「責任追求」と称して、学校側や親の権威失墜を計ろうとしたマスコミを始め、知識人、それに乗った我々が「権威失墜」を引き起こした。

若い人たちは大人たちが持っている「権威」に対して反抗するのが世の常であるが、それに「大人たち」側のマスコミも同調したことによって今の状態がある。

学校側にいる大人たちに対して親側の大人たちが攻撃し、逆の場合もある。しかし、子どもたちにとって学校側の権威を失墜させることが果たしていいことなのだろうか?子どもたちは権威に対して反抗することを親によってしてもらっているのだ。果たして、これから成長した場合、新たな権威に対して反抗(対抗)する場合、彼らはどうやって反抗していけばいいのだろうか?

親も子どもも教師もおかしなことに対して「おかしい」と言うのは当然だが、「黙らせる」ことを目的として「おかしい」と言うのは民主主義の考え方にはそぐわない。

学校に昔あったような「権威」があった方がいいと思っているのではない。しかし、全くそういうものがないと、みんなが困るんじゃないかな?と思う。一番あとから困るのは何も身につかなくなる子どもなんだけれど……。わかっていない人が多いなぁ。

o4dao4da2009/01/04 11:36卒業式、いきなりその言葉を記されるなんて、さすがやる気の鬼ですね。

KatokyonKatokyon2009/01/04 16:44そうか、新潟ってもしかして、もう3学期が始まるんですね?北海道は19日からです。雪国なのにね。

F-KatagiriF-Katagiri2009/01/06 08:48o4daさん、早く来い来い卒業式ですよ。

Katokyonさん、冬休みなんて、年末年始の休みに毛が生えたようなものです。カミさんの学校は今日が始業式です。信じられない。

2008-11-27会社経営論と学校教育

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経済教育をちょっとかじったことがことがあったので、それ以来会社経営に関する本をよく読む。リーダー論だったり、経営学だったり。学校教育にとても通じるところがあるので、何か取り入れられないかな?と思いながら読む。

読んでいると、本当にシステムだけを構築しようというものや、小倉昌男さんが書いた「経営はロマンだ」のように、人生論にまで発展しているものもある。

しかし学校教育と多く違うのは、会社経営の基本は「利益」という単純に測れる物差しがあるが、学校教育の場合はそれがないというものだ。

単純にいうと、ある子どもにとって効果が上がったことが、ある子どもには真逆のデメリットしか生まない可能性もある。「これこれをやったらこうよくなった」という例を子どもの数ほど列挙しないとほとんど語れない。

つまり、いいか悪いかはその当人である子どもが決めることであって、単純に「クラスの成績が◎点上がった。」「◎◎大学に何人入った」「就職率が◎%になった」という包括的なデータでは教育を測れないということだ。

「◎◎大学に何人入った」とあっても、ある子どもが不合格だったら、その子どもにとってそれは何の価値もないデータである。しかし、最近経済(経営?)かぶれの管理職が多く、「一般企業ではこれは当たり前だ。」なんてことを何の学習もせずに口に出す。「会社では社長が全てを取り仕切っているから……。」なんてね。

しかし、その社長は誰が決めるんですか?株主総会で承認されなければ社長にはなれないですよ。株主は何を判断に社長を決めるんですか?利益があるかどうかですよ。利益はどうやったら生まれるんですか?消費者がお金を払っているんですよ。結局消費者に支持を得られない経営者は更迭されることになる。

こんな構造も知らないで「全てはトップが決めるんだ。」ということを「一般企業では当たり前ですよ。」なんて言うトップは信じられない。

話は脱線したが、様々な多様な価値観を育むのが学校教育であるべきはずだが、それを一本化しようとしているのは間違っている。「学び」はあらゆるものから学べるからいいのであって、学校にはいろんな職員、いろんな子どもがいた方がお互いにいろんなことを学べるんだと思うんだなぁ。

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2008-11-18教育の成果とは?

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例えば、算数で「今日は九九の4の段を覚えたよ。」と息子が風呂の中で言ったとする。息子にとっての算数の時間の成果は明確だ。

私の授業だったらどうなるか?「今日は国語の時間に、象徴について考えたよ。」となる。「考えた」ということが「成果」になるのかどうか?という問題である。

別の側面で、「今日は国語の時間で『山月記』の李徴の気持ちが分かったよ。」となった場合、「成果」は明白だ。分からなかったことが分かるようになったのだから。

両者は何が違うのか?明白な「答え」があった場合、分からなかったことがわかるようになったというのはとても分かりやすい「成果」であるが、今まで考えなかったことを考えてきたというのは「成果」になり得ないのだろうか?

「教科書を学ぶ」ということと「教科書で学ぶ」ということの違いは昔から言われている。私は「教科書で学ぶ」ということをある時期から意識してやって来た。教科書を「資料」としたいという考えだ。「教科書を学ぶ」と、「わからないことがわかった」ということにつながるだろうし、「教科書で学ぶ」と、「考えなかったことを考えた」ということにつながる。

教育というのは目に見える「成果」ばかりを追っていってはいけないのだと思う。逆に目に見えない漠としたものだけを追っていってもいけない。私の授業にはそういうところが欠けていたのかな?と反省している。3年生になっても漢字も送り仮名も目茶苦茶な子どもも多い。少々方向転換しつつある。

でも、最近気づいたのは、1年生に比べて圧倒的に字が丁寧に書けるようになっているということだ。乱字・誤字はマーカーでチェックしていくのだが、ほとんどチェックする必要もない。これが私のやってきたことでの「目に見える成果」だろう。他はあんまり実績は上がらなかったんだけれど……。