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上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を務めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第14回(2018年)は
2018/8/4〜5に静岡県総合研修所「もくせい会館」でおこないます。
manabiainu
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2018-04-18独裁制と日本の教育

[]独裁制と日本の教育 独裁制と日本の教育 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 独裁制と日本の教育 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 独裁制と日本の教育 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

日本の教育は独裁制か?と訊かれれば,ほとんどの人はそうじゃないと答えると思う。私もそうじゃないといいたいところだ。

「スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか」新評論

で,こんな内容が紹介されていた。(一部片桐改編)

以下の法律や規則は「モナーカディエン」という仮想独裁国家のものです。あなたが手を付けるべ規則,または法律を選んで,次のことをはっきりさせてください。

 (1)あなたのチームが選んだ法律,規則をどのように変えるのか。(具体的記述)

 (2)どうしてそれを選んだのか,その理由。

 (3)そのように変えると,人々の生活や社会がどのように変わることになるのか。

[モナーカディエンの法律と規則]

A.選挙は10年おきに実施する。

B.投票できる政党は1つしかない。

C.国は,独裁政党の党首でもある国王によって統治されている。

D.国内には監視カメラがたくさんある。

E.国内では,他人の電話を盗聴したり,他人のメールやSMSを読むことが認められている。

F.国王や独裁政党を批判した者は,重罰を受ける。

G.独裁政党の党員のみが外国を旅行する特権が得られる。

H.選挙において党員は10票,その他の者は1票の投票権がある。

I.独裁政党は,インターネット上で何が書かれているかを監視している。

J.あらゆるデモは禁止されている。

これは,スウェーデンの小学生に「独裁制」を考えさせる単元だ。

日本では,最近,教師が発信することを制限されたということをちょいちょい訊く。また,学校の中での決めごとは,議論の上されないようになって来た。学校という職場がどんどん独裁制になっているのだろうか?

これを「教室」に置きかえると,上記「法律と規則」にぴったり当てはまるところもある。「いや,こうやっているけれど,独裁制ではない」と説明できるかどうか。

大学院の共通科目の私の担当の時間では,これについて考えてみようと思う。

スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか
スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのかヨーラン スバネリッド G¨oran Svanelid

新評論 2016-12-09
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scorpion1104scorpion11042018/04/20 05:10ご紹介ありがとうございます。
いろんな意味で考えさせられます。

2018-03-03働き方改革と「朝の読書」

[][]働き方改革と「朝の読書」 働き方改革と「朝の読書」 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 働き方改革と「朝の読書」 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 働き方改革と「朝の読書」 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

教員の「働き方改革」が今になってようやく重要視されてきた。スクラップ&ビルドで,効果がないもの,比較的効果の薄いもの,効果が実感されないものをやめちゃった方がいいということだ。

たくさんの学校でやっているSHR前の朝テストをやめて,朝の読書を導入するだけでも,学級担任や,教科担任の負担と負担感は軽減されると思う。

朝テストなんてすると,児童・生徒はその時間(5〜10分程度?)真剣に取り組む(静かにしている)が,その静寂な時間とひき替えに,教科担任は,テストの作成,印刷,配布,採点,集計,返却,点数の評価への組み込みなどがある。学級担任はテストの受け取り,配布,監督(不正をしているかどうかの監視),回収,採点者への引き渡しなどがある。朝テストをやるだけで,これだけの仕事が生まれてくる。

しかも,朝テストの効果はというと,それほどあるとも思えない。児童・生徒にとっては毎朝テストがあり,テストの数分前にテスト範囲をただ詰め込み,紙に書いて,そして忘れる。短い時間で暗記したものは,短い時間で忘れる。これがかなりの児童・生徒の実態である。つまり,朝テストをする効果は,教師の労力に比べてかなり薄いという実感がある。私の接した生徒もそのように言っていた人が多かった。

「本来朝テストはそういうものではなく,計画的に勉強して,定着させるもので,直前に覚えて,テストを受けて,忘れるのは,本人の自覚の問題だ。」

と,「真面目な」(頭の堅い?)教師は言っているが,実際この件で「自覚」をもてる児童・生徒はいかばかりだろうか?一定数の自覚がある子どものための教育活動のような気がする。意地悪な言い方をすれば,自覚のある子どもには,朝テストも必要無いのではないか。朝テストを毎日実施して,どれほど全体の「学力向上」が望めるのだろうか。学校教育でよくある教師側の「指導した気になる」,「指導したというアリバイづくり」になっている。

しかし,朝の読書を導入すると教師の負担感は減る。朝の読書は「ただ読むだけ」だからだ。

朝の読書の時間には,学級担任を初めとする教師も一緒に本を読む。もちろん,教師は朝の読書の時間に,「ただ読むだけ」ではなく,子どもの観察もする。その観察が生徒指導にかなり活かされてくる。朝の読書の時間の生徒・児童観察の時間が必ず確保されるだけで,児童・生徒理解は進む。本を通した「繋がり」も生まれる。繋がりが生まれれば,生徒との会話,対話も生まれてくる。そうなれば,児童・生徒のちょっとした変化にも気付けて,初期対応は早くなる。

問題が起きたとき,後手後手にまわる対応もなくなり,結果的に勤務時間は短くなる。精神的負担も軽減される。

朝の読書を導入すると,遅刻者が減るという実感を持っている先生も多い。どうして減るのかというと,児童・生徒は本を読みたいから,遅れずに来るのだ。遅刻して教室に入るとき,子どもたちはみんなが読書をしている雰囲気を壊さないよう,気まずそうに,済まなそうに入ってくる。これも遅刻が減る原因だろう。

ということは,遅刻指導の時間も減るということになる。

今後は「働き方改革」という視点で朝の読書の有効性を語るのもいいかもしれない。

2018-02-26くうねるあそぶ

[]くうねるあそぶ くうねるあそぶ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - くうねるあそぶ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 くうねるあそぶ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

思いつきのメモです。

学校で,主に次の3点の習得を学生さんたちに求めたいと思っている。

  1. 知識
  2. 能力
  3. 感覚

1.の「知識」は教師の知識伝達でできるかもしれない。

2.の「能力」は実技指導やアクティブ・ラーニングで習得できるかもしれない。

しかし,3.の「感覚」はどうやって伝達させることができるのか?「感覚」といっても,なかなか言語化できない。

例えば,いつ,どのように振る舞えば相手に失礼のないように接することができるのか。どうやってお願いすれば,相手に教えてもらう気にさせられるのか。問題が起こったときの核を察知し,見守るのか,即時対応するべきなのかという判断。教室内の子どもたちの信頼をどうすれば得られるのか。昨日とはまたはさっきの時間とは違った教室内の空気の変化を感じる力。

これらは「考えるな!感じろ!」(ベストキッド?)と言われるものであり,はっきり言えば「教えられないもの」だと思っている。「意味は自分で見つけろ!」(バケモノの子)というものだ。

「どうしてそうするのか,そうなるのかわからないんだけれど,そうしているもの」を「文化」という。「文化の伝承」は感覚的なものだ。私は畳の上をスリッパで歩くのにタブーを感じる。裸足ならいい。靴下でもOKだ。土足だったら,心がざわざわする嫌悪感を持つ。これが「文化」だ。誰に教わったものでもない。「肌感覚」だ。

先達や師匠から受け継ぐしかないものである。それはどうやって受け継ぐのか?

「くう・ねる・あそぶ」という糸井重里さんの作ったコピーがある。受け継ぐ方法はこれらを一緒にすること。つまり,「一緒に食べること」,「一緒に寝ること」,「一緒に遊ぶこと」だ。「寝食を共にする」ということだ。こうすることにより単なる情報伝達ではない何かが伝わっていく。師匠とそうしないでどうするの?

「くう・ねる・あそぶ」で,最も手軽にできるのはきっと「くう」だろう。昼飯の時間を一緒にする。時間にして約20分。ほぼ毎日その時間を一緒にするだけで,想像以上のことを伝承できるということをわかってほしい。そして,その伝承できたものは言語化するのが難しい。「意味は自分で見つけろ」だ。

2018-02-16高校国語教師と学習指導要領

[]高校国語教師と学習指導要領 高校国語教師と学習指導要領 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 高校国語教師と学習指導要領 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 高校国語教師と学習指導要領 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「高校教師は学習指導要領を読んだことがない」,とか,「自分が学習指導要領だと思っている」なんていうひどい言われ方をされるので,どうなのか?と思って自分を振り返ったが,学習指導要領を読んだ記憶がほとんどなかったような気もする。

でも,(読んだことがない。)「だから○○……。」と言われるのは心外である。じゃあ,そういう人は,学習指導要領の国語の部分を読んだことがあるのだろうか?

少なくとも国語の部分を読んで,「うん,この通りにやろう」と思う国語教師はいないと思う。というか,国語の部分には,何をどのようにやればいいのか書いていないのだ。もちろん,他の教科でも具体的には書いていないが,例えば新学習指導要領中学社会では,

ア 次のような知識を身に付けること。(ア) 緯度と経度,大陸と海洋の分布,主な国々の名称と位置などを基に,世界の地域構成を大観し理解すること。」

と「内容」の項目の初っぱなに書いてある。これを読めばどんな資料を使い,どのような授業をすればよいのか新人でも(社会素人の私でも)イメージは湧く。

中学校国語では,

(1)言葉の特徴や使い方に関する次の事項を身に付けることができるよう指導する。

ア 音声の働きや仕組みについて,理解を深めること。

さて,どのような資料を使い,どのような授業をしたらいいのか?新人じゃない教師だって,「音声の働きや仕組み」について理解を深めている人がどれほどいるだろうか?

つまり,学習指導要領の国語には,具体的な指導内容はほとんど書いていないのだ(漢字についてはかなり具体的には書かれてあるが。)。各教科の記載頁をカウントしてみたところ,

中学社会24頁

中学国語11頁

となっている。

先日,案がでた新学習指導要領高校

学校教育法施行規則の一部を改正する省令案及び高等学校学習指導要領案に対する意見公募手続(パブリックコメント)の実施について

では,

高校地理歴史46頁

高校国語23頁

国語は地理歴史だけの比較でも半分である。

国語は書いてあることが具体的じゃないから,読んでもしょうがないということを言いたいのではなく,かなり教師の裁量(力量?)に委ねられている教科だということが言いたいのだ。もちろん学習指導要領から外れたことばかりをして,学習指導要領に示されていることが頭に無い教師も現実にはいる。その人はきっと学習指導要領の存在を知らないか,学習指導要領に準拠した教科書を授業で使っていれば,学習指導要領に沿った教育をしていると勘違いしている人だ。

たちが悪いのが後者である。国語の教科書に載っている文章解釈(教師が解釈したもの)を生徒たちに伝えて,国語教育の目的を達成していると思っているのだ。

だから,やっぱり学習指導要領は読んだ方がいいという結論になってしまった。

2018-01-19親や保護者ができること

[]親や保護者ができること 親や保護者ができること - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 親や保護者ができること - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 親や保護者ができること - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

エクリチュールの文献調査中に,「発達の心理」(内田伸子著 サイエンス社 2017)に出会い,読んでいったら私の家庭の子育てで,反省しなきゃならんな〜という記述に出会ってしまった。これからでも間に合うか?

著者は幼児の言語発達と,親のしつけの相関関係を調べ,「共有型」しつけと「強制型」しつけでは,「共有型」しつけの方が語彙が多いと謂うことを述べたり,その後の進路,就職先も「共有型」,「強制型」の影響があるということを明らかにして,次のようにまとめている。

親や保護者には子どもと次のように関わっていただきたいものである。

 第1に,子どもに寄り添い子どもの安全基地になること。

 第2に,その子自身の進歩を認め,ほめること。

 第3に,生き字引のように余すところなく定義や説明を与えるようなことはしない。

 第4に,裁判官のように判決を下さない。禁止命令ではなく、「〜したら?」と提案の形で子供の意思を確認していただきたい。

 第5に,子ども自身が考え,判断する余地を残すこと。

(p.160)

反省します。

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2017-11-24主体的・対話的で深い学び

[]主体的・対話的で深い学び 主体的・対話的で深い学び - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 主体的・対話的で深い学び - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 主体的・対話的で深い学び - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「主体的(な学び)」,「対話的(な学び)」,「深い学び」について整理してきたが,整理してみれば見るほど全てが相互に関わっていることがわかる。

もちろんそれぞれピックアップして論ずることができるが,論じていくと他の学びに繋がってくる。

過去(自他),現在(自他)の学びから未来(未知)への学びを生み出すという共通点がある。


「未来(未知)への学び」についてまとめると,

「主体的(な学び)」では,「学びの意味を見つける(意味が変わる)」という学びに繋がる。*1

「対話的(な学び)」では,過去の情報との対話,現在の周囲の非意図との対話,そして未来に「どうしたいか」,「どうなりたいか」,「どうあるべきか」という対話となる。*2

「深い学び」では,「鳥瞰的視座」に立つことにより,今まで(過去)見えなかった関係性から,新たな学び(未来)が生まれてくる。*3

過去のことを現在学んで,そこで留まっていては,「主体的・対話的で深い学び」にはならないということだ。

ちかごろは,「授業デザインの掛け違え」の事例を集めている。先日授業で課題にしたところ,学生が以下のような事例を出してくれた。

私が見た理科の授業で、ゴムを使って台車を飛ばす実験をしていた。授業の初めに先生はゴムの長さや二重や一重、引きの長さなどでどのように飛ぶ距離が変わるかを比較しようという趣旨の話をして子供たちに自由に実験させる環境を作ったが、子供たちはどれだけ遠くへ台車を飛ばせるかに集中してしまい、しまいにはやる子供、使うゴム、引く長さまでもほとんど同じなのにも関わらず何回もおこなうようになってしまっていた。中にはゴムを変えたりしているグループもあったが、目標がずれたグループがあったので、授業デザインのかけ違えがあったと思った。

未来にどのような学びがあるのかの期待感を持たせなければ,「活動ありて学び無し」の内容となってしまう。「目標の提示,共有化」の重要性がここにある。

「この授業が終わったら,どんな新たな世界を見ることができるのか?」というわくわくする授業を追求しなければ。

2017-09-27対話的な学びとは その2

[]対話的な学びとは その2 対話的な学びとは その2 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 対話的な学びとは その2 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 対話的な学びとは その2 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

思いの外「対話的学び」について書くことがたくさんになってしまったので,その1の続き。

誰と対話するの?ということを考えてみる。人間は大きく分けると

  1. 過去
  2. 現在
  3. 未来

と対話できる。

1.過去

人間は過去と対話できる。過去とは会話できないが,対話はできる。過去との対話は文献を初めとする記録され,保存された情報となる。学習指導要領解説でも

子供同士の協働,教職員や地域の人との対話,先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ,自己の考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているかという視点。*1

とある。「先哲の考え方」を児童生徒が簡単に閲覧できるのは本かネットの情報だろう。保存されたものは全て「過去」のものである。これらの情報をもとに,既存の知識を再構成し,新たなものを生み出すというのは,今までやって来たこと。「先哲の考え方」を単に覚えるのでは,「対話」とは言えないのは言わずもがなである。

2.現在

会話できる相手と現在対話できる。メディアを使って言語をやりとりできる相手と現在対話できる。

自分自身と現在対話できる。

3.未来

未来の何かと対話できるのだろうか?と考えてみた。「目の前のこの人が将来立派な人になるため,自分には何ができるのだろう?」という問いの設定をしてみると,「目の前のこの人」と今対話しても,その答えは出ない。目の前の人が数年後どうなっているのか?という想像をもとにその姿と対話した方がいい答えが出る。

これは自分との対話ではない。未来の他者との対話だ。未来の他者は反応してくれない,それは想像で賄う必要があるのだが,自分と対話しても答えは出ない。

ここでいう「未来の他者」は「未来の自分」や「未来の日本」などに置きかえることもできる。決して絶対解は出てこないのだが,対話してより良い答えを出した方がいいに決まっている。

最適解を出すためには未来との対話ができるようになる必要がある。

まだ書きたいことがあるので,たぶん,続く。

*1:中学校学習指導要領解説P.77

2017-09-09対話的な学びとは その1

[]対話的な学びとは その1 対話的な学びとは その1 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 対話的な学びとは その1 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 対話的な学びとは その1 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「対話」という言葉の意味をちょっと考えてみる。「会話」でも「議論」でも「話し合い」でもない。「隣の人と会話しなさい」,「隣の人と議論しなさい」,「隣の人と話し合いをしなさい」という表現はしっくりくるが,「隣の人と対話しなさい」となるとなんか変な感じがする。

「対話」の辞書的な意味は「双方向かい合って話をすること。また,その話。比喩的にも用いる。」*1

なんだけれど,「会話」とどこが違うの?ちなみに「会話」の辞書的な意味は「2人または数人が,互いに話したり聞いたりして,共通の話を進めること。また,その話。」*2

違いは「比喩的にも用いる。」の有無。きっと「対話的な学び」の「対話」は原義はもちろん比喩的な意味も含まれているのだろう。

話を元に戻して,「隣の人と対話しなさい」というがなんか変な感じに思うのは,私が「対話」に含まれる,辞書に表されていない意味をなんとなく込めているからだ。

そこで「対話」はどんな意味で使われているのかを調べてみると,いいサイトが見つかった。

ワールドカフェネットにいろいろな引用が掲載されていた。その中で,自分が含めている意味を言い得ている表現はこちら。

人は「対話」の中で、物事の意味付け、自分たちの生きている世界を理解可能なものとしています。人が物事を意味づけるときに、一人でそれに向かっているのではありません。相互理解を深めていくには、単に「客観的事実(知識・情報・データ等)そのもの」を知っているだけでなく、「客観的事実に対する意味」を創造・共有していくことが重要となるのです。

出典: 『ダイアローグ 対話する組織』 中原淳、長岡健 (共著)

「対話」は意味づけをしているというのだ。「会話」,「おしゃべり」は,単に「言い合う」だけでいいが,「対話」は意味づけをするためにおこなっているのだ。

目の前で起こった問題に対して,どのように解釈するか,どのような解決策を講じるかというときに「対話」という語が使われる。「各国の対話」,「首脳陣の対話が必要」は,「会話」で置き換えられない。会話すればいいって問題じゃないから。「学び」でも同じことが言えるのだろう。「会話してりゃ深い学びになるってわけじゃないよ」ということ。

先に「対話しなさい」に違和感を持つというのは,対話かどうかは本人の問題で,人に指示されることじゃないというところに原因があるようだ。意味を見つけようとしているかどうかは本人しか知らないし,本人が意味を見つけようとしなければ,対話にはならない。

学習指導要領で「協働的な学び」という語が消え「対話的な学び」になったということを田村学(文部科学視学官)は

一方「対話」は、「協働」に比べて、やりとりがあり、言語が介在し、また考えて自分で認識するというイメージがあります。(「教職研修」 2016.9 インタビュー「対話的な学び」とはなにか?

と述べている。「自分で認識する」というように,「自分に帰ってくる」ことが無ければ「対話」と言えないことがわかる。

つまり,「対話」するかどうかは本人次第であり,「対話しなさい」と言われたって,意味を見つけようとしない人には「対話」はできないことになる。こう考えてくると「対話的な学び」は「主体的な学び」に通じていることになる。

「対話的な学び」が最も簡単に書けるかな?と思ったんだけど,思いの外,奥が深かった。次回「何との対話?」にたぶん,続く。

*1:デジタル大辞林

*2:同上

2017-09-06「深い学び」について

[]「深い学び」について 「深い学び」について - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「深い学び」について - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 「深い学び」について - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

新学習指導要領で柱になっている授業実践の視点「主体的・対話的で深い学び」で,「深い学び」が最もつかみ所が無いものだと思う。「豊かな学び」とか,「深い学び」というものは,漠然と当たり前のように使われて,具体的にどのような状態が「深い学び」になっているのかを言語化しないままでいた。

「中学校学習指導要領解説 総則編(2017.7)」から読み取れる「深い学び」について考えて,「深い学び」とはこうなんじゃないかな?というものを探っていく。今回は引用が多い。

解説では「これが『深い学び』だ!」と明確に定義はしていないが,「深い学び」だけに言及している部分はある。


「第1章 総説 1 改訂の経緯及び基本方針 (2) 改訂の基本方針 ③ 「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善の推進」

オ.深い学びの鍵として「見方・考え方」を働かせることが重要になること。各教科等の「見方・考え方」は,「どのような視点で物事を捉え,どのような考え方で思考していくのか」というその教科等ならではの物事を捉える視点や考え方である。各教科等を学ぶ本質的な意義の中核をなすものであり,教科等の学習と社会をつなぐものであることから,児童生徒が学習や人生において「見方・考え方」を自在に働かせることができるようにすることにこそ,教師の専門性が発揮されることが求められること。(P.4)

  • 教科ならではの「見方・考え方」を働かせると「深い学び」に繋がっていく。
  • 教科等の学習と社会が繋がることにより「深い学び」が起こってくる。

「第3節 教育課程の実施と学習評価 1 主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」

主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善の具体的な内容については,中央教育審議会答申において,以下の三つの視点に立った授業改善を行うことが示されている。〔中略〕

③習得・活用・探究という学びの過程の中で,各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら,知識を相互に関連付けてより深く理解したり,情報を精査して考えを形成したり,問題を見いだして解決策を考えたり,思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているかという視点。(P.76)

  • 各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら,知識を相互に関連付けてより深く理解する。
  • 情報を精査して考えを形成する。
  • 問題を見いだして解決策を考える。
  • 思いや考えを基に創造したりすることに向かう。

というものが「深い学び」の実現されている姿であると書いてある。

1つ目は「深く理解」とあるので,「深い学び」の説明とは言えないが,様々な情報や既習事項を関連させて新たな考えを持ったり,問題を発見して解決策を得るということだと言っている。


主体的・対話的で深い学びの実現を目指して授業改善を進めるに当たり,特に「深い学び」の視点に関して,各教科等の学びの深まりの鍵となるのが「見方・考え方」である。各教科等の特質に応じた物事を捉える視点や考え方である「見方・考え方」は,新しい知識及び技能を既にもっている知識及び技能と結び付けながら社会の中で生きて働くものとして習得したり,思考力,判断力,表現力等を豊かなものとしたり,社会や世界にどのように関わるかの視座を形成したりするために重要なものであり,習得・活用・探究という学びの過程の中で働かせることを通じて,より質の高い深い学びにつなげることが重要である。

なお,各教科等の解説において示している各教科等の特質に応じた「見方・考え方」は,当該教科等における主要なものであり,「深い学び」の観点からは,それらの「見方・考え方」を踏まえながら,学習内容等に応じて柔軟に考えることが重要である。(PP.77-78)

  • 各教科等の特質に応じた物事を捉える視点や考え方によって「深い学び」が起こり,学びが「社会の中で生きて働く」ものとなり,「社会や世界にどのように関わるかの視座を形成」することになる。

以上のことをまとめるとこのようになるだろうか?

  1. 教科特有の「見方・考え方」を得る
  2. 既習事項と今の学びを結びつけ,新たな考えを得る
  3. 新たな課題を見いだし,解決策を得たり,新たなものを想像する
  4. 学んで得たものがどのように社会に関わっていて,どのように社会で働かせられるのか,どのように影響するのかを得る

最後の方は私の発展的解釈も入っているが,「深い学び」が起こり,現実に社会に働かせることが出来ればいい授業になるなぁと思う。

内田樹さんはこんなことを言っている。

「学び」というのは自分には理解できない「高み」にいる人に呼び寄せられて,その人がしている「ゲーム」に巻き込まれるというかたちで進行します。この「巻き込まれ」が成就するためには,自分の手持ちの価値判断の「ものさし」ではその価値を考量できないものがあるということをみとめなければいけません。自分の「ものさし」を後生大事に抱え込んでいる限り,自分の限界を超えることはできない。知識は増えるかもしれないし,技術も身につくかもしれない,資格も取れるかもしれない。けれども,自分のいじましい「枠組み」の中にそういうものをいくら詰め込んでも,鳥瞰的視座に「テイクオフ」(take-off,離陸)することはできません。それは「領地」を水平方向に拡大しているだけです。(「街場の教育論」ミシマ社,2008,P.59)

自分がおこなっている学びは広い視座を持つことによりどのような価値があるのかわかる。自分は何をわかって何がわからないのかわかる。これらが「深い学び」に通じていると思う。内田樹さんは「テイクオフ」と言って,高い視点を持つと言っている。文科省は「深い」と対称的だが,同じことだ。

簡単に言えば,学んだことの意味がわかると言うことだろう。

意味は自分で見つけろ。(熊徹,「バケモノの子」,2015)

2017-09-04主体的な学びとは

[]主体的な学びとは 主体的な学びとは - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 主体的な学びとは - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 主体的な学びとは - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「主体的・対話的で深い学び」の「主体的な学び」*1とは?と聞いてみると,「自ら進んで学習に取り組む。」と答えるのが一般的だ。

私は学習において,3つの場面での「主体的学び」があると考えている。

  • 学習過程
  • 目標設定
  • 学習結果

の3点である。

「学習過程における主体的な学び」とは,一般的に考えられる「自ら進んで課題に取り組んでいる」ということだ。授業中嫌々取り組むのではなく,その学習の必要性を感じ,強制されるのではなく,取り組んでいる姿が「主体的な学び」だ。教師側から見ると,これほどすばらしい学習の姿はない。とても理想的だ。教室内のみんながそうなってほしい。と願う。「主体的に学べ!」と言いたくなる。でも,言った時点で「主体的な学び」ではなくなる。

多くの教師が第1に上げるこの「主体性」は,実はこれだけでは成立しないものである。このような学習者の姿になるためには,次の「目標設定の主体性」が必要になってくる。

「目標設定の主体性」とは,課題が与えられ,学習者は学習方法や自らの目標を決められることができるということだ。課題に到達するために,まずは何をクリアすべきなのか(目標設定),どのような方法を使ったら,自分はその課題を解決することが出来るのかを考え,決めることができるということだ。

教師がやり方を決めたり,細かい目標設定をして,必ずそこをクリアすることを求めると,途端に学習者はやる気が無くなる。やる気以前に,やり方を決定したら,学習過程の主体性自体も自然と消滅するのは必然だろう。

教師が課題を設定し,学習者がやり方を選び,各自最適な方法で課題に向かうということで,学習過程,目標設定の主体性が生まれてくる。

そして最後の「学習結果の主体性」だが,課題がクリアしたときに,それまでの学習の意味を自ら見つけられるということだ。学習者が同じ課題をクリアしたとしても,学習者は個々にその課題の意味の受け取り方が違っていいものだ。

ある学習者は言語活動の重要性を知り,言語の意味を見つけ,ある学習者は仲間と繋がることの重要性を知り,ある学習者は自然現象を理解する上で,自分の書けている部分を知る……ということは,1時間の授業のうちに起こりうることである。いや,起こって欲しいことであり,教師はそこを目指さなければならないと思う。

1時間の授業で,全員が同じ受け取り方を教師が求めてしまうと,その次の学びに繋がらない。「その次の学び」こそが「深い学び」に繋がるものである*2

つまり,「意味は自分で見つける」ということだ。意味を自分で見つけられる指導,授業を仕組んでいくことで,「主体的・対話的で深い学び」を実現することが出来る。

*1:「主体的」,「対話的」,「深い」を別々に考えるべきではない。という人がいたが,そんなことはない。新学習指導要領解説でも「深い学び」と取り上げて言及している。それぞれ「主体的学び」,「対話的学び」,「深い学び」と個別に表現して考えていいものである。

*2:「深い学び」については,また別の記事で。