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上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を務めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,2019/11/2〜4に長野県でおこないます。
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2018-09-25「主体的」と「対話的」について

[]「主体的」と「対話的」について 「主体的」と「対話的」について - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「主体的」と「対話的」について - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 「主体的」と「対話的」について - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

f:id:F-Katagiri:20180925104532j:image

こんな文章を読んだ。

到来した者の言葉は、私の理解や共感を超えているにもかかわらず、その理解できない言葉を,私はそれでもなお一個の「主体」として引き受け、聴き取らなければならないからである。この背理的な責任の引き受けを通して、初めて「主体」は成立する。

「主体」というのは、理解を絶した異語「おのれの責任において」聴き取り、その意味を「おのれの責任において」解釈する者のことである。そのような仕方で「責任を取り得る」者だけが「主体」として立ちうるのである。

(内田樹:『ためらいの倫理学』,角川文庫,2003,「越境と巡歴」,p.294)

内容的には「神の言葉」や,「布教」などについて触れている部分なのだが,「主体」と「対話」の関係が述べられている。「主体性」がなければ「対話」にはなりえないということだ。

簡単にいえば,

何でも言いなりになり,人に言われたことを鵜呑みにする主体性が無い人や,「おのれの責任において」聞く耳を持たなくなった人は対話はできない。

ということだ。

「対話」というのは,相手がいかに自分の理解や共感を超えていようとも,相手の存在を認め,尊敬する気持ちがなければ成り立たない。それがなければ「言い合い」,「口げんか」となる。「主体的・対話的で深い学び」には,実は「対話的」に大きな意味が含まれていたのか。

そうすることで「その意味を「おのれの責任において」解釈する」ことができる。まさに,

意味を自分で見つける

という「深い学び」が起こるということだ。

2018-09-12なぜ「みんなが」勉強をしなければならないのか

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f:id:F-Katagiri:20180912190951p:image

ねぇ,オカムラ,なんでみんなが勉強しなければならないの?

とチコちゃんに聞かれたら,なんて答えるだろうか?これは語り尽くされたような論題だが,ふと気づいたのでメモ程度に書き記しておく。

「学校の勉強は,将来役に立たないのに,どうして勉強しなければならないの?」に対して,いろんな人が書いたものをネットで漁っていると,

  • 将来よい職に就くため
  • 論理的思考を付けるため
  • いろんな見方ができるため
  • 将来直面する問題を解決するため

などなど,いろいろ書いてある。それぞれ間違っていないことだし,きっと子どもたちにも受け入れてもらえるものだと思う。

しかし,自分は家を継ぐんだとか,自分は体を使う仕事をするから,論理的思考なんていらないとか,個人個人によって将来「役に立つ」ものは違ってくる。「難しいことは他の人に任せておけばよい。」と言われたらそれきりだ。

また,人それぞれ直面する問題も違ってくるから,勉強内容も個人個人によって違ってこないと,将来降りかかってくる問題に対応できない。「いつかどんな問題が降りかかってくるかもしれないから,まんべんなく全て勉強しておこう。」と言ったら,「いつか役に立つかもしれないから,勉強しておくひつようがあるんだよ。」という漫然とした答えになる。

私は「「みんなが」勉強*1しなければならない」という理由を考えてみた。それは,

民主国家を維持するため。

だ。もっと詳しくいえば,「権力者を監視するため」だ。日本はこの感覚がとても薄い国だと思う。権力者がやりたい放題でも,暴動は起こらず,国家は転覆せず,政権が維持される。別に暴動を起こして,国家を転覆しようといっているのではない。とりあえず多くの人たちが食えるからといって,いろんなことをスルーしてちゃだめなんじゃないの?と思う。

全ての国民がおかしいところを「おかしい!」と気づき,「おかしい!」と発言するという,当たり前のことができるようになるために,「「みんなが」勉強しなければならない。」のだ。

本来は権力の監視役はマスコミがその役を担っているのだが,新聞に金を払わず,どうでもいいネットニュースが蔓延し,フェイクニュースに飛びつくようになると,権力の監視役をするマスコミにお金が渡らなくなり,弱体化していく。権力者はそれを狙っているのではないか?とも思える。

それ以前に,アメリカや日本のある政治家は平気で「○○新聞や,○○テレビはフェイクニュースを流すから,記者会見には出入り禁止。」なんて言う。とんでもないことだ。権力のジャーナリズムへの挑戦だ。しかし,出入り禁止になると商売あがったりだから,政治家の機嫌を損ねるようなツッコミはだんだんしなくなる。泥沼だ。

それ以前に,マスコミの報道を読む力,見る力,聞く力がなければ,マスコミにお金がいかなくなる。文字を読む力,話を聞く力,数字を分析する力,社会の構造を読み解く力,自然現象を捉える力などを総動員して,権力を監視しなければならない。

それを「みんなが」やっていかないといけない。権力者はその力を弱体化して「いいなり」にしようとする。「思考停止」させて民衆を扇動するのは,権力者が民衆を戦争に引きこむ常套手段だ。

日本の場合は,2009年,投票率が小選挙区制度後最も高くなったときには政権が交代した。政治に関心が高くなると政権交代が起こる。政権交代させたくない場合はみんなを投票所に行かせないという方法が効果的だ。ということは,政治への無関心を維持させることが最もよい方法となる。



「スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む*2

には,次のようにスウェーデンの教科書の記述が紹介されている。

メディアが,あなたやあなたの価値観,そしてあなたの意見に影響を与えるのと同じように,あなたも自分のためにメディアを利用することができます。

《中略》

以下に,あなたが世論を形成し,それによって決定に影響を与えるためのコツを示しておきます。

・あなたの友人や親類から,署名による支援を集めましょう。

・地方の新聞に投書しましょう。

・フェイスブックでグループをつくりましょう。

・人々を集めてデモをおこないましょう。

・責任者の政治家に,直接連絡を取りましょう。

pp.42-43

日本の小学校の教科書で,こんなことが書かれてあるものはないだろう。日本の場合,「民主主義」はすでにあり,いつもあるもので,勝ち取るものではないと,みんなが思っているし,民主主義が完全に失われてしまうと,取り返しが付かないことになるということを,肌で感じている人は少ないように思われる。

そしてこれは「みんなが」やらなければ意味がない。みんなが権力を監視し,反対する場合は「ノー!」と言えるようにしないと,「ノー!」と言わない人が権力に操られてしまう可能性がある。

「ノー!」と思ったら,それを訴えなければならない。同書籍には,こんなことも書かれてある。

影響を与えたいことについて,あなたが知識を持っていることを世に示すことで常によい効果が期待できます。そのことを,頭に入れておきましょう。

とはいえ,学校の職員や両親,近所の人々,コーチ,そして最終的に政治家を味方につけるためには,誤字などの誤りがなく,正しく書くことが重要となります。あなたが,しっかりと準備が整っており,ちゃんとした文章が書け,そして自分の意見を冷静にしっかりと伝えることができるということを示しましょう。

p.144

国語」の目的をこうもシンプルに書いてある教科書(や参考書,解説書)が日本にあるだろうか?

「全員」で権力や社会の監視役をしなければ,世の中はよくならないのだ。これが私の考える「「みんなが」勉強をしなければならない」理由だ。

*1:「勉強」のここでの定義は,義務教育の勉強とする。

*2:ヨーラン・スバネリッド 鈴木賢志 他翻訳 新評論 2016

2018-04-18独裁制と日本の教育

[]独裁制と日本の教育 独裁制と日本の教育 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 独裁制と日本の教育 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 独裁制と日本の教育 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

日本の教育は独裁制か?と訊かれれば,ほとんどの人はそうじゃないと答えると思う。私もそうじゃないといいたいところだ。

「スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか」新評論

で,こんな内容が紹介されていた。(一部片桐改編)

以下の法律や規則は「モナーカディエン」という仮想独裁国家のものです。あなたが手を付けるべ規則,または法律を選んで,次のことをはっきりさせてください。

 (1)あなたのチームが選んだ法律,規則をどのように変えるのか。(具体的記述)

 (2)どうしてそれを選んだのか,その理由。

 (3)そのように変えると,人々の生活や社会がどのように変わることになるのか。

[モナーカディエンの法律と規則]

A.選挙は10年おきに実施する。

B.投票できる政党は1つしかない。

C.国は,独裁政党の党首でもある国王によって統治されている。

D.国内には監視カメラがたくさんある。

E.国内では,他人の電話を盗聴したり,他人のメールやSMSを読むことが認められている。

F.国王や独裁政党を批判した者は,重罰を受ける。

G.独裁政党の党員のみが外国を旅行する特権が得られる。

H.選挙において党員は10票,その他の者は1票の投票権がある。

I.独裁政党は,インターネット上で何が書かれているかを監視している。

J.あらゆるデモは禁止されている。

これは,スウェーデンの小学生に「独裁制」を考えさせる単元だ。

日本では,最近,教師が発信することを制限されたということをちょいちょい訊く。また,学校の中での決めごとは,議論の上されないようになって来た。学校という職場がどんどん独裁制になっているのだろうか?

これを「教室」に置きかえると,上記「法律と規則」にぴったり当てはまるところもある。「いや,こうやっているけれど,独裁制ではない」と説明できるかどうか。

大学院の共通科目の私の担当の時間では,これについて考えてみようと思う。

スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか
スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのかヨーラン スバネリッド G¨oran Svanelid

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scorpion1104scorpion11042018/04/20 05:10ご紹介ありがとうございます。
いろんな意味で考えさせられます。

2018-03-03働き方改革と「朝の読書」

[][]働き方改革と「朝の読書」 働き方改革と「朝の読書」 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 働き方改革と「朝の読書」 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 働き方改革と「朝の読書」 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

教員の「働き方改革」が今になってようやく重要視されてきた。スクラップ&ビルドで,効果がないもの,比較的効果の薄いもの,効果が実感されないものをやめちゃった方がいいということだ。

たくさんの学校でやっているSHR前の朝テストをやめて,朝の読書を導入するだけでも,学級担任や,教科担任の負担と負担感は軽減されると思う。

朝テストなんてすると,児童・生徒はその時間(5〜10分程度?)真剣に取り組む(静かにしている)が,その静寂な時間とひき替えに,教科担任は,テストの作成,印刷,配布,採点,集計,返却,点数の評価への組み込みなどがある。学級担任はテストの受け取り,配布,監督(不正をしているかどうかの監視),回収,採点者への引き渡しなどがある。朝テストをやるだけで,これだけの仕事が生まれてくる。

しかも,朝テストの効果はというと,それほどあるとも思えない。児童・生徒にとっては毎朝テストがあり,テストの数分前にテスト範囲をただ詰め込み,紙に書いて,そして忘れる。短い時間で暗記したものは,短い時間で忘れる。これがかなりの児童・生徒の実態である。つまり,朝テストをする効果は,教師の労力に比べてかなり薄いという実感がある。私の接した生徒もそのように言っていた人が多かった。

「本来朝テストはそういうものではなく,計画的に勉強して,定着させるもので,直前に覚えて,テストを受けて,忘れるのは,本人の自覚の問題だ。」

と,「真面目な」(頭の堅い?)教師は言っているが,実際この件で「自覚」をもてる児童・生徒はいかばかりだろうか?一定数の自覚がある子どものための教育活動のような気がする。意地悪な言い方をすれば,自覚のある子どもには,朝テストも必要無いのではないか。朝テストを毎日実施して,どれほど全体の「学力向上」が望めるのだろうか。学校教育でよくある教師側の「指導した気になる」,「指導したというアリバイづくり」になっている。

しかし,朝の読書を導入すると教師の負担感は減る。朝の読書は「ただ読むだけ」だからだ。

朝の読書の時間には,学級担任を初めとする教師も一緒に本を読む。もちろん,教師は朝の読書の時間に,「ただ読むだけ」ではなく,子どもの観察もする。その観察が生徒指導にかなり活かされてくる。朝の読書の時間の生徒・児童観察の時間が必ず確保されるだけで,児童・生徒理解は進む。本を通した「繋がり」も生まれる。繋がりが生まれれば,生徒との会話,対話も生まれてくる。そうなれば,児童・生徒のちょっとした変化にも気付けて,初期対応は早くなる。

問題が起きたとき,後手後手にまわる対応もなくなり,結果的に勤務時間は短くなる。精神的負担も軽減される。

朝の読書を導入すると,遅刻者が減るという実感を持っている先生も多い。どうして減るのかというと,児童・生徒は本を読みたいから,遅れずに来るのだ。遅刻して教室に入るとき,子どもたちはみんなが読書をしている雰囲気を壊さないよう,気まずそうに,済まなそうに入ってくる。これも遅刻が減る原因だろう。

ということは,遅刻指導の時間も減るということになる。

今後は「働き方改革」という視点で朝の読書の有効性を語るのもいいかもしれない。

2018-02-26くうねるあそぶ

[]くうねるあそぶ くうねるあそぶ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - くうねるあそぶ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 くうねるあそぶ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

思いつきのメモです。

学校で,主に次の3点の習得を学生さんたちに求めたいと思っている。

  1. 知識
  2. 能力
  3. 感覚

1.の「知識」は教師の知識伝達でできるかもしれない。

2.の「能力」は実技指導やアクティブ・ラーニングで習得できるかもしれない。

しかし,3.の「感覚」はどうやって伝達させることができるのか?「感覚」といっても,なかなか言語化できない。

例えば,いつ,どのように振る舞えば相手に失礼のないように接することができるのか。どうやってお願いすれば,相手に教えてもらう気にさせられるのか。問題が起こったときの核を察知し,見守るのか,即時対応するべきなのかという判断。教室内の子どもたちの信頼をどうすれば得られるのか。昨日とはまたはさっきの時間とは違った教室内の空気の変化を感じる力。

これらは「考えるな!感じろ!」(ベストキッド?)と言われるものであり,はっきり言えば「教えられないもの」だと思っている。「意味は自分で見つけろ!」(バケモノの子)というものだ。

「どうしてそうするのか,そうなるのかわからないんだけれど,そうしているもの」を「文化」という。「文化の伝承」は感覚的なものだ。私は畳の上をスリッパで歩くのにタブーを感じる。裸足ならいい。靴下でもOKだ。土足だったら,心がざわざわする嫌悪感を持つ。これが「文化」だ。誰に教わったものでもない。「肌感覚」だ。

先達や師匠から受け継ぐしかないものである。それはどうやって受け継ぐのか?

「くう・ねる・あそぶ」という糸井重里さんの作ったコピーがある。受け継ぐ方法はこれらを一緒にすること。つまり,「一緒に食べること」,「一緒に寝ること」,「一緒に遊ぶこと」だ。「寝食を共にする」ということだ。こうすることにより単なる情報伝達ではない何かが伝わっていく。師匠とそうしないでどうするの?

「くう・ねる・あそぶ」で,最も手軽にできるのはきっと「くう」だろう。昼飯の時間を一緒にする。時間にして約20分。ほぼ毎日その時間を一緒にするだけで,想像以上のことを伝承できるということをわかってほしい。そして,その伝承できたものは言語化するのが難しい。「意味は自分で見つけろ」だ。

2018-02-16高校国語教師と学習指導要領

[]高校国語教師と学習指導要領 高校国語教師と学習指導要領 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 高校国語教師と学習指導要領 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 高校国語教師と学習指導要領 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「高校教師は学習指導要領を読んだことがない」,とか,「自分が学習指導要領だと思っている」なんていうひどい言われ方をされるので,どうなのか?と思って自分を振り返ったが,学習指導要領を読んだ記憶がほとんどなかったような気もする。

でも,(読んだことがない。)「だから○○……。」と言われるのは心外である。じゃあ,そういう人は,学習指導要領の国語の部分を読んだことがあるのだろうか?

少なくとも国語の部分を読んで,「うん,この通りにやろう」と思う国語教師はいないと思う。というか,国語の部分には,何をどのようにやればいいのか書いていないのだ。もちろん,他の教科でも具体的には書いていないが,例えば新学習指導要領中学社会では,

ア 次のような知識を身に付けること。(ア) 緯度と経度,大陸と海洋の分布,主な国々の名称と位置などを基に,世界の地域構成を大観し理解すること。」

と「内容」の項目の初っぱなに書いてある。これを読めばどんな資料を使い,どのような授業をすればよいのか新人でも(社会素人の私でも)イメージは湧く。

中学校国語では,

(1)言葉の特徴や使い方に関する次の事項を身に付けることができるよう指導する。

ア 音声の働きや仕組みについて,理解を深めること。

さて,どのような資料を使い,どのような授業をしたらいいのか?新人じゃない教師だって,「音声の働きや仕組み」について理解を深めている人がどれほどいるだろうか?

つまり,学習指導要領の国語には,具体的な指導内容はほとんど書いていないのだ(漢字についてはかなり具体的には書かれてあるが。)。各教科の記載頁をカウントしてみたところ,

中学社会24頁

中学国語11頁

となっている。

先日,案がでた新学習指導要領高校

学校教育法施行規則の一部を改正する省令案及び高等学校学習指導要領案に対する意見公募手続(パブリックコメント)の実施について

では,

高校地理歴史46頁

高校国語23頁

国語は地理歴史だけの比較でも半分である。

国語は書いてあることが具体的じゃないから,読んでもしょうがないということを言いたいのではなく,かなり教師の裁量(力量?)に委ねられている教科だということが言いたいのだ。もちろん学習指導要領から外れたことばかりをして,学習指導要領に示されていることが頭に無い教師も現実にはいる。その人はきっと学習指導要領の存在を知らないか,学習指導要領に準拠した教科書を授業で使っていれば,学習指導要領に沿った教育をしていると勘違いしている人だ。

たちが悪いのが後者である。国語の教科書に載っている文章解釈(教師が解釈したもの)を生徒たちに伝えて,国語教育の目的を達成していると思っているのだ。

だから,やっぱり学習指導要領は読んだ方がいいという結論になってしまった。

2018-01-19親や保護者ができること

[]親や保護者ができること 親や保護者ができること - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 親や保護者ができること - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 親や保護者ができること - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

エクリチュールの文献調査中に,「発達の心理」(内田伸子著 サイエンス社 2017)に出会い,読んでいったら私の家庭の子育てで,反省しなきゃならんな〜という記述に出会ってしまった。これからでも間に合うか?

著者は幼児の言語発達と,親のしつけの相関関係を調べ,「共有型」しつけと「強制型」しつけでは,「共有型」しつけの方が語彙が多いと謂うことを述べたり,その後の進路,就職先も「共有型」,「強制型」の影響があるということを明らかにして,次のようにまとめている。

親や保護者には子どもと次のように関わっていただきたいものである。

 第1に,子どもに寄り添い子どもの安全基地になること。

 第2に,その子自身の進歩を認め,ほめること。

 第3に,生き字引のように余すところなく定義や説明を与えるようなことはしない。

 第4に,裁判官のように判決を下さない。禁止命令ではなく、「〜したら?」と提案の形で子供の意思を確認していただきたい。

 第5に,子ども自身が考え,判断する余地を残すこと。

(p.160)

反省します。

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2017-11-24主体的・対話的で深い学び

[]主体的・対話的で深い学び 主体的・対話的で深い学び - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 主体的・対話的で深い学び - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 主体的・対話的で深い学び - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「主体的(な学び)」,「対話的(な学び)」,「深い学び」について整理してきたが,整理してみれば見るほど全てが相互に関わっていることがわかる。

もちろんそれぞれピックアップして論ずることができるが,論じていくと他の学びに繋がってくる。

過去(自他),現在(自他)の学びから未来(未知)への学びを生み出すという共通点がある。


「未来(未知)への学び」についてまとめると,

「主体的(な学び)」では,「学びの意味を見つける(意味が変わる)」という学びに繋がる。*1

「対話的(な学び)」では,過去の情報との対話,現在の周囲の非意図との対話,そして未来に「どうしたいか」,「どうなりたいか」,「どうあるべきか」という対話となる。*2

「深い学び」では,「鳥瞰的視座」に立つことにより,今まで(過去)見えなかった関係性から,新たな学び(未来)が生まれてくる。*3

過去のことを現在学んで,そこで留まっていては,「主体的・対話的で深い学び」にはならないということだ。

ちかごろは,「授業デザインの掛け違え」の事例を集めている。先日授業で課題にしたところ,学生が以下のような事例を出してくれた。

私が見た理科の授業で、ゴムを使って台車を飛ばす実験をしていた。授業の初めに先生はゴムの長さや二重や一重、引きの長さなどでどのように飛ぶ距離が変わるかを比較しようという趣旨の話をして子供たちに自由に実験させる環境を作ったが、子供たちはどれだけ遠くへ台車を飛ばせるかに集中してしまい、しまいにはやる子供、使うゴム、引く長さまでもほとんど同じなのにも関わらず何回もおこなうようになってしまっていた。中にはゴムを変えたりしているグループもあったが、目標がずれたグループがあったので、授業デザインのかけ違えがあったと思った。

未来にどのような学びがあるのかの期待感を持たせなければ,「活動ありて学び無し」の内容となってしまう。「目標の提示,共有化」の重要性がここにある。

「この授業が終わったら,どんな新たな世界を見ることができるのか?」というわくわくする授業を追求しなければ。

2017-09-27対話的な学びとは その2

[]対話的な学びとは その2 対話的な学びとは その2 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 対話的な学びとは その2 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 対話的な学びとは その2 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

思いの外「対話的学び」について書くことがたくさんになってしまったので,その1の続き。

誰と対話するの?ということを考えてみる。人間は大きく分けると

  1. 過去
  2. 現在
  3. 未来

と対話できる。

1.過去

人間は過去と対話できる。過去とは会話できないが,対話はできる。過去との対話は文献を初めとする記録され,保存された情報となる。学習指導要領解説でも

子供同士の協働,教職員や地域の人との対話,先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ,自己の考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているかという視点。*1

とある。「先哲の考え方」を児童生徒が簡単に閲覧できるのは本かネットの情報だろう。保存されたものは全て「過去」のものである。これらの情報をもとに,既存の知識を再構成し,新たなものを生み出すというのは,今までやって来たこと。「先哲の考え方」を単に覚えるのでは,「対話」とは言えないのは言わずもがなである。

2.現在

会話できる相手と現在対話できる。メディアを使って言語をやりとりできる相手と現在対話できる。

自分自身と現在対話できる。

3.未来

未来の何かと対話できるのだろうか?と考えてみた。「目の前のこの人が将来立派な人になるため,自分には何ができるのだろう?」という問いの設定をしてみると,「目の前のこの人」と今対話しても,その答えは出ない。目の前の人が数年後どうなっているのか?という想像をもとにその姿と対話した方がいい答えが出る。

これは自分との対話ではない。未来の他者との対話だ。未来の他者は反応してくれない,それは想像で賄う必要があるのだが,自分と対話しても答えは出ない。

ここでいう「未来の他者」は「未来の自分」や「未来の日本」などに置きかえることもできる。決して絶対解は出てこないのだが,対話してより良い答えを出した方がいいに決まっている。

最適解を出すためには未来との対話ができるようになる必要がある。

まだ書きたいことがあるので,たぶん,続く。

*1:中学校学習指導要領解説P.77

2017-09-09対話的な学びとは その1

[]対話的な学びとは その1 対話的な学びとは その1 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 対話的な学びとは その1 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 対話的な学びとは その1 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「対話」という言葉の意味をちょっと考えてみる。「会話」でも「議論」でも「話し合い」でもない。「隣の人と会話しなさい」,「隣の人と議論しなさい」,「隣の人と話し合いをしなさい」という表現はしっくりくるが,「隣の人と対話しなさい」となるとなんか変な感じがする。

「対話」の辞書的な意味は「双方向かい合って話をすること。また,その話。比喩的にも用いる。」*1

なんだけれど,「会話」とどこが違うの?ちなみに「会話」の辞書的な意味は「2人または数人が,互いに話したり聞いたりして,共通の話を進めること。また,その話。」*2

違いは「比喩的にも用いる。」の有無。きっと「対話的な学び」の「対話」は原義はもちろん比喩的な意味も含まれているのだろう。

話を元に戻して,「隣の人と対話しなさい」というがなんか変な感じに思うのは,私が「対話」に含まれる,辞書に表されていない意味をなんとなく込めているからだ。

そこで「対話」はどんな意味で使われているのかを調べてみると,いいサイトが見つかった。

ワールドカフェネットにいろいろな引用が掲載されていた。その中で,自分が含めている意味を言い得ている表現はこちら。

人は「対話」の中で、物事の意味付け、自分たちの生きている世界を理解可能なものとしています。人が物事を意味づけるときに、一人でそれに向かっているのではありません。相互理解を深めていくには、単に「客観的事実(知識・情報・データ等)そのもの」を知っているだけでなく、「客観的事実に対する意味」を創造・共有していくことが重要となるのです。

出典: 『ダイアローグ 対話する組織』 中原淳、長岡健 (共著)

「対話」は意味づけをしているというのだ。「会話」,「おしゃべり」は,単に「言い合う」だけでいいが,「対話」は意味づけをするためにおこなっているのだ。

目の前で起こった問題に対して,どのように解釈するか,どのような解決策を講じるかというときに「対話」という語が使われる。「各国の対話」,「首脳陣の対話が必要」は,「会話」で置き換えられない。会話すればいいって問題じゃないから。「学び」でも同じことが言えるのだろう。「会話してりゃ深い学びになるってわけじゃないよ」ということ。

先に「対話しなさい」に違和感を持つというのは,対話かどうかは本人の問題で,人に指示されることじゃないというところに原因があるようだ。意味を見つけようとしているかどうかは本人しか知らないし,本人が意味を見つけようとしなければ,対話にはならない。

学習指導要領で「協働的な学び」という語が消え「対話的な学び」になったということを田村学(文部科学視学官)は

一方「対話」は、「協働」に比べて、やりとりがあり、言語が介在し、また考えて自分で認識するというイメージがあります。(「教職研修」 2016.9 インタビュー「対話的な学び」とはなにか?

と述べている。「自分で認識する」というように,「自分に帰ってくる」ことが無ければ「対話」と言えないことがわかる。

つまり,「対話」するかどうかは本人次第であり,「対話しなさい」と言われたって,意味を見つけようとしない人には「対話」はできないことになる。こう考えてくると「対話的な学び」は「主体的な学び」に通じていることになる。

「対話的な学び」が最も簡単に書けるかな?と思ったんだけど,思いの外,奥が深かった。次回「何との対話?」にたぶん,続く。

*1:デジタル大辞林

*2:同上