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上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
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2019-03-06教師という職の限界

[]教師という職の限界 教師という職の限界 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師という職の限界 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 教師という職の限界 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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全ての職の影響力には限界がある。当たり前だ。できないこととできることがある。しかし何でもできると思っている人のいう言葉が教師を苦しめてきたから,今のような状況になっている。何でもできると思ってアドバイスや提言をしている教師は己の限界を知らずに言っているからたちが悪い。

人間はできないことはできないし,できることはできる。できないことをできるようにすることが成長の1つだから,職能を高めようとする。しかし一足飛びには成長しないし,絶対にそこまで到達できないことだってある。

プロフェッショナルだったら,学び続けろとか,プロフェッショナルだったら自分の生活を犠牲にして目の前の子どもにかかりっきりになれとか,プロフェッショナルだったら大学入試問題を解けるようになれとか,言いまくっている本を読み出したが,あまりにも痛々しくて読み続けられなかった。

子どもは手をかけなさすぎるのもだめだが,手をかけすぎるのもだめだ,と思う。忍野メメの言葉じゃないが,「助けないよ,手を貸すだけ。人は一人で勝手に助かるだけ」という言葉が教師のスタンスとしてちょうどいいような気がする。

教師ができることはとても限られているという認識と,子どもたちの力はとてもすばらしいという認識の両方を持っていることが教職を続けていく上で重要なことだと思う。教師はそれほど子どもに影響力を与えられない(悪影響だったらかなり与えられるかもしれない)し,思っている以上に子どもたちは自分たちで何とかできる力を持っている。

教師が施した指導を子どもたちが全てそのまま受け取ってしまうという現実からかけ離れた考えをこの人は持っているように思われた。いやいや,教師にはそれほどの力は無いし,子どもだって取捨選択して受けとっているよ,と思ってしまう。御自身だってそうでしょう?何でもかんでも受け入れているわけじゃないと思うんだけれど。

それに,プロフェッショナルな教師は子どもへの影響を第1に考えるのが当然で,自分の子どもの入学式に出るために,自分の担任の新入生の入学式は欠席するようじゃ,プロフェッショナルでも何でもないと言いきっている。そんなことをしたら子どもが自分の都合で行事を休んでいいことになってしまう,なんて言っているのだが,自分の都合や家庭の都合で学校の行事を休んでもいいに決まっているじゃないか。

きっと私はこの記述にカチンと来て拘っているのだが,児童生徒だって,自分の子どもを第一に考えている親としての姿を見せている担任の方が,人間として立派だと分かってくれるはず。クラスのことが一番で家庭のことは犠牲にしている担任なんて,重くてしょうがない。

そして,人間の成長(特に,子どもの成長)は,まだまだ研究で分からない部分が多く,同じような指導をしても,うまく行く場合とうまく行かない場合が多い。同じ子どもに対しても,うまく行くときとうまく行かないときがある。「このようにやれば必ず効果がある。」といっている教師の言葉は信じない方がいい。そういう場合は「エビデンス俺」という場合がほとんどだ。

と,その本を読んでムカムカしていたのは,きっと20年前ほどの私だったらこんなことを書いただろうと思ったからだ。よく分かっていない過去の自分を振る変えることこそ恥ずかしいことはない。こんなこと書いても本として出版されるんだから,○○賞をもらった教員って,評価が高いんだなと思った。

2018-12-17国語教員としての資質・能力

[][]国語教員としての資質 国語教員としての資質 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 国語教員としての資質 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 国語教員としての資質 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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国語教員としての資質とはなにか?」という問いに,最低条件として「言語に敏感であること。」と答えたい。国語は主に日本語という言語を扱う教科である。その言語に敏感でなければ,いけない。

「敏感」というのは,「正確」であるということと,「感性豊か」ということだ。言語に関して間違わない(自他)ということと,言語から想像できるということだ。

「正確」ということは特に教育現場に求められる。特に国語は「言語」そのものを学ぶ教科だから,そのテキストが間違っていては,学習者にその間違ったテキストを読むことを強いることになる。絶対にあってはならないことなのだ。

学習者に提供する前のチェックが必要だし,もしそのチェックからすり抜けても,授業中にそのテキストを提示しているときに気づいてすぐに訂正する感覚が必要だ。「何かおかしい?」と気づくことが必要だ。そのためにはたくさん読む必要があるし,自分が入力したテキストだったら自分を信じず少なくともダブルチェックする習慣がなければならない。

間違ったテキストを音読,暗唱させられる学習者のことを想像すると,単なるケアレスミスでは絶対に済まされない。授業者はとても恐ろしいことを学習者に対してしているという感覚になる。この感覚を持ち得ていない人は,国語教師になんてなってほしくない。

2018-02-08英語になると語意が変わる

[][]英語になると語意が変わる 英語になると語意が変わる - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 英語になると語意が変わる - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 英語になると語意が変わる - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

学部2年生教職実践演習の授業で,自分の模擬授業時の発話,学習者の会話を全て文字起こしして,提出するという課題を課した。30分の模擬授業だったけれど,きっと初体験で,大変だっただろう。

そこで,どんな語をたくさん言っているかをランキングにして,どうしてその後が多かったのか考察させてプレゼンさせた。

中で英語の授業をやった学生が興味深いことを発表した。その学生は英語の授業をほぼ英語を使っておこない,「OK」という語が一番多かったのだが,例えば,他の教科の授業を日本語でやった時,「OK」の日本語訳(たぶん,「いいね」や「いいですね」)をそれほど頻繁に言わないだろうというのだ。

英語だから「OK」を言う。日本語だと言えない。この違いは何だろう?「教師のエクリチュール」を考えるきっかけになりそうだ。

また,別の学生は,自分の模擬授業のビデオを家族に見せたら,「いつものあなたじゃなく,なんだか変だね。」と言われた。授業をする,教壇に立つだけで,言葉遣いが「変」な風に変わる。

どこがどんな風に変わるのかを分析するのは興味深い。

2017-12-22模擬授業のミッションの意図

[]模擬授業のミッションの意図 模擬授業のミッションの意図 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 模擬授業のミッションの意図 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 模擬授業のミッションの意図 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

大学の授業で模擬授業を行っている。小学校や中学校の教員を目指す学生さんに,「大学生相手に十分主体的・対話的で深い学びが起きる授業をデザインすること」というミッションを課している。

どうしてそのようなミッションを課すのか説明の時間をほとんど取らなかったので,授業を終えた学生さんから「自分は小学校の教員を目指すのに。」と質問が来たから,以下のように答えた。

疑問に対してお答えします。きちんと説明する時間を取らずに申し訳ありませんでした。

大学生が「小学生役」をやって授業に臨んだとして,それは本当に「小学生」になるのでしょうか?大学生が「小学生ってこんなのだろうな」というイメージを持って授業を受けて,授業者も「小学生って,こんなのだろうな」と想像して授業を作る。これは本当の授業のダイナミックさは生まれません。決められたシナリオに沿った予定調和の演劇のようになってしまいます。さほどの経験がないみなさんが,真の小学生役を演じきれるとは思えなかったのです。小学生だけではなく,中学生でも,高校生でも,全ての学習者は授業者の「想定外の学び」を行います。それは演じていないからです。

授業のダイナミックさは,予定調和と対極にあります。授業者の予想の付かない学習者の反応,授業者が用意した課題を学習することにより,学習者自身が新たな意味にたどり着く驚き。これがあってこその授業となります。そのためには,授業者が学習者の予想を越える課題を設定し,学習者もそれに全身全霊をかけて取り組むことが必要です。「小学生だったらこう反応するかな?」とか,「小学生だから,この程度だろう」なんていう思惑の中では,「予想を越える学び」は絶対に生まれません。

授業はライブです。失敗が許される模擬授業で,それを試さなければ,教員になったときの真剣勝負の授業は恐くてできないんじゃないでしょうか?

「模擬授業は本番授業のように。本番授業は模擬授業のように。」

という意図がありました。

次からは模擬授業前にちゃんと説明することにしよう。反省。

2017-12-18文学作品の授業デザインの掛け違え

[][]文学作品の授業デザインの掛け違え 文学作品の授業デザインの掛け違え - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 文学作品の授業デザインの掛け違え - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 文学作品の授業デザインの掛け違え - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

最近国語の模擬授業を見て,指導することが多い。授業者は学生さんなのだが,最近の学生さんは当たり前のように話し合いや表現活動を入れる授業デザインを作ってくる。私の大学生時代とは大違いだ。私の学生時代は,教師がどのような発問をし,当てられた生徒がどう答えるか,という指導案ばかり書いていた。

対話や話し合いや表現活動を授業に入れるのがデフォルトになっているということはとてもいいことだ。

ところが,授業者の傾向として,なぜか次のようなことに異常に囚われているようだ。

学習者が表現したものを全て受け入れなければならない。

例えば,「この作品が読まれた季節は?」,「この作品の話者は誰に話しかけている?」,「この作品の話者はどうして悲しい気持ちがある?」,「この作品の情景を絵に表してみよう」などとした場合,学習者が考えたり,思いついたりしたことを「なるほど。」,「それもいいね。」などとして,全てを受け入れてしまう。

もちろん,「この文学作品から思いついたものを何でも表現してみよう。」というような目標が設定されていればそれでもいいが,「この作品の情景をイメージしよう」とした場合は,それではいけない。当てずっぽうや,部分的な語から連想されるステレオタイプなイメージの表現ではいけないのだ。

考えたこと,表現したことの根拠を作品内に求めなければ,「国語」とは言えなくなる。

作品からイメージし,そのイメージしたものの根拠を作品に求める

ことをすることで,「国語」となる。高校教師時代,文字言語表現内容を学ぶ場合,いつも生徒にこう言っていた。

国語は,文字で書かれているものと,文字で書かれているものから文字で書かれていないものも読み取る教科だ。

だから,学習者への声かけは全てを受け入れるのではなく,表現に対して,「どうしてそうなるの?」,「どこに書いてあるの?」を繰り返し言うことになる。「答え」が合っていたとしても「どうして?」が言えなければ「正解」ではない。「どうして?」にこだわることで,言語の論理性を学んでいくことになる。

2017-12-05授業づくりの難しさ

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学部2年生の授業で,1人30分の模擬授業をおこなっている。学部2年生ながら,みなさん堂々とおこない,声も通るし,指示も明確。自分が学部2年生だったときは,絶対こんなんじゃなかったよな〜。と思ってしまう。学校で表現活動が私の時代よりも多くなったからなのだろうか?

ところが難しいのは,評価規準の設定。「本時の目標」を設定して授業をするのだが,それをどうやって見取るのかの規準が示せない。

「○○について親しみを持ち,興味関心を深める」という目標を立てたとして,それを測る物差しを持ち合わせていない。「興味関心を深めましたかー?」,「はーい。」では測れないだろう。

現場教員でも難しいところだ。いやいや,そもそもそんな規準を持つ意識さえない現場教員もたくさんいる。

これから教員になる学生さんたちは評価について勉強すると,明確な,いい授業ができるようになるんだろうと思った。だいたい私の大学時代は,評価についてなんて考えた記憶もなく,「単元目標」,「本時の目標」は,指導案例のコピペだったからなぁ。初任者研修もそうだったかもしれない。

2017-08-23覚えている

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私は今まで,新年度になって200人の新たな生徒を受け持ったことがあった。私の経験で最多だ。週に2〜4回顔を合わせる(2〜4単位の授業だったということ)ことになる。

一度に200人の顔と名前を一致させることは至難の業で,私の能力を超えていた。その時,湖の女神からもらいたいのは一度会っただけで顔と名前を覚えられる能力だ。

そして1年間でもうその生徒を受け持たなくなるということもあるから,その生徒とは1年だけのつきあいになる。一斉指導時代では,年間で名前と顔を覚えられる人数は少なかったが,グループ活動の授業だったり,『学び合い』をやったりすると,名前は覚えられなくても,顔を覚えられる割合はぐんと高くなった。その生徒の学びの姿が浮かんでくるから,顔が覚えられる。人は人との関わり合いで個性が発揮される。

不思議と20年以上前,たった1年だけ受け持った生徒で,私のことを覚えてくれている人がいる。いったい私の何がその人の記憶の引っかかりになっていたんだろう?と思う。出来れば肯定的な部分だったらいい。


否定的な部分で記憶に残っていて,20年以上経っても私と話したくないという人もいる。

生徒はその科目の授業において教師は1人だが,教師は授業において1クラス40人で,何クラスも受け持つから,物理的に,時間的に人を覚えられる時間が教師は生徒の40分の1という計算になる。これは一斉授業の場合だけれど。

学び合い』の場合は,子どもは教師の方を見る時間が無いし,教師は子どもを見る時間が充分にあるから,先の計算は逆転するのかな?とも思った。

ということは,20年前1年間だけ受け持ったその生徒は,私が『学び合い』をやっていれば,私のことは覚えていなかった可能性もある。寂しいけれど,それはそれでいいのだ。

でも,人を覚えるというのは,そんな単純なものじゃないんだろうな。たくさんの人に覚えられている可能性が高い教師側って,なんだか恐い気もする。何を覚えられているんだろう?その時のことは本人は忘れているが,覚えている人はもちろん覚えている。恐いからあまり聞けない。顔から火が出るから。

2017-07-10高田商業高校に授業参観に行ってきました

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先日高田商業高校の校長先生と懇談を持つ機会があり,校長先生が「いつでも授業参観に来てほしい。私はいつでもどんな先生の授業でも連絡なしで観に行っています。先生方も慣れてきて,それを当たり前に受け取ってくれている。」とおっしゃっていた。

それならということで,懇談会の次の日連絡をして,今日院生2名を連れて授業を観に行った。

前勤務校以外で,授業参観を受け入れてくれた高校は初めてだった。特別なことをやっているのを見るのではなく,いつもの授業を観に行く意義は大きい。特に,これから教師になろうという院生さんを連れて行くことで,「いつもの学校の雰囲気」に触れさせることができる。彼らはその「いつもの学校の雰囲気」に包まれて仕事をしていくんだから。

この仕事に就いてから,いろんな高校の校長先生と話して,「授業改革が必至」という感覚を持っているが,ほとんどの校長先生は「何から手を付けて行けばいいか……。」,「高校では難しい。」,「教員の意識改革が難しくて……。」ということをおっしゃる。

私が思うに,高田商業高校では,授業改革を「授業はいつ,誰に見せてもいいものだ」と教員に思ってもらうという意識改革から始めているのだと思う。

高校教員時代,私は知り合いになった先生で,いい授業をしているという噂のある方の授業を積極的に観に行った。その先生は決まって言う。「いつもやっている普通の授業をいつも通りにやるだけです。いいところも悪いところもみんな見てください。」と。それを真似て,私もいつもそのように言うようにしていた。

授業を観る視点は,どんな授業プランなのかということと同時に,子どもたちはどう反応しているのかというところだ。普段のいつも通りの授業での子どもたちの反応を観ることで,その先生のいつもの教室文化,授業文化を観ることができる。そして,「いつでも観に来てください。」と言ってくれる先生の授業文化は,すばらしい。子どもたちが学びに向かう文化を創り上げている。これは特別にしつらえた教材や,授業プランでは現れないものだ。

高田商業高校の校長先生は,学習者とは別の存在の第3者から観られるという意識を授業者に持たせることで,意識改革を図っているのだと思う。立派な,構えた授業をさせようというのではなく,自分の授業を客観的に観察する視点を持たせることだけでも,授業改善になる。

特に,いい子たちがたくさんいる学校の場合,授業に対する不満を厳しく指摘したり,態度で示す学習者はあまりいず,つまらない授業でも学習者が我慢して,授業者がその不満に気づかず,授業改善に繋がらない場合がある。

私は高校教員だった時,授業を何とかしなければ,どうしようもない学校に赴任してから,ようやく授業改善という意識が生まれた。にらみをきかせたり,成績をちらつかせて行儀良くさせようとしても,それは全く効果がなかったのだ。

新潟の高校のすべての先生が「いつでも,どんな授業でも観に来てください。」と言えるようになれば,きっと教育の質が格段に上がると思う。

高田商業高校は13年前の私の勤務校だ。上越教育大学大学院にいた2年間在職していたのだが,授業もさせてもらい,研究をした学校だ。13年ぶりに訪れて,非常に懐かしかった。当時も今もとてもいい学校である。

2017-06-07授業の見方

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本日1年生の担任のクラスの授業があった。来週初めて観察実習に行くそうだ。みんなが観察実習で何をポイントに見たいかを言い合った。児童への声がけ,課題が終わっている人と,まだの人をどう教師が扱うか?など,いろいろ出た。

最後にアドバイスを求められた。

みなさん,教室の後ろにへばりついて教師の顔や黒板ばかり見ていちゃだめですよ。教室の前に行って,子どもたちの様子を見るんですよ。教師の話していることは教師の顔を見なくても聞こえます。その言葉にどう反応するかは子どもたちの表情を見なければわかりません。

ぜひ,前に出るのが恥ずかしかったら,教室の脇の方に行って,子どもたちの顔が見えるところまで出て下さい。そうすると,「あの学生,やるな〜。」と思われますよ。

こんな授業の観察の仕方,現職教員でもできない人は多い。特に高校教師。

2017-05-13教師失格〜「教えるということ」を読んで〜

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1年担任の受け持つ授業「人間学セミナー」では,課題図書を読んで討議するというプログラムがある。大村はま著「教えるということ」が課題図書の1冊になっている。

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多分,大学時代に読んだはずだが,どんなことが書かれてあったかすっかり忘れていた。かなり厳しいことが書かれてあったのかという印象で読み進めた。

でも,ところどころのエピソードは覚えていて,「あ,記憶に残っているエピソードはこの本に書かれてあったのか。」と思い出しながら読んでいた。仏の指の話とか。

読んでいて,「そうだ!」と思うんだけれど,自分に引き比べてみると,全くそんな実践はしていず,自分は教師失格だなと重く受けとめてしまった。

 卒業生がいつでも先生,先生と慕ってくれるのが,何よりもうれしい」とか,そのとき,「先生ほど楽しい職業はない」と思うとか言う言葉を聞くことがあります。

 私の受け持った卒業生は,「先生のことを忘れない」と言ったこともないし,また私も忘れてほしいと思っています。私は渡し守のような者だから,向こうの岸へ渡ったら,さっさと歩いて行ってほしいと思います。後ろを向いて「先生,先生」と泣く子は困るのです。「どうか,自分の道を先へ向かってにどんどん歩いて行ってほしい。私はまた元の岸へ戻って,他のお客さんを乗せて出発しますから」。卒業した生徒が何か自分で言ってこない限りは,私は後を追いません。「どうぞ新しい世界で,新しい友人を持って,新しい教師について,自分の道をどんどん開拓していきますように」そんな風に子どもを見送っております。そういう目からすると子どもたちに対する今の現場の考え方については,ずいぶん「甘い」という気がすることがあります。

「渡し守」という表現が,しっくりくる。教師は自分のところへ引き寄せる存在ではなく,新しい世界の窓口への案内人だと内田樹先生もおっしゃっている。

教師の仕事は子どもたちに飛び込んでもらえそうな新たな世界の入り口まで連れて行き,飛び込んだら自由にその世界で驚いたり,奮闘したりしてもらおうと,授業や学級経営をしてきたつもりだった。

実際自分はどうだったかというと,後ろ向きだなあと思う。自分が受け持った生徒たちが卒業後どんなように生活しているのか,かなり気にしている。自分をどう評価しているのかもかなり気にしている。教師の実践の評価は,卒業後に現れるはずと考えているからなのかも知れないし,いい実践だったと評価されたいからなのかも知れない。

ということは,実践の評価はその時,その時で評価されるものでなければならないのか?と思うと,そうでもないような気もするし,卒業後の評価を気にしすぎるのもよく無いということになると,そのフィードバックはなかなか受けられないということになる。


ユーミンの曲で「魔法のくすり」というものがある。

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男はいつも最初の恋人になりたがり

女は誰も最後の愛人でいたいの

男は過去にこだわり,女は未来を見ているということが上手く表現されているいい歌だ。

卒業生を出したり,転勤したりすると「○○ロス」となるのは,男と女の違いなのか?と思ってしまう。それとも単に過去を美化しているという年寄りにありがちなことなのか?

とにかく「教師失格」ということには変わりないので,「教師適確」とまで行かなくとも「教師合格」ぐらいになるために,「前向きに」行くことにする。

By gones