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上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を務めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,2019/11/2〜4に長野県でおこないます。
manabiainu
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2019-06-25I have a dream

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今日の「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」は,前回の英語の続き。中学校英語教科書のある単元に関して,どんな意図で作られているのか,授業デザインはどうあるべきなのかを考える。

私が大学まで受けた外国語の授業での「違和感」は,こんなことだったんだと再認識した。きっと今の先生はもっと上手に授業デザインを作っているんだろうと思うから,私がこの教科書内容通りに授業をおこなったら,こんなふうになっちゃうんだろうというように捉えてしまった。

教科書は,全体的にコミュニケーションを図ろうとする単元が多い印象だった。生徒同士である構文を習得するために,シチュエーションを設定し,それに基づき会話を「強制的に」おこなう。

例えば,無人島に3人連れて行くとして,次のうち,どんなことができる人と一緒に行きたいかを3つ選ぶ。

  • cook well
  • climb trees
  • swim fast
  • make a fire
  • use a knife
  • play the guitar

そして選んだことができる人を英語で訪ね,見つける。「Can you〜?」

最後に自分や友だちのできることを英語で紹介する。

これを自分が受けていたらどう思うだろうか?もし,自分の料理の才能を見つけられ,「無人島にボートで行こう」と誘われたら,「嫌だ。」ときっと答えるだろう。このロールプレイなんだか茶番だかわからない設定にぞわぞわしてしまう。

ゲームなんだか,現実なんだか,曖昧な設定。どうして最後に「自分○○ができる。」ということで締めくくるんだろう?最初から最後までゲームにすればいいのに。「あなたは英語しか通じない世界に放り込まれました。ここから脱出するには,どのような能力が必要ですか?」という設定で,「能力」の絵が書かれたカードをランダムに1人2枚ずつぐらい配り,質問は「Can you〜?」しか使えない。ぐらいにすれば,「ゲームなんだな」と入り込める。

英語の授業ではよくこのような「茶番」を子どもたちに演じさせる。英語で書かれてある必要のない文章を読んで,英語で伝える必要のない文章を作り,日本人相手に英語で話す。これがとってもこそばゆい。とってつけた感というか,白々しさを感じてしまう。これを感じないでどんな設定でも違和感なく入り込めれば,英語が上達したのだろうか?

ある単元では,英語で話されている内容を聞いて,「英語でメモをとる」というものが合った。どうして英語でメモをとる必要があるの?この意図が全くわからない。英単語がわからなければ,メモが取れないのだ。置いてきぼりである。


そんな中で,これぞ!という単元を見つけた。きっとほとんどの教科書に載っていると思われる「I Have a Dream」だ。

最近テレビで黒人解放運動の番組を観て,その内容が新鮮だったということもあるのだが,キング牧師の演説を教科書で読んだら,とても胸に迫るものがあった。中学3年生の教科書に載っているのだが,内容的には中学2年生でもわかるようなそれほど複雑ではない英語だ。しかし,英語を読み取る力があるだけで,それを原文で,自分で読むことができることに意味があると思った。

日本語訳したものに触れたからといって,原文を読んだ感動は得られないと思った。この感動的な文章をそのまま読み取ることができるというところに,英語教育の意味の1つがあるのだと思う。内容のない,白々しいコミュニケーションをするだけの英語教育を受けたといって,こんな感動はうまれない。もちろん,それらはコミュニケーションの訓練であり,行く先には原文にアクセスする力を付けることと,目標を設定していればいいとは思う。

第1文がとてもかっこいい。

I have a dream that my four little children wiil one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

「not〜but」構文って,なんだかかっこいいと思ってしまう。英語独特の表現なのだろうけれど,日本語で「人間の中身ではなく肌の色で判断されない」と訳したとしても,これほどのかっこよさは出ないなぁと思う。かっこよさは感覚の問題で,個人差があるけれど。

no move no football

みたいな。「動かなければサッカーじゃない」というニュアンスと全く違うと思う。この英語のニュアンスを身に付けたいとも思う。これこそ英語を学ぶ意味じゃないのかな?

内田樹先生は今の日本の英語教育は,「目標言語が英語で,目標文化が日本だ」として,日本である程度の地位を得るために英語をやっており,そんな英語は必ず廃れると言っている。内田樹の研究室そこが私の感じた「白々しさ」に繋がるのかな?とも思う。

絶対に「英語で書かれたすばらしい文章に触れたいから英語を学ぶ」とか,「英語のすばらしい歌を歌いたいから,英語を学ぶ」とか,「英語の映画で,本当は何を言っているのかわかりたいから英語を学ぶ」と言った方が,格好いいに決まっている。これは国語の古典学習にも通じることだ。

2019-06-06短歌・俳句の授業デザイン

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今日の「中学校高等学校国語科授業づくり演習」では,短歌の授業デザインについて考えてみた。

短歌・俳句の授業はどのようなものにすればいいのか,見当が付かないというところから,今回の話題に選んだそうだ。以下,出た話題を列挙していく。

  • 教科書に掲載されている短歌・俳句は,最近のものは俵万智のものしかない。現代において短歌・俳句のニーズはあるんだろうか?
  • 教科書掲載の短歌・俳句を「古典」として学ぶのか,「現代に活きる言葉」として学ぶのか,よく分からないところがある。ニーズがなければ,特に,児童・生徒に「活きた言葉」として学ぶ必要が感じられなければ,「古典」を学ぶと同じことになるのだろうか?
  • 教科書にある「学習」を見ても,「区切れはどこか?」とか,「リズムを味わおう」とか,「それをやったらどんな意味があるの?」というモノばかりだ。区切れなんて読み取ったからといって,その短歌・俳句を読み取ったことになるのかな?
  • 先日扱った「詩」と同じように,表現なくして,短歌・俳句を学ぶ意味はないと思う。言葉に向き合うことで,短歌・俳句を読み取ることになる。
  • 「詩」のように,形式を指定して,創作してもらうとか?
  • 子どもに短歌を詠ませると,安易に「きれいだな」なんていう,イメージが湧かない語を使うから,そういうのを一切禁止して作らせるのも面白い。
  • 教科書をこう見てみると,そういう安易な形容詞的な言葉って使われていないのに気づくね。
  • 与謝野晶子の「うつくしきかな」ぐらいしかないよね。
  • 例えば「リズムを味わう」とか,「区切れはどこか?」とか,どういうものがあるのかを示しもしないで,「見つけよう」とか,「味わおう」とかさせているのがおかしい。例えば,音楽だったら「何分の何拍子」とか,「ワルツ」とか,「○ビート」とか,カテゴライズされていて,そこから来る雰囲気を味わわせるということをしているのに,国語では全くそういうことをしていない。教科書に書かれていない。
  • 教師の裁量に任されているということ?そんなら時感の無い先生は「これは初句切れ,覚えておけ。」として,それをテストに出して,短歌・俳句を学んだことにさせちゃう。
  • それから,短歌・俳句の表現方法として,例えば,長い時間の一部分を切り取った表現とか,断片的に表現したものとか,全体の一部分の表現とか,いろんな表現形式があるのに,それも体系化されていない。そんな表現形式も知らせないで創作させるから,「きれいだな」なんていう表現を使ってしまう。
  • そういうところから学べば,「シバリ」を付けて,創作させられるよね。子どもたちはそっちの方が面白いと思うし。
  • 「一瞬を切り取った」ということであれば,国語の授業ではなく,クラスの夏休みの宿題として,写真を1枚撮って,そこに俳句を付けて,メールで送ってもらったことがある。
  • 写真と俳句って親和性が高いよね。
  • 例えば,教科書に掲載されている短歌を題材に,それを表現する写真を1枚撮ってくるっていうのは?
  • なるほど,そうすれば,表現されている言葉に向き合うことになるよね。
  • 完全一致じゃなくても,この短歌のどこの部分を表したとか,説明させるといいんじゃないかな?
  • 論理国語と文学国語と分けられるみたいだけれど,文学って,論理的に読むよね。表現的には繋がっていないけれど,繋がっていない間に辻褄を付けて読んでいく。「論理」と「文学」なんて,分けられるものじゃないのに。
  • 以前,3人グループで,1人が初句を思い浮かべたら,2人目がそれに続く7音を付け,次の人が5音を付けるということをやったことがある。例えば1人目が「黒板に」なんて突然いったら,2人目が続けるといいうような。
  • 面白そう。
  • とっぴなものができたら,それに意味づけしていくというのがいいかもしれない。そこに解釈が生まれ,語と語の間を埋めていくような。
  • 将に俳句的。
  • そんなのやったら,その後にやっていた遠足で,山を歩いているときにやり出して,私も振られたことがある。先生,「山道を」に続けて,みたいな。
  • それ,面白い。
  • 昔の恋の歌のやりとりもそうだけれど,「即興性」って重要だよね。即興的にやるからこそ,とっぴなものも生まれて,そこに面白いものが出てくる。
  • 頭の体操になりそう。
  • 将に言葉に向き合う学びだよね。
  • 子どもって,しりとりみたいなことば遊びって好きだよね。これもきっと乗ってくると思う。
  • 「即興性」というのなら,ラップバトルがいいんじゃない?誰かラップバトルができる人いないかな?
  • 「詩のボクシング」ってあったじゃない?そこで「俳句のボクシング」なんてやるのもいいかも。即興的に五・七・五で詠んで,どっちがいいかジャッジしてもらうの。
  • いいね。やっぱり表現することを前提にすることで,短歌・俳句を読む意義が出てくると思う。

2019-06-04英語教育の意味

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今日の「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」(それにしても長いタイトル)では,中学校学習指導要領(英語)解説を読み取った。いやぁ,とにかく分からない表現ばかりで,英語教育には疎い私にとっては,試行錯誤だった。

目標は

国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ,外国語による聞くこと,読むこと,話すこと,書くことの言語活動を通して,簡単な情報や考えなどを理解したり表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力を次の通り育成することを目指す。

と書かれてある。

英語科(学習指導要領では,「外国語科」だが,ほとんどの学校で英語教育が行われているので,以降,「英語」と表記していく)の目標だが,つまり,英語でコミュニケーションを図れるようになることが目標なのかな?と最初読み取った。

しかし,「コミュニケーションにおける見方・考え方」って何だろう?コミュニケーションにおいて,見方,考え方は含まれているのだろうか?例えば,「社会科」の見方考え方だったら,「公民としての見方・考え方」や,「民主的見方・考え方」と言い表すこともできる。しかし,「コミュニケーションにおける見方・考え方」って全く意味が分からない。どなたか教えてほしい。

「ある見方・考え方に沿ったコミュニケーション」だったら,意味が通る。「威圧的コミュニケーション」や,「協働的コミュニケーション」,「同調的コミュニケーション」などだ。コミュニケーションの仕方には必ず意図が反映される。

キーワードである「見方・考え方」を無理矢理ひっつけたような気がした。また,他の解説の部分でも,「いや,それって「言語活動」の説明であって,英語の説明じゃなくてもいいよね?」という所が多い。

しかし,「英語における見方・考え方」であるならば,話は別だ。学習指導要領では,そこまで言っているのだろうか?「言語の檻」という言葉があるが,英語という言語によって見えるものも学ばせたいという意図だろうか?英語を学ぶことにより,日本語では見えない部分が見えるようになる,というのだったらよくわかる。

受講生がピンときていなかったようなので,以下の例を出してみた。

It is sunny today.

It is obvius that Jim laves Mary.

Keep off the grass.

どれも英語独特の表現で,日本語にはあまりない文構造だ。形式主語「It」なんて,日本語で喋っている人には感覚的には分からないものだ。一説にはヨーロッパには絶対神がいて,それを「It」で表しているという。日本語では「今日は晴れている」と表し,主語なんてないようなものだが,英語では必ず主語を書く。常に「それ」を意識するようになっている。

言語が先か,思想が先かという問題はあるのだが,エクリチュール的な考え方でいうと,言語によって思想が規定されているということになる。つまり,極論で,英語を学べば,英語の裏にある文化,思想も学ぶことになる。日本語の「言語の檻」から脱出できるということになる。

あと4〜5年もすれば,持っているスマートフォンを相手のスマートフォンとブルートゥースで接続して,リアルタイムで翻訳機能を使えるようになると思っている。オリンピックには間に合わないかもしれないが,自分がスマホに向かってしゃべると,相手のスマホに自国語での翻訳が表示されるのだ。または,音声で流れてもいい。新たなガジェットを使わなくても,アプリで対応できるはず。いや,ネットを介してやれば,今でもできるのかもしれない。

そんな世の中になった時,必要な英語教育って何だろう?通常会話はスマホを介してできる。海外旅行に行ったとき,それを持っていけば事足りる。「いや,人間は直接コミュニケーション取らなければ」とか,「気持ちが伝わらない」とか,言う人がいるけれど,今現在,英語ができなくて,そんな会話もしようと思えない日本人が大多数なんだから,そのツールができれば,コミュニケーションを取ってみようという気持ちになるだけいいのでは?と思う。

英語教育を十数年受けてきて,本当にコミュニケーションを取りたい相手が,英語文化圏の人じゃなかった場合,十数年かけて学んだ英語教育は,どのように活きるのか?という命題を立ててみると,「英語教育の意味」が見えてくるような気がする。

自分はこの人とコミュニケーションを取りたい。しかし,相手は英語は通じない。そんな時にどんな力を付けるべきか?

  • 言語を使っている以上,相手とは必ず言語でコミュニケーションが取れるはずだ。
  • 自分の文化と違う文化は当たり前のようにあるのだから,違和感があったとしても拒否してはいけない。
  • 言語を使っている以上,相手もコミュニケーションを取りたいと思っているはずだ。
  • 挨拶というものが必ずあるはずだ。
  • 自分たちの見方・考え方と違う見方・考え方というものが必ずあり,そこには相互理解できない部分があるかもしれないが,拒否してはいけない。

とか,思いつきで書いたのだけれど,これらのように,「英語を身に付けることによって,何を学ぶか?」ということを突き詰めていくことにより,英語教育の意味が見えてくる気がした。

そんなことを議論しているうちに,2017年の映画メッセージを思い出した。宇宙人が突如地球にやって来て,米菓「ばかうけ」みたいな宇宙船を空中に浮かばせておくんだが,言語学者がなんとか相手とコミュニケーションを取ろうと試行錯誤する。

そこで発揮できる力を身に付けるのが「英語教育の意味」なんだろうといいう結論になった。

2019-05-21今後30年の日本の教育事情

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今日の共通科目「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」では,平成30年間が終わり,今後の令和の教育事情を「予測する」ということをやってみた。

というのも,内田樹先生著「街場の平成論」まえがきで,「起こったことを論じるのは簡単だが,芽はあったが起こらなかったことを論じるのは難しい」というようなことが書かれてあり,それじゃあ,起こりそうなことをこの授業で予想してみようということにした。

予想しておけば,実際に起こったときにある程度の心構えができる。

とはいっても,私は令和13年頃に退職を迎えるので,これから令和時代をどっぷり教員として生きていく院生,そしてこれから採用試験を受けて,教員になる院生たちには,有意義な授業になるのでは?と思ったのだ。

授業は,平成30年間に起こった教育関連事や課題や問題をあげつらい,それが令和ではどううなるか?で考えていった。以下,トピック,メモのみ記す。

  • 平成で気になったのは,「たまごっち」の流行
  • インターネットが普及して,通信してゲームをするようになった。
  • 友だち同士で通信するなんて,それまでになかった。
  • 遊び方が大分変わったんじゃないかな?昭和の時代は,クラスで野球チーム作って,隣のクラスと対戦したりしていたけれど,今は,一緒にいたとしても,それぞれが別のことをして遊んでいる。
  • 「遊びの個化」,「人間関係の分断化」が進んだ?
  • それらを受けて,令和では,学校のあり方,授業のあり方も変わっていく?
  • 学びの「個化」が起こるのでは?
  • 教室にいるのに,みんなが別々のことをやっている,みたいな?
  • それって,教室にいる必要があるの?
  • クラスって,残るんでしょうか?
  • 「学級経営」がなくなる?必要無くなる?
  • そういう時代だからこそ,人と繋がること,協働して何かを成し遂げる力が必要になってくるんじゃないかな?
  • クリエイティブなこと,1人ではできない課題は協働してやらなければならない。その力を付けるために,教師はそれらを仕組む力が必要になってくる。
  • 令和では,技能系の科目に専門家がどんどん入ってくるって聞いたことがある。体育や音楽なんかは,インストラクターや音楽教室の先生が授業をする。スポーツのコーチや音楽教室の先生は,そこで仕事があるし,施設なんかも自治体から借りておこなうという形になる。
  • 今まで学校は何でも抱え込んでいく方向で動いていたけれど,これからはどんどん手放して行かないと,働き方改革にならない。例えば,小学校の先生は国語,算数の授業のみをやって,その他は別の専門の先生がやる,とか。そうすれば,その他の時間は学級経営やら,児童理解やら,授業準備やらをすれば,定時退勤ができる。
  • 資料「平成教育史」でも,結構トピックがあげられていたけれど,「いじめ」の問題はどうなると思います?
  • ネットいじめがまだまだ激しくなるとは思う。
  • 「クラスがなければいじめがなくなる」なんていう話があるけれど,ネットがあるから,関係なくなるよね。
  • ネットいじめじゃないけれど,ネトウヨや,炎上させようとする人って,結局注目を浴びたいというところから来ているんだって。この間テレビでやっていたのは,50代,60代のおじさんが,正義感を振りかざして攻撃すると反応があって,やめられなくなるっていう取材をしていた。
  • 今の子どもも兄弟がいないから,今まで親の関心を一身に受けていた子が,学校で自分に関心を持ってもらいたくていじめをする,みたいな。自分の影響力を誇示したくてネットいじめで炎上させるとか,そんな感じみたい。
  • そこで,学級経営が活きてくるんだね。少子化の時代だからこそあえて集団のなかでの生き方を学ばなければ。
  • 令和でも,本コース(教科教育・学級経営実践コース)の存在意義はあるね。

2019-05-16檸檬

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今日の「中学校高等学校国語科授業づくり演習」のテーマは梶井基次郎「檸檬」だった。担当者が「檸檬」を提示すると,「うーん,……」という声が上がった。授業でどうするか,つかみ所がない教材という印象を持っている人が多かった。

以下,出された話題をトピックだけあげていく。

  • 「檸檬」は主人公の内面の表出されたものだと授業で教わった。
  • 「檸檬」の結末「京極を下がって行った。」をどう捉えるか?を授業でやったような気がする。
  • これは漠然とした不安がテーマだから,みんなの中にある漠然とした不安は何かを出してもらうというのは,授業としていいのか?
  • 本当に「漠然とした不安」がテーマなの?そんなことはどこに書いてあるかな?テキストから読み取らないと。我々が読み取ったものを「漠然とした不安」と置きかえて,意味づけして与えては,学習者が読み取ったことにならない。
  • 「不吉な塊」とあるんだから,「漠然とした不安」じゃなくて,「不吉な塊」と表現するべき。
  • 「不吉な塊」の象徴が「丸善」何だよね?
  • そうなの?
  • 主人公は以前は丸善にあるようなものに惹かれていたけれど,今の境遇では「みずぼらしくて美しいもの」に惹かれてきたんだよね。
  • そして丸善は「重苦しい場所」になった。
  • 最終的にレモンを置くことで,どっちに惹かれるようになったんだろう?
  • レモンは「不吉な魂」,「みずぼらしくて美しいもの」のどっちなんだろう?
  • どっちでもないもの?
  • 「不吉な塊」から遠ざけてくれるものだろうけれど,「みずぼらしくて美しいもの」とも違う。
  • 結末では結局主人公の気分は上がったの?下がったまま?
  • 「京極」が「活動写真の看板画が奇体な趣で街を彩っている」のだから,「裏通り」ではなく大通りだよね。きっと。映画館があるんだから。
  • ということは,今までの「裏通り」から離れていった?
  • レモンは何だったのか,決め手はないけれど,少なくとも「不吉な塊」を少しは消し去るものなのかな?
  • レモンは何の象徴か?とした場合,とっても表現しにくいものだよね。これをテーマにすると授業では収拾が付かなくなるかも。個人個人によっては違いすぎるから,拡散的課題にしかならない。それはそれで面白いんだろうけれど。
  • 結末では気分が上がった?下がった?なんてのは?
  • レモンは「不吉な塊」,「みずぼらしくて美しいもの」のどちらか?またはどちらでもないのか?  とか。
  • レモンは新しい自分にしてくれた何かかな?
  • なんか,収束しないまま時間が来たけれど,少しは教材としてイメージをつかめたでしょうか?

2019-05-14授業目標について

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アクティブ・ラーニングが生起する授業デザインは,学習者全員が分からない問から生まれる。一瞬で答えが出る問からはアクティブ・ラーニングは生まれない。それは誰もが承知してくれると思う。

更に一歩進めて,教師さえも分からない(迷っている)問の方が,アクティブ・ラーニングは生まれる。教師の中に「答え」がある場合,学習者は教師の中の答えを引き出そうとするからだ。

アクティブ・ラーニングの生起を意図するのであれば,高校の場合(いや,高校ではなくとも),目標は学問的真理の追究や社会問題の解決などにするべきだと思っている。誰もが簡単に達成する目標を設定したとしても,達成しなかった場合,「個人の責任」となりがちになるが,学問的真理の追究や社会問題の解決となると,これは全員が取り組む問題であるとの意識が生まれるからだ。

といっても,学習者全員の興味・関心を引き起こす課題は,とても難しい。しかし不可能ではない。これは授業の持って行き方である。課題さえ作れば,OKということではなく,それまでの授業づくりによって課題への取り組み方を養成していく必要がある。養成していけば,課題作成は比較的簡単になる。

イメージとしてサッカーチームが勝利に向かってプレイすることが似ている。個人個人はいろんな能力がある。ドリブルが得意な人も,足が速い人も,持久力がある人も,ボール奪取が得意な人も。逆に短所も人それぞれである。サッカーはゴールを奪うスポーツである。全員がゴールを奪うことに向かって動かなければならない。チームの11人に,「5回シュートしたら目標達成だ。」なんていう監督はいない。

それぞれが自分の長所を活かし,他人の足りないところを補い,全員が自分の普段の力よりちょっとずつオーバーワークすることで勝利に繋がる。それは,あるプレイヤーはスプリント10回だったところを12回するようになったり,10回に3回くらいドリブルで突破されてしまう人が,2回におさめるとか,そういうことだ。その11人が同じフィールドでそれぞれできることをやっていく。そこが重要なのだ。

可能性としては,10人が必死にやって,1人が怠けていても,その試合に勝つことができるかもしれない。しかし,その試合には勝てても,次からの試合に勝ち続けられるほど甘くはない。監督の仕事は選手全員がそれぞれの仕事を責任を持ってやらせることだ。目標はきっと目の前の試合だけではない。その先の「優勝」ということを考えれば,1人の怠け者がいると命取りになる。監督だって絶対的な「正解」なんて分からない。「よりよい」方法を試行錯誤して試すだけだ。

話は戻って,だから,教科の授業においてその教科の「面白さ(学問的真理の追究・社会問題の解決)」を大切に課題設定すべきだと思う。「面白さ」は「奥深さ」に繋がる。簡単に「正解」が生まれない,簡単に「目標達成」できない課題こそが,本当のアクティブ・ラーニングが生まれるのだと思う。

2019-05-10授業の上手な先生

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授業の上手な先生には2タイプいると思う。

  1. 授業のマネージメント力が上手なタイプ
  2. 課題設定が上手なタイプ

もちろんどちらも併せ持っていればいいのだけれど,初めは「授業のマネージメント力が上手なタイプ」を目指して行くんだと思う。

「授業のマネージメント」とは,1時間の流れを把握し,脇道にそれたら調整したり,緊張がゆるんできたと思ったら,休憩を入れたり,学習者からの発言を調整し,修正し,矯正し,ゴールに向かって作っていく力である。力がある教師の授業では,学習者は考えるし,対話するし,学ぶことになる。

そうなると,授業課題はぼんやりすることが多い。あまりそれを気にかけない。時には本時の目標を提示しないことさえある。授業中のマネージメント力が強いから,いろいろ修正できるのだ。曖昧な課題に対して学習者の反応を見て,補足説明,補足質問をどんどん示していく。その力があるからこそ,目標を提示しなくても,ぼんやりした課題でも,何とかやっていけるのだ。その力を「授業力」と捉えている人も多い。

「課題を設定する力」とは,学習の目標,本時の目標などと単元の課題,本時の課題が全てストーリーとして繋がっていることを説明でき,「今日はこれをやります」と示すことで,学習者は課題を達成しようと取り組む。その課題は例えば,「この物語は何を描いているのでしょうか?」というぼんやりしたものではなく,「主人公の劣勢が優勢になったと判断できる1文を根拠を元に示しなさい。」というとてもクリティカルなものだ。

この課題を達成しようとすることで,目標も達成できる。そして,目標を達成したことにより,それを達成した後に学習者自身がその学習を解釈(意味を見つける)ことができる。つまり,主体的な学習(学習結果の主体性)が成立するのだ。

「課題設定が上手なタイプ」となると,授業のマネージメントはあまりしなくてもよくなる。学習者がマネージメントするようになるからだ。逆にぼんやりした課題しか提示できないと,マネージメント力がないと授業としてはぼんやりする。

私の高校教師経験では,初期段階では「マネージメント力」向上を目指し,終わり段階では「課題を設定する力」向上を目指していた。

2019-05-09児のそら寝

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今日の「中学校高等学校国語科授業づくり演習」のテーマは古文教材「児のそら寝」だった。この題材は高校1年生の一番初めに扱う古文ということころが多い。教科書を比べると,1年生の最初ということで,ほとんどの文章の脇に訳注が付いているものから,脚注がふんだんにあるものから,いろいろだ。

この文章で敬語を学ばせるとどこかで書かれてあったと紹介してくれたが,どうしてこの時期にこの題材で敬語をするのかちょっと疑問だ。しかも,僧が児に対して敬語を使っている。この用法はどうしてなんだ?児が「公家・武家などの子弟」ということで敬語を使っているのか?とも思えるが,僧が児を子ども扱いにしてわざと敬語を使っているとも考えられる。フォーマルな感じの敬語ではないから,人間関係が分からないまま敬語を扱うのは学習者の混乱を呼ぶだろうと意見は一致した。

この題材の課題をどうするかで,いろんな意見が出たので,列挙していく。

  • どの教科書にも「笑いを説明しなさい」というのがあるけれど,この課題はなんかぼんやりしている。
  • 「児」って性格が悪いんだか,幼いんだか,よく分からない。
  • 注に「公家・武家などの子弟で,寺社で雑務をする少年」にあるから,行儀見習いの年なんだろう。今でいう中学生くらい?
  • 何歳くらいかというのを,歴史の資料を持って来て解釈するのではなく,文中から根拠を見つけて推測していくのが「国語」の目標になるんだろう。
  • 「し出ださむを待ちて寝ざらむも,わろかりなむと思ひ」とあるんだから,そのくらいのことを考えられるということは,小学校低学年じゃないよね。
  • そして「さだめておどろかさむずらむ」と期待できるくらいだから,小学校6年生くらい?
  • このくらいのことだったら,中学生でも考えるよね。
  • それでも,ぼたもちがなくなりそうだから「えい」と返事をするって,結構幼いところもある。
  • こんな児の年齢を文章中から根拠を見つけて考えるというのって,おもしろい。
  • 学校で,この話を現代に置きかえてストーリーを作りなさいという実践をした方がいて,みんなでカラオケに行こうって話が盛り上がっているんだけれど,一人が寝ているという設定で作った生徒がいた。
  • いったい児はどこで寝ていたんだろう?
  • 台所の近くっていうことだよね。
  • 台所の近くには寝室ってないよね。疲れ果てて横でコテンって寝たのかな?
  • そうなると児のかわいさが出てくる。
  • 児はいつも怠けるやつなのか,可愛らしい子なのか,その設定で変わってくるね。
  • 敬語なんだけれど,僧が児に敬語を使っている。児から僧には話しかけていないんだけれど,これって,どちらも双方で敬語を使い合っているって考えられるんじゃない?今でいうミッション系のお嬢様学校の感じで。
  • 先生から生徒に対しても敬語使うしね。
  • 地の文を見ると,僧や児に対しての敬語は使われていない。本当に児が高貴で敬語が使われているんだったら,地の文でも敬語があるはず。
  • テストを作るんだったら,どんなのを作りますか?「何歳か?」ということを授業で課題にして,テストはどう訊くのかな?と思って。
  • 「文中より根拠を出して,年齢を説明しなさい。」かな?根拠と年齢が論理的に説明してあれば○かな?
  • 他の所だったら,「「ずちなくて」とある児の感情を説明しなさい。100字程度で。」かな?ちゃんと内容をわかっている人だったら,直前の表記ではなく,食べたいんだけれど,すぐに起きないで待っていたということも書くだろうから。
  • この僧たちの笑いって決め手がないよね。
  • 「無期ののちに」ってあるけれど,何の後かっていうと,「おどろかせたまへ」の後だよね。起こされたことに対する「えい」の返事だから,「いったいいつ返事してんの?」ということで笑いが生まれているんだよね。
  • そうか,「僧たち笑ふこと限りなし」を説明するじゃなくて,「どんなツッコミの言葉をかけたらいいか?」という課題だったら,笑いが説明できる!
  • なるほど!

古典学習の1つの意味は,現代では分からない文化や時代背景を言葉から推測できるということ。現代文だったら言葉を読まなくてもなんとなく雰囲気でわかるところがあるから,そうなると言葉を学ぶことにならない可能性が出てくる。古典だからそれが出来るということが今回の授業でわかったことだ。

2019-04-23言語による見方・考え方を働かせる「山のあなた」の授業デザイン

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火曜2限授業「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」の2回目。「言葉そのものを学習の対象としている。」という指導要領解説を受けて,時一歳に授業課題を作った場合,どのようになるのか?を各自持ち寄って検討する時間。

題材は「やまのあなた」

山のあなた カール・ブッセ 上田敏訳

山のあなたの空遠く

「幸」住むと人のいふ。

嘻,われひとと尋めゆきて,

涙さしぐみかへりきぬ。

山のあなたになほ遠く

「幸」住むと人のいふ。

課題

感情曲線を描いてみよう

・2行ずつひとまとまりと考えて,初めから①,②,③とした場合,②は真ん中よりも下か上か?下だとして,どのくらいしたなのか?この線をどのような状態と考えるか?

・寝込むぐらい

・寝込むぐらいだったら,2日寝込むぐらいと考えて,線より下に置く。

・それほど寝込まないんじゃないの?

・①と③は真ん中よりも上と考えていいか?①と③はどちらが上か?

・③が上で,①の時点であった気持ちが,②で落ち込むが,あんまり自覚が無かった。②で反省して,③の方が上になる。

・①の方が上。①はワクワク感満載で,「幸」を探しに行くんだけれど,見つからなかった。それでも,③では,まだ自分が到達しないどこかにあるとして,希望は持っている感じだから,②よりもちょっと上がっているが,①のワクワク感は無いくらい。

・言葉そのものを学ぶというところで,いきなり「感情曲線」と言われると,感情にまかせて考えてしまう。ぼんやりと全体の解釈で考えてしまって,「言葉そのもの」という意識が飛んじゃう場合がある。今回もそうだった。「根拠を詩の表現から持ってくる。」と意識させるとよかったのではないか?

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課題

1回目と2回目で「「幸」住むと人のいふ」の読み方をどう変えるか?

《検討の内容は省略》

・「読み方」となると,とても曖昧で,どう答えてよいのかわからなくなる。

・例えば,「大きさ」,「速さ」,「句切り」とか,様々な読み方の要素を示してしぼらせて考えさせた方がいいのでは?

・表現させて,どうか伝達されたのか伝えてもらって,その後,「実はこういう解釈でこう伝えたかった」という流れだと,面白い課題だったかもしれない。

・これは「表現」と「解釈」と「伝達」という言葉の機能を意識させた課題だった。

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課題

「山のあなたになほ遠く」の「あなたに」を「あなたの」にすると何が違ってくるのか?

・「あなたの遠く」でも日本語的に間違いではない。

・「あなたの」だと,場所を指定している,「置いてある」感じがする。

・「あなたに」だと,そこに接していない感じ。ぼんやりしている感じ。

・分からないくらい「遠い」感じ。

・一度探しに行ったが,そこになく,さらにどこか遠く手の届かないところにあるという感じが出ている。

・「足もとに及ばない」,「〜にはほど遠い」という表現がある。その「に」の使われ方と似ている気がする。

・1字しかない助詞に着目するだけで,言葉の機能に着目して,解釈に繋げていくことができる。

2019-04-16「言葉による見方・考え方を働かせる」とは?

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火曜2限授業「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」という長いタイトルの授業を受け持っている。各教科で言っている「見方・考え方」とは,どういうことか?をみんなで掘り下げていく授業だ。

2018年改定学習指導要領解説に書かれてあることを読み解いて,「いったい何を授業で身に付けさせるべきなのか?」を考えていこうという授業だ。

今回は「国語」。受講者の1名は現職国語教師で,私も元国語教師と言うことで,リアルな授業を元に考えられた。若いストレートマスターの方は,自分の受けた中学・高校の授業について身近に考えられるので,彼らの意見もとても面白かった。

授業は書かれてあることに対する感想や解釈,疑問を解いていくようなフリートークで進めていく。

以下は話の流れのメモ書き。

小学校と中学校での「見方・考え方」のとらえ方の違い

  • 小学校では日常生活での言語活動を意識するのに対して,中学校では社会生活での言語活動を意識して学ぶ。
  • 中学校になると,外部のコンクールに出品したり,高校受験での面接試験もある。
  • 見知らぬ他者に向けて表現する必要がどんどん出てくる。
  • 敬語の使用も小学校ではあまり子どもたち自身が意識はしないが,中学校に入ると不思議と意識して使うようになる。先輩,後輩という意識が生まれてくる。

「言語感覚」という言葉について

  • 解説の表記に「正誤」,「適否」,「美醜」なんてあるが,「美醜」なんて個人の感覚的なもので,それを始動できるのだろうか?
  • 「言語感覚」とは,語彙と密接に関わっていると思う。たくさんある語のうち,的確に伝わるためにどの語を選ぶのか?その語を使うとどのように伝わり方が違うのか?という「表現の効果」という面がある。
  • 相手意識や目的意識をもった言語表現活動により,「どう伝わるのか?」ということを敏感に捉えられるのが「言語感覚」だ。
  • 「赤面した」と「恥ずかしがった」では,どちらが適切なのか?「うれしい」と「たのしい」ではどちらが適切なのか?を直感的に判断できる感覚のこと。
  • それができるには,経験値が必要。授業で経験値を積ませなければならない。
  • 相手の反応を感じて勉強しなければ得られない。読書だけでは身につかない感覚かもしれない。

「言葉そのものを学習対象としている」とは?

  • 「理解することを直接の目的としない」というのは分かるけれど,理解しなくてもいいということなのか?
  • ということは,読む文章は何でもいいということ?どんな文章でも言葉そのものを学べばいいということ?
  • マンガでもいいの?
  • 台詞や説明のないマンガを読んで,それが説明すればいいの?
  • 要約をして終わりという授業では,言葉そのものを学習しているということにはならない。
  • 「何が書いてあるか?」ではなく,「どう書いてあるのか?」
  • 文章を学ぶ上で「何が書いてあるか?」以外の要素って何があるのだろう?

 1.意味・読解

 2.文法

 3.表現工夫・効果・技法

 4.(語彙の)比較・選択

 5.(文章の)構成・構造

 6.音韻・リズム

  • これらを学べば,表現のヒントになる。自分の文章に役立たせることができる。
  • 「深い読み」に繋げることができる。
  • 他の教科の学びに繋げることができる。応用できる。
  • 書かれてある内容だと,応用はできないが,言葉そのものだと,他の分野に応用できる。
  • 言語活動の基礎となることを学ぶのだろう。