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上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
manabiainu
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2019-11-15欲弁已忘言(純粋経験)

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タイトルは「弁ぜんと欲して已に言を忘る」である。陶淵明の「飲酒」という詩だ。詩全体と詩の内容はこちらにある。

高校の時にこれを読み、大学の授業でもこれを解釈し、高校教員になっても授業で教えた。「この風景、雰囲気、気分、とても素晴らしいことはわかるけれど、それを言葉で表そうと思った途端にその言葉を忘れてしまったって、どういうことなの?」と思っていた。

授業では「言葉じゃ表せないほどすばらしい」というような適当な解釈でわかったような気になって教えていた。

しかし、今、なんとなくわかった気がする。陶淵明は詩人でありながら、言葉で表すことを放棄したんじゃないか?ということだ。言葉で表すことはできるはずがない、言葉の力の限界を言葉を操る人だからこそ知っていた(知った)んじゃないか?と思う。

眼前の風景、雰囲気、気分を言葉で表すことによって、それが限定されてしまい、変化してしまう。この、今体験していることを大切にしたい。だから「言い表す言葉を忘れた」と言いながら、言葉で表したくなかったのだと思う。

西田幾多郎『善の研究』が言うところの「純粋経験*1」なんだと思う。受けとって、評価、判断、概念化がなされる前の状態、言葉になる前の状態を「詩」に保存しておきたかった。詩人だから、と思う。

言葉で表すことによって陳腐になる、チープになるということはある。表してみると、「あれ、こんなことを言いたかったわけじゃ無いんだけれどな。」と思うことはよくある。国語の授業で何でもかんでも作文を書かせるということがおこなわれるが、作文に表すことによって、「噓」になるという可能性があることを、われわれ教員は知っておかなければならない。

言葉に表さずに本人の心に大切に保管しておいた方がいいことってよくあることだ。もちろん、言葉に表すことで明らかになることもある。どちらの可能性もあるということを表現を強いる立場にある人は知っていなければならない。

言葉にしない方がいいことは、他の表現方法で表現すればいいことだ。いや、全く表現しなくてもいい時もある。

*1:反省を含まず主観・客観が区別される以前の直接経験-ウイキペディア

2019-11-07群読が表現できるもの

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「群読」活動を高校国語教師時代から始め、もう20年ほど続けている。国語の授業で、手軽に「表現活動」ができないかと思っていたときに出会ったのが「群読」であった。声を合わせて出すだけで表現活動ができる。これは、スピーチや、作文や、ディベートとは大きく違うところだ。脚本が既に作られていて、それを声で表現するという活動から、脚本を作成して演じるという活動まである。

導入した当時は、「手軽に表現できる」ということだったので、生徒によっては、「こんな小学生の発表会みたいなもの、幼稚すぎる」と言ってきた人もいた。しかし、この活動に長年携わってくると、その奥深さがわかってくる。

「群読」という音声言語表現活動が表現できるものは、その文章表現(主に)の理解、解釈を脚本に反映させたもの、つまり、その対象から受けとって、それを解釈して脚本に反映したものである。悲しい内容だったら小さな声で、少数人数が発声し、にぎやかな内容だったら大人数が大きな声で発声する。

よく国語の授業でおこなわれるのは、この文学作品を解釈し、登場人物の気持ちなどに合わせて脚本を作り、どのように読むのがよいか考えさせるという指導だ。そして、その脚本作成の意図も表現させ、群読も演じさせる。群読の授業としては、スタンダードなものだろう。

つまり、脚本づくりにおける「解釈反映タイプ*1」ということだ。

対象の読み取り→解釈(言語化)→脚本化→意図の説明(言語化)→群読表現

しかし、群読というのはそれだけではない。音で表現される以上、音の調和、不調和の導入、音の響きの調整、「なんとなく、こっちの方が合っている」ということで、脚本を作ることがある。

つまり、「(音声)表現反映タイプ」だ。

対象の雰囲気→心で感じとる→脚本化(主に注意書きで表現される 例:「ざわざわするように」とか、「無声音で」とか)→群読表現

「こっちの方が演じていて気持ちいい。」ということで脚本を修正することがある。音声言語表現なのだから、「演じて気持ちいい≒聞いてきて気持ちいい」ということを意識しなければならない。文字言語で表すことができない部分をこれらで表すことができる。ここが群読の優れている部分である。

「解釈反映」と「表現反映」のどちらのレベルが上かということは全くない。むしろ、どちらかを上と見るような人は、群読の何たるかをわかっていないといえる。「解釈反映」だけで群読を作っていこうという人は、「音声言語表現活動」や、群読は「相手に伝える表現活動」だということをわかっていないと言える。

特に、「言語で全てのことを表現できるはず」と思っている国語教師(私も以前そうだったのだが)には、群読活動は理解できない活動なんだと思う。世の中に、優れた「音を楽しむ群読」*2

があるのを知らないのだろうか?音楽に置きかえてみれば、メッセージ性の強い「フォークソング」ばかりが優れた音楽ではなく、音の調和や響きをのみ楽しむ優れた音楽があふれている。

世の中のことや、人間の心の中のものというのは、全てを言語で表現できるはずが無い。その表現できない、「説明」できない、「ニュアンス」というものを文字言語よりも少しばかり表現できる活動が「群読」なのである。

何でもかんでも説明ばかり求めていると、子どもの「感性」が萎縮してしまう。

*1:「群読脚本に反映される学習者の意図の研究」片桐史裕,他 上越教育大学教職大学院研究紀要 16 51-60 2019年2月

*2:例:「祭り囃子」

2019-07-23Don’t think. FEEL!

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先日の高校生対象の群読講座で、印象的な感想を書いてくれた生徒がいた。

私はグループ活動が正直言うと苦手で、不安でしたが、メンバーの皆と群読をしたことで、気持ちが楽になりました。とても楽しかったです。

ここに群読(声を合わせる活動)の意義が現れているのだと思った。

グループ活動では、グループメンバーと上手くやれるかどうかという「壁」が存在する。あまり親しくない人とグループを構成したときにはそれが顕著になる。ある程度自分の「殻」を固くしてしまう。

しかし、単純に一緒に声を合わせるだけでその「殻」はちょっと壊れる。世に「アイスブレイク」なんて言われているものなのだろうけれど、同じ文章を同じタイミングで音読するだけで、簡単にちょっと距離が近くなる。

これはうちの研究室の堀君の今年の研究テーマだ。クラスで40人もいると、よく喋る人、あんまり喋らない人、全く喋らない人がいる。全く喋らない人とも、人間はいざというときに協力しなければならない。しかし、ちょっとしたことで、「殻」が崩れて距離が近くなるという経験を知っていれば、いざというときにあっという間に打ち解けられるのではないか?

それは、互いに自分のことを打ち明けて、「身近になる」なんていうハードルの高いことをしなくても、一緒に声を合わせるだけでいいのだ。

この記事の「Don’t think. FEEL!」は、ブルース・リーの言葉だが、体感することで、あっという間に会得できてしまうということ。考えていては遅々として進まない。分かってから動くのではなく、動くから分かるのだ。頭でっかちになっては、教育はできない。

特に体を使って学ぶ機会が少ない国語科では、音読という体を使う活動を大切にしていきたい。

画像、内容はビジネス読書ブログからの引用です。

2019-06-29文章を読む

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内田樹先生が言う「中腰」と言うことが,何となくわかってきた気がする。本当にわかったというわけではない。

難解な文章を読んでいて,当然わからないのだ。わかろうと何回も読むのだが,わからないのだ。そんなのはよくあること。こんな内容をすらすらわかる頭のいい人がいるんだろうなぁと自己嫌悪に陥ってしまう。

しかし,そんな文章でも「中腰」で読み続けることができるようになった。というか,中腰状態で読み続ける訓練が必要なんだろうなと思うようになった。「中腰」とは,わからなければわからないなりに読み進める。いつか「わかる」ということが起こるために,体勢をニュートラルにしておくことと私は解釈する。「わからないっっっ!」とほっぽり投げるのではなく,かといってわかったという状態でもない。

寝る前の読書は結構苦痛でもあり,楽しくもあった。とんとわからない文章を読み続けるのは苦痛なのだが,それを続けるといわゆる「物狂おし」という状態になってくる。だって分けがわからないんだもん。

内田先生はそのわからない文章に対して自分を合わせる必要があると言っている。その文体,その言い回しに自分が慣れてきて,あるとき分かるようになってくる。その状態になるまで「中腰」を続けなければならないという。自分がその文体に合っていくんだ。

内田樹先生の文章はこの10年間さんざん読んでいた。だから,内田先生が翻訳した「徒然草」の現代語訳も,すんなり自分に入ってくるものだった。

中学から大学時代に私は筒井康隆の文章をさんざん読んだ。大学時代には全集を1冊ずつ生協で買って,読み進めていた。最近は発表作品が少なくなってきたから,読む機会は以前ほどでもなかったのだが,久しぶりに「不良老人の文学論」を読んだら,「そうそう!こんな感じ!」と筒井康隆の文体がとても懐かしく,どんどん自分に入ってくるのがわかった。

文体に自分が合うってこういう感じなんだろうなと思った。

そのためには中腰でいろんな文章(なるべく良い文章)を読まなければならない。その機会を与えるのが国語の役割だという。

最近の傾向では,国語は中腰の状態を許さない。なんでも「理解」させなければならない。理解させるために教師が解釈の押しつけをおこなう。学習者も「結局答って何なの?」と即時的な理解を求める。それじゃあ中腰の状態なんて経験することができない。「自分が文体に合う」という経験をすることはできない。今どきの国語教育の弊害だよなぁと思う。分けの分からない状態を続ける余裕も国語授業にはない。

2019-06-06短歌・俳句の授業デザイン

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今日の「中学校高等学校国語科授業づくり演習」では,短歌の授業デザインについて考えてみた。

短歌・俳句の授業はどのようなものにすればいいのか,見当が付かないというところから,今回の話題に選んだそうだ。以下,出た話題を列挙していく。

  • 教科書に掲載されている短歌・俳句は,最近のものは俵万智のものしかない。現代において短歌・俳句のニーズはあるんだろうか?
  • 教科書掲載の短歌・俳句を「古典」として学ぶのか,「現代に活きる言葉」として学ぶのか,よく分からないところがある。ニーズがなければ,特に,児童・生徒に「活きた言葉」として学ぶ必要が感じられなければ,「古典」を学ぶと同じことになるのだろうか?
  • 教科書にある「学習」を見ても,「区切れはどこか?」とか,「リズムを味わおう」とか,「それをやったらどんな意味があるの?」というモノばかりだ。区切れなんて読み取ったからといって,その短歌・俳句を読み取ったことになるのかな?
  • 先日扱った「詩」と同じように,表現なくして,短歌・俳句を学ぶ意味はないと思う。言葉に向き合うことで,短歌・俳句を読み取ることになる。
  • 「詩」のように,形式を指定して,創作してもらうとか?
  • 子どもに短歌を詠ませると,安易に「きれいだな」なんていう,イメージが湧かない語を使うから,そういうのを一切禁止して作らせるのも面白い。
  • 教科書をこう見てみると,そういう安易な形容詞的な言葉って使われていないのに気づくね。
  • 与謝野晶子の「うつくしきかな」ぐらいしかないよね。
  • 例えば「リズムを味わう」とか,「区切れはどこか?」とか,どういうものがあるのかを示しもしないで,「見つけよう」とか,「味わおう」とかさせているのがおかしい。例えば,音楽だったら「何分の何拍子」とか,「ワルツ」とか,「○ビート」とか,カテゴライズされていて,そこから来る雰囲気を味わわせるということをしているのに,国語では全くそういうことをしていない。教科書に書かれていない。
  • 教師の裁量に任されているということ?そんなら時感の無い先生は「これは初句切れ,覚えておけ。」として,それをテストに出して,短歌・俳句を学んだことにさせちゃう。
  • それから,短歌・俳句の表現方法として,例えば,長い時間の一部分を切り取った表現とか,断片的に表現したものとか,全体の一部分の表現とか,いろんな表現形式があるのに,それも体系化されていない。そんな表現形式も知らせないで創作させるから,「きれいだな」なんていう表現を使ってしまう。
  • そういうところから学べば,「シバリ」を付けて,創作させられるよね。子どもたちはそっちの方が面白いと思うし。
  • 「一瞬を切り取った」ということであれば,国語の授業ではなく,クラスの夏休みの宿題として,写真を1枚撮って,そこに俳句を付けて,メールで送ってもらったことがある。
  • 写真と俳句って親和性が高いよね。
  • 例えば,教科書に掲載されている短歌を題材に,それを表現する写真を1枚撮ってくるっていうのは?
  • なるほど,そうすれば,表現されている言葉に向き合うことになるよね。
  • 完全一致じゃなくても,この短歌のどこの部分を表したとか,説明させるといいんじゃないかな?
  • 論理国語と文学国語と分けられるみたいだけれど,文学って,論理的に読むよね。表現的には繋がっていないけれど,繋がっていない間に辻褄を付けて読んでいく。「論理」と「文学」なんて,分けられるものじゃないのに。
  • 以前,3人グループで,1人が初句を思い浮かべたら,2人目がそれに続く7音を付け,次の人が5音を付けるということをやったことがある。例えば1人目が「黒板に」なんて突然いったら,2人目が続けるといいうような。
  • 面白そう。
  • とっぴなものができたら,それに意味づけしていくというのがいいかもしれない。そこに解釈が生まれ,語と語の間を埋めていくような。
  • 将に俳句的。
  • そんなのやったら,その後にやっていた遠足で,山を歩いているときにやり出して,私も振られたことがある。先生,「山道を」に続けて,みたいな。
  • それ,面白い。
  • 昔の恋の歌のやりとりもそうだけれど,「即興性」って重要だよね。即興的にやるからこそ,とっぴなものも生まれて,そこに面白いものが出てくる。
  • 頭の体操になりそう。
  • 将に言葉に向き合う学びだよね。
  • 子どもって,しりとりみたいなことば遊びって好きだよね。これもきっと乗ってくると思う。
  • 「即興性」というのなら,ラップバトルがいいんじゃない?誰かラップバトルができる人いないかな?
  • 「詩のボクシング」ってあったじゃない?そこで「俳句のボクシング」なんてやるのもいいかも。即興的に五・七・五で詠んで,どっちがいいかジャッジしてもらうの。
  • いいね。やっぱり表現することを前提にすることで,短歌・俳句を読む意義が出てくると思う。

2019-05-16檸檬

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今日の「中学校高等学校国語科授業づくり演習」のテーマは梶井基次郎「檸檬」だった。担当者が「檸檬」を提示すると,「うーん,……」という声が上がった。授業でどうするか,つかみ所がない教材という印象を持っている人が多かった。

以下,出された話題をトピックだけあげていく。

  • 「檸檬」は主人公の内面の表出されたものだと授業で教わった。
  • 「檸檬」の結末「京極を下がって行った。」をどう捉えるか?を授業でやったような気がする。
  • これは漠然とした不安がテーマだから,みんなの中にある漠然とした不安は何かを出してもらうというのは,授業としていいのか?
  • 本当に「漠然とした不安」がテーマなの?そんなことはどこに書いてあるかな?テキストから読み取らないと。我々が読み取ったものを「漠然とした不安」と置きかえて,意味づけして与えては,学習者が読み取ったことにならない。
  • 「不吉な塊」とあるんだから,「漠然とした不安」じゃなくて,「不吉な塊」と表現するべき。
  • 「不吉な塊」の象徴が「丸善」何だよね?
  • そうなの?
  • 主人公は以前は丸善にあるようなものに惹かれていたけれど,今の境遇では「みずぼらしくて美しいもの」に惹かれてきたんだよね。
  • そして丸善は「重苦しい場所」になった。
  • 最終的にレモンを置くことで,どっちに惹かれるようになったんだろう?
  • レモンは「不吉な魂」,「みずぼらしくて美しいもの」のどっちなんだろう?
  • どっちでもないもの?
  • 「不吉な塊」から遠ざけてくれるものだろうけれど,「みずぼらしくて美しいもの」とも違う。
  • 結末では結局主人公の気分は上がったの?下がったまま?
  • 「京極」が「活動写真の看板画が奇体な趣で街を彩っている」のだから,「裏通り」ではなく大通りだよね。きっと。映画館があるんだから。
  • ということは,今までの「裏通り」から離れていった?
  • レモンは何だったのか,決め手はないけれど,少なくとも「不吉な塊」を少しは消し去るものなのかな?
  • レモンは何の象徴か?とした場合,とっても表現しにくいものだよね。これをテーマにすると授業では収拾が付かなくなるかも。個人個人によっては違いすぎるから,拡散的課題にしかならない。それはそれで面白いんだろうけれど。
  • 結末では気分が上がった?下がった?なんてのは?
  • レモンは「不吉な塊」,「みずぼらしくて美しいもの」のどちらか?またはどちらでもないのか?  とか。
  • レモンは新しい自分にしてくれた何かかな?
  • なんか,収束しないまま時間が来たけれど,少しは教材としてイメージをつかめたでしょうか?

2019-05-09児のそら寝

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今日の「中学校高等学校国語科授業づくり演習」のテーマは古文教材「児のそら寝」だった。この題材は高校1年生の一番初めに扱う古文ということころが多い。教科書を比べると,1年生の最初ということで,ほとんどの文章の脇に訳注が付いているものから,脚注がふんだんにあるものから,いろいろだ。

この文章で敬語を学ばせるとどこかで書かれてあったと紹介してくれたが,どうしてこの時期にこの題材で敬語をするのかちょっと疑問だ。しかも,僧が児に対して敬語を使っている。この用法はどうしてなんだ?児が「公家・武家などの子弟」ということで敬語を使っているのか?とも思えるが,僧が児を子ども扱いにしてわざと敬語を使っているとも考えられる。フォーマルな感じの敬語ではないから,人間関係が分からないまま敬語を扱うのは学習者の混乱を呼ぶだろうと意見は一致した。

この題材の課題をどうするかで,いろんな意見が出たので,列挙していく。

  • どの教科書にも「笑いを説明しなさい」というのがあるけれど,この課題はなんかぼんやりしている。
  • 「児」って性格が悪いんだか,幼いんだか,よく分からない。
  • 注に「公家・武家などの子弟で,寺社で雑務をする少年」にあるから,行儀見習いの年なんだろう。今でいう中学生くらい?
  • 何歳くらいかというのを,歴史の資料を持って来て解釈するのではなく,文中から根拠を見つけて推測していくのが「国語」の目標になるんだろう。
  • 「し出ださむを待ちて寝ざらむも,わろかりなむと思ひ」とあるんだから,そのくらいのことを考えられるということは,小学校低学年じゃないよね。
  • そして「さだめておどろかさむずらむ」と期待できるくらいだから,小学校6年生くらい?
  • このくらいのことだったら,中学生でも考えるよね。
  • それでも,ぼたもちがなくなりそうだから「えい」と返事をするって,結構幼いところもある。
  • こんな児の年齢を文章中から根拠を見つけて考えるというのって,おもしろい。
  • 学校で,この話を現代に置きかえてストーリーを作りなさいという実践をした方がいて,みんなでカラオケに行こうって話が盛り上がっているんだけれど,一人が寝ているという設定で作った生徒がいた。
  • いったい児はどこで寝ていたんだろう?
  • 台所の近くっていうことだよね。
  • 台所の近くには寝室ってないよね。疲れ果てて横でコテンって寝たのかな?
  • そうなると児のかわいさが出てくる。
  • 児はいつも怠けるやつなのか,可愛らしい子なのか,その設定で変わってくるね。
  • 敬語なんだけれど,僧が児に敬語を使っている。児から僧には話しかけていないんだけれど,これって,どちらも双方で敬語を使い合っているって考えられるんじゃない?今でいうミッション系のお嬢様学校の感じで。
  • 先生から生徒に対しても敬語使うしね。
  • 地の文を見ると,僧や児に対しての敬語は使われていない。本当に児が高貴で敬語が使われているんだったら,地の文でも敬語があるはず。
  • テストを作るんだったら,どんなのを作りますか?「何歳か?」ということを授業で課題にして,テストはどう訊くのかな?と思って。
  • 「文中より根拠を出して,年齢を説明しなさい。」かな?根拠と年齢が論理的に説明してあれば○かな?
  • 他の所だったら,「「ずちなくて」とある児の感情を説明しなさい。100字程度で。」かな?ちゃんと内容をわかっている人だったら,直前の表記ではなく,食べたいんだけれど,すぐに起きないで待っていたということも書くだろうから。
  • この僧たちの笑いって決め手がないよね。
  • 「無期ののちに」ってあるけれど,何の後かっていうと,「おどろかせたまへ」の後だよね。起こされたことに対する「えい」の返事だから,「いったいいつ返事してんの?」ということで笑いが生まれているんだよね。
  • そうか,「僧たち笑ふこと限りなし」を説明するじゃなくて,「どんなツッコミの言葉をかけたらいいか?」という課題だったら,笑いが説明できる!
  • なるほど!

古典学習の1つの意味は,現代では分からない文化や時代背景を言葉から推測できるということ。現代文だったら言葉を読まなくてもなんとなく雰囲気でわかるところがあるから,そうなると言葉を学ぶことにならない可能性が出てくる。古典だからそれが出来るということが今回の授業でわかったことだ。

2019-04-23言語による見方・考え方を働かせる「山のあなた」の授業デザイン

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火曜2限授業「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」の2回目。「言葉そのものを学習の対象としている。」という指導要領解説を受けて,時一歳に授業課題を作った場合,どのようになるのか?を各自持ち寄って検討する時間。

題材は「やまのあなた」

山のあなた カール・ブッセ 上田敏訳

山のあなたの空遠く

「幸」住むと人のいふ。

嘻,われひとと尋めゆきて,

涙さしぐみかへりきぬ。

山のあなたになほ遠く

「幸」住むと人のいふ。

課題

感情曲線を描いてみよう

・2行ずつひとまとまりと考えて,初めから①,②,③とした場合,②は真ん中よりも下か上か?下だとして,どのくらいしたなのか?この線をどのような状態と考えるか?

・寝込むぐらい

・寝込むぐらいだったら,2日寝込むぐらいと考えて,線より下に置く。

・それほど寝込まないんじゃないの?

・①と③は真ん中よりも上と考えていいか?①と③はどちらが上か?

・③が上で,①の時点であった気持ちが,②で落ち込むが,あんまり自覚が無かった。②で反省して,③の方が上になる。

・①の方が上。①はワクワク感満載で,「幸」を探しに行くんだけれど,見つからなかった。それでも,③では,まだ自分が到達しないどこかにあるとして,希望は持っている感じだから,②よりもちょっと上がっているが,①のワクワク感は無いくらい。

・言葉そのものを学ぶというところで,いきなり「感情曲線」と言われると,感情にまかせて考えてしまう。ぼんやりと全体の解釈で考えてしまって,「言葉そのもの」という意識が飛んじゃう場合がある。今回もそうだった。「根拠を詩の表現から持ってくる。」と意識させるとよかったのではないか?

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課題

1回目と2回目で「「幸」住むと人のいふ」の読み方をどう変えるか?

《検討の内容は省略》

・「読み方」となると,とても曖昧で,どう答えてよいのかわからなくなる。

・例えば,「大きさ」,「速さ」,「句切り」とか,様々な読み方の要素を示してしぼらせて考えさせた方がいいのでは?

・表現させて,どうか伝達されたのか伝えてもらって,その後,「実はこういう解釈でこう伝えたかった」という流れだと,面白い課題だったかもしれない。

・これは「表現」と「解釈」と「伝達」という言葉の機能を意識させた課題だった。

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課題

「山のあなたになほ遠く」の「あなたに」を「あなたの」にすると何が違ってくるのか?

・「あなたの遠く」でも日本語的に間違いではない。

・「あなたの」だと,場所を指定している,「置いてある」感じがする。

・「あなたに」だと,そこに接していない感じ。ぼんやりしている感じ。

・分からないくらい「遠い」感じ。

・一度探しに行ったが,そこになく,さらにどこか遠く手の届かないところにあるという感じが出ている。

・「足もとに及ばない」,「〜にはほど遠い」という表現がある。その「に」の使われ方と似ている気がする。

・1字しかない助詞に着目するだけで,言葉の機能に着目して,解釈に繋げていくことができる。

2019-04-16「言葉による見方・考え方を働かせる」とは?

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火曜2限授業「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」という長いタイトルの授業を受け持っている。各教科で言っている「見方・考え方」とは,どういうことか?をみんなで掘り下げていく授業だ。

2018年改定学習指導要領解説に書かれてあることを読み解いて,「いったい何を授業で身に付けさせるべきなのか?」を考えていこうという授業だ。

今回は「国語」。受講者の1名は現職国語教師で,私も元国語教師と言うことで,リアルな授業を元に考えられた。若いストレートマスターの方は,自分の受けた中学・高校の授業について身近に考えられるので,彼らの意見もとても面白かった。

授業は書かれてあることに対する感想や解釈,疑問を解いていくようなフリートークで進めていく。

以下は話の流れのメモ書き。

小学校と中学校での「見方・考え方」のとらえ方の違い

  • 小学校では日常生活での言語活動を意識するのに対して,中学校では社会生活での言語活動を意識して学ぶ。
  • 中学校になると,外部のコンクールに出品したり,高校受験での面接試験もある。
  • 見知らぬ他者に向けて表現する必要がどんどん出てくる。
  • 敬語の使用も小学校ではあまり子どもたち自身が意識はしないが,中学校に入ると不思議と意識して使うようになる。先輩,後輩という意識が生まれてくる。

「言語感覚」という言葉について

  • 解説の表記に「正誤」,「適否」,「美醜」なんてあるが,「美醜」なんて個人の感覚的なもので,それを始動できるのだろうか?
  • 「言語感覚」とは,語彙と密接に関わっていると思う。たくさんある語のうち,的確に伝わるためにどの語を選ぶのか?その語を使うとどのように伝わり方が違うのか?という「表現の効果」という面がある。
  • 相手意識や目的意識をもった言語表現活動により,「どう伝わるのか?」ということを敏感に捉えられるのが「言語感覚」だ。
  • 「赤面した」と「恥ずかしがった」では,どちらが適切なのか?「うれしい」と「たのしい」ではどちらが適切なのか?を直感的に判断できる感覚のこと。
  • それができるには,経験値が必要。授業で経験値を積ませなければならない。
  • 相手の反応を感じて勉強しなければ得られない。読書だけでは身につかない感覚かもしれない。

「言葉そのものを学習対象としている」とは?

  • 「理解することを直接の目的としない」というのは分かるけれど,理解しなくてもいいということなのか?
  • ということは,読む文章は何でもいいということ?どんな文章でも言葉そのものを学べばいいということ?
  • マンガでもいいの?
  • 台詞や説明のないマンガを読んで,それが説明すればいいの?
  • 要約をして終わりという授業では,言葉そのものを学習しているということにはならない。
  • 「何が書いてあるか?」ではなく,「どう書いてあるのか?」
  • 文章を学ぶ上で「何が書いてあるか?」以外の要素って何があるのだろう?

 1.意味・読解

 2.文法

 3.表現工夫・効果・技法

 4.(語彙の)比較・選択

 5.(文章の)構成・構造

 6.音韻・リズム

  • これらを学べば,表現のヒントになる。自分の文章に役立たせることができる。
  • 「深い読み」に繋げることができる。
  • 他の教科の学びに繋げることができる。応用できる。
  • 書かれてある内容だと,応用はできないが,言葉そのものだと,他の分野に応用できる。
  • 言語活動の基礎となることを学ぶのだろう。

2018-12-30国語授業の設問はオープンクエスチョン?

[]国語授業の設問はオープンクエスチョン? 国語授業の設問はオープンクエスチョン? - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 国語授業の設問はオープンクエスチョン? - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 国語授業の設問はオープンクエスチョン? - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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学部生の授業づくりの授業を持っていて,どうも私の考えが伝わらないというもどかしさを持つ。そうしたら,レポートで次のようなことを書いてきた学生がいた。

今まで国語は答えがないから学習者が考えたことは何でもOKという考えだったが……

そうか,そういう考えを持っていたのか。

国語教育専門で学んでいる学生ではないが,もちろん国語科教育指導法を学ばなければ小学校の免許を取得できないので,履修しているはずだ。

国語の模擬授業をみていて,授業者の授業デザインで,教材としたテキストから根拠を求める設問をする学生が少ないと同時に,学習者で根拠をもとに発言する(課題に取り組む)学生も少ないので,上記の考えを持っているのは,その人のみということでもなさそうだ。

センター試験はクローズドクエスチョンに近いもので,高校でそれに合わせた国語を学んでいた反動でそのような考えになっているのか,大学の授業を履修してそのような考えになったのか,不明である。

国語の授業において,オープンクエスチョンを出すことが悪いということではないが,オープンクエスチョンだけでは何も学べない。単に思いつきを言語化すればいいということになってしまう。SNSで思いつきを拡散していれば,言語能力が高くなるとも思えない。

国語なんだから,「テキストである言語から何を読み取り,言語で何を表現するか?」ということにこだわるべきである。テキストから離れて自由に読み取り,思いつきを表現し,「いろいろな考えがあっていいね。」と評価するのは,別に国語の授業である必要がないのではないかな?と,今年も思う。