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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
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2019-11-15欲弁已忘言(純粋経験)

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タイトルは「弁ぜんと欲して已に言を忘る」である。陶淵明の「飲酒」という詩だ。詩全体と詩の内容はこちらにある。

高校の時にこれを読み、大学の授業でもこれを解釈し、高校教員になっても授業で教えた。「この風景、雰囲気、気分、とても素晴らしいことはわかるけれど、それを言葉で表そうと思った途端にその言葉を忘れてしまったって、どういうことなの?」と思っていた。

授業では「言葉じゃ表せないほどすばらしい」というような適当な解釈でわかったような気になって教えていた。

しかし、今、なんとなくわかった気がする。陶淵明は詩人でありながら、言葉で表すことを放棄したんじゃないか?ということだ。言葉で表すことはできるはずがない、言葉の力の限界を言葉を操る人だからこそ知っていた(知った)んじゃないか?と思う。

眼前の風景、雰囲気、気分を言葉で表すことによって、それが限定されてしまい、変化してしまう。この、今体験していることを大切にしたい。だから「言い表す言葉を忘れた」と言いながら、言葉で表したくなかったのだと思う。

西田幾多郎『善の研究』が言うところの「純粋経験*1」なんだと思う。受けとって、評価、判断、概念化がなされる前の状態、言葉になる前の状態を「詩」に保存しておきたかった。詩人だから、と思う。

言葉で表すことによって陳腐になる、チープになるということはある。表してみると、「あれ、こんなことを言いたかったわけじゃ無いんだけれどな。」と思うことはよくある。国語の授業で何でもかんでも作文を書かせるということがおこなわれるが、作文に表すことによって、「噓」になるという可能性があることを、われわれ教員は知っておかなければならない。

言葉に表さずに本人の心に大切に保管しておいた方がいいことってよくあることだ。もちろん、言葉に表すことで明らかになることもある。どちらの可能性もあるということを表現を強いる立場にある人は知っていなければならない。

言葉にしない方がいいことは、他の表現方法で表現すればいいことだ。いや、全く表現しなくてもいい時もある。

*1:反省を含まず主観・客観が区別される以前の直接経験-ウイキペディア