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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を務めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,2019/11/2〜4に長野県でおこないます。
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2019-06-29文章を読む

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内田樹先生が言う「中腰」と言うことが,何となくわかってきた気がする。本当にわかったというわけではない。

難解な文章を読んでいて,当然わからないのだ。わかろうと何回も読むのだが,わからないのだ。そんなのはよくあること。こんな内容をすらすらわかる頭のいい人がいるんだろうなぁと自己嫌悪に陥ってしまう。

しかし,そんな文章でも「中腰」で読み続けることができるようになった。というか,中腰状態で読み続ける訓練が必要なんだろうなと思うようになった。「中腰」とは,わからなければわからないなりに読み進める。いつか「わかる」ということが起こるために,体勢をニュートラルにしておくことと私は解釈する。「わからないっっっ!」とほっぽり投げるのではなく,かといってわかったという状態でもない。

寝る前の読書は結構苦痛でもあり,楽しくもあった。とんとわからない文章を読み続けるのは苦痛なのだが,それを続けるといわゆる「物狂おし」という状態になってくる。だって分けがわからないんだもん。

内田先生はそのわからない文章に対して自分を合わせる必要があると言っている。その文体,その言い回しに自分が慣れてきて,あるとき分かるようになってくる。その状態になるまで「中腰」を続けなければならないという。自分がその文体に合っていくんだ。

内田樹先生の文章はこの10年間さんざん読んでいた。だから,内田先生が翻訳した「徒然草」の現代語訳も,すんなり自分に入ってくるものだった。

中学から大学時代に私は筒井康隆の文章をさんざん読んだ。大学時代には全集を1冊ずつ生協で買って,読み進めていた。最近は発表作品が少なくなってきたから,読む機会は以前ほどでもなかったのだが,久しぶりに「不良老人の文学論」を読んだら,「そうそう!こんな感じ!」と筒井康隆の文体がとても懐かしく,どんどん自分に入ってくるのがわかった。

文体に自分が合うってこういう感じなんだろうなと思った。

そのためには中腰でいろんな文章(なるべく良い文章)を読まなければならない。その機会を与えるのが国語の役割だという。

最近の傾向では,国語は中腰の状態を許さない。なんでも「理解」させなければならない。理解させるために教師が解釈の押しつけをおこなう。学習者も「結局答って何なの?」と即時的な理解を求める。それじゃあ中腰の状態なんて経験することができない。「自分が文体に合う」という経験をすることはできない。今どきの国語教育の弊害だよなぁと思う。分けの分からない状態を続ける余裕も国語授業にはない。