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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
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2019-06-25I have a dream

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今日の「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」は,前回の英語の続き。中学校英語教科書のある単元に関して,どんな意図で作られているのか,授業デザインはどうあるべきなのかを考える。

私が大学まで受けた外国語の授業での「違和感」は,こんなことだったんだと再認識した。きっと今の先生はもっと上手に授業デザインを作っているんだろうと思うから,私がこの教科書内容通りに授業をおこなったら,こんなふうになっちゃうんだろうというように捉えてしまった。

教科書は,全体的にコミュニケーションを図ろうとする単元が多い印象だった。生徒同士である構文を習得するために,シチュエーションを設定し,それに基づき会話を「強制的に」おこなう。

例えば,無人島に3人連れて行くとして,次のうち,どんなことができる人と一緒に行きたいかを3つ選ぶ。

  • cook well
  • climb trees
  • swim fast
  • make a fire
  • use a knife
  • play the guitar

そして選んだことができる人を英語で訪ね,見つける。「Can you〜?」

最後に自分や友だちのできることを英語で紹介する。

これを自分が受けていたらどう思うだろうか?もし,自分の料理の才能を見つけられ,「無人島にボートで行こう」と誘われたら,「嫌だ。」ときっと答えるだろう。このロールプレイなんだか茶番だかわからない設定にぞわぞわしてしまう。

ゲームなんだか,現実なんだか,曖昧な設定。どうして最後に「自分○○ができる。」ということで締めくくるんだろう?最初から最後までゲームにすればいいのに。「あなたは英語しか通じない世界に放り込まれました。ここから脱出するには,どのような能力が必要ですか?」という設定で,「能力」の絵が書かれたカードをランダムに1人2枚ずつぐらい配り,質問は「Can you〜?」しか使えない。ぐらいにすれば,「ゲームなんだな」と入り込める。

英語の授業ではよくこのような「茶番」を子どもたちに演じさせる。英語で書かれてある必要のない文章を読んで,英語で伝える必要のない文章を作り,日本人相手に英語で話す。これがとってもこそばゆい。とってつけた感というか,白々しさを感じてしまう。これを感じないでどんな設定でも違和感なく入り込めれば,英語が上達したのだろうか?

ある単元では,英語で話されている内容を聞いて,「英語でメモをとる」というものが合った。どうして英語でメモをとる必要があるの?この意図が全くわからない。英単語がわからなければ,メモが取れないのだ。置いてきぼりである。


そんな中で,これぞ!という単元を見つけた。きっとほとんどの教科書に載っていると思われる「I Have a Dream」だ。

最近テレビで黒人解放運動の番組を観て,その内容が新鮮だったということもあるのだが,キング牧師の演説を教科書で読んだら,とても胸に迫るものがあった。中学3年生の教科書に載っているのだが,内容的には中学2年生でもわかるようなそれほど複雑ではない英語だ。しかし,英語を読み取る力があるだけで,それを原文で,自分で読むことができることに意味があると思った。

日本語訳したものに触れたからといって,原文を読んだ感動は得られないと思った。この感動的な文章をそのまま読み取ることができるというところに,英語教育の意味の1つがあるのだと思う。内容のない,白々しいコミュニケーションをするだけの英語教育を受けたといって,こんな感動はうまれない。もちろん,それらはコミュニケーションの訓練であり,行く先には原文にアクセスする力を付けることと,目標を設定していればいいとは思う。

第1文がとてもかっこいい。

I have a dream that my four little children wiil one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

「not〜but」構文って,なんだかかっこいいと思ってしまう。英語独特の表現なのだろうけれど,日本語で「人間の中身ではなく肌の色で判断されない」と訳したとしても,これほどのかっこよさは出ないなぁと思う。かっこよさは感覚の問題で,個人差があるけれど。

no move no football

みたいな。「動かなければサッカーじゃない」というニュアンスと全く違うと思う。この英語のニュアンスを身に付けたいとも思う。これこそ英語を学ぶ意味じゃないのかな?

内田樹先生は今の日本の英語教育は,「目標言語が英語で,目標文化が日本だ」として,日本である程度の地位を得るために英語をやっており,そんな英語は必ず廃れると言っている。内田樹の研究室そこが私の感じた「白々しさ」に繋がるのかな?とも思う。

絶対に「英語で書かれたすばらしい文章に触れたいから英語を学ぶ」とか,「英語のすばらしい歌を歌いたいから,英語を学ぶ」とか,「英語の映画で,本当は何を言っているのかわかりたいから英語を学ぶ」と言った方が,格好いいに決まっている。これは国語の古典学習にも通じることだ。