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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
manabiainu
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2019-06-30コナミスポーツクラブ 新潟

[]コナミスポーツクラブ 新潟 コナミスポーツクラブ 新潟 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - コナミスポーツクラブ 新潟 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 コナミスポーツクラブ 新潟 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

最近ずいぶんと行っていなかった。2月以来4カ月ぶりだった。ほぼ週末は雨が降らないから,屋外でジョギングできた。

都度会員なんだけれど,今回1回925円になっていた。200円も上がっていた。うーん,900円超えとなると,安いとは言えない。それでも,ジョギングしてウエイトトレーニングして,風呂入ってサウナにも入れるとなると,安いのかもしれないが……。もう行かないかもしれない。

ここは,サウナも広く,水ぶろも冷たく,いいのだけれど,休憩のベンチが少ない。2つあって,1つは常時外にある。誰かが使っている可能性はとても高い。そんな時は,洗い場の洗い椅子に座って休憩するしかないんだけれど,隣で体を洗っている人がいたりして落ち着けない。今日は運良くベンチを使えた。

サウナにはテレビが付いていて,常時NHKが流れている。相撲の時期はいいのだけれど。今日はちょうどトランプと金正恩の面会が生中継していて,それを見られたのはよかったのかもしれない。

いつもいる主みたいな体型のいいオヤジがいるんだけれど,サウナの中で汗を飛ばしながらストレッチしたり,シャワーエリアにシャワーをぶっかけて掃除していたり,水ぶろの狭いところに割り込んできたりと,そのオヤジがいると,何だかな,と思ってしまう。今日もいた。

風呂から上がってみると,私が脱いだ服が棚に無い。誰かが間違って持っていったらしい。何でこうなるの?汗だくのシャツやパンツ,持っていってもしょうがないでしょう?風呂の前には,ロッカーが閉まらなくなって,フロントまで行かなきゃならなかったし,今日はさんざんだな。

しばらく,天候が悪くなるまで,行かないでいいな。

今日のととのい度→3 ☆☆☆★★

2019-06-29文章を読む

[][]文章を読む 文章を読む - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 文章を読む - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 文章を読む - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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内田樹先生が言う「中腰」と言うことが,何となくわかってきた気がする。本当にわかったというわけではない。

難解な文章を読んでいて,当然わからないのだ。わかろうと何回も読むのだが,わからないのだ。そんなのはよくあること。こんな内容をすらすらわかる頭のいい人がいるんだろうなぁと自己嫌悪に陥ってしまう。

しかし,そんな文章でも「中腰」で読み続けることができるようになった。というか,中腰状態で読み続ける訓練が必要なんだろうなと思うようになった。「中腰」とは,わからなければわからないなりに読み進める。いつか「わかる」ということが起こるために,体勢をニュートラルにしておくことと私は解釈する。「わからないっっっ!」とほっぽり投げるのではなく,かといってわかったという状態でもない。

寝る前の読書は結構苦痛でもあり,楽しくもあった。とんとわからない文章を読み続けるのは苦痛なのだが,それを続けるといわゆる「物狂おし」という状態になってくる。だって分けがわからないんだもん。

内田先生はそのわからない文章に対して自分を合わせる必要があると言っている。その文体,その言い回しに自分が慣れてきて,あるとき分かるようになってくる。その状態になるまで「中腰」を続けなければならないという。自分がその文体に合っていくんだ。

内田樹先生の文章はこの10年間さんざん読んでいた。だから,内田先生が翻訳した「徒然草」の現代語訳も,すんなり自分に入ってくるものだった。

中学から大学時代に私は筒井康隆の文章をさんざん読んだ。大学時代には全集を1冊ずつ生協で買って,読み進めていた。最近は発表作品が少なくなってきたから,読む機会は以前ほどでもなかったのだが,久しぶりに「不良老人の文学論」を読んだら,「そうそう!こんな感じ!」と筒井康隆の文体がとても懐かしく,どんどん自分に入ってくるのがわかった。

文体に自分が合うってこういう感じなんだろうなと思った。

そのためには中腰でいろんな文章(なるべく良い文章)を読まなければならない。その機会を与えるのが国語の役割だという。

最近の傾向では,国語は中腰の状態を許さない。なんでも「理解」させなければならない。理解させるために教師が解釈の押しつけをおこなう。学習者も「結局答って何なの?」と即時的な理解を求める。それじゃあ中腰の状態なんて経験することができない。「自分が文体に合う」という経験をすることはできない。今どきの国語教育の弊害だよなぁと思う。分けの分からない状態を続ける余裕も国語授業にはない。

2019-06-28「主体的・対話的で深い学び」を映像化できるか? 新潟講座(新潟県

[]「主体的・対話的で深い学び」を映像化できるか? 新潟講座(新潟県立大学) 「主体的・対話的で深い学び」を映像化できるか? 新潟講座(新潟県立大学) - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「主体的・対話的で深い学び」を映像化できるか? 新潟講座(新潟県立大学) - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 「主体的・対話的で深い学び」を映像化できるか? 新潟講座(新潟県立大学) - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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4年連続4回目の新潟県立大学での入試説明会。新潟県立大学は,学部規模ではうちの上教大よりもちょっと大きいが,ほぼうちと同じかんじ。でも校舎に入ると雰囲気が全く違う。うちの校舎は機能的で,無駄なところがない感じだが,新潟県立大学は,余裕を持って作られており,エントランスなんてとてもゴージャスだ。公立大学であんな感じの校舎はあまりない。

それに合わせて,学生さんの雰囲気も違う。ここではジャージを着ている学生さんなんて見かけたことがない。何だろう,この違いは。と,過去の私の「県短」時代への憧れによって,そう見えているのかもしれないけれど。

一般参加者5名,県立大学の学生さん4名,計9名の参加だった。「主体的・対話的で深い学びが生起する授業デザインを考える」というタイトルで話した。スライドを使って,ほぼ一方的に話しただけで,この講座では「主体的・対話的で深い学び」は起きなかったと思われるのだが,「主体的・対話的で深い学びが生起した授業」は果たしてビデオで見せて「そうだ」と思わせることができるのだろうか?

というのも,講座終了のアンケートで,授業の具体的な紹介をしてほしかったという意見があったのだ。そうだよなぁ。授業の具体はほとんど提示していなかった。提示しても,伝わらないだろう,と思ったし,撮ったビデオを流しても,「どこが主体的・対話的で深い学び?」と思われるのではないかと思ったからだ。

受講者に「子どもが主体的に活動している姿はどんな姿?」という問に答えてもらった。ほとんどが,脳内の活動に関する表記だった。脳内の活動は映像に映らない。つまり,教師が子どもたちの活動を見ていても,主体的・対話的で深い学びが起こっているかは判断が付かないということになる。

となると,わかるのは子どもたち自身になる。「子どもたちのふりかえりを紹介したら?」と元同僚の参加者にアドバイスをもらった。そうか。その手があったか。そして,ワークショップを開いて,主体的・対話的で深い学びを体感してもらうというアドバイスも頂いた。

なるほど,来年はそういう方向で講座をデザインしてみよう。

2019-06-26かわら亭

[]かわら亭 かわら亭 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - かわら亭 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 かわら亭 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

今日も快適なサウナだった。平日18時以降に行くと,とっても空いていてよい。ここは外気浴するときには屋根のない石庭まででないといけないので,雨が降っていると外気浴できないことになる。今日はよい天気だった。天気を選ばないといけないのもちょっと残念なところだ。

2回目で既に完全にととのう。以前もそうだったのだが,2回目で完全にととのうと,3回目はそれほどでもなくなってしまう。1度のサウナで1回しかととのわないという法則でもあるんだろうか?何度もととのうといいのだが。

だから,3回目はだめそうだな,と思ってミストサウナに入った。かわら亭のミストサウナもとても満足がいく。冬に入るといいのだが,じわじわと腰のあたりから暖かくなってくる。しかも入っている人がいつもほとんどいないのもお気に入りだ。

今日のととのい度→5 ☆☆☆☆☆

2019-06-25I have a dream

[]I have a dream I have a dream - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - I have a dream - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 I have a dream - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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今日の「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」は,前回の英語の続き。中学校英語教科書のある単元に関して,どんな意図で作られているのか,授業デザインはどうあるべきなのかを考える。

私が大学まで受けた外国語の授業での「違和感」は,こんなことだったんだと再認識した。きっと今の先生はもっと上手に授業デザインを作っているんだろうと思うから,私がこの教科書内容通りに授業をおこなったら,こんなふうになっちゃうんだろうというように捉えてしまった。

教科書は,全体的にコミュニケーションを図ろうとする単元が多い印象だった。生徒同士である構文を習得するために,シチュエーションを設定し,それに基づき会話を「強制的に」おこなう。

例えば,無人島に3人連れて行くとして,次のうち,どんなことができる人と一緒に行きたいかを3つ選ぶ。

  • cook well
  • climb trees
  • swim fast
  • make a fire
  • use a knife
  • play the guitar

そして選んだことができる人を英語で訪ね,見つける。「Can you〜?」

最後に自分や友だちのできることを英語で紹介する。

これを自分が受けていたらどう思うだろうか?もし,自分の料理の才能を見つけられ,「無人島にボートで行こう」と誘われたら,「嫌だ。」ときっと答えるだろう。このロールプレイなんだか茶番だかわからない設定にぞわぞわしてしまう。

ゲームなんだか,現実なんだか,曖昧な設定。どうして最後に「自分○○ができる。」ということで締めくくるんだろう?最初から最後までゲームにすればいいのに。「あなたは英語しか通じない世界に放り込まれました。ここから脱出するには,どのような能力が必要ですか?」という設定で,「能力」の絵が書かれたカードをランダムに1人2枚ずつぐらい配り,質問は「Can you〜?」しか使えない。ぐらいにすれば,「ゲームなんだな」と入り込める。

英語の授業ではよくこのような「茶番」を子どもたちに演じさせる。英語で書かれてある必要のない文章を読んで,英語で伝える必要のない文章を作り,日本人相手に英語で話す。これがとってもこそばゆい。とってつけた感というか,白々しさを感じてしまう。これを感じないでどんな設定でも違和感なく入り込めれば,英語が上達したのだろうか?

ある単元では,英語で話されている内容を聞いて,「英語でメモをとる」というものが合った。どうして英語でメモをとる必要があるの?この意図が全くわからない。英単語がわからなければ,メモが取れないのだ。置いてきぼりである。


そんな中で,これぞ!という単元を見つけた。きっとほとんどの教科書に載っていると思われる「I Have a Dream」だ。

最近テレビで黒人解放運動の番組を観て,その内容が新鮮だったということもあるのだが,キング牧師の演説を教科書で読んだら,とても胸に迫るものがあった。中学3年生の教科書に載っているのだが,内容的には中学2年生でもわかるようなそれほど複雑ではない英語だ。しかし,英語を読み取る力があるだけで,それを原文で,自分で読むことができることに意味があると思った。

日本語訳したものに触れたからといって,原文を読んだ感動は得られないと思った。この感動的な文章をそのまま読み取ることができるというところに,英語教育の意味の1つがあるのだと思う。内容のない,白々しいコミュニケーションをするだけの英語教育を受けたといって,こんな感動はうまれない。もちろん,それらはコミュニケーションの訓練であり,行く先には原文にアクセスする力を付けることと,目標を設定していればいいとは思う。

第1文がとてもかっこいい。

I have a dream that my four little children wiil one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

「not〜but」構文って,なんだかかっこいいと思ってしまう。英語独特の表現なのだろうけれど,日本語で「人間の中身ではなく肌の色で判断されない」と訳したとしても,これほどのかっこよさは出ないなぁと思う。かっこよさは感覚の問題で,個人差があるけれど。

no move no football

みたいな。「動かなければサッカーじゃない」というニュアンスと全く違うと思う。この英語のニュアンスを身に付けたいとも思う。これこそ英語を学ぶ意味じゃないのかな?

内田樹先生は今の日本の英語教育は,「目標言語が英語で,目標文化が日本だ」として,日本である程度の地位を得るために英語をやっており,そんな英語は必ず廃れると言っている。内田樹の研究室そこが私の感じた「白々しさ」に繋がるのかな?とも思う。

絶対に「英語で書かれたすばらしい文章に触れたいから英語を学ぶ」とか,「英語のすばらしい歌を歌いたいから,英語を学ぶ」とか,「英語の映画で,本当は何を言っているのかわかりたいから英語を学ぶ」と言った方が,格好いいに決まっている。これは国語の古典学習にも通じることだ。

2019-06-24アドラー心理学で変わる学級経営

[]アドラー心理学で変わる学級経営 赤坂真二 2019 アドラー心理学で変わる学級経営 赤坂真二 2019 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - アドラー心理学で変わる学級経営 赤坂真二 2019 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 アドラー心理学で変わる学級経営 赤坂真二 2019 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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「100分de名著」で岸見一郎の解説を聞いたり,ひょんなことから,「子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気 (幻冬舎単行本)」を読んだり(本当は,聴いたり)して,アドラー心理学に触れることがあった。「褒めない,叱らない」って,どういうことなんだろう?と疑問に思っていた。

そして同僚の赤坂真二先生の著書「アドラー心理学で変わる学級経営」を読んだ。

「褒めない,叱らない」ということがわかったわけではないのだが,子どもの「不適切」な行動には目的があると述べており,褒めず,叱らず,その目的や,目的に到達する手段を別のものに修正する必要がある,ということなのかな?と思った。

前者に立つと,「子どもたちの気になる行動や問題行動には原因がある」と捉えることができますが,「それらは目的に向かって起こる」と捉えることができます。学校現場では学校現場ではついつい原因論に立ってしまうことが多いのではないでしょうか。……「悪者探し」をしがちです。……しかし,目的論に立つと同じ行動でも違って見えてきます。意地悪をするのは,「相手の気をひきたい」のかもしれません,「一緒に遊びたい」のかもしれません,また,「ストレスを発散したい」のかもしれません。

目的論に立つことで,悪者探しが起こりにくくなる

のです。(p.51)

「悪者探し」は,学校だけでじゃなく,社会で当たり前のように起こっている。何か事故があったら,事故を起こした当人を「悪者」として,糾弾する。実はシステムによる事故や,構造による事故という場合が多い。航空業界では,それに気づき,事故があったらブラックボックスを元に徹底的にシステムや構造を究明する。医療業界では,まだそれがなく,原因を医療従事者に求めたり,医療従事者が原因を自ら否定して,人間の寿命に求めざるを得ない状態があるという。

悪者探しをしても,子どもや学校現場はちっともよくならない。というのはよくわかっているが,悪者探しをして,悪者を見つけ,それで納得して,精神を安定させる。

「学校現場の失敗学」を考えてみる必要がある。

「褒めない,叱らない」が,ちょっとだけわかった気がする。でも,先日次男を叱ってしまったんだよなぁ。

アドラー心理学で変わる学級経営 勇気づけのクラスづくり (学級経営サポートBOOKS)

子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気

2019-06-15ネット情報の功罪

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SNSで流れてくる情報は,偏っているなぁと最近思う。偏っている原因は主に自分にあるのだけれど。

フォローしてる人から,面白い情報や,面白い情報のリンクが流れてくるから,とてもためになる。一方,読んでいて不快な情報はブロックする。この人と合わないな,と思う人のフォローを外すなどをしてしまうから,自分にとって嫌な情報は流れてこない。

特にFacebookは,実際に会ったことがある人で,どういう人かわかる人としか繋がっていないから,少なくとも私とはソリの合わない人ではない(と思う)。だから,不快な情報は流れてこない。「不快」というのは,罵詈雑言とか,嫌がらせとかそういうことじゃなくて,自分の思想信条に反することを賞賛する情報だ。

だから,必然的に,Facebookを読んでいると,いつも同じ人の情報に触れるということになる。Facebookはそういうものと割り切ることにしている。

一方,最近Twitterを再開した(といっても,また,チェックするようになった程度)ので,いろんな情報が飛び込んでくる。そこには,私の思想信条と反することも流れてくる。雑多だ。嫌な情報もあるのだが,世の中そういうものだというように,Twitterを捉えることにした。

いやいや,Facebook,Twitterというネット内の閉じられた世界だけが「世の中」なんて思っていては危険だ。ネットの闇がどんどん拡大していると思える昨今,ダークサイドに陥らない勇気を持っていなければならない。ネットでの評価よりも,半径数十メートル(私が物理的に移動すれば,必然的にエリアは広がる)の評価の方が大切だよ,人間は。それくらいしか私は「現実」として把握できない。

rx178gmk2rx178gmk22019/06/16 15:14だからこそ、学校があり、授業があるのだと思っています。

F-KatagiriF-Katagiri2019/06/16 15:35ですよね。私はネット経由の学校って,あんまり信じていません。

2019-06-13かわら亭

[]かわら亭 かわら亭 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - かわら亭 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 かわら亭 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

夏のホームサウナとしたかわら亭には,毎週通っている。

今日は職場から出るのがいつもよりちょっと遅くなったが,ちょうどいい時間帯で,入浴者は数えるほどしかいなかった。ここに自動車で来ると,駐車場にはたくさん自動車が駐まっているのだが,風呂にはあんまり人がいないことが多い。宴会に来ている人が多いと思われる。

サウナ内で喋る人もうなる人もいなかったし,水風呂も空いていたし,ととのったし,最高のサウナ体験だった。

水風呂にずーっとつかっていると,体の芯まで冷えてきて,聴覚が研ぎすまされて,水が流れる音が急に大きく聞こえてくる。じつは体が危険を知らせているのか?とも思う。そうなったら,石庭の石に腰掛けて休憩する。玉砂利が足の裏に心地いい。

今回は2回目が一番ととのい,3回目はそうでもなかった。そうでもなくても,最後の回の後に入る温泉が冷えた体を芯までじんじんと温めてくれて,これはこれでいいのだ。全身が一度にビリビリと痺れる感じは,他では体験できない。

あっという間に19時半になってしまった。

今日のととのい度→5 ☆☆☆☆☆

2019-06-12賞味期限のウソ

[]賞味期限のウソ 井出留美 幻冬舎 2016 賞味期限のウソ 井出留美 幻冬舎 2016 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 賞味期限のウソ 井出留美 幻冬舎 2016 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 賞味期限のウソ 井出留美 幻冬舎 2016 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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 日本の食品ロス量は,632万トン(2013年度,農林水産省調べ)。これは東京都民が1年間に食べている量とほぼ同等だそうです。

(中略)

 世界の食糧支援料は約320万トン(2014年)なので,日本は,世界全体で支援される食糧の2倍もの量を,日本国内だけで捨てているのです。

p.108

日本の食品ロス量は,ハンパない状態ということは,昔から知ってはいたが,どうしてそんなことが起こっているのか,この本を読んでよくわかった。誰も食品なんて捨ててもいいものだ,なんて思ってはいないのだが,日本の食品流通システム,異常なまでの健康志向などがそれを必然的に生んでいる。

スーパーに欠品を出すと食品メーカーはペナルティーを受けるそうだ。だから,消費量以上の供給をしなければならない。だから必ず食品ロスが出るシステムになってしまう。

賞味期限と消費期限の違いもわからず,賞味期限が1時間でも過ぎると廃棄してしまう。

コンビニでは賞味期限に近い食品を割り引いて販売することが「禁止」されているところもある。

リスク回避のために,フードバンクが広まらない。

そんなことも知らずに,テレビで食品を粗末に扱うシーンが出ると,「もったいない」と,目くじらを立ててクレームを言う視聴者がいるそうな。そのテレビでダメにしている食品の量と,自分が廃棄している,もしくは自分が原因でダメにしている食品の量を比較したことなんて全くない。そういう人に限って,スーパーで賞味期限が遅いものを選んで買おうとしている。多く買えば1個当たりの単価が安くなる野菜を買って,余ったからといって捨てている。

日本の食品ロス量の約半分が家庭から出ているということも驚く事実だ。

私の最近のマイブームは,月曜日にスーパーに行き,1週間で食べるものを買う。そして月曜日から金曜日で使い切ること。ほぼパズルゲームのようになっている。ちょと余ったら冷凍したりして次の週には使うように心がける。金曜日にはアパートから,自分の家に帰るのだが,金曜日の朝には冷蔵庫に入っているのは,ほぼない。(ビールと炭酸水とバターとビアグラスぐらいだろうか?冷凍庫には冷凍食品があるけれど。)

購入量を失敗して,足りなくなった場合は,冷凍食品や缶詰で賄う。「今日は刺身をつまみにビールを飲みたい」となった場合は,スーパーで刺身は買う。週の途中で買うものは,その日に食べきるものだけだ。

食品ロスをするぐらいだったら,傷んでいても食べきって腹を下してもいい,と立川談志がテレビで言っていた。去年修了した大学院生は,2年間部屋に冷蔵庫がなかったそうだ。それでも十分生きていける。いや,私は冷蔵庫にビールがないと生きていけないかも。(それも,その日に飲むビールはその日に買えばいいのかもしれない。)

賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか (幻冬舎新書)

2019-06-11愛がなんだ

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町山智浩さんが最近観た日本の映画で勧めていたので観に行った。マイナーな映画そうだから,新潟でやっていても,シネウインドか,上越だったら数ヶ月語に高田世界館かな?と思ったら,今やっていた。新潟市ではイオンシネマ南だったし,なんと上越のジェイマックスシアターでやっていた。驚き。

今回,町山さんの印象と私の印象はちょっと違った。町山さんは成田凌演じる「マモちゃん」がとんでもないダメ男で,ひどすぎる,岸井ゆきの演じる「テルコ」がマモチャンの言うことをなんでも聞いて,献身的に尽くしている,なんていう解釈をしていたけれど,私は観て「そこまでマモちゃんはだめ人間じゃないんじゃないか?」と思ってしまった。

主人公の岸井ゆきのは,「まんぷく家族」でタカ役をしていた女優だ。そこでの役柄ではそれほど美人ではないんだけれど,父親や夫にはめちゃめちゃ可愛いと観られていた。「愛がなんだ」でも美人役としては出ていないんだけれど,「まんぷく家族」の時の印象とは違って,あるシーンではとても綺麗に見えてくる。そこがこの女優の魅力なんだろうと思う。門脇麦に通じるところがある。

さて,マモちゃんがそこまで悪い男ではないと思ったのは,自分の都合のいいときだけ女を呼び出す,ということは,それほど珍しいことでもないし,自分の部屋を勝手にいじられるのは嫌な気分だし,熱があって伏せっているときに,近くで風呂の掃除なんかされたら,そりゃ,追い出したくなるよ。ということ。つまり,マモちゃんだけがひどいのではなく,テルコもちょっとずれているのだ。そりゃあずっといると煙たがられるよな,とも思う。

この映画の面白いところは,5人の男女が出てくるのだが,みんながみんな勝手で,互いに「上手くいっていない」ということ。しかしその関係は切れてはいないし,そして相手に合わせて自分を変えようともしないこと(1人は自分を変えようとはしているのだが)。つまり5者5様の「エゴ」を描いているということなんだと思う。

その人の都合のいいように接して,呼ばれたときだけ行って,「自分なんかに声をかけてくれる」と有り難がっていたが,そういうことを続けると彼女がだめになるから,好きになるのをもうやめる,と打ち明けた男(テルコの友だちの友だち)に対して,テルコは愛が何だ,そんなの関係ない,と言う。「振り向いてくれないから諦めるって言え」と相手への思いやり=「愛」を真っ向から否定する。

テルコのしていることはなんだろう?テルコもその男と同じように都合のいい女になっているが,テルコはマモちゃんのためを思っていない。自分のためにマモちゃんを好きになっている。かといって自分の気持ちを相手に押しつけない。いつも一緒にいたいけれど,「出ていけ」と言われれば,出ていく。

不思議な台詞があった

どうしてまだマモちゃんになれないんだろう

テルコが目指している「愛」というのは,その人が喜ぶのを見て自分が喜ぶことではなく,その人自身になること,その人と一体化することということだろうか。

アイドルが好きで,そのアイドルと同じ格好をする。同じ行動を取る。神を信仰して,神と一体化したいと思い,命を絶つ。それと同じということなんだろうか?そこのところは本当にわからない。

「自分の欲求を抑えてでも,その人のために献身する」という方を一般的には「愛」という。「その人と一体化する」というのは「愛」とは読んでいない気がする。だから「愛がなんだ」というタイトルなのか?

2019-06-06短歌・俳句の授業デザイン

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今日の「中学校高等学校国語科授業づくり演習」では,短歌の授業デザインについて考えてみた。

短歌・俳句の授業はどのようなものにすればいいのか,見当が付かないというところから,今回の話題に選んだそうだ。以下,出た話題を列挙していく。

  • 教科書に掲載されている短歌・俳句は,最近のものは俵万智のものしかない。現代において短歌・俳句のニーズはあるんだろうか?
  • 教科書掲載の短歌・俳句を「古典」として学ぶのか,「現代に活きる言葉」として学ぶのか,よく分からないところがある。ニーズがなければ,特に,児童・生徒に「活きた言葉」として学ぶ必要が感じられなければ,「古典」を学ぶと同じことになるのだろうか?
  • 教科書にある「学習」を見ても,「区切れはどこか?」とか,「リズムを味わおう」とか,「それをやったらどんな意味があるの?」というモノばかりだ。区切れなんて読み取ったからといって,その短歌・俳句を読み取ったことになるのかな?
  • 先日扱った「詩」と同じように,表現なくして,短歌・俳句を学ぶ意味はないと思う。言葉に向き合うことで,短歌・俳句を読み取ることになる。
  • 「詩」のように,形式を指定して,創作してもらうとか?
  • 子どもに短歌を詠ませると,安易に「きれいだな」なんていう,イメージが湧かない語を使うから,そういうのを一切禁止して作らせるのも面白い。
  • 教科書をこう見てみると,そういう安易な形容詞的な言葉って使われていないのに気づくね。
  • 与謝野晶子の「うつくしきかな」ぐらいしかないよね。
  • 例えば「リズムを味わう」とか,「区切れはどこか?」とか,どういうものがあるのかを示しもしないで,「見つけよう」とか,「味わおう」とかさせているのがおかしい。例えば,音楽だったら「何分の何拍子」とか,「ワルツ」とか,「○ビート」とか,カテゴライズされていて,そこから来る雰囲気を味わわせるということをしているのに,国語では全くそういうことをしていない。教科書に書かれていない。
  • 教師の裁量に任されているということ?そんなら時感の無い先生は「これは初句切れ,覚えておけ。」として,それをテストに出して,短歌・俳句を学んだことにさせちゃう。
  • それから,短歌・俳句の表現方法として,例えば,長い時間の一部分を切り取った表現とか,断片的に表現したものとか,全体の一部分の表現とか,いろんな表現形式があるのに,それも体系化されていない。そんな表現形式も知らせないで創作させるから,「きれいだな」なんていう表現を使ってしまう。
  • そういうところから学べば,「シバリ」を付けて,創作させられるよね。子どもたちはそっちの方が面白いと思うし。
  • 「一瞬を切り取った」ということであれば,国語の授業ではなく,クラスの夏休みの宿題として,写真を1枚撮って,そこに俳句を付けて,メールで送ってもらったことがある。
  • 写真と俳句って親和性が高いよね。
  • 例えば,教科書に掲載されている短歌を題材に,それを表現する写真を1枚撮ってくるっていうのは?
  • なるほど,そうすれば,表現されている言葉に向き合うことになるよね。
  • 完全一致じゃなくても,この短歌のどこの部分を表したとか,説明させるといいんじゃないかな?
  • 論理国語と文学国語と分けられるみたいだけれど,文学って,論理的に読むよね。表現的には繋がっていないけれど,繋がっていない間に辻褄を付けて読んでいく。「論理」と「文学」なんて,分けられるものじゃないのに。
  • 以前,3人グループで,1人が初句を思い浮かべたら,2人目がそれに続く7音を付け,次の人が5音を付けるということをやったことがある。例えば1人目が「黒板に」なんて突然いったら,2人目が続けるといいうような。
  • 面白そう。
  • とっぴなものができたら,それに意味づけしていくというのがいいかもしれない。そこに解釈が生まれ,語と語の間を埋めていくような。
  • 将に俳句的。
  • そんなのやったら,その後にやっていた遠足で,山を歩いているときにやり出して,私も振られたことがある。先生,「山道を」に続けて,みたいな。
  • それ,面白い。
  • 昔の恋の歌のやりとりもそうだけれど,「即興性」って重要だよね。即興的にやるからこそ,とっぴなものも生まれて,そこに面白いものが出てくる。
  • 頭の体操になりそう。
  • 将に言葉に向き合う学びだよね。
  • 子どもって,しりとりみたいなことば遊びって好きだよね。これもきっと乗ってくると思う。
  • 「即興性」というのなら,ラップバトルがいいんじゃない?誰かラップバトルができる人いないかな?
  • 「詩のボクシング」ってあったじゃない?そこで「俳句のボクシング」なんてやるのもいいかも。即興的に五・七・五で詠んで,どっちがいいかジャッジしてもらうの。
  • いいね。やっぱり表現することを前提にすることで,短歌・俳句を読む意義が出てくると思う。

2019-06-05かわら亭

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今日はぺちゃくちゃ喋るおっさんたちもいず,適度に空いていてよかった。仕事帰りに行く時間帯がちょうどいいのかもしれない。もうちょっと遅いと家族連れでやってきて,子どもが騒ぐ時間帯になる。

かわら亭はなぜあれほど熱く感じるのか不思議だ。温度計を見ると90℃前後なのだが,1回目に6分間入っているのがかなりしんどい。熱すぎて。他のサウナではもっと温度計の針が高いところを指しているのに,ぬるい感じがしたりするのだが。

水ぶろも,気温が高くなってきて,真冬時の感じじゃなくなってきたが,十分冷たい。入っているとどんどん神経が研ぎすまされてきて,聴覚が敏感になってくるのが分かる。今日はそれほど風もなく外気浴もそよ風に当たって気持ちがよかった。

3ターン目では完全にととのった。頭の芯からじんじんしてきて,久しぶりの感覚だった。しかし,外気浴をするためには石庭の大きな石に裸で座っていなければならないので,きっと他の客は「何やってるんだ?」と思っている人も多いんだろうな。静かに座っているだけだからいいじゃん!と思ってしまう。

あそこに椅子を並べておいてくれると,最高のサウナ施設になるんだけれど,一長一短があるんだなぁ。

3ターン目のサウナの中では,外気浴でちょっと冷えているからだがだんだん温まってきて,全ての指先が何かふわふわしているものに包まれているような感じで,じんじんしていた。静電気が指から発しているような感じ。これも気持ちがよかった。休憩でととのい,その後のサウナ後でもととのう感じ,今年初の星5つだった。

今日のととのい度→5 ☆☆☆☆☆

全てが終わった後,温泉につかるのだが,露天風呂内を歩いているときに,下が見えず,つまずいてしまい腕をすりむいてしまった。残念。

2019-06-04英語教育の意味

[]英語教育の意味 英語教育の意味 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 英語教育の意味 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 英語教育の意味 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

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今日の「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」(それにしても長いタイトル)では,中学校学習指導要領(英語)解説を読み取った。いやぁ,とにかく分からない表現ばかりで,英語教育には疎い私にとっては,試行錯誤だった。

目標は

国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ,外国語による聞くこと,読むこと,話すこと,書くことの言語活動を通して,簡単な情報や考えなどを理解したり表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力を次の通り育成することを目指す。

と書かれてある。

英語科(学習指導要領では,「外国語科」だが,ほとんどの学校で英語教育が行われているので,以降,「英語」と表記していく)の目標だが,つまり,英語でコミュニケーションを図れるようになることが目標なのかな?と最初読み取った。

しかし,「コミュニケーションにおける見方・考え方」って何だろう?コミュニケーションにおいて,見方,考え方は含まれているのだろうか?例えば,「社会科」の見方考え方だったら,「公民としての見方・考え方」や,「民主的見方・考え方」と言い表すこともできる。しかし,「コミュニケーションにおける見方・考え方」って全く意味が分からない。どなたか教えてほしい。

「ある見方・考え方に沿ったコミュニケーション」だったら,意味が通る。「威圧的コミュニケーション」や,「協働的コミュニケーション」,「同調的コミュニケーション」などだ。コミュニケーションの仕方には必ず意図が反映される。

キーワードである「見方・考え方」を無理矢理ひっつけたような気がした。また,他の解説の部分でも,「いや,それって「言語活動」の説明であって,英語の説明じゃなくてもいいよね?」という所が多い。

しかし,「英語における見方・考え方」であるならば,話は別だ。学習指導要領では,そこまで言っているのだろうか?「言語の檻」という言葉があるが,英語という言語によって見えるものも学ばせたいという意図だろうか?英語を学ぶことにより,日本語では見えない部分が見えるようになる,というのだったらよくわかる。

受講生がピンときていなかったようなので,以下の例を出してみた。

It is sunny today.

It is obvius that Jim laves Mary.

Keep off the grass.

どれも英語独特の表現で,日本語にはあまりない文構造だ。形式主語「It」なんて,日本語で喋っている人には感覚的には分からないものだ。一説にはヨーロッパには絶対神がいて,それを「It」で表しているという。日本語では「今日は晴れている」と表し,主語なんてないようなものだが,英語では必ず主語を書く。常に「それ」を意識するようになっている。

言語が先か,思想が先かという問題はあるのだが,エクリチュール的な考え方でいうと,言語によって思想が規定されているということになる。つまり,極論で,英語を学べば,英語の裏にある文化,思想も学ぶことになる。日本語の「言語の檻」から脱出できるということになる。

あと4〜5年もすれば,持っているスマートフォンを相手のスマートフォンとブルートゥースで接続して,リアルタイムで翻訳機能を使えるようになると思っている。オリンピックには間に合わないかもしれないが,自分がスマホに向かってしゃべると,相手のスマホに自国語での翻訳が表示されるのだ。または,音声で流れてもいい。新たなガジェットを使わなくても,アプリで対応できるはず。いや,ネットを介してやれば,今でもできるのかもしれない。

そんな世の中になった時,必要な英語教育って何だろう?通常会話はスマホを介してできる。海外旅行に行ったとき,それを持っていけば事足りる。「いや,人間は直接コミュニケーション取らなければ」とか,「気持ちが伝わらない」とか,言う人がいるけれど,今現在,英語ができなくて,そんな会話もしようと思えない日本人が大多数なんだから,そのツールができれば,コミュニケーションを取ってみようという気持ちになるだけいいのでは?と思う。

英語教育を十数年受けてきて,本当にコミュニケーションを取りたい相手が,英語文化圏の人じゃなかった場合,十数年かけて学んだ英語教育は,どのように活きるのか?という命題を立ててみると,「英語教育の意味」が見えてくるような気がする。

自分はこの人とコミュニケーションを取りたい。しかし,相手は英語は通じない。そんな時にどんな力を付けるべきか?

  • 言語を使っている以上,相手とは必ず言語でコミュニケーションが取れるはずだ。
  • 自分の文化と違う文化は当たり前のようにあるのだから,違和感があったとしても拒否してはいけない。
  • 言語を使っている以上,相手もコミュニケーションを取りたいと思っているはずだ。
  • 挨拶というものが必ずあるはずだ。
  • 自分たちの見方・考え方と違う見方・考え方というものが必ずあり,そこには相互理解できない部分があるかもしれないが,拒否してはいけない。

とか,思いつきで書いたのだけれど,これらのように,「英語を身に付けることによって,何を学ぶか?」ということを突き詰めていくことにより,英語教育の意味が見えてくる気がした。

そんなことを議論しているうちに,2017年の映画メッセージを思い出した。宇宙人が突如地球にやって来て,米菓「ばかうけ」みたいな宇宙船を空中に浮かばせておくんだが,言語学者がなんとか相手とコミュニケーションを取ろうと試行錯誤する。

そこで発揮できる力を身に付けるのが「英語教育の意味」なんだろうといいう結論になった。

2019-06-03時代考証

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「なつぞら」は今,1950〜1960年あたりなのだが,ちょっと気になったなつの言葉がある。これって,その当時では言わないよね?というものだ。

社長の宣伝もすごい面白かったです

今だったら若者が当たり前に言う言葉だが,当時からこんな言葉遣いがあったのだろうか?「すごく面白かったです」じゃないかな?とても気になる。

それから,「けど」という語も多用されている。これは,最近の言葉遣いじゃないかな?とも思っていたが,実は関西ではよく使われている語のようだ。しかし,この当時の関東で使われていたかは疑問だ。

といっても,ソースは私の連ドラ視聴経験のみで,「けど」が気になったのは「わろてんか」だったのだが,実はそれ以前の「カーネーション」でも,使われていたということが判明。関西では当時から使われていたのか?しかし,関東では使われていなかったような気がする。知らんけど。

2019-06-02美術館に次男と行く

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中3の次男と新潟市立美術館に行った。天気もいいし,次男は珍しく部活動も塾もない日曜日だったので,どこかに出かけようと思ったのだが,手頃なイベントもないし,結局家から片道40分を歩いて,新潟市美術館に行った。

インポッシブル・アーキテクチャーということで,建てられなかった建築物の企画展があった。コンペに落ちたとか,予算が足りなかったとか,空想上の建築物とか,いろんな理由で実現しなかった(していない)建築物の設計図や模型が展示されている。新国立競技場のぽしゃった計画の模型もあった。

次男はそれほど興味を示していなかった。常設展は絵ばかりなのだったが,あんまりじっくり観ないで椅子に座っていた。

普通の中学生だから,美術館の絵をじっくり見入ることもないのはわかっている。しかし,中学時代に美術館に入って絵を見たことがあるという経験には意味があるのかな?と思った。私なんて中学時代に「館」と名の付いたものには,「水族館」くらいしか入ったことがなかったかもしれない。

新潟市立美術館は中学生以下は無料だ。その無料の意味は,「そういう経験をしておく」ということなんだろうなと思った。中学時代にわからななくても,絵を見た経験が,きっと大人になって,「美術館に行こう」という気を起こしてくれるだろう,という意味だ。それは「きっと中学生には分からないだろう」と思われる古典芸能を学校の芸術館紹介で見せたりすることにも通じるところがある。私にとって,能,狂言などは,50歳くらいになって,なんとなくその良さが分かってきた。

最近は何でも「すぐに言語化したり,数値化できるものがよいものだ。」という風潮がある。何でもかんでも「説明」できなければ,予算が削られる,世に認められないものとなっている。説明しても相手が納得できなければ「価値のないもの」とされる風潮がある。これって恐いことで,説明できない,納得させられないものは存在しなくてもいいということだ。

「ずっと後になって価値が分かる」というものが生まれてこないことになる。日本の古典文学なんて,そんな危機に陥っているのかもしれない。しかし,若い人に古典文学を「強制的にでも」学ばせる意味はある。それを学んだことで,学んだ後30年後に意味が分かるなんていうことはざらにあるということを,世の即時的利益優先主義者には分かってほしいというか,その人たちには分からないんだろうな,と思った。

家路への40分間,行きと同じように次男といろんな話をした。自分が死んだら,こういう風に葬ってね,なんて,美術館帰りだから話せたのかもしれない。次男は,自分はこういうのがいいな,なんて返してきた。不思議な会話になった。「5,000兆円手に入ったら,水上都市を造ろう」と次男が話題にしてきた。美術館であの展示を見なかったら,そんな話題は出なかったのは確実だ。