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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を務めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,2019/11/2〜4に長野県でおこないます。
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2019-04-28上越教育大学内地留学時代

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平成14(2002)年度〜平成15(2003)年度は,上越教育大学修士課程*1に内地留学をした。在籍校は高田商業高校だった。後年,高田商業高校には学校支援プロジェクトでお世話になるので,縁が深い学校だ。

Windows95が発売され,インターネットが浸透していき,パソコン通信(PCVANやニフティーサーブ)で情報交換をする流れから,パソコン通信もすたれたあと,たくさんのメーリングリストに加入するようになった。全国の教師たちと情報交換ができるようになり,堀之内高校時代にはその流れでNHKの番組から取材が来るようになった。

それはさておき,メーリングリストで知り合った方が新潟県の高校の先生で,内地留学中だったので,情報を頂き,上越教育大学に行ってみたいと思うようになった。今まで様々な学校で様々な生徒や様々なカリキュラムの元で実践をしてきて,ある程度の自身もあったが,理論的なことはからきしだったので,そっちの方面も学んでみたいと思った。

思い立って内地留学のことを調べてみたら,なんと学校の掲示板に貼ってあり,申し込み締め切りが1週間後ぐらいだった。慌てて根回しやら,カミさんへのお願いやら,手続きやらをして,結果派遣してもらえることになった。

上越教育大学に行って驚いたのは,様々な人がいるということ。高校卒業後の学生はもちろんだが,同期の院生は,全国各地から,様々な校種から来ている。その人たちと協働して学んだことが今の財産となっている。

2年間,自分の好きなことに没頭して実践,研究できるというのはすばらしい経験だった。しかし,自分の至らなさを突きつけられるところもあった。全国からすばらしい教員が集まっているから,自ずと比較してしまう。自分の足らないことも明らかになる。

十日町高校時代の教え子が,小学校教員となり,上越地区の小学校に勤めていたので,いろいろ相談に来る。授業も観に行ったこともあった。その先生が生徒指導のことで悩んで相談に来るという。小学校のことだから,私にはなかなかピンと来ないこともあり,同期の小学校教師の院生にも相談をお願いすることになった。持つべきものは頼れる同期だし,なんとなく自分の限界を感じ,その時には助けを頼むというのが当たり前にできるようになったような気がする。

学校教師は,専門的な資質能力を持ちながらも,汎用的な資質能力も持たなければならない。その両方を兼ねそなえるためには,「助けてもらう」という当たり前の「能力」が必要だった。何でも一人でやらねば一人前とみなされないのではないか?という誤解や気負いを勝手に持っていたのだが,そんなことを払拭できただけでも,大学に行った甲斐があったと思う。

また,学卒院生と一緒に学ぶのだが,学卒院生から学ぶことがとても多く,若い視点からの意見は,鋭いこともたくさんあって,自分よりも経験の少ない人から学ぶということが,これほど重要なことかと思うようになった。この経験を機に「思い上がり」は,ちょっとずつ薄らいでいったのか?とも思うが,完全になくなったわけでもない。

長岡市から通っていたのだが,1年目は特急で直江津駅まで行き,直江津駅に駐車場を借りてそこから自動車で向かった。特急券の回数券があって,それを使っていたが,節約のために帰りは鈍行に乗るということもしばしばあった。2年目は駐車場代もバカにならず,毎日大学に行かなくてもいいということで,自動車通勤をすることにした。飲み会の時にお茶研やスタジオにエアマットを持ち込んで,寝たこともあったなぁ。スタジオには絶対何かがいたと思う。

ほとんど現場から離れていたので,その時の教育事情がどのようなのか,ほとんど感じていなかったかもしれない。ワールドカップの開催の年で,新潟でも試合が開かれ,どうしてその時に試合に行かなかったのか,と今でも悔やまれる。

研究は「共同作文編集」についておこない,「雑談をしている方が,クリティカルなアドバイスが多い」というものだった。2年間はとても短く,自身と不安をもとに,現場に戻ることになる。

*1:上越教育大学大学院学校教育研究科修士課程学校教育専攻