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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,2019/11/2〜4に長野県でおこないます。
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2018-12-24Tポイントは賽銭になり得るか?

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最近は結婚式の祝儀を電子マネーで払ってもいいですよとLINEで案内が来るそうだ。祝儀泥棒対策もあるのだろうし,ピン札をそろえなければならない,祝儀袋に綺麗に字を書かなければならないという手間からも解放される。

お寺の拝観料を電子マネー決裁できるところもできているという。(賽銭はまだだそうだが。)

さて,同じお金だから,現金で払おうが,Suicaで払おうが,エディーで払おうが,全く一緒だと言う人と,いや,一緒ではないと言う人に分かれると思う。

一緒だという人は,銀行振込でも,電子マネーでも,いろんなポイントでも払っちゃえば同じなんだから,Tポイントで払ってもAmazonポイントで払っても価値は一緒だ。細かな機能は違うだろうが,価値は一緒である。

デジタル化するということは,交換可能なものにするということだ。つまり,「それでなくても等価値であればすげ替えることができる。」ということだ。

賽銭を電子マネーや,ポイントで払ってもいいと思えるか,抵抗感を感じるのか。

昔(今もかもしれないが),五円玉の穴に組みひもを結んで,「御縁がありますように」と財布の中に入れていた。等価値であるならば,5円分のポイントをネット上の財布に入れて,組みひもの写真でもクラウドに上げておけば,「御縁がありますように」という「御利益」を願う気持ちが沸き起こるということになる。

さて,ここでの問題は,人間はあくまで物質的な存在であり,おいそれとそれは変わらないものである。しかし今後どんどん物質的なものが概念的なものに置き換わり,それを「等価値」と思い込んでしまう世の中になっていく。それを「等価値」と錯覚することで,失っていくこともたくさんあるということだ。

つまり,物質的な存在の人間は,物質に意味を見いだしている。思いや観念は人間外の物質に「付随」しているものであったのに,思いや観念だけがデジタル化により存在させられ,物質が削られると同時に,今まで無意識に受けとっていたものも失っていく。

失ってしまうものは「無価値」なものだろうか?価値があるかどうかはそれを言語化できるかどうかで決まる。逆に言えば,言語化する能力を持ち合わせていない人は,その価値がわからない。思考停止している人にはその価値はわからない。失っていくことに対して鈍感になることで,物質に付随しているものの価値を認める能力を削ぎ落としていく。

私は本をiPadでほとんど読まない。紙の本である。iPadだと読みにくいからということもあるが,前のページを参照したり,「あとどのくらいでこの章が終わりかな?」とか,「あとどのくらいで一冊読み終えるのか?」というのを感じにくいからだ。また,iPadだとiPadの形が変わらない。当たり前だが。しかし本は曲がって手になじむ。軽いし。いつも触っているものに関して,なじむかどうかは重要なことだ。

「本を読むのは単に情報を自分に入れるだけ」と考える人は,そのうち「攻殻機動隊」の世界のようにデータを脳髄に流し込む機能が付けば,飛びつくだろう。私は本を読む行為自体に意味があると思っている。

同じように「食事は生きるための栄養素を体に入れるだけ。」と考える人は,食事の時にどんな箸の持ち方でも,どんな体の向け方でも,食い物を口に入れればいいということになる。栄養成分が同じだったら誰が作った「食事も同じ」ということになる。私は行儀よく食べるべきだと思うし,好きな人が作った食事を食べたい。それは交換可能ではない。

元に戻ると,例えば,子どもが5歳になって初詣に初めて行って,親からもらった100円玉を寒い中ずっーっと握りしめて温かくなったそれを,初めて賽銭箱に投げ入れた100円という価値と,Tポイントカードで100ポイントをバーコードで払う100円という価値では,「賽銭」という意味では,何倍もの価値が違うと思う。もちろん交換可能であるはずがない。

デジタル化により,交換可能なものにしたというのは,流通の面での大発明なんだろうけれど,デジタル化(数値化)することにより本来はそうではないのに,交換可能なものと思い込んでしまう傾向は危険なことだ。人間の評価を点数化することでしか測れない人もたくさんいる。教育の価値を経済効率でしか考えられない政治家もたくさんいる。我々は数値化できない部分を言語化していかなければいけない。それが教育で見失ってはいけないところだ。