Hatena::Groupmanabiai

Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
研究室ページ katagiri-lab

iPhone版はこちら

niagara@cocoa.ocn.ne.jp

教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
manabiainu
http://manabiai.jimdo.com

2018-09-29コーディネーターの質

[]コーディネーターの質 コーディネーターの質 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - コーディネーターの質 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 コーディネーターの質 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

新潟エンジン02という,新潟の文化について考えよう!というイベントに参加した。A講座の「日本文化を気楽に楽しもう」に参加した。

きっと,「和文化」のとらえ方や,「実はこの文化にはこんな裏があって,ここと繋がっているんですよ。」なんていう気づきを促してもらえるのか?と思いきや全くチープなものであった。

パネリストは華道の師匠,狂言師,料理学校の校長という方々で,お話が期待できたのだが,コーディネーターが日本文化なんてあんまり深く知っていないと思われる人で,単にパネリストと顔なじみでいるだけだと思われた。単なる雑談をパネリストにふって,自分の体験談とからめて話を進めているだけだった。

本当にがっかりだった。華道と狂言と料理,和文化での共通点と相違点を掘り下げるだけでも面白い話が期待できたのだが,全くそんなことはなく,時間の無駄で,参加料の無駄だった。早く終演が来てほしいと思えた数少ないパネルディスカッションだった。

パネルディスカッションというものは,コーディネーターがほぼ全権を担っていて,コーディネーターの力による恐い会だなと思った。本当はコーディネーターなんて関係なくパネリストがディスカッションすれば,面白い会になるんだろうとも思った。

2018-09-25「主体的」と「対話的」について

[]「主体的」と「対話的」について 「主体的」と「対話的」について - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「主体的」と「対話的」について - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 「主体的」と「対話的」について - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

f:id:F-Katagiri:20180925104532j:image

こんな文章を読んだ。

到来した者の言葉は、私の理解や共感を超えているにもかかわらず、その理解できない言葉を,私はそれでもなお一個の「主体」として引き受け、聴き取らなければならないからである。この背理的な責任の引き受けを通して、初めて「主体」は成立する。

「主体」というのは、理解を絶した異語「おのれの責任において」聴き取り、その意味を「おのれの責任において」解釈する者のことである。そのような仕方で「責任を取り得る」者だけが「主体」として立ちうるのである。

(内田樹:『ためらいの倫理学』,角川文庫,2003,「越境と巡歴」,p.294)

内容的には「神の言葉」や,「布教」などについて触れている部分なのだが,「主体」と「対話」の関係が述べられている。「主体性」がなければ「対話」にはなりえないということだ。

簡単にいえば,

何でも言いなりになり,人に言われたことを鵜呑みにする主体性が無い人や,「おのれの責任において」聞く耳を持たなくなった人は対話はできない。

ということだ。

「対話」というのは,相手がいかに自分の理解や共感を超えていようとも,相手の存在を認め,尊敬する気持ちがなければ成り立たない。それがなければ「言い合い」,「口げんか」となる。「主体的・対話的で深い学び」には,実は「対話的」に大きな意味が含まれていたのか。

そうすることで「その意味を「おのれの責任において」解釈する」ことができる。まさに,

意味を自分で見つける

という「深い学び」が起こるということだ。

2018-09-23「野火」とゾンビ

[]「野火」とゾンビ 「野火」とゾンビ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「野火」とゾンビ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 「野火」とゾンビ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

f:id:F-Katagiri:20180924105506j:image

大岡昇平原作,塚本晋也監督2015年版「野火」を観た。AmazonPrimeで,「そろそろ見放題終了」と出たので,今のうちに観ておかねばと思った。

とにかく凄惨な映像が続くのだが,フィリピンの昼間の緑の美しさと,生きるために何でもする人間のどす黒さが対比されていたことが印象に残った。

日本軍のフィリピンからの撤収が決まり,生きるためには輸送船が出る地まで行かなければならない。そのためには夜,闇に紛れて平原を抜け,山を越えなければならない。アメリカ軍はそれを待ち伏せし,照明を浴びせ変え,一斉砲撃をする。その映像が生々しい。頭は砲弾でぶっ飛び,血が噴き出し,内臓はだらだら地面にこぼれ落ちていく。腕や足は散らばり,自分のものを探して兵士は拾う。

実は前日ゾンビ映画*1を劇場に観に行ったのだが,「野火」の映像を観ていて,これってゾンビ映画とほぼ同じだなと気づいた。ゾンビ映画やドラマはほとんど見ないのだが,ちょっと観たことがある「ウォーキングデッド」にも,こんなシーンがあったなぁと気づく。

その戦闘が終わり,前にも後にも勧めない兵士たち,そのジャングルで野垂れ死ぬしかない兵士たちの容貌がゾンビにだんだん似てくる。全身が黒くなり,腕や足が無い人がそこら辺に散らばり,死にかけている人に虫が湧く。あの,以前に観たゾンビドラマは,この戦場を模しているのか?とも思った。

どこにも行けず,さまよい歩き,人肉をむさぼり食おうとする。まさにゾンビだ。これが現実の戦場で起こっていたのだ。

「カメラを止めるな!」では,「最近のゾンビ映画では,ゾンビがナイフも持ちますし,機関銃も持ちます。」というセリフがあった。兵士=ゾンビだったら,ナイフも持つし,手榴弾も持つし,銃だって持つだろう。

ひょんなことから極限状態の人間の行動がゾンビ映画のルーツにあったのかと気づかせてくれた映画だった。

野火(のび) (新潮文庫)
野火(のび) (新潮文庫)大岡 昇平

新潮社 1954-05-12
売り上げランキング : 9873


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

*1:カメラを止めるな!

2018-09-12なぜ「みんなが」勉強をしなければならないのか

[]なぜ「みんなが」勉強をしなければならないのか なぜ「みんなが」勉強をしなければならないのか - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - なぜ「みんなが」勉強をしなければならないのか - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 なぜ「みんなが」勉強をしなければならないのか - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント


f:id:F-Katagiri:20180912190951p:image

ねぇ,オカムラ,なんでみんなが勉強しなければならないの?

とチコちゃんに聞かれたら,なんて答えるだろうか?これは語り尽くされたような論題だが,ふと気づいたのでメモ程度に書き記しておく。

「学校の勉強は,将来役に立たないのに,どうして勉強しなければならないの?」に対して,いろんな人が書いたものをネットで漁っていると,

  • 将来よい職に就くため
  • 論理的思考を付けるため
  • いろんな見方ができるため
  • 将来直面する問題を解決するため

などなど,いろいろ書いてある。それぞれ間違っていないことだし,きっと子どもたちにも受け入れてもらえるものだと思う。

しかし,自分は家を継ぐんだとか,自分は体を使う仕事をするから,論理的思考なんていらないとか,個人個人によって将来「役に立つ」ものは違ってくる。「難しいことは他の人に任せておけばよい。」と言われたらそれきりだ。

また,人それぞれ直面する問題も違ってくるから,勉強内容も個人個人によって違ってこないと,将来降りかかってくる問題に対応できない。「いつかどんな問題が降りかかってくるかもしれないから,まんべんなく全て勉強しておこう。」と言ったら,「いつか役に立つかもしれないから,勉強しておくひつようがあるんだよ。」という漫然とした答えになる。

私は「「みんなが」勉強*1しなければならない」という理由を考えてみた。それは,

民主国家を維持するため。

だ。もっと詳しくいえば,「権力者を監視するため」だ。日本はこの感覚がとても薄い国だと思う。権力者がやりたい放題でも,暴動は起こらず,国家は転覆せず,政権が維持される。別に暴動を起こして,国家を転覆しようといっているのではない。とりあえず多くの人たちが食えるからといって,いろんなことをスルーしてちゃだめなんじゃないの?と思う。

全ての国民がおかしいところを「おかしい!」と気づき,「おかしい!」と発言するという,当たり前のことができるようになるために,「「みんなが」勉強しなければならない。」のだ。

本来は権力の監視役はマスコミがその役を担っているのだが,新聞に金を払わず,どうでもいいネットニュースが蔓延し,フェイクニュースに飛びつくようになると,権力の監視役をするマスコミにお金が渡らなくなり,弱体化していく。権力者はそれを狙っているのではないか?とも思える。

それ以前に,アメリカや日本のある政治家は平気で「○○新聞や,○○テレビはフェイクニュースを流すから,記者会見には出入り禁止。」なんて言う。とんでもないことだ。権力のジャーナリズムへの挑戦だ。しかし,出入り禁止になると商売あがったりだから,政治家の機嫌を損ねるようなツッコミはだんだんしなくなる。泥沼だ。

それ以前に,マスコミの報道を読む力,見る力,聞く力がなければ,マスコミにお金がいかなくなる。文字を読む力,話を聞く力,数字を分析する力,社会の構造を読み解く力,自然現象を捉える力などを総動員して,権力を監視しなければならない。

それを「みんなが」やっていかないといけない。権力者はその力を弱体化して「いいなり」にしようとする。「思考停止」させて民衆を扇動するのは,権力者が民衆を戦争に引きこむ常套手段だ。

日本の場合は,2009年,投票率が小選挙区制度後最も高くなったときには政権が交代した。政治に関心が高くなると政権交代が起こる。政権交代させたくない場合はみんなを投票所に行かせないという方法が効果的だ。ということは,政治への無関心を維持させることが最もよい方法となる。



「スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む*2

には,次のようにスウェーデンの教科書の記述が紹介されている。

メディアが,あなたやあなたの価値観,そしてあなたの意見に影響を与えるのと同じように,あなたも自分のためにメディアを利用することができます。

《中略》

以下に,あなたが世論を形成し,それによって決定に影響を与えるためのコツを示しておきます。

・あなたの友人や親類から,署名による支援を集めましょう。

・地方の新聞に投書しましょう。

・フェイスブックでグループをつくりましょう。

・人々を集めてデモをおこないましょう。

・責任者の政治家に,直接連絡を取りましょう。

pp.42-43

日本の小学校の教科書で,こんなことが書かれてあるものはないだろう。日本の場合,「民主主義」はすでにあり,いつもあるもので,勝ち取るものではないと,みんなが思っているし,民主主義が完全に失われてしまうと,取り返しが付かないことになるということを,肌で感じている人は少ないように思われる。

そしてこれは「みんなが」やらなければ意味がない。みんなが権力を監視し,反対する場合は「ノー!」と言えるようにしないと,「ノー!」と言わない人が権力に操られてしまう可能性がある。

「ノー!」と思ったら,それを訴えなければならない。同書籍には,こんなことも書かれてある。

影響を与えたいことについて,あなたが知識を持っていることを世に示すことで常によい効果が期待できます。そのことを,頭に入れておきましょう。

とはいえ,学校の職員や両親,近所の人々,コーチ,そして最終的に政治家を味方につけるためには,誤字などの誤りがなく,正しく書くことが重要となります。あなたが,しっかりと準備が整っており,ちゃんとした文章が書け,そして自分の意見を冷静にしっかりと伝えることができるということを示しましょう。

p.144

国語」の目的をこうもシンプルに書いてある教科書(や参考書,解説書)が日本にあるだろうか?

「全員」で権力や社会の監視役をしなければ,世の中はよくならないのだ。これが私の考える「「みんなが」勉強をしなければならない」理由だ。

*1:「勉強」のここでの定義は,義務教育の勉強とする。

*2:ヨーラン・スバネリッド 鈴木賢志 他翻訳 新評論 2016

2018-09-11国家の教育支配がすすむ 寺脇研

[]国家の教育支配がすすむ 寺脇研 青灯社 2017 国家の教育支配がすすむ 寺脇研 青灯社 2017 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 国家の教育支配がすすむ 寺脇研 青灯社 2017 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 国家の教育支配がすすむ 寺脇研 青灯社 2017 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

公立高校教師だったときは,全く知ろうとしなかったし,考えもしなかったが,寺脇研さんや,前川喜平さんの本を最近立て続けに読み,教育行政というのは,こういう構造,こういう法律の下おこなわれているのか,と今更ながら知った。

また,文科省はどんな仕事をしているのかということも最近ようやく知った。以前,あまり知らなかった時,学校にいろんな注文を上から押しつけているものだという感覚を持っていたのだが,文科省の方と話す機会を持てたり,このような本を読んだりすると,法律の下,政治家の押しつけから教育を守ろうとしてたり,現代の事情に合わなくなった法律を改正しようとしたりと頑張っている人もいるのかとわかった。

この本で,印象に残ったことの1つは次の記述。

公立学校では教師が公務員だということの意味を,実は教師自身もよく理解していないのではないだろうか。もちろん保護者の多くも理解していない。公務員だからこそ原則をふまえつつ知恵を尽くしてていねいに事態に対応していかなければならない。公務員という公共の領域で働く者まで短期的な成果主義一辺倒で評価し,成果として数字に表れにくいものを切り捨て踏みつぶして行ったら,その先にどんな恐ろしいことが起こるかという想像力を,みなさんあまりお持ちでないようだ。

p.133

として,1930年代に軍部が暴走した原因の1つをあげ,目先の「手柄」を立てて,成果を誇示し,自身のポストを確保しようとしたという。教師を公務員という身分にしているのは,「立場を超えた余計な野心を持たせないための身分保障」という意味もあるというのだ。

近年は「分かりやすい成果主義」に教員が傾倒している傾向がある。校長が傾倒し,それに迎合する教員が「がんばり」過ぎ,おかしな方向に進んでいる。教育というのは「わかりにくい」ものである。本当に成果が現れるのは目の前の子どもが社会を担う大人になった時だ。目の前の「分かりやすい成果」と「社会を担える大人になること」の因果関係は明らかになっていない(と思う。明らかになっていたら,きっと大々的に周知されているはず。)。つまり,「経験論」でしか述べられていない。



法律によって教育行政はなされている。教育内容も学習指導要領によって定められている。教科の授業は必ずある教科書を使うことになっているが,教え方は学習指導要領の範囲内で,教師の裁量に任せられている,というように教育の自由がある。教育委員会や文科省や政治家が教室でどのように教えているか介入してきたら問題である。(そんな問題も最近起こっているが。)この本を読みながらぼんやりと考えたのが,校長が学習指導要領に反するようなことを指示してきた場合,1教師が従わねばならないのは,学習指導要領なのか,校長なのか。

私はもちろん学習指導要領だと思うのだが,実際はそうではないことも多い気がする。

国家の教育支配がすすむ──〈ミスター文部省〉に見えること
国家の教育支配がすすむ──〈ミスター文部省〉に見えること寺脇 研

青灯社 2017-11-10
売り上げランキング : 351943


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2018-09-05連続ドラマの減退感

[]連続ドラマの減退感 連続ドラマの減退感 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 連続ドラマの減退感 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 連続ドラマの減退感 - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント


f:id:F-Katagiri:20180906094731j:image:w260:left

毎週,毎日,ドラマを見ているが,面白いドラマとがっかりなドラマの違いは,勢いが減退するかどうかだと思う。

NHKの朝の連続テレビドラマで「面白い!」と思えるものを作るのは,非常に大変だと思う。毎日毎日次の日見てもらえるような終わり方をし,毎週毎週新たな期待を持てるエピソードを作り,それを半年続けて行く。

しかし,週1ドラマの方が,実は難しいのか?とも思う。毎日あるドラマは,「見たい!」と思う熱量があまり冷めないうちに次の日が来る。しかし,週1ドラマは,今回見た回が面白ければ面白いほど,1週間のうち期待値が上がる。その期待に応える内容にならなければならない。また,面白くなければ,1週間でげんなりして次には見なくなる。

朝の連続テレビドラマはほぼ全部見続けているのだが,途中で見なくなったものは,演技の白々しさが鼻についたものぐらいだ。あれは,演出でわざとそのような演技を指示しているとしか思えなかった。その役者は別のドラマでは,いい演技をしていたりするから。

週1ドラマでは,初回,2回目と面白い設定と,リアルさで毎週楽しみになるのだが,だんだん次の点が気になって,期待値がどんどん下がっていく。

  1. 説明のない設定の変化
  2. ご都合主義の問題解決
  3. あり得ない問題解決方法
  4. 大げさすぎると思う主要登場人物周りの反応
  5. 簡単に問題が解決したと思う登場人物の感情
  6. 本当は問題視しなければならないところを完全に無視する展開

人間はそれほど悪くもなければ,よくもない。内心は極悪だったり,クズだったりするのかもしれないけれど,それを簡単に表に出して,「あいつはあんなにひどいやつだ」と思われるようなことは避けるはず。でもご都合主義のドラマでは,それを出すことで,ストーリーを進めていく。いやいや,その対応,問題にして,しかるべき期間で対応しろよ!と思っちゃう。

特に学校が舞台のドラマだとそう感じてしまう。きっと,医療現場や,警察現場でも,その職の人は,そのように思っているんだろうな。