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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を務めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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2017-12-18文学作品の授業デザインの掛け違え

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最近国語の模擬授業を見て,指導することが多い。授業者は学生さんなのだが,最近の学生さんは当たり前のように話し合いや表現活動を入れる授業デザインを作ってくる。私の大学生時代とは大違いだ。私の学生時代は,教師がどのような発問をし,当てられた生徒がどう答えるか,という指導案ばかり書いていた。

対話や話し合いや表現活動を授業に入れるのがデフォルトになっているということはとてもいいことだ。

ところが,授業者の傾向として,なぜか次のようなことに異常に囚われているようだ。

学習者が表現したものを全て受け入れなければならない。

例えば,「この作品が読まれた季節は?」,「この作品の話者は誰に話しかけている?」,「この作品の話者はどうして悲しい気持ちがある?」,「この作品の情景を絵に表してみよう」などとした場合,学習者が考えたり,思いついたりしたことを「なるほど。」,「それもいいね。」などとして,全てを受け入れてしまう。

もちろん,「この文学作品から思いついたものを何でも表現してみよう。」というような目標が設定されていればそれでもいいが,「この作品の情景をイメージしよう」とした場合は,それではいけない。当てずっぽうや,部分的な語から連想されるステレオタイプなイメージの表現ではいけないのだ。

考えたこと,表現したことの根拠を作品内に求めなければ,「国語」とは言えなくなる。

作品からイメージし,そのイメージしたものの根拠を作品に求める

ことをすることで,「国語」となる。高校教師時代,文字言語表現内容を学ぶ場合,いつも生徒にこう言っていた。

国語は,文字で書かれているものと,文字で書かれているものから文字で書かれていないものも読み取る教科だ。

だから,学習者への声かけは全てを受け入れるのではなく,表現に対して,「どうしてそうなるの?」,「どこに書いてあるの?」を繰り返し言うことになる。「答え」が合っていたとしても「どうして?」が言えなければ「正解」ではない。「どうして?」にこだわることで,言語の論理性を学んでいくことになる。