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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を務めていました。
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2017-04-17「主体的」な学びについて

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「主体的・対話的で深い学び」とはどういうものなのかを考える上で,現場教師の中で,「主体的」というもののとらえ方が2通りあるということに気づいた。

「主体的」な学びについて,文科省は

学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連づけながら、見通しを持って 粘り強く取組み、自らの学習活動を振り返って次につなげる*1

と表現している。

興味や関心を持っていれば,「粘り強く取り組」むことになるとは思うが,「粘り強く取り組み」という表現はその学習態度のあるべきイメージを表しているし,「興味や関心を持」っていても,「自己のキャリア形成の方向性と関連づけ」,「見通しを持って」いなければ,あるべき学びとしては認められないというのは,学校教育の上での「学び」だから,必須条件なのであろう。

「自らの学習活動をふりかえって次につなげる」という表現は,むしろ「深い」学びに関連づく表現のように思えるが,とりあえず置いておく。

「主体的」の辞書的な意味は

自分の意志・判断によって行動するさま自主的。*2

である。そうなると「論点整理」の中で「主体的」に直接関わっている表現は「学ぶことに興味や関心を持ち」だけである。

「主体的学び」のとらえ方を授業で問うたとき,多かったのは「自ら進んで学習に取り組む」というものだ。「嫌々ながらではなく,自分で必要感を感じて,勉強する」と言い換えた方がすっきりするだろう。そこに異論を挟むつもりは全くない。とても大切なことだ。私も高校現場教師だったときに,授業デザインをするとき,ほぼ半分の労力やアイディアをこれにつぎ込んだ。

50分間寝させず,生徒が面白いと思い,生徒の力がつく授業を目指していた。

ここで

学ぶ(学び)

ということを考えてみる。「学ぶ」の辞書的な意味の中に,

経験を通して知識や知恵を得る。わかる。「人生の何たるかを—・ぶ」「この事件から—・んだこと」*3

という項目もある。「学び」ということに関してこっちに焦点を当てて考えてみる。

話を例え話にしてみる。中学1年生の今の時期は,放課後の部活動も本格的に始まっていず,結構帰宅が早い。夕方5時頃に家に帰るやいなや,レコーダーに録りだめておいたアニメを「自分から進んで」どんどん観る。家の人が帰ってくる7時頃まで一心不乱に自分から「主体的に」アニメを観る。学校の宿題もそっちのけで。

これって,「主体的」という言葉を使ってもいいのかな?ときっと何人かの教師は思うんじゃないかな?と思う。でも言葉の意味的には間違っていない。

きっと私はそんな息子を目の前にして,「アニメばかり観ていないで,宿題を先にやりなさい。」と,宿題を「主体的に」することを促す。アニメ視聴の「主体化」は親としては認められないのだ。つまり,「主体的に」というものには,「こちらで意図するものを『主体的に』」というニュアンスが含まれていることがわかる。

ところが,そんな息子が10年後,アニメ映画を制作し,大ヒットし,第二の細田守か,押井守なんて言われて,インタビューを受けたとき,「中学生の暇だった時,たくさん観たアニメから,人生の成長物語と,コマ割りの重要性と,ストーリーと音楽のマッチングを学んで,今回制作した作品があります。」なんて言ったとき,初めて,息子が中学生だったとき,親の想像を超えた「学び」をしていることに気づかされる。

この学びも「主体的」と言っていいはずだ*4。ある1つのことから「自らの学び」を引き起こした。しかも,自分の意志で。

何が言いたいのかというと,「主体的な学び」としたときは,「学びの過程の主体」があるのは当然として,「学びの結果の主体」もあるべきであるし,「学びの結果の主体」がひいき起こされた場合,その授業は素晴らしいものになる。これが2つ目の「主体的」のとらえ方だ。

私が高校教師時代には,授業づくりのもう半分の労力とアイディアはそちらに傾けていたと思う。その「学びの結果の主体」が引き起こされていたと表面化した機会はあまりなかったけれど,教師の予想を越えた学びがおこなわれたときは,感動して,鳥肌が立つものだった。

*1:2016年8月中教審 論点整理

*2:大辞林

*3:大辞林

*4:こんなことあったらなー