上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
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2011-03-27六日町とお好み焼きの旅
■ [旅]六日町とお好み焼きの旅

次男が4月から小学生になる。小学生になると鉄道料金がかかる。ということで、今のうちに鉄道旅行をすることにした。実は長男が小学校に上がる前に私と2人きりで鉄道旅行をした。その時は、磐越西線に乗り、只見線、上越線、信越線とぐるっと回ってきた。
と、ここで、過去の記事を検索したら、全く同じようなことを書いていた。
今回は、家族4人と、妹夫婦の6人で出かけた。実はこの6人でスキーに行く予定だったが、今回の地震でおじゃんになったので、せっかくだから、雪が多いところに行こうということにした。
六日町は私の最初の赴任先で、約10年間住んでいたところだ。妻とも結婚して暮らしていた。だから思い出の地巡りということもあった。また、「天地人」で話題になり、2年前坂戸山の風景なんかがテレビで映しだされ、懐かしく見ていたから、早く訪れたいという気持ちがあった。
新潟駅で列車に乗った時は、いい天気だったが、長岡に行くとちょっとずつ雪が多くなり、小千谷に入るとかなり雪が積もってくる。小出、浦佐となると曇ってきて、六日町に着く頃には雪がちらちら降ってきた。
オーストラリアケアンズ在住の妹夫婦、特に夫の方は多くの雪と舞い散る雪を見て大興奮だった。
いろんな事情でせっかく六日町についても温泉には入らず、「天地人」で幼少の兼続が修行した雲洞庵に行った。「天地人」から2年経っているのと、今回の地震の影響で観光客はめっきり減った。おかげで雪の降るひんやりして静かな雲洞庵を感じることができた。
全く暖房が無く、障子を隔てた外は雪景色である。さらに戸が開放されているので外気と全く同じ気温で身が引き締まる。戦国時代もこれほどの寒さに耐えてここで修行していたんだろうか。でも、与六がこの雲洞庵から大雪の深夜、街中までひとりで歩いて脱走できたとはとても思えないんだけれど。
六日町駅から雲洞庵まではタクシーに乗った。雲洞庵からの帰りはどうしようかと思ったけれど、タクシーの運転手が「待っていようか?」というので、お願いした。雲洞庵からタクシーを呼ぶのはちょっと大変なので、有り難かった。これも観光客が減ったからできる芸当なのかもしれない。
六日町の街中はずいぶん様変わりしていて、以前は六日町駅から始まるメイン通りは、魚野川でいったん右に曲がらなければならなかったのだが、そこに橋が架かって一直線に進むことができる。それがあって、どこにいるのか一瞬分からなかった。
その橋のたもとに足湯があった。温泉に入れなかったし、雲洞庵で足下が冷え込んでしまったので、カミさん以外は喜んで入った。カミさんはタイツをはいていて、残念ながらそれを脱ぐところがなかったので入れなかった。
帰りに六日町に住んでいた時に必ず買っていたパン屋の「Epi」に行ってパンを買おうと思ったら、建物自体がもうなかった。その隣の人形屋は看板がぼろぼろになっても建っていたんだけれどな。ずいぶん様変わりして、よく行ったラーメン屋や韓国料理屋も無かった。寂しいな。
さてこの旅行の2つ目の目的地は長岡駅前にある、広島お好み焼き屋「中しま」だ。新潟駅南けやき通りに店があったのだが、もともと長岡に店があり、そしてこの間長岡に帰ってしまったので、食べに行った。
予約していったのだが、親父さんはうちら家族の顔を見てびっくりしていた。新潟店にあったスポーツ選手との記念写真がそっくり飾ってあって、安心した。ただ、アルビの大きな旗は貼っていなかったなぁ。広島カープ一色になっていた。
新潟で食べた広島お好み焼きと同じ味で、また長岡に来ようと思った。
帰りは快速「くびき野」に乗ることができて、ずいぶん時間短縮になった。次男はとうとう寝てしまった。小学校に上がるのに、眠くなるとぐずるから、大丈夫かな?なんて思ってしまう。おんぶして改札まで行った。
列車の旅は、自分が運転しなくていいし、天気が悪くても気を張っていなくていいし、いいものだ。日曜日だったから乗客も少なかったし。
この4月で私は転勤になる。六日町-堀之内-長岡-三条と上越・信越線に乗り、自分の教師になってからの生活をふりかえる旅になった気がした。