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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
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2010-09-13「自由に読む」と「でたらめに読む」

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詩の授業をしている。詩に書かれていないこと、比喩表現で書かれていることを書き直すというものだ。文学は読者による自由な読みができるものだ。しかし、あまりにも脈絡がないと「でたらめ」な読みになってしまう。

ところが、このよみかたが「でたらめ」なものか、「文脈に即した」ものかの線ははっきりしない。きっちりと線引きができないのだ。どちらにも極端なものだったら、はっきりと断定できるが、グレーゾーンは断定できない。そのよみかたを所見の状態では「でたらめ」と判断しても、そのうち、または数年後「なるほど」と思って「文脈に即している」と判断することもある。

価値ある文学研究論文はその論文を100人が読んだとして、51人の賛同者と49人の批判者があるものだとどこかで読んだことある。グレーゾーンなんだけれど、賛同者のほうがわずかに多いというものだ。そういう論文により、文学研究が活性化する。

授業でも子どもたちの読みが「でたらめ」なのか、「文脈に即した」ものか、なかなか判断できない。私の場合は善意の読み手となって、力技でも「文脈に即した」と判断できなければ「でたらめ」と判断してしまう。国語の「読み」とは実は、かくもあやふやな、雲をつかむようなものであるが、あやふやだからやらなくてもいいというものではない。「文字として書いていないことを読み取る」というとは、人間として必要なことだからだし、「書いていないことを読む」ということは、国語でしか学ばないのだ。