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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
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2010-08-16国語でなにを学ぶのか?

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西川先生は、最近古典や筆順を目のかたきにされるので、私の考えを書いてみる。

「目のかたき」というのは大げさで、「何のために古典を原文で読ませているのか、筆順を教えているのか分からない。」という意味である。さて、国語教師、または学習指導要領はここの部分を説明してきたのかというと説明していないのである。「説明していない」というのは、「わざわざ説明なんてしてやらない」という意味ではなく、「説明できない」のだと考える。

「説明できないんだったら学校でやる必要はないじゃないか!」という論になるかもしれないが、私はそうは考えない。世の中には説明できなくても必要と感じそれが代々伝わっているものが数限りなく存在している。

例えば、

  1. 読書が生きる上で必要だということ
  2. 習字を座敷でする場合は、正座をした方がいいということ
  3. 箸でごはんを食べるときには、正しい持ち方の方がいいということ
  4. 畳の縁は踏まない方がいいということ
  5. 挨拶はした方がいいということ
  6. 死者に対して敬意を払うべきということ

国語の場合は「何となく必要」、「何となくそうした方がいいのじゃないのかな?」というような、言語化されていないメッセージで伝わってきたことが多く、特に国語を一生懸命勉強してきたであろう国語教師にとっては、国語の授業を受けているうちにそういう非言語メッセージをたくさん感じ取ってきたのだと思う。だから無批判的に過去に自分が受けてきた国語の授業を元に授業をおこなっていくようになっていくのだ。

だから国語教師同士なんかでは、「これは必要」というものが暗黙の了解で話が進むことが多いが、国語に親しみを感じていなかった人に対しては「何で?」ということになる。

さて、じゃあ、他教科専門の先生に対して説明する必要があるのか?というと私は国語でやる内容を苦労していちいち説明する必要はないと思う。説明する相手は他教科専門の方ではなく、子どもたちに対してだ。子どもたちが納得して国語を勉強し、国語の力がつくのであれば、他教科専門の方もそっちの方がいいだろう。(私の場合は「説明」というよりも、熱く語っているのだが。)

「どうして国語でこれをやるの?」ということを子どもたちに問うて、子どもたちが「○○だから。」と説明したことから判断するのが一番手っ取り早いんじゃないかな?だって、国語を今一生懸命学んでいるのは、子どもたちなのであって、きっと今あんまり学んでいない方は、今やっているその内容を体感していないのであって、そんなのを説明されたって「だってそんなの、○○でしょ?」と反論して終わりになってしまう。

筆順に関しても、筆順を学んでいる子どもに「どうして筆順を勉強することは必要だと思う?」と聞いて、例えば「だって、筆順を正しくしないと先生が怒るから。」なんて答えが返ってきたら、その先生の下で筆順は学ぶ必要はないだろうけれど、「だって○○だから。」となるほどと思う答えが返ってきたら、その子にとっては筆順は学ぶ必要はあるのだ。

私は高校で国語の授業をしているが、毛筆をやらない子どもに筆順も教えるし、受験で古典なんて無い子どもに、古文を原文で暗唱させる。遅くともその年度の終わりには古文を原文で読むこと、筆順を正しく書くことの必要性は子どもたちが納得しているようになっていると自負している。

なんだか武術や技芸の師弟関係のような話だ。師匠はどうしてこれが必要なのかは一切言わず、弟子が師匠のやることを真似して、弟子が「あ、そういうことなのか。」と体得する。こういう部分が国語にはけっこうあるということが言いたいのだ。でも、そんなことは学習指導要領には書いてありませんけどね。

私は実は、授業でやっていたことを子どもに作文で「先生は○○ということをめざしてこの課題をやっていたんですね。」と書かれて、「あ、そうなのか。」と分かったこともある。子どもに言語化されて教えられたのだ。

そういうことがあるから、子どもたちは教師を乗り越えて先に行くことができるんだと思う。

jun24kawajun24kawa2010/08/17 07:15上記は、武術のようにそれを受ける、受けない、の選択権が学習者の方が持っているならば成り立つ論理だとおもいます。
私は国語でやる内容を苦労していちいち説明する必要はないと思う。という論理が成り立つならば、教育は変わらないし、教師の暴走求められない。
繰り返しますが、選択権があるならば、上記に同意します。

F-KatagiriF-Katagiri2010/08/17 07:25コメントありがとうございます。
説明する必要はあると思っています。しかし、全員に納得させることは不可能だとも思ってもいます。子どもたち全員にも納得させることは難しいです。しかし、教育というものは、納得させてから学ぶのではなく、学んでいくうちに納得していくことが大部分です。

それは全ての教科に当てはまることです。私の書いたことは国語特別のことではないとも思っています。全ての教科で「どうしてそれをやる必要があるの?」という部分はあります。国語が特に「わかりにくい」ということへの説明なんです。

a-peanuta-peanut2010/08/17 12:21私は大学の書写で、「正しい筆順で書くと字を正しく美しく書くことができる。だから、小学校でも筆順を教えるんだ」と習いました。
私は、かなりめちゃくちゃな筆順でいつも書いているのですが、確かに、正しい筆順だと書きやすいなぁと納得したのを覚えています。
そして、小学校の先生も、そういう目的を教えてくれたら、私もちゃんと筆順を覚えたのにって思いました。

どんな学習内容にでも、やっぱり子どもが納得できる目的が必要だと思います。
たぶん、誰かかれかは、それぞれの学習内容に対して、子どもを納得させられる目的の語りの引き出しを持っているのではないでしょうか。交流できていないだけで。

数学だって、将来絶対使わないのに、なんでやらなきゃいけないの?ってなります。
でも、数学で習ったことは使わなくても、それを勉強する時に使った頭は将来役に立つんだ!!数学は頭を鍛えるためにあるんだ!!と言い張っています(笑)

a-peanuta-peanut2010/08/17 12:58コメント連投申し訳ありません。
もしかして、国語の先生方の中で、目的が自動化されちゃっているから、説明できないのかなぁ…なんて思いました。
数学も、数学者並みの先生方って、子どもが納得できる目的を語れないことが多いです。逆に、私みたいな、全然数学が得意なわけでは無い先生の方が目的を語ることが多かったり。
そして、『学び合い』の考えの基礎と同じように、わかったばかりの人ほどうまく伝えられるから、片桐先生にとっては「伝えられない」と感じるのかなぁ…なんて。
生意気なことばかり書いてしまって、申し訳ありません。

jun24kawajun24kawa2010/08/17 14:22どうも私の指摘の意味が伝わっていないと思います。
説明不能のものを人に課すということが許される根拠は何でしょうか?
もっと具体的に書けば、Kさんの説明では納得させられない子どもに、それを学べと課し、それによって評価する根拠はどこにありますか?
それは国語の専門家がどう思うかということではないと思います。
それは指導要領でしかないでしょ?
私はまず、第一にそれを確認したいのです。
次に、現在の国語の性格が素人から言えばいびつだと思うのです。これに対して、説明できないというのは、Kさんと私の人間関係だから書けるけど、不誠実だと思います。
そう思いません?
例えば、私が国語の専門家には分からないけど、現状の国語のはいびつだという表現をしたら、どう思います?
また、Kさんの学校の校長が、「職員に説明する必要はない。そのうち分かる」と言ったらどう思います?
議論は、互いの論拠を元に深めるものだと思います。
私は、国語の専門家から論破されたいと願っているのです。ね。

F-KatagiriF-Katagiri2010/08/17 16:12なっつさん、コメントありがとうございます。私も習字で筆順を取得し、その筆順が「字を人の読める形にする」ということに大きく関わっていると実感できたので、今でも国語でやっています。高校生の字でひらがなが梵字のようなものを各生徒は、筆順が全くアクロバティックなんです。そこを矯正しています。

「言い張ること」、重要です。私もところどころで言い張っています。そういうもんだ、ゲームはもう始まっていて、あなたたちはもう渦中にいるんだと思わせることで学びは進んでいくと思っています。

F-KatagiriF-Katagiri2010/08/17 16:41西川先生、「説明不能」ということではありません。説明は尽くさなければなりません。でも、それが伝わりにくいということです。

また、子どもたちにも説明しなければなりません。説明せずにただ、「やれ」では子どもたちがやるはずがありません。しかし、子どもたちが全員納得することは不可能だと思います。中には納得しないままそれを学んでいくこともあり得ます。なぜそれを押しつけるのかというと先生のおっしゃるとおり学習指導要領に書いてあるからです。それは「書くこと」を修得するためだよ。それは「離すこと・聞くこと」を修得するためだよ。それは「読むこと」を修得するためだよ。というのが最終的な根拠になるでしょう。ここに結びつけられないものはどんなことでも課してはいけないと思います。

コメントの校長と職員の喩えですが、私は「説明する必要はない」とは言っていないんです。説明は尽くして、語って、その気にさせなければなりません。その説明が理解できず、納得しなくても、「校長があれだけ言っているんだから、なんだかそれをやれば面白いことが起きそうな気がする。」と思わせることが重要です。

論点を整理しましょう。私が「説明する必要がない」と書いたのは、学習者に対してではありません。学習者には説明を尽くさなければなりません。説明してその気にさせなければなりません。ですので、校長と職員の喩えには当てはまらないんです。

もちろん西川先生が知りたがっているので今、説明をしています。「説明する必要がない」というのは「納得するまで説明をし続けるのは難しい。」と言い換えた方がいいかもしれません。コメントでも筆順のことが話題に出ましたが、西川先生はそれを読んでどう理解しましたでしょうか?それに納得して、筆順を修得して、文字を書くことを6年間くらい続けた場合、文字が今と違って変化していることを実感できるかも知れません。しかし、かなりの歳月で固まった字を6年間だけの練習では変化できないかも知れません。あれ?西川先生の肉筆って私は見たことがあったかな?メモもいつもワープロで手渡ししてくれていましたよね。

例えば、音楽でいえば、どうして音楽を小学生で必修で学ばせるのか、「説明」を求めた場合、私が頭で納得できる説明を誰かからしてもらえるかどうかは疑問です。私は音楽は必要だと思います。小学生にみんなに学ばせるべきものだと思っています。それは「感覚」でそう思うのです。しかし、それを誰かからその意義を言語化して説明されると、もしかすると「?」と疑問に思うかも知れません。他の教科もそういう部分がかなりあります。この教科のこれってやる必要ってあるの?というものです。もちろん、学習指導要領に書いてあるからやる必要はあるんでしょう。

国語の学習指導要領には、かなり曖昧な部分があります。算数とはかなり違います。細かいところまで言語化していません。だからこそ教師の裁量に任されるところがあります。「裁量」とはいっても、何でもやっていいということではありません。子どもたちに説明して、その気にさせなければなりません。