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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
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2010-01-26「学び合い」について

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学び合い』はなんの特別なものでもない。大昔からあるし、『学び合い』という言葉を知らなくても当たり前のようにやっている人も大勢いる。むしろ、学校外で、いや、学校内でも「授業」という縛りがないところで平気でやっていた。

自分のことをふり返ると、初めて今でいう『学び合い』を感じたのは、高校3年生、共通一次試験が終わり、自己採点が完了した後、授業が無くなって(次の日から授業がないということw全く知らずにいた)、じゃあ、明日からどうする?と仲間に聞いたら、図書館で勉強するというのだ。じゃあ私もということで、一緒に勉強しだした。そこでわからないことを即座に近くの者に聞ける環境があった。非常に効率がよい。

複数人数で勉強するなんて、当時つきあっていた彼女と一緒に図書館に行くくらいしかなかった(それほど回数はなく破局したが)。その時はたぶんそれほど効率は良くなかったと思うが、共通一次試験後の勉強(会?)はとても効率がいいのだ。その場の空気も勉強する雰囲気だったし、自宅でだらだらやっていても集中できないが、図書室という場所柄か、集中できた。

当時は教師がいると『学び合い』は無かったが、教師がいないところで『学び合い』はあった。教師が入ることで、目に見えない「とりきめ」があって、『学び合い』にならないのだった。教師もそういうことを知っていた(自分の学生時代の経験上)だろうけれど、「とりきめ」優先で、勉強効率は二の次という感じもあったんだろう。

しかし、今は、教師も『学び合い』環境を率先して作ろうという活動なので、私が仲間同士でやっていたことに比べて効果がぐーんとアップする。

言葉を与えるということは、漠然とした対象の一部分を見やすくするために切り取ることである。私が高校時代、仲間同士でやっていたことは、今、『学び合い』という言葉をあてることができた。もし、『学び合い』という言葉がなかったら、きっと別の言葉が与えられただろう。別の言葉だからって、私の高校時代のあの活動は全く変わらない。

学び合い』という言葉は、子どもの学びの活動から切り取った一部分であり、全てではない。「学び合い活動」が無い『学び合い』もある。私が昔から言っている「朝の読書」も『学び合い』である。

一方、志が同じ人が別の言葉を与えているかもしれないし、志が同じで、別のルートから山を登っているかもしれない。だから『学び合い』という言葉にこだわらなくてもいいのだと思う。志が同じかどうかは話してみればわかる。子どもたちの力がすごいことを知っているかどうかは話してみればあっという間にわかる。

志が同じ人は、何をやっても結局は子どもたちの人格の完成のために教育をしているのだ。