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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
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2009-03-31「入れ物」を大きくすること

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池田さんの記事とそれに答える西川先生の記事を読んで、「人格の完成」について考えてみました。

教育は人格の完成を目指すものであるが、未だかつて完成された人格をもっている人はいないという矛盾をはらんでいます。教師自体も人格が完成している人間ではないのだけれど、教え子に人格の完成を喚起します。矛盾しているようですが、それが教育です。

なぜ教師は自分が人格的に完成していないにもかかわらず、子どもたちにそれを求められるのかというと、「自分が人格的に完成していない」ということをわかっているからです。どうしてわかっているのかというと、自分もかつて先生に人格の完成を目指して研鑽せよと求められ、自分もそれを目指したからです。目指しているから「完成していない」ということがわかる。

教育や師弟関係というのは、すべてそういうものだと思っています(ほとんど内田樹先生の受け売りですが)。

「自分は完全で、子どもたちは未熟で、子どもたちは自分に付き従って来ればいいんだ。」という人は「先生」にはなれません。なぜなら、子どもたちは「あなたは完全ではない」ということをすぐに見抜くからです。完全な人間はどこにもいないから、すぐにボロが出ます。ついている嘘があっけなくばれる人に付き従っていこうとは思いません。さらに言えば、自分が嘘をついているということさえも気づかない人に付いていこうとも思いません。だから言うことも聞かなくなります。

「かつて私はこれを教えられ、今も目指している。だからみんなも目指そう。」と言った方が、深みがありそうです。深みがある方が子どもたちは言うことを聞くと思いませんか?

言葉に関して言えば、「人格の完成を目指す」という言葉よりも「人格の陶冶*1をする」という言葉を使う方が私はしっくりいって好きです。

*1:とうや 生まれついた性質や才能を鍛えて練り上げること。

jun24kawajun24kawa2009/03/31 11:09私の教師の定義は「自分の出来ないことを人に求める職業」です。あははは