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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,2019/11/2〜4に長野県でおこないます。
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2008-12-05学ぶ

[]学ぶ 学ぶ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 を含むブックマーク はてなブックマーク - 学ぶ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 学ぶ - Pay it Forward , By gones 片桐史裕 のブックマークコメント

「この課題は◎◎の力を身につけるためにおこなう。」と10年くらい前から配布プリントに「ねらい」を明記するようになった。それは子どもにその方向で学んでほしいという目論見があるからである。そして「これこれのために役に立つ」とアナウンスすることが、課題への食いつきを良くさせていたからである。

しかし、あまりにも書きすぎるのはどうなんだろう?とふと疑問になった。

学校というのは、学習者がそれに意味があるかどうか分からないまま学び出すものであり、意味なんていちいち考えて学習者が取捨選択していたら、本当に必要なものが学べないまま卒業してしまうことになる。

意味を理解する力を持ってからそれを学んでは遅すぎるものも多いからだ。学んでからようやく「こういう意味だったんだ。」と分かることが多い。

朝の読書も意味も分からずにおこないだし、始めは嫌々本を眺めているが、そのうち本を読むようになって、ふりかえると「こういう力がついて、読書には意味がある」と分かる子どもが多い。

内田樹先生は学校自体がそういう構造を持っていると言っている。

あまりその課題のねらいを限定的にせず「これをやる!」と教師が決めて、淡々と課題をやらせていくのもいいのではないか?と思ってきた。

しかし、課題に食いつかせるには全く魅力のない課題ではダメなわけで、結局「やってみたら何となく楽しい課題」を考えざるを得なくなる。

あれ?元の木阿弥だ。