上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
研究室ページ katagiri-lab
niagara@cocoa.ocn.ne.jp
教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
http://manabiai.jimdo.com
2008-03-21リクルートの取材を受けました。
■ [学び合い][国語]リクルートの取材を受けました

西川先生のご紹介で『学び合い』に関して取材を受けました。
「キャリアガイダンス」の取材のために、東京(?)から3名の方がいらっしゃいました。この雑誌は学校の進路に送られてくるから、知っていました。各記事が、こんなに熱心な取材で作られているのかと、感服いたしました。次号からもっと熱心に読みます。
『学び合い』に関して質問を受けたり、自分で話したりするとだんだんとわかってくるところがあるので、有り難かった。
自分には教科の思いと、集団への思いがあり、教科では、これを修得してほしいという思いがあるが、それとは別にこの課題を達成できる集団であってほしいという思いがある。特に国語では集団において関係性を保つための「言語」が扱われているので、この2つの思いがごっちゃになるときがある。しかし、「教科」と「集団」それぞれの思いに関しては、分けて考えなければなーと思った。
取材を受けていて、話しているうちに、この2つがどんどんこんがらがっていくのがわかりました。でも、相互に関係することだから、こんがらがって当たり前なのかな?
国語だから言語の能力をつけることが主だけれど、言語の能力はまわりとの交流によってなされる。じゃあ、まわりとの交流が目標になるのかというと、そういうわけでもないという矛盾が出てくる。うーん、整理できない。
それから、国語の教科書は『学び合い』をするのにうってつけのものであるということが、取材を受けてわかりました。だって、国語の教科書は文章が載っているだけで、それをどのように取り扱うかの自由度は、他の教科に比べて段違いです。
あっという間の2時間でしたが、終わり頃になるともっともっと喋りたいことが浮かんでくるのですが、何事もそんなものでしょう。
掲載されるのは5月号あたりなのかな?発行されたら読んでね。
インタビューされて、私の考えが文章化されるというのが初めての経験なので、どのように編集されるか楽しみです。きっと私の言いたいこと以上のことが私の文章能力を超えて表現されるんじゃないか?と期待しております。