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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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2007-12-04「かもしれない」に縛られる

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これは自分が高校大学卒業できたから言えるのかもしれない。でも、なんだかこんな状況では子どもたちの息が詰まってしまうんじゃないかな?

高校卒業しないと仕事に就いてからまわりからとやかく言われるかもしれない。しかし、高校卒業したからといって、幸せになれる保証はない。

大学に入学しないと、いい職に就けないかもしれない。しかし、大学に入ったからといって、幸せになれる保証はない。

なんだか、社会学校卒業に強く縛られて物事を考えているんだな。「卒業したかしないか」がそんなに重要なことなのか?

一個人としての見方は「卒業したからといって立派な人間とは限らない。中身だよ、中身。」なんて思っているんだろうけれど、「かといってまわりはそう見ないよ。」なんてことを言う。自分以外は「まわり」ということなのか。自分と同じ考えの「まわり」は存在しないのか?本当は自分は「まわり」と同じ考えなのではないか?

本音と建て前というのは十分に分かるけれど、なんだか縛られすぎじゃないのかなぁ?高卒高校中退で、幸せに暮らしている事例というのはほとんどないのだろうか?そんなはずはないと思うのだが。

逆に、大卒幸せに暮らしていない事例はたくさんピックアップできる。しかし、その事例は無視される。これもなぜか?

あまりにも「大学進学」「大学進学」といっているのには嫌気が差している。「○○専門学校は頭髪・服装規定が厳しくて、落ちてしまったからこの大学に来ました。」という事例を大学職員が驚きを持って紹介していた記事を読んだ。今やそんな時代なのだ。しかし、「専門学校進学は進学じゃない」と言う人がゴロゴロ掃いて捨てるほどいる。

むむむむ。

みんなが幸せになるためには、人をけ落としての進学競争をしていては、不可能なんだけれどなぁ。

iwasakiiwasaki2007/12/05 21:47はじめまして!挨拶が遅くなってしまい,申し訳ありません。上越教育大学学校教育学部4年 西川研究室所属のiwasakiというものです。
よろしくお願いします。
私たちの高校でも「大学進学」「大学進学」でした。やはり,人をけ落とし自分が受かるという悲しい発想が先行していたと思います。
「みんなが幸せになるためには、人をけ落としての進学競争をしていては、不可能」
同感です。

F-KatagiriF-Katagiri2007/12/06 05:56iwasakiさん、学会の準備で大変だと思いますが、よろしくお願いします。発表もなさいますよね。楽しみにしています。