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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
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2007-03-27教科による違い~危機感~

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理科の授業では『学び合い』が進んでいるように思える。言い換えると、『学び合い』を意識する理科担当する教師の数(割合?)が国語と比べて多いように思えるということだ。

国語でやっている学び合いは、ほとんどが「伝え合い」であって、単なる発表の場を教師が設定しているだけのように思える。

何が違うのか?というと、危機感なのかな?とも思う。「理科離れ」という言葉はあるが「国語離れ」という言葉はまだ成立していない。「活字離れ」はあるが、「国語は全ての教科の基本」なんておこがましいことを兵器で言う人もいるし、それを表立って批判する人はいない。

危機感があるからこそ、「何とかして意味ある理科授業を」というのが出発点で、結果的に『学び合い』に行き着いている人が多いのではないだろうか?未だに教師の言っていることをノートにとる授業が王道だと言っている国語教師の何と多いことか。それを理科でやったら理科離れは加速していくと理科の教師はわかっているんだろう。

何をしても離れていかないと思っている国語教師が多いということか。生徒の思い(やり)に依存する授業はやめなければ。

HirarinHirarin2007/03/27 11:20理科って昔から「班実験」とか「自由試行」とかがあり、学習過程も「仮説実験授業」のように子ども主体の学びが一般的に受け入れられていました。なので、理科は比較的スムーズに教師も子どもも『学び合い』を受け入れたのだと思います。
理科が専門の先生はそのような学習スタイルを自分自身も長年経験しているので他の教科でも『学び合い』を取り入れることができるのでしょうかね。

確かに「活字離れ」「読書離れ」は聞きますが、「国語離れ」は聞きません。やっぱり国語は「必要だ」と誰しもが思っているのでしょう。