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Pay it Forward , By gones 片桐史裕 このページをアンテナに追加 RSSフィード

上越教育大学教職大学院准教授片桐史裕です。
2016年3月まで27年間新潟県の高校国語教師を勤めていました。
映画のことや,教職のことについて書いています。
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教室『学び合い』フォーラム
第15回(2019年)《海》,《山》は
2019/8/3〜4に福岡県,
2019/11/2〜4に長野県でおこないます。→長野の会は中止になりました。
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2007-03-23ナンバーワンとオンリーワン

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いっとき、「ナンバーワンよりもオンリーワン」という言葉が世に出回った。スマップの歌で世間に知られたのだが、もともとは槇原敬之、そしてそのおおもとは丸山浩路さんの講演である。丸山浩路さんの講演を聴いて、勤務校に講演に来てもらい、挙げ句の果てに私は息子に「唯一郎」という名を付けた。

それはいいが、つい先日の新聞記者の記名連載記事に「オンリーワンはいかがなものか?それって自己満足じゃない?」という意見で取材されたものが載った。自己満足ではなく、社会の尺度でナンバーワンを目指すべきだという主旨だ。

なんてつまらない記事を載せるんだろう?なんで新聞もこぞって「ゆとり教育」→「学力偏重締めつけ教育(一昔前の偏差値教育)」を賞賛する風潮になるのか?風潮に迎合して記事を書いているだけじゃないか。なんの主張も無い。

まぁ、「ナンバーワン=偏差値教育」という構図があり、その反省のもと、「オンリーワン=個々を認める教育ゆとり教育*1」各種メディアだって、結局それをもてはやし、スマップの歌はあれほど売れたのだ。

しかし、「ゆとり教育」失敗により、「偏差値教育」にまた戻ろうとする風潮で、このメディアもそれに乗っかる形で記事を書いている。まぁ、そうすれば、共感する人も多いから、新聞を買う人も多くなるということなんだろうけど。

メディアというものは、体制批判や、世に警鐘を鳴らす役割があるんじゃないか?「偏差値教育」に戻ろうとするのであれば、それに対して「ちょっとまてよ」という記事も載せるのが使命だ。

きっと「ゆとり教育」の象徴的存在総合学習の時間」が導入されたとき、メディアも乗っかって、「こんなすばらしいことを学校がやっている!」とこぞって紹介していたはずだ。結局今後また「偏差値教育」が崩壊して、「ゆとり路線」に戻るのは目に見えている。そんなことは何十年、何百年と繰り返されていたはずだから、振り回されるのは、子どもたちだけなのに……。

さて、『学び合い』は「ナンバーワン」か、「オンリーワン」かと考えてみたが、出た結論は、どちらでもない。なぜなら「ワン」は目指していないから。つまり、「偏差値教育」でも、「ゆとり教育」でもないと。だって、『学び合い』をしている子どもは、「締めつけられている」とも思わないだろうし、「ゆとりがある」とも思わないからだ。

じゃあ、何教育?名前が思いつかない。

今までに無い教育の理念だから、たくさんの教員に、思ったよりも受け入れてもらえないんだろうなぁ。

*1:本当はこの構図は大義名分(=嘘)であり、本質的には「教職員の労働時間短縮教育」である。しかも、「ゆとり教育」なんていいながら、子どもたちは「ゆとり」を実感していない。土曜日の授業が無くなった分、それを確保するために毎日の終業時刻が遅くなったんだから。

jun24kawajun24kawa2007/03/23 16:57ほんとだね。
ゆとり教育が、自己判断できるゆとりを持たせようとするという意味だったら、『学び合い』は究極の「ゆとり教育」だ。
だって、授業時間50分(45分)の全ての時間、何をすべきかを自己判断できるのだから。
締め付け教育が、厳しい、大変という意味だったら、『学び合い』は究極の「締め付け教育」だ。
だって、「締め付け教育」が厳しい、大変といったって、「ふり」をしながら手を抜くことは出来る。
でも、『学び合い』では手を抜くことは出来ない。
だって、教師の目を盗むことは出来たとしても、クラスメート全員の目を盗むことは出来ない。
さらにいえば、クラスメート全員の目を盗むことが出来たとしても、自分の目を盗むことは出来ない。
自分自身が自分のために、自分を「締め付ける」のが『学び合い』だから。
でも、『学び合い』には「締め付け教育」にも「ゆとり教育」にもない、「みんなで高まる」がある。
だから、自分を締め付けたとしても、耐えられるし、もっと締め付けようとする。
カタギリさんはこの状態にいたんだよね。
今までの教育理念には、真の「学習者の主体性」、真の「協同性」が欠けている。
おまけでいえば、「教職員の労働時間短縮教育」にもバッチシ対応できるよね!